【R18】渾沌の七竅

無憂

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三竅

21、奈落への道

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 デュクトは、帝国の中枢を牛耳る十二貴嬪家の、三筆頭家と呼ばれるソアレス家の、正嫡として生を享けた。
 始祖龍皇帝とともに天界から降った眷属の末裔。魔物の跳梁から帝国を守る聖騎士を出す貴種の中の貴種。その始祖ソアレスは、龍皇帝の輔として帝国の礎を築き、第二代皇帝の太傅として帝国を磐石たらしめた第一の功臣である。以後、ソアレス家の者は皇帝の師として、皇子の教育に勤める家柄として、揺るぎない地位を占めている。ソアレス家の正嫡が傅する皇子こそ、次代の皇帝あるとの認識すらあり、正嫡たるデュクトは幼少時から己を律し、学問に武芸に、常に最高の努力を惜しまなかった。

 十日違いで生まれた皇太子の次男と、皇帝の十五皇子。ともに皇后家であるブライエ家の娘より生まれた二人の皇子の、どちらに正嫡であるデュクトを付けるのか。デュクトへの下命は、十五皇子であるユエリン皇子の正傅にとのことであった。
 
 その時、デュクトはわずかに十四歳。未成年の正傅就任は、些か異例でもあった。
 転機は、デュクトが二十六の年。十二歳のユエリン皇子は、悪所帰りの末に泥酔して落馬し、重体に陥る。それ以前より、侍従官の周囲を皇太子の手のものがうろついていることを、デュクトは暗部のカイトより報告されていた。だが、まだ若いデュクトはどう動くべきか、測りかねていた。皇太子の目的がわからなかったのだ。

 おそらくは、ユエリン皇子の放蕩の噂を立て、その評判を落とそう、という目論みだったのだろう。デュクトは、悪評くらいでは皇帝の意志が変わることはないとわかっていた。それよりも閨房教育で皇子の精神が荒れている今、下手に評判を気にして後宮に閉じこめるよりは、多少のやんちゃは許した方がいいと考えて、放置したのが仇となったのだ。デュクトは皇太子よりも何よりも、自身の甘さを憎んだ。

 それからは、怒涛の日々だった。
 皇帝より双子の存在を明かされ、カイトに命じて聖地を探させる。一月以上の時をかけてようやく発見した時、皇子は太陽宮の外れの僧院で沙弥しゃみをしていると聞かされ、デュクトは意識が半ばとんだ。

 そしてその皇子の日常を調査させる。
 十人同室の暖房もない孤児院の部屋で寝起きし、木綿の僧衣に手作りの藁草履、黒髪は剃り上げられている。朝の掃除に始まり、羊飼いに畑仕事にと、一日労働に負われ、食事は一汁一菜、入浴は井戸端で冷たい水を浴びるだけ、時には重い荷を担いで片道数刻も歩き、僧院から離れた水車小屋や炭焼き小屋に食糧を運ぶ仕事もこなすという。カイトからの報告を読んだときは畏れ多さに手が震え、報告書を床に落としてしまったほどだ。

 無知は、罪だ。
 高貴な皇子にそのような暮らしを強いた自分たちは、万死に値する。
 今や、知ってしまった以上、自分はこの皇子をこのまま僧院に置いておくことはできない。
 デュクトは、皇帝の決定を待った。

 ユエリン皇子が泉下に旅立ち、デュクトはゲルとともに、僧院にを迎えに行く。僧院で沙弥のなりで現れた皇子を初めて見た時に、デュクトの人生は狂ったのだ。

 剃り上げた頭部。切れ長の黒い瞳。色気のある赤い唇。細く長い首に、華奢な肩。
 死んだ主に瓜二つでありながら、その醸す雰囲気は全く異なっていた。汚れのない清純さに、相反する妖艶さが同居する。全身を包む金色の〈王気〉。

 それからのデュクトはめちゃくちゃだった。
 あんな態度を取れば、殿下に嫌われて当たり前だと、デュクトですら思う。ゲルにも、何度注意されたか。だが今ならわかる。殿下に対して恋情を抱いた彼は、その事実を認めたくなくて、混乱して頓珍漢な行動ばかり取っていたのだ。

 殿下が艶めかしいのは痩せすぎているせいだ。そう考えて肉ばかり食べるように強要する。
 殿下が侍女たちと楽しそうに笑うのに嫉妬して、侍女を遠ざけようとする。
 殿下が侍女の買ってきた菓子を嬉しそう見るのが許せなくて、菓子を踏みつけて捨てる。

 彼がこれまで育った環境を考えれば、食べ物を粗末にすることを彼がいかに軽蔑するか、わかりきっていたのに。

 双子として生まれたのに、棄てられた。
 片割の死によって拾い上げられ、それまでの暮らしから引き離されて、閉じ込められる。
 過去を奪われ、名を奪われ、友を奪われ、師を奪われ――どれほど、孤独だっただろうか。
 何故、傅役としてそれに寄り添ってやれなかったのか。

