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【番外編】市場と遊び人
④
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チビ玉の踊りが終わり、いったん幕が下りて幕間となる。場内に明かりが灯り、ガヤガヤと席を立つ者、ガサガサと弁当を開く者、チビ玉の美しさに興奮冷めやらぬ者と、観客たちはそれぞれに寛ぎ始める。
「お弁当お待ちどおさま~! 料亭・菊水の特製松花堂弁当です!」
案内嬢が木箱に入った弁当四つと、お代わりの土瓶を運んできた。チップを追加で受け取り、全員に愛想を振りまいて戻っていく。
弁当を開くと、真四角な箱を十字に区切り、一角に胡麻塩と紫蘇のふりかけを半々に振った俵握りが、残りの三つにはおかずがそれぞれ彩よく詰められていた。
「うわー、これ、すごいね。これだとお皿一個で済むから、洗うのも楽だよね。僕の食事もこうすればいいのに」
普段の食事、量は減ったものの、やっぱり食べきれない量のおかずが何皿も並ぶのを、常々無駄だと思っていたシウリンは、一人一人取り分けて詰められた弁当を合理的だと思う。
弁当の中身は季節の野菜の炊き合わせ。秋らしく人参は紅葉型に型抜きされ、松葉に刺した銀杏が添えられている。出汁を吸った椎茸に、六角形に面取りされた里芋、扇型の大根は味が染みて薄ら茶色く染まっている。一口サイズの蒟蒻に、厚揚げ。他は湯葉と、卵焼き、青菜ともやしの炒め物に、季節野菜のかき揚げ。鴨のローストの薄切り、馬鈴薯を潰したサラダ。昆布の佃煮に、紫蘇で赤く染めた漬物。締めのデザートは漉し餡の入った麩饅頭。――まさに、野菜好きで肉嫌いのシウリンのための献立だ。大男のゾーイや育ちざかりのトルフィンには少々、物足りないかもしれないが、彼らとて家に帰ればいくらでも食事はできるので、問題はない。
「おいしい~!」
「でもこれ食っちゃうと、小籠包までは厳しいっすね」
「そうだね。でもあれはまたの機会でもいいし、部屋でも食べられるから……」
弁当がシウリンの舌に合ったのを見て、従者たちもホッとする。
「でも、いきなり男の子が女装で踊り出してびっくりしたなあ。しかも女の子たちがキャアキャア言うなんて……」
モグモグと煮物を噛みしめながらシウリンが首を傾げ、ゾーイもゾラも苦笑する。
「まあ、あの年頃の少年が女装すると、女とはまた違った美しさがあると言いますし……俺にはよくわかりませんが」
ゾーイが、男色趣味があるなどと誤解されぬよう、注意深く言えば、シウリンは納得できないまま頷く。
「次こそお芝居だね? 僕、お芝居って見たことない……わけじゃないかもしれないけど、全部忘れてるんだけど」
「要するに、お話を人間が再現していく感じですよ。ここの一座は殺陣に定評がありましてね、俺が前に見た演目も、結構、迫真の演技で迫力ありましたよ」
トルフィンが言い、ゾラも頷く。
「刺青判事の話は別の一座でもやってるけど、こっちの出し物の方がいいって、評判っすよ」
刺青判事は帝国に伝わる説話で、若い頃放蕩者で任侠になりかかり、身体に刺青を施してしまったのに、兄が殺されて家を継がねばならなくなってしまった。兄の仇を探しながら、州刺史として民衆を治め、不正な官吏の悪を暴きだして鉄槌を加えるという、「正義の味方」である。無頼な生活をしていたせいで口調が伝法で、だが正義感の強い判事が悪い奴らに啖呵を切るのが最大の見せ場だ。
