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三竅
2、三つの花
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離宮行幸を挟み、ほぼ一月ぶりに皇后の部屋に呼ばれたシウリンは、皇后の周囲に三人の着飾った少女たちがいることに驚いた。閨房教育が始まって以来、若い侍女たちが数多く侍る皇后の部屋に、シウリンは近づくことが禁じられていた。ごくたまに用があって皇后に対面する際でも、若い侍女は退けられ、宦官と老婆しか見ることはなかったからだ。
「……我が子よ、久しぶりです。息災のようで何よりです」
「母上。ご無沙汰しております」
シウリンが丁寧に頭を下げて挨拶をする。ここ数か月で急激に背が伸び、また毎日メイガンやゾーイら鍛えられているので、無駄なく形のよい筋肉がついて、生来の美貌とあいまって、見た目にはただただ麗しい皇子ができあがっていた。切れ長の黒い瞳は黒曜石のように煌めいて、眉は凛々しく、綺麗に整えられた黒髪はうなじにかかって光の当たる部分は艶々と輝いていた。
勧められた席に優雅な動作で腰かけたシウリンを、三人の秀女たちはウットリと眺めた。
一番年上は二十歳の椿。男爵令嬢だが、母親は十二貴嬪家の庶腹の娘である。背が高く、黒髪を頭上で凝った形に結い上げ、大きな造花の髪飾りを付けている。花の色に合わせた赤い袷に白い裳、勝気そうなやや釣り上がった瞳に、赤く塗った唇の横のほくろが色っぽい。
次いで十八歳の木蓮。身長は低く、ややぽっちゃりとした身体つきに、色白で薄茶色の髪を流行のコテで巻いて流している。目が大きくて愛らしい容姿に、薄水色の袷、赤い裳。伯爵の姪に当たるが、両親ともに正室の子ではない。
最後が十七歳の桂花。中肉中背、美しいと言えば美しいが、あまり印象に残らない普通の容姿で、長い髪を編み込みにして大きな髪飾りで覆っている。濃紺の下重ねの上に白い袷、白い裳が涼やかだ。子爵の孫娘ということだった。
皇后から紹介されて、シウリンは面食らった。彼女たちが纏う香が鼻について、つい、鼻に皺を寄せてしまう。彼女たちはシウリンの側室候補の秀女だという。
(……側室って、何?)
最近ではさすがのシウリンも結婚制度というものの存在は理解していた。一人の夫に、一人の正室を持ち、子を儲け、血統を継いでいくのだと。が、妻以外にも特に皇子のような身分の者は何人もの側室を持つことが可能であるという。だが、普通の夫婦という者を間近で見たことのにないシウリンには、正室も側室もまったく想像がつかなかった。
訝し気に母の皇后の眺めるシウリンに、皇后が言った。
「そなたにもそろそろ秀女をと思うて、メイローズと相談の上、この三人を選んだ。今宵から交代で閨に呼ぶがよい」
ぱちぱち、と二、三度瞬きして、シウリンは考えた。
(秀女……とは、グインたちが言っていた、あれか――)
「母上――僕はまだ、秀女などは必要ありません」
シウリンが戸惑いがちに口を開くと、皇后は微笑んで言った。
「そなたは晩生ゆえ、恥ずかしいのであろうが、四人でこれから庭を散歩してまいるか? 少し話して、気に入った者から寝所に呼べばよい」
シウリンは思わず眉間に深い皺を刻んでしまう。三日おきに寝室を訪れる閨女以外に、さらに彼女たちと関係せねばならぬとということなのだ。シウリンにはうんざりという気分しか湧いてこない。
しかし母の、さらに皇后の権限は絶対である。シウリンは三人の秀女たちと庭に降り、池の周りをぐるりと散歩して池の反対側の四阿に腰を下ろした。
「えーっと。申し訳ありませんが、お名前からもう一度、お願いできますでしょうか」
丁寧なシウリンの言葉に、一番年下の桂花がくすりと笑った。
「殿下、そんな丁寧なお言葉遣い、わたしたちに必要ありませんわ」
「そうなのですか。貴族の令嬢とはお話ししたことがありませんので」
三人の秀女は顔を見合わせる。
「……でも殿下、お怪我をなさる以前も秀女はお呼びになっていたでしょう?」
ためらいがちに木蓮が尋ねるのに、シウリンは黒曜石の瞳を見開いた。
(何だそれ、聞いてない――)
「……落馬で頭を打ってね。いろいろ忘れてしまったことが多いんだ」
シウリンが長い睫毛を伏せると、秀女たちは気を使って話題を変えた。
「殿下は普段、お部屋で何をされていますの?」
一番年長の椿の疑問に、シウリンは首をかしげながら言った。
「うーん。本を読んで……勉強? 傅役が交代でやってきて、歴史とか法学とか。あと習字の練習」
「ずいぶん真面目でいらっしゃるのですね?」
「そうかな? みんなそんなものじゃないの?」
「わたしが以前伺候した宮の殿下は、そんなに真面目ではいらっしゃいませんでしたわ」
椿が口元に手をあててコロコロと笑った。
しかし、シウリンが話すことなどすぐに尽きてしまう。ただ三人のおしゃべりを聞いているしかない。今帝都で流行っているコテを当てて巻いた髪型について。最新の衣裳の流行。帝都で一番人気の菓子屋。全てがシウリンには興味のわかないことばかり。相槌を打つのもなおざりに、静かにただ佇んでいたが、香の匂いが強すぎて、だんだんと気分が悪くなってきた。