 信頼を、得られなくて当然だ。

 追放同然に始祖龍皇帝廟に追いやられ、廟に奉仕の日々を送りながら、デュクトは考える。
 皇子は多分、自分を許しはしないだろう、と。
 反抗も抵抗も許されない皇子の抑圧された怒りは、全てデュクトに向かっているのだ。殿下はおそらく、デュクトを憎むことで、なんとか心の平衡を保っているのだ。

 ならば――。
 憎まれ役になろう。
 最初の最も辛い時に、寄り添うことができなかった自分が、殿下にできることはそれだけだ。

 その、つもりだった。
 メイローズやゲルは殿下の心を考えて侍女たちを遠ざけることができなかった。だがデュクトはやった。
 恨まれ、憎まれるだろう。でも、閨房教育の始まった殿下の近辺に、侍女を置くことはできない。
 媚薬を飲ませてついに行為に至らせた。殿下はデュクトを恨み、カリンの名を呼んでいた。

 ああ――そこで呼ばれるのが我が名であったならば。
 デュクトは、カリンに嫉妬した。

 新たに付けられた侍従官たち。特に、武芸の指南役も務めるマフ家のゾーイ。大柄で、豪放な武人タイプ。あの、聖地での教育係を思わせる雰囲気。
 殿下が屈託なく甘える様子に、デュクトは全身の血が逆流するほど、嫉妬した。

 そして閨女。
 賤しい獣人奴隷の子でありながら、殿下の肌を、肉体を、余すところなく知っているのだ。
 閨房の指南の詳細を聞くたびに、妬ましさで気も狂わんばかりになった。

 あの、運命の川遊びの日。

 デュクトは目にしてしまったのだ。殿下の美しい肌を。細く、しなやかな、瑞々しい若木のような身体を。水しぶきを浴びて、輝く肌。その肌に、躊躇いなく触れるゾーイとの屈託のないやり取り。

 デュクトの理性は、嫉妬で焼き切れた。
 ただ、あの肌に触れたかった。自分以外の者が触れているのが許せなかった。
 ただ、肌に触れるだけで、帰るつもりだった。本当にそれだけだった。

 メイローズを寝所から追い払い、一人きりの寝所に忍び込む。
 何をしているのだと、自分でも笑ってしまう。それでも――あの肌に触れれば。一度でいい。一度だけ。
 抑えきれない思いに突き動かされ、眠る主を見下す。

 だが、閨女との淫楽の余韻に震える主の発する色気は、想像を絶していた。
 額に浮かぶ玉の汗も、苦し気に顰める眉も。すべてがデュクトを煽り、蠱惑した。
 誘惑に負けて、その胸の飾りに触れれば、あとはもう――。

 奈落の底に向かって、滑り落ちるだけ。

 殿下を、犯した。
 殿下は、恐怖に震えていた。
 声も出せぬほど、ただただ恐怖に震え、怯えていた。

 俺は、殿下を、愛していたはずだ。
 なぜ、こんな非道なことが、できるのだ。

 すべてを守り、育むのも愛。
 すべてを奪い、壊すのもまた、愛。

 衝動のままに殿下を貫き、犯し、凌辱しながら、デュクトは心の内で許しを請う。

 どうして、壊してしまうのだろう。
 どうして、傷つけてしまうのだろう。
 
 あの後、懸命に自らを保っていた皇子。デュクトが与えた傷は、おそらく修復が不可能なくらいに深かったのだろう。それなのに。

 デュクトは常に、次の機会を狙っていた。
 一度で、終わることなど出来そうもなかった。
 何度でも犯し、汚し、辱めて、自分のものだと叫びたかった。
 
 一方では、殿下の元を離れる算段を練った。職を辞し、皇子を解放する。
 この、薄汚れた欲望から、殿下を守るにはそれしかない。
 だが、何度辞表を書いても、それを出すことができない。
 殿下の側を離れることができない。たとえ憎まれも、疎まれても、踏みにじられても、殿下の側以外では生きていくことができない。

 そんな時に、カリンの事件が起こる。
 殿下を追い詰めたのは、俺だ――。
 いっそ、殿下と刺し違えて死んでしまいたい。そうして殿下の苦しみを終わらせられるなら。俺の苦しみが終わるのならば。

 殿下から告げられたデュクトへの罰は、デュクトの想像を越えていた。

 殿下を犯し、汚し、辱めて罰を与えよ。
 殿下は俺を愛さない。ただ汚らわしいと思っている。だから、これが殿下への罰になる。
 罪もない侍女を死に至らしめた殿下への罰として、俺に、殿下を抱けと言った。

 『お前がいくら僕に愛を囁いても、僕の心はお前のものにはならない。この汚らわしい身体だけを思う存分貪るがいいさ。そうして、僕に疎まれ、僕を壊し、僕に罰を与えろ――それが、お前の役割だ』

 これ以上はないほどの、拒絶の言葉。憎んだ相手だからこそ、その身体を差し出すという、殿下の歪んだ心。それを、受け入れてはいけないと、理性ではわかっているのに――。

 デュクトは今夜、奈落への滑梯《すべりだい》に乗ったのだ。後はひたすら、堕ち続けるのみ。
 デュクトは目を閉じ、呟いた。


「それでも――俺はあなたを救いたいのです――」
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