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三竅
17、〈処女殺し〉
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報せを聞いたとき、デュクトは、今度ばかりは傅役を罷免されるであろうと覚悟した。
皇子が、夜中に自室を抜け出し、よりによって侍女の部屋を訪れ、関係した挙句、侍女は死んだ。
過酷な閨房教育も、批判の多い秀女の制度も、すべては、皇子が暴走して侍女や平民の女を害さないための処置なのである。しかも、年が明ければ成人するはずの、皇子。傅役の責任を問われても致し方ない。
ただ、殿下さえ、お守りできれば――。
デュクトは、いかなる処罰も甘んじて受けるつもりで、皇帝の御前に出頭した。
乾坤宮の皇帝の書斎。
煖坑の上に設えられた長椅子に皇帝は浅く腰掛け、背筋を伸ばしている。白髪の混じる黒い髪に、凛々しい眉は顰められている。
長椅子の横の榻には、賢親王がやはり苦々しい顔で座っている。
デュクトは、ゲルと並んでその二人の前に跪き、額を床に擦りつけるようにした。
「申し訳ございません。この度のことは、全て、私デュクトの不徳の致すところ。いかようなるご処分も受けますので、なにとぞ、殿下にはご厚情を――」
「よい、頭を上げよ」
皇帝が素っ気なく言った。
「此度のことは、何もなかった。ただ、下級侍女が一人死んだだけだ。侍女で、事情を知る者は全て、この件についてはけして語らぬように言いくるめて解雇せよ。他に知っている者は?」
「医者と、私の配下の暗部だけでございます」
「その暗部が、メイローズに居場所を報せたのか」
「は。密かに警護していましたところ、このままではまずいと感じ、メイローズを呼びに戻ったところを……」
横で聞いていた賢親王が忌々し気にデュクトに尋ねた。
「還精の法は会得していたのではなかったのか?」
「それは、会得はしていたのですが、殿下に置かれましては、以前よりもあの侍女に対する執着が深く、さらにその侍女も処女でございまして、ことさらに強い反応が出て、命を奪う仕儀になりましたようでございます」
賢親王が眉間に深い皺を刻み、目を伏せて首を振った。
「女には、興味などないと思っておったのに……」
まさかあのユエリンが、こんな問題を引き起こすとは想像すらしていなかった。賢親王も立ち上がると、床に両膝をついて、言った。
「陛下、いえ、父上。兄として、あれを導けなかったこと、深くお詫びいたします」
「よい。そなたのせいではない」
「いいえ。私はあれの聞き分けの良さに甘えていたのです。あれの、抑圧された孤独に気づけなかった。あれが、此度のことで受けた心の傷はさらに大きく、深い。私は……」
賢親王が頭を床に擦りつけようとしたところで、皇帝が止めた。
「もうよい。……すんだことはどうしようもない。……あれは、どうしている」
「は。かなり、凄惨な最期でありましたらしく、すっかり取り乱して、侍医の判断で薬を処方し、メイローズがずっと傍に……」
「無理もなかろう」
皇帝は大きく息を吐いた。
「このこと、東宮は……」
皇帝の言葉に、賢親王は眉を顰める。
「箝口令は布いてございますが、人の口に戸は立てられぬと申します故、おそらくは近いうちに耳にはいりますかと」
「何か、ことを起こすようであれば、直ちに報告せよ。年が明け、ユエリンが成人すれば、立太子を行うことも可能だ。東宮の動きを注視するように」
「ですが、陛下……。皇太子殿下におかれましては、立太子より二十五年以上、明らかなる過失もなく過ごしておられます。身体が弱い、という点だけで廃するには群臣の反対も……」
「わかっておる。だが、失敗をしていないだけで、あれに帝国を治める器量はない」
「ユエリンに、それがございますか?」
「ユエリンは、そなたに似ておる。そなたに譲れぬ以上、ユエリンに譲りたい。朕の、最後のわがままじゃ」
「陛下……」
皇帝が、跪いて頭を擦りつけている、ユエリン皇子の傅役二人に言った。
「このまま、ユエリンに仕えよ。あれを、よく導け。……何もない。ユエリンは、何にも関係しておらぬ。わかったら下がってよい」
デュクトとゲルは、無言で皇帝の御前を下がった。