弁当が彼らの腹に収まり、食後のお茶を飲んでいると拍子木が鳴り、口上が始まって場内の灯りが消える。
芝居の筋はシウリンにもすぐにわかるものだった。
商人と結託して私腹を肥やしている悪徳の県令がいて、貧しい老人とその孫娘が重い税を取り立てられ、税が払えねば娘を売り飛ばせと言われる。老人は抵抗するが、県令の手下にコテンパンに伸されてしまい、娘が攫われそうになる。そこへ、この物語の主役らしき、「遊び人のキンサン」が現れる。
キンサンを演じるのは一座の座長でもある、一番の花形。――実は先ほどのチビ玉こと玉花児の父親である。やはり顔は白塗り化粧を施しているが、目尻に赤い色が入って、所謂「二枚目」の化粧であるらしい。大層な人気なのは、彼が登場したときの場内の歓声でも明らかだ。
「よっ!帝国一!」
「色男!」
あちこちの常連から声がかかり、役者は堂々と見得を切った。
『大勢寄ってたかって、年寄りと娘っ子に、何しやがるんでい!』
『うるせい! 外野はすっこんでろ!』
キンサンはやすやすとチンピラどもを追い払い、娘を助けて事情を聴く。
『俺はしがない遊び人だが、何かあったら助けてやる。生きる希望を棄てちゃなんねぇ!』
『キンサン様……』
『ありがとうごぜぇますだ……』
舞台の上では老人と娘が伏し拝まんばかりにキンサンに礼を言っているが、シウリンは首を傾げる。
(これが遊び人……遊んでるっていうか、フラフラしてるって感じ? 要するに暇人?)
やがて場面は転換し、県令の邸では悪徳県令と悪徳商人が酒盛りの真っ最中であった。
『大口屋、そちも悪よのう、ぐへへへへ』
『県令閣下ほどではございませんよ、ぎひひひひ』
何ともわかりやすい悪役で、化粧からして悪役顔だ。実際にいたら、「あっ悪徳県令!」ってすぐにバレそうである。
『そうそう、県令閣下、いい娘が手に入りましてな。お礼の品替わりに是非お受け取りください』
『何、それはまことか!』
チンピラたちに両脇を挟まれるように、連れて来られたのは先ほどの娘。さっき助けてもらったはずなのに、早くも捕まっていることに、シウリンはびっくりだ。
『グヒヒヒヒ、これは美しい』
(そうかなあ?……さっきのチビ玉の方が美人じゃない? 男だけど)
『お離しください、お許しください!』
『よいではないか、よいではないか、ぐへへへへへ』
『あ~れ~』
悪徳県令が娘の帯の端を引っ張ると、娘がくるくると回りながら帯が解けて……。
観客から湧きおこる拍手。
「いいぞ!」
「もっとやれ!」
(……なんなの、これ?)
シウリンが首を傾げていると、横からトルフィンが耳元で囁く。
「これは、この一座の芝居のお決まりなんですよ。これがないと見た気がしないって言う……」
ちなみに別の一座は、レギュラーの剣客が、「またつまらぬ物を斬ってしまった……」と、もの憂げに呟くお決まりの場面が、必ずどこかに挿入されるのだという。
「……殿下にお見せするには品位に欠ける芝居でございましたね」
ゾーイが苦々しげに顔を歪め、頭を下げる。
「あ、ああ、別にいいよ。ちょっと意味がわからないだけで……」
と、突如、舞台正面の引き戸をパーンと開けて、キンサンが登場する。
『話は聞かせてもらった!』
観客がどっと沸く。これもお決まりの演出らしい。話も何も、「よいではないか」、と「あ~れ~」しか、言ってないよね? そして、悪徳商人はいつの間に舞台から消えたの?