「すまない……僕は何だか疲れてしまって……。そろそろ失礼するよ」
そう言い置いてシウリンは立ち上がると、茫然とする三人を残して、一人、四阿を後にする。
後にはどうしたらいいかわからない秀女たちが取り残された。
「……我が子よ、久しぶりです。息災のようで何よりです」
「母上。ご無沙汰しております」
シウリンが丁寧に頭を下げて挨拶をする。ここ数か月で急激に背が伸び、また毎日メイガンやゾーイら鍛えられているので、無駄なく形のよい筋肉がついて、生来の美貌とあいまって、見た目にはただただ麗しい皇子ができあがっていた。切れ長の黒い瞳は黒曜石のように煌めいて、眉は凛々しく、綺麗に整えられた黒髪はうなじにかかって光の当たる部分は艶々と輝いていた。
勧められた席に優雅な動作で腰かけたシウリンを、三人の秀女たちはウットリと眺めた。
一番年上は二十歳の椿。男爵令嬢だが、母親は十二貴嬪家の庶腹の娘である。背が高く、黒髪を頭上で凝った形に結い上げ、大きな造花の髪飾りを付けている。花の色に合わせた赤い袷に白い裳、勝気そうなやや釣り上がった瞳に、赤く塗った唇の横のほくろが色っぽい。
次いで十八歳の木蓮。身長は低く、ややぽっちゃりとした身体つきに、色白で薄茶色の髪を流行のコテで巻いて流している。目が大きくて愛らしい容姿に、薄水色の袷、赤い裳。伯爵の姪に当たるが、両親ともに正室の子ではない。
最後が十七歳の桂花。中肉中背、美しいと言えば美しいが、あまり印象に残らない普通の容姿で、長い髪を編み込みにして大きな髪飾りで覆っている。濃紺の下重ねの上に白い袷、白い裳が涼やかだ。子爵の孫娘ということだった。
皇后から紹介されて、シウリンは面食らった。彼女たちが纏う香が鼻について、つい、鼻に皺を寄せてしまう。彼女たちはシウリンの側室候補の秀女だという。
(……側室って、何?)
最近ではさすがのシウリンも結婚制度というものの存在は理解していた。一人の夫に、一人の正室を持ち、子を儲け、血統を継いでいくのだと。が、妻以外にも特に皇子のような身分の者は何人もの側室を持つことが可能であるという。だが、普通の夫婦という者を間近で見たことのにないシウリンには、正室も側室もまったく想像がつかなかった。
訝し気に母の皇后の眺めるシウリンに、皇后が言った。
「そなたにもそろそろ秀女をと思うて、メイローズと相談の上、この三人を選んだ。今宵から交代で閨に呼ぶがよい」
ぱちぱち、と二、三度瞬きして、シウリンは考えた。
(秀女……とは、グインたちが言っていた、あれか――)
「母上――僕はまだ、秀女などは必要ありません」
シウリンが戸惑いがちに口を開くと、皇后は微笑んで言った。
「そなたは晩生ゆえ、恥ずかしいのであろうが、四人でこれから庭を散歩してまいるか? 少し話して、気に入った者から寝所に呼べばよい」
シウリンは思わず眉間に深い皺を刻んでしまう。三日おきに寝室を訪れる閨女以外に、さらに彼女たちと関係せねばならぬとということなのだ。シウリンにはうんざりという気分しか湧いてこない。
しかし母の、さらに皇后の権限は絶対である。シウリンは三人の秀女たちと庭に降り、池の周りをぐるりと散歩して池の反対側の四阿に腰を下ろした。
「えーっと。申し訳ありませんが、お名前からもう一度、お願いできますでしょうか」
丁寧なシウリンの言葉に、一番年下の桂花がくすりと笑った。
「殿下、そんな丁寧なお言葉遣い、わたしたちに必要ありませんわ」
「そうなのですか。貴族の令嬢とはお話ししたことがありませんので」
三人の秀女は顔を見合わせる。
「……でも殿下、お怪我をなさる以前も秀女はお呼びになっていたでしょう?」
ためらいがちに木蓮が尋ねるのに、シウリンは黒曜石の瞳を見開いた。
(何だそれ、聞いてない――)
「……落馬で頭を打ってね。いろいろ忘れてしまったことが多いんだ」
シウリンが長い睫毛を伏せると、秀女たちは気を使って話題を変えた。
「殿下は普段、お部屋で何をされていますの?」
一番年長の椿の疑問に、シウリンは首をかしげながら言った。
「うーん。本を読んで……勉強? 傅役が交代でやってきて、歴史とか法学とか。あと習字の練習」
「ずいぶん真面目でいらっしゃるのですね?」
「そうかな? みんなそんなものじゃないの?」
「わたしが以前伺候した宮の殿下は、そんなに真面目ではいらっしゃいませんでしたわ」
椿が口元に手をあててコロコロと笑った。
しかし、シウリンが話すことなどすぐに尽きてしまう。ただ三人のおしゃべりを聞いているしかない。今帝都で流行っているコテを当てて巻いた髪型について。最新の衣裳の流行。帝都で一番人気の菓子屋。全てがシウリンには興味のわかないことばかり。相槌を打つのもなおざりに、静かにただ佇んでいたが、香の匂いが強すぎて、だんだんと気分が悪くなってきた。
「すまない……僕は何だか疲れてしまって……。そろそろ失礼するよ」
そう言い置いてシウリンは立ち上がると、茫然とする三人を残して、一人、四阿を後にする。
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