侍女の死は、単なる急死として処理された。
だが、後宮内では、こんな噂が囁かれた。
ユエリン皇子の、〈処女殺し〉――。
皇子が、夜中に自室を抜け出し、よりによって侍女の部屋を訪れ、関係した挙句、侍女は死んだ。
過酷な閨房教育も、批判の多い秀女の制度も、すべては、皇子が暴走して侍女や平民の女を害さないための処置なのである。しかも、年が明ければ成人するはずの、皇子。傅役の責任を問われても致し方ない。
ただ、殿下さえ、お守りできれば――。
デュクトは、いかなる処罰も甘んじて受けるつもりで、皇帝の御前に出頭した。
乾坤宮の皇帝の書斎。
煖坑の上に設えられた長椅子に皇帝は浅く腰掛け、背筋を伸ばしている。白髪の混じる黒い髪に、凛々しい眉は顰められている。
長椅子の横の榻には、賢親王がやはり苦々しい顔で座っている。
デュクトは、ゲルと並んでその二人の前に跪き、額を床に擦りつけるようにした。
「申し訳ございません。この度のことは、全て、私デュクトの不徳の致すところ。いかようなるご処分も受けますので、なにとぞ、殿下にはご厚情を――」
「よい、頭を上げよ」
皇帝が素っ気なく言った。
「此度のことは、何もなかった。ただ、下級侍女が一人死んだだけだ。侍女で、事情を知る者は全て、この件についてはけして語らぬように言いくるめて解雇せよ。他に知っている者は?」
「医者と、私の配下の暗部だけでございます」
「その暗部が、メイローズに居場所を報せたのか」
「は。密かに警護していましたところ、このままではまずいと感じ、メイローズを呼びに戻ったところを……」
横で聞いていた賢親王が忌々し気にデュクトに尋ねた。
「還精の法は会得していたのではなかったのか?」
「それは、会得はしていたのですが、殿下に置かれましては、以前よりもあの侍女に対する執着が深く、さらにその侍女も処女でございまして、ことさらに強い反応が出て、命を奪う仕儀になりましたようでございます」
賢親王が眉間に深い皺を刻み、目を伏せて首を振った。
「女には、興味などないと思っておったのに……」
まさかあのユエリンが、こんな問題を引き起こすとは想像すらしていなかった。賢親王も立ち上がると、床に両膝をついて、言った。
「陛下、いえ、父上。兄として、あれを導けなかったこと、深くお詫びいたします」
「よい。そなたのせいではない」
「いいえ。私はあれの聞き分けの良さに甘えていたのです。あれの、抑圧された孤独に気づけなかった。あれが、此度のことで受けた心の傷はさらに大きく、深い。私は……」
賢親王が頭を床に擦りつけようとしたところで、皇帝が止めた。
「もうよい。……すんだことはどうしようもない。……あれは、どうしている」
「は。かなり、凄惨な最期でありましたらしく、すっかり取り乱して、侍医の判断で薬を処方し、メイローズがずっと傍に……」
「無理もなかろう」
皇帝は大きく息を吐いた。
「このこと、東宮は……」
皇帝の言葉に、賢親王は眉を顰める。
「箝口令は布いてございますが、人の口に戸は立てられぬと申します故、おそらくは近いうちに耳にはいりますかと」
「何か、ことを起こすようであれば、直ちに報告せよ。年が明け、ユエリンが成人すれば、立太子を行うことも可能だ。東宮の動きを注視するように」
「ですが、陛下……。皇太子殿下におかれましては、立太子より二十五年以上、明らかなる過失もなく過ごしておられます。身体が弱い、という点だけで廃するには群臣の反対も……」
「わかっておる。だが、失敗をしていないだけで、あれに帝国を治める器量はない」
「ユエリンに、それがございますか?」
「ユエリンは、そなたに似ておる。そなたに譲れぬ以上、ユエリンに譲りたい。朕の、最後のわがままじゃ」
「陛下……」
皇帝が、跪いて頭を擦りつけている、ユエリン皇子の傅役二人に言った。
「このまま、ユエリンに仕えよ。あれを、よく導け。……何もない。ユエリンは、何にも関係しておらぬ。わかったら下がってよい」
デュクトとゲルは、無言で皇帝の御前を下がった。
侍女の死は、単なる急死として処理された。
だが、後宮内では、こんな噂が囁かれた。
ユエリン皇子の、〈処女殺し〉――。
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