だが首を傾げているのはシウリンだけらしく、観客は大興奮で拍手喝采し、舞台に向かって大声で叫ぶ。
「いよっ、待ってました!」
「憎いね、色男っ!」
「キンサン、ガンバレー!」
突然の闖入者に驚愕した県令が、大げさな仕草でキンサンを問い詰める。
『何だお前は!』
『しがねぇ遊び人のキンサンってもんだ! 娘への非道、見逃しちゃおけねぇ!』
『曲者じゃ! 出会え、出会え!』
悪徳県令が叫ぶと、チンピラたちが舞台上に現れる。
『曲者じゃ!斬り捨てぇ!』
『この、キンサンの桜吹雪! 散らせるものなら散らしてみろい!』
ばっとキンサンが片肌を脱いで見得を切る。肩から背中にかけて桜吹雪の彫り物が現れて、チンピラたちが一瞬怯み、観客がさらに沸く。次々とキンサンに斬りかかるチンピラたちを、徒手で、さらに娘を庇いながら、キンサンは面白いように弾き飛ばす――というか、チンピラたちが自ら華麗に飛んでいくのである。中にはポンと宙返りして、舞台に倒れるものもいて、そのたびに観客がやんやと拍手喝采した。
「キンサン、後ろ、後ろー!」
「危ねぇっ、ガンバレ、そこだっ!」
中には舞台にのめり込んで声援を送る観客もいて、もはや舞台は興奮の坩堝であった。
キンサンがチンピラをあらかた片付けたところで、花道の方向から、捕り方の提灯を掲げた州刺史の役人たちが現れ、「御用だ御用だ!」と叫びながら、客席を横切るように駆け抜けていく。
『悪徳県令某! 州の刺史大人の捕縛状である! 神妙にお縄につけ!』
『なんだと! なぜ刺史大人が!』
刺史の派遣した捕り方によって県令以下は捕らえられ、画面が転換してお裁きの場となる。
『州刺史閣下、ご出座~!』
『威武!』
チンピラたちがひれ伏す中、刺繍の入った官服を着た刺史が登場する。役者は座長で、髪型と服装が異なるがどっからどう見ても、一目でキンサンだとまるわかりだ。
(……ああそっか、刺青判事だから……キンサンが実は刺史なんだ)
ようやく物語の意味を理解して、シウリンが納得していると、着席した刺史の裁きが始まる。役人が読み上げる罪状を、だが県令はもちろん、下っ端たちも当然、認めない。
『いくら刺史が県令を監督する権利があると言っても、証拠もなく無体なことをすれば、皇帝陛下がお許しにはなりますまい』
『そうだ!そうだ!証拠を出せ!』
反論する県令一味や悪徳商人に対し、証人として出廷している老人と娘がたまらずに言う。
『この人たちはあたしを攫って、手籠めにしようとしたんです。そこを遊び人のキンサン様が助けてくれて……』
『戯言だ! キンサンなどと申す遊び人の話が、どこまで信じられると言うのだ』
『そうだ! そうだ! キンサンを出せ!』
『刺史様! お願いです! キンサンを! キンサンを呼んでください! キンサンがいれば!』
品のない罵声を浴びせる下っ端や悪徳県令たちに、娘が絶望的な表情で叫ぶ。
直後、黙って聞いていた刺史が、突如パーンと卓上の拍子木を鳴らし、廷内を静粛にさせる。
『……さっきから黙って聞いてりゃ、ガタガタうるせぇ奴らだな』
突然口調の変わった刺史に、シウリンも悪役たちもびっくりだ。
『キンサン、キンサン……馬鹿の一つ覚えみたいに、そんなにキンサンに会いたいなら、会わせてやらあ!』
ダン! と突然、片足を卓上に乗り上げ、行儀悪く長衣に懐手した刺史が、ぎろりと周囲を睥睨して啖呵を切る。
『てめぇらみたいな極悪人にはもったいねぇが、特別に拝ませてやる。……この、キンサンの桜吹雪、見忘れたとは言わせねぇぜ!』
ばばっと片肌脱いだ刺史の肩から背中にかけて、例の、見事な刺青――。
途端に、客席の熱狂も最高潮に達する。
「いよっ待ってました!」
「帝国一の色男!」
舞台の上では、悪徳県令や手下どもが顎が外れんばかりに驚いている。
『まさかっ!』
『そんな馬鹿なっ!』
追い詰められていた娘は、突然のキンサンの登場に、感激の声を上げる。
『キンサン!……あなただったのですね!』
ベタな展開ではあるが、悪事の全てを刺史本人に見られていたのだから、もう言い逃れはできない。がっくりと項垂れる悪徳県令や商人たちに、刺史キンサンは死罪を申し渡し、観客は悪が裁かれて溜飲を下げる。
「ざまあみろ!」
「やっぱり正義は勝つ!」
「お見事、名判事!」
拍手の中で悪役たちは引っ立てられて退場し、後は娘と老人をキンサンが優しく労って、裁きが終わった。
最後、刺史の官服を整えたキンサンが一言。
『これにて、一件落着――』
満場の拍手の中で幕が下り、拍子木が鳴り響いた――。
「どうでした? まあ、くだらないって言えばくだらないお芝居ですけど、帝都の民衆には大人気なんですよ」
トルフィンが湯呑みを片付けながら問えば、しばらく茫然としていたシウリンは、ようやく我に返る。
「あ、ああ。……ちょっとびっくりしたけど。つまりあの、遊び人のキンサンってのが、刺史本人だったってことだよね?」
「そうですよ? 刺史本人が遊び人に扮して市井の悪を暴く、そういう筋書きです」
シウリンは考える。
(つまり――遊び人ってのは、世を忍ぶ仮の姿。悪を暴くために、窶している仮初めの――)
そこでシウリンははっとしてゾラを見る。
(もしかして――ゾラも?)
表向きの仕事は皇子の侍従武官だが、その実、遊び人に扮してこの世の悪を暴くために、いろいろと探っているのだろうか。
(だから、潜入捜査に忙しくて時々、鍛錬をさぼったり、危険な業務にゾーイは「付き合いきれない」って断ったりしてるの?)
そう考えれば、ゾラの妙に下品な言葉遣いも、刺青判事同様、市井に溶け込むための方便に違いない。
全てに納得がいって、うんうんとゾラを見ながら一人頷いているシウリンを、ゾラ本人が怪訝な顔で見る。
「どうしたんすか、俺の顔になんかついてるっすか?」
「いいんだよ、ゾラ。僕も、内緒にしておくから!」
「なにを?!」
シウリンが誤解に気づくのは、もう少し、世間を知って後のこと――。
「お弁当お待ちどおさま~! 料亭・菊水の特製松花堂弁当です!」
案内嬢が木箱に入った弁当四つと、お代わりの土瓶を運んできた。チップを追加で受け取り、全員に愛想を振りまいて戻っていく。
弁当を開くと、真四角な箱を十字に区切り、一角に胡麻塩と紫蘇のふりかけを半々に振った俵握りが、残りの三つにはおかずがそれぞれ彩よく詰められていた。
「うわー、これ、すごいね。これだとお皿一個で済むから、洗うのも楽だよね。僕の食事もこうすればいいのに」
普段の食事、量は減ったものの、やっぱり食べきれない量のおかずが何皿も並ぶのを、常々無駄だと思っていたシウリンは、一人一人取り分けて詰められた弁当を合理的だと思う。
弁当の中身は季節の野菜の炊き合わせ。秋らしく人参は紅葉型に型抜きされ、松葉に刺した銀杏が添えられている。出汁を吸った椎茸に、六角形に面取りされた里芋、扇型の大根は味が染みて薄ら茶色く染まっている。一口サイズの蒟蒻に、厚揚げ。他は湯葉と、卵焼き、青菜ともやしの炒め物に、季節野菜のかき揚げ。鴨のローストの薄切り、馬鈴薯を潰したサラダ。昆布の佃煮に、紫蘇で赤く染めた漬物。締めのデザートは漉し餡の入った麩饅頭。――まさに、野菜好きで肉嫌いのシウリンのための献立だ。大男のゾーイや育ちざかりのトルフィンには少々、物足りないかもしれないが、彼らとて家に帰ればいくらでも食事はできるので、問題はない。
「おいしい~!」
「でもこれ食っちゃうと、小籠包までは厳しいっすね」
「そうだね。でもあれはまたの機会でもいいし、部屋でも食べられるから……」
弁当がシウリンの舌に合ったのを見て、従者たちもホッとする。
「でも、いきなり男の子が女装で踊り出してびっくりしたなあ。しかも女の子たちがキャアキャア言うなんて……」
モグモグと煮物を噛みしめながらシウリンが首を傾げ、ゾーイもゾラも苦笑する。
「まあ、あの年頃の少年が女装すると、女とはまた違った美しさがあると言いますし……俺にはよくわかりませんが」
ゾーイが、男色趣味があるなどと誤解されぬよう、注意深く言えば、シウリンは納得できないまま頷く。
「次こそお芝居だね? 僕、お芝居って見たことない……わけじゃないかもしれないけど、全部忘れてるんだけど」
「要するに、お話を人間が再現していく感じですよ。ここの一座は殺陣に定評がありましてね、俺が前に見た演目も、結構、迫真の演技で迫力ありましたよ」
トルフィンが言い、ゾラも頷く。
「刺青判事の話は別の一座でもやってるけど、こっちの出し物の方がいいって、評判っすよ」
刺青判事は帝国に伝わる説話で、若い頃放蕩者で任侠になりかかり、身体に刺青を施してしまったのに、兄が殺されて家を継がねばならなくなってしまった。兄の仇を探しながら、州刺史として民衆を治め、不正な官吏の悪を暴きだして鉄槌を加えるという、「正義の味方」である。無頼な生活をしていたせいで口調が伝法で、だが正義感の強い判事が悪い奴らに啖呵を切るのが最大の見せ場だ。
弁当が彼らの腹に収まり、食後のお茶を飲んでいると拍子木が鳴り、口上が始まって場内の灯りが消える。
芝居の筋はシウリンにもすぐにわかるものだった。
商人と結託して私腹を肥やしている悪徳の県令がいて、貧しい老人とその孫娘が重い税を取り立てられ、税が払えねば娘を売り飛ばせと言われる。老人は抵抗するが、県令の手下にコテンパンに伸されてしまい、娘が攫われそうになる。そこへ、この物語の主役らしき、「遊び人のキンサン」が現れる。
キンサンを演じるのは一座の座長でもある、一番の花形。――実は先ほどのチビ玉こと玉花児の父親である。やはり顔は白塗り化粧を施しているが、目尻に赤い色が入って、所謂「二枚目」の化粧であるらしい。大層な人気なのは、彼が登場したときの場内の歓声でも明らかだ。
「よっ!帝国一!」
「色男!」
あちこちの常連から声がかかり、役者は堂々と見得を切った。
『大勢寄ってたかって、年寄りと娘っ子に、何しやがるんでい!』
『うるせい! 外野はすっこんでろ!』
キンサンはやすやすとチンピラどもを追い払い、娘を助けて事情を聴く。
『俺はしがない遊び人だが、何かあったら助けてやる。生きる希望を棄てちゃなんねぇ!』
『キンサン様……』
『ありがとうごぜぇますだ……』
舞台の上では老人と娘が伏し拝まんばかりにキンサンに礼を言っているが、シウリンは首を傾げる。
(これが遊び人……遊んでるっていうか、フラフラしてるって感じ? 要するに暇人?)
やがて場面は転換し、県令の邸では悪徳県令と悪徳商人が酒盛りの真っ最中であった。
『大口屋、そちも悪よのう、ぐへへへへ』
『県令閣下ほどではございませんよ、ぎひひひひ』
何ともわかりやすい悪役で、化粧からして悪役顔だ。実際にいたら、「あっ悪徳県令!」ってすぐにバレそうである。
『そうそう、県令閣下、いい娘が手に入りましてな。お礼の品替わりに是非お受け取りください』
『何、それはまことか!』
チンピラたちに両脇を挟まれるように、連れて来られたのは先ほどの娘。さっき助けてもらったはずなのに、早くも捕まっていることに、シウリンはびっくりだ。
『グヒヒヒヒ、これは美しい』
(そうかなあ?……さっきのチビ玉の方が美人じゃない? 男だけど)
『お離しください、お許しください!』
『よいではないか、よいではないか、ぐへへへへへ』
『あ~れ~』
悪徳県令が娘の帯の端を引っ張ると、娘がくるくると回りながら帯が解けて……。
観客から湧きおこる拍手。
「いいぞ!」
「もっとやれ!」
(……なんなの、これ?)
シウリンが首を傾げていると、横からトルフィンが耳元で囁く。
「これは、この一座の芝居のお決まりなんですよ。これがないと見た気がしないって言う……」
ちなみに別の一座は、レギュラーの剣客が、「またつまらぬ物を斬ってしまった……」と、もの憂げに呟くお決まりの場面が、必ずどこかに挿入されるのだという。
「……殿下にお見せするには品位に欠ける芝居でございましたね」
ゾーイが苦々しげに顔を歪め、頭を下げる。
「あ、ああ、別にいいよ。ちょっと意味がわからないだけで……」
と、突如、舞台正面の引き戸をパーンと開けて、キンサンが登場する。
『話は聞かせてもらった!』
観客がどっと沸く。これもお決まりの演出らしい。話も何も、「よいではないか」、と「あ~れ~」しか、言ってないよね? そして、悪徳商人はいつの間に舞台から消えたの?
だが首を傾げているのはシウリンだけらしく、観客は大興奮で拍手喝采し、舞台に向かって大声で叫ぶ。
「いよっ、待ってました!」
「憎いね、色男っ!」
「キンサン、ガンバレー!」
突然の闖入者に驚愕した県令が、大げさな仕草でキンサンを問い詰める。
『何だお前は!』
『しがねぇ遊び人のキンサンってもんだ! 娘への非道、見逃しちゃおけねぇ!』
『曲者じゃ! 出会え、出会え!』
悪徳県令が叫ぶと、チンピラたちが舞台上に現れる。
『曲者じゃ!斬り捨てぇ!』
『この、キンサンの桜吹雪! 散らせるものなら散らしてみろい!』
ばっとキンサンが片肌を脱いで見得を切る。肩から背中にかけて桜吹雪の彫り物が現れて、チンピラたちが一瞬怯み、観客がさらに沸く。次々とキンサンに斬りかかるチンピラたちを、徒手で、さらに娘を庇いながら、キンサンは面白いように弾き飛ばす――というか、チンピラたちが自ら華麗に飛んでいくのである。中にはポンと宙返りして、舞台に倒れるものもいて、そのたびに観客がやんやと拍手喝采した。
「キンサン、後ろ、後ろー!」
「危ねぇっ、ガンバレ、そこだっ!」
中には舞台にのめり込んで声援を送る観客もいて、もはや舞台は興奮の坩堝であった。
キンサンがチンピラをあらかた片付けたところで、花道の方向から、捕り方の提灯を掲げた州刺史の役人たちが現れ、「御用だ御用だ!」と叫びながら、客席を横切るように駆け抜けていく。
『悪徳県令某! 州の刺史大人の捕縛状である! 神妙にお縄につけ!』
『なんだと! なぜ刺史大人が!』
刺史の派遣した捕り方によって県令以下は捕らえられ、画面が転換してお裁きの場となる。
『州刺史閣下、ご出座~!』
『威武!』
チンピラたちがひれ伏す中、刺繍の入った官服を着た刺史が登場する。役者は座長で、髪型と服装が異なるがどっからどう見ても、一目でキンサンだとまるわかりだ。
(……ああそっか、刺青判事だから……キンサンが実は刺史なんだ)
ようやく物語の意味を理解して、シウリンが納得していると、着席した刺史の裁きが始まる。役人が読み上げる罪状を、だが県令はもちろん、下っ端たちも当然、認めない。
『いくら刺史が県令を監督する権利があると言っても、証拠もなく無体なことをすれば、皇帝陛下がお許しにはなりますまい』
『そうだ!そうだ!証拠を出せ!』
反論する県令一味や悪徳商人に対し、証人として出廷している老人と娘がたまらずに言う。
『この人たちはあたしを攫って、手籠めにしようとしたんです。そこを遊び人のキンサン様が助けてくれて……』
『戯言だ! キンサンなどと申す遊び人の話が、どこまで信じられると言うのだ』
『そうだ! そうだ! キンサンを出せ!』
『刺史様! お願いです! キンサンを! キンサンを呼んでください! キンサンがいれば!』
品のない罵声を浴びせる下っ端や悪徳県令たちに、娘が絶望的な表情で叫ぶ。
直後、黙って聞いていた刺史が、突如パーンと卓上の拍子木を鳴らし、廷内を静粛にさせる。
『……さっきから黙って聞いてりゃ、ガタガタうるせぇ奴らだな』
突然口調の変わった刺史に、シウリンも悪役たちもびっくりだ。
『キンサン、キンサン……馬鹿の一つ覚えみたいに、そんなにキンサンに会いたいなら、会わせてやらあ!』
ダン! と突然、片足を卓上に乗り上げ、行儀悪く長衣に懐手した刺史が、ぎろりと周囲を睥睨して啖呵を切る。
『てめぇらみたいな極悪人にはもったいねぇが、特別に拝ませてやる。……この、キンサンの桜吹雪、見忘れたとは言わせねぇぜ!』
ばばっと片肌脱いだ刺史の肩から背中にかけて、例の、見事な刺青――。
途端に、客席の熱狂も最高潮に達する。
「いよっ待ってました!」
「帝国一の色男!」
舞台の上では、悪徳県令や手下どもが顎が外れんばかりに驚いている。
『まさかっ!』
『そんな馬鹿なっ!』
追い詰められていた娘は、突然のキンサンの登場に、感激の声を上げる。
『キンサン!……あなただったのですね!』
ベタな展開ではあるが、悪事の全てを刺史本人に見られていたのだから、もう言い逃れはできない。がっくりと項垂れる悪徳県令や商人たちに、刺史キンサンは死罪を申し渡し、観客は悪が裁かれて溜飲を下げる。
「ざまあみろ!」
「やっぱり正義は勝つ!」
「お見事、名判事!」
拍手の中で悪役たちは引っ立てられて退場し、後は娘と老人をキンサンが優しく労って、裁きが終わった。
最後、刺史の官服を整えたキンサンが一言。
『これにて、一件落着――』
満場の拍手の中で幕が下り、拍子木が鳴り響いた――。
「どうでした? まあ、くだらないって言えばくだらないお芝居ですけど、帝都の民衆には大人気なんですよ」
トルフィンが湯呑みを片付けながら問えば、しばらく茫然としていたシウリンは、ようやく我に返る。
「あ、ああ。……ちょっとびっくりしたけど。つまりあの、遊び人のキンサンってのが、刺史本人だったってことだよね?」
「そうですよ? 刺史本人が遊び人に扮して市井の悪を暴く、そういう筋書きです」
シウリンは考える。
(つまり――遊び人ってのは、世を忍ぶ仮の姿。悪を暴くために、窶している仮初めの――)
そこでシウリンははっとしてゾラを見る。
(もしかして――ゾラも?)
表向きの仕事は皇子の侍従武官だが、その実、遊び人に扮してこの世の悪を暴くために、いろいろと探っているのだろうか。
(だから、潜入捜査に忙しくて時々、鍛錬をさぼったり、危険な業務にゾーイは「付き合いきれない」って断ったりしてるの?)
そう考えれば、ゾラの妙に下品な言葉遣いも、刺青判事同様、市井に溶け込むための方便に違いない。
全てに納得がいって、うんうんとゾラを見ながら一人頷いているシウリンを、ゾラ本人が怪訝な顔で見る。
「どうしたんすか、俺の顔になんかついてるっすか?」
「いいんだよ、ゾラ。僕も、内緒にしておくから!」
「なにを?!」
シウリンが誤解に気づくのは、もう少し、世間を知って後のこと――。
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