【R18】渾沌の七竅

無憂

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【番外編】市場と遊び人

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 それ以来、ゾラが「遊び人」である、という言葉は、時にシウリンの耳にも届いた。
 例えば、シウリンの鍛錬にゾラがやって来ないと、「全く、あいつは遊び人だから……」とゾーイが苦虫を噛み潰す。あるいは、ゾラにゾーイが何か誘われて、「もういい、お前みたいな遊び人には、付き合い切れん」と手を振って断ったり。鬼ごっこに誘われて、「付き合い切れん」と断ったのだろうか? ゾーイのような屈強な鬼に追いかけられたら、本気でチビりそう。シウリンが木刀を振りながら考えていると、当のゾラがやってきた。

「あれぇ? 殿下さっきから、随分長いこと振ってるっすよね?」
「うん、これで五百七十八回め!……ゾーイが出かける間、ずっと振ってろって言うから!」
 
 そのやり取りを耳に挟んだゾーイが「ああっ!」と飛び上がって慌ててやってきた。
 
「忘れてました! もう戻ってきてますから! やめていいですよ!」
「なんだあ~。いつまで振ればいいのかなって」
「三百回越えた時点で、おかしいって思いましょうよ、殿下」
 
 平謝りするゾーイの横で、ゾラがあきれ顔で言うが、シウリンはさすがに痛む腕をさすりながら、困ったように眉尻を下げる。

「うーん、確かに、ゾーイ戻ってきてるのに、終わっていいって言ってくれないなーとは思ってた」
「本当に申し訳ございません!」

 直角に頭を下げているゾーイを宥めて、シウリンが苦笑いする。

「それよりさ……」
  
 シウリンがゾーイを上目遣いに見て、言った。

「僕、またこの前のお店で小籠包食べたいな?……ダメ?」
「それは……」

 皇子に外食させるのは、安全面から言えば、望ましくはない。だがシウリンはあまりに世間知らずで、やはりあれこれと体験させるべきとも思う。ゾーイが渋々、了承して頷くと、横で聞いていたゾラが言った。

「じゃあさ、折角っすから、もっと面白い場所に行きましょうよ!」
「面白い場所ぉ? お前、殿下をどこにお連れするつもりだ。まさか……」
 
 ゾーイが血相変えてゾラに詰め寄ると、ゾラが慌てて手を振った。

「いやいや、市場っすよ。殿下まだ、帝都の東西の市にも行ったことないっすよね? 各地の物産や、軽業師や、いろんな大道芸を見たり、屋台で買い食いするのも、立派な社会勉強っすよ!」
「だが……」

 外食すら一回しかしたことのない皇子に、市場はハードルが高いのではないか? 渋るゾーイに、シウリンが目を輝かす。

「市場! 〈聖典〉で読んだよ! いろんなものが集まる場所だね?」
「ほら! 市場と聞いて〈聖典〉思い出すとか、ヤバいっしょ! 記憶喪失にしたっておかしいでしょ、いろいろ。〈聖典〉に出てくるなんて、二千年前の市場っすよ? そんな知識で、この先どうやって生きていくつもりっすか」 

 言われてみればその通りで、ゾーイも不安を飲み込んで、数日後に皆で市場に出かけることにした。

 



 帝都の皇城の北側に、東西二つの市がある。これは古来の「面朝後市」の思想に即したもので、天子は南面して朝廷に向かい、背後の北側に商業施設を置く、という考え方に基づいている。

 かつては、都市における商業活動は市の区域でしか許されなかった。市は周囲を塀で囲まれ、その門は日没とともに閉じられ、日の出とともに開かれた。市には役人がいて市税を取り立て、商人は一般の戸籍とは異なる市籍で管理され、一級下がる二級市民と捉えられていた。だがそれらは皆、過去のことである。

 三百年ほど前に、夜間の外出禁止は緩和され、商業活動が帝都全体で認められた。日没とともに閉じられていた閭門は解放され、日没以後の営業が盛んになる。帝都の大通りには老舗しにせが軒を連ね、料理屋は終夜営業を始める。花街は夕刻以後には赤い提灯ぼんぼりを灯し、帝都は不夜城の如く、繁栄を謳歌することになる。

 以前は唯一認められた商業区域であった市だが、商業区域が帝都全体に拡大した現在でも、商業の中心地としての役割は果たし続けている。市とは、臨時免許で営業できる特区なのだ。帝都で店舗を構えようと思えば、まず高額の賃料を支払って、店舗用の物件を借りなければならない。さらに各種の届け出、免許が必要で、開店にこぎつけるまでには、手間も費用もかかる。屋台であっても、市の外で営業するには免許が必要で、それなりの金を支払わねばならない。それが、東西の市では、当日の届け出一つで商売ができる。

 例えば、帝国全土をめぐる行商人。取れすぎた野菜を売りたい近隣の農民。先祖伝来の骨董を、手っ取り早く現金に換えたい者。孤児院の資金を捻出するための、慈善市バザー。身分証を提示すれば、一日単位の届け出金で出店が可能である。事前に交渉すれば好みの場所を確保できるので、同業組合で日を決め、宣伝して客を呼ぶにも便利だ。古書肆組合による春秋の古本市や、古物商組合が開く毎月五の日の骨董市などは、帝都の風物詩として定着し、それを目当てに遠方の街から訪れる者もいる。
 
 帝都に常設の店舗を抱える老舗であっても、実物を展示するにはスペースが足りないような業種、例えば馬車や大きな家具などを扱う店が、実物を展示して注文を受け付ける、予約会を開催することもある。また春は朝掘りの筍や山菜、夏は金魚やカブトムシ、クワガタ、鈴虫、蛍を扱う虫売りが、秋なら松茸の市が立つ。破産した大富豪の財産をセリにかけるのも市だ。つまり、常設の店舗では扱いにくい季節商品、臨時の競売などは、もっぱら市で開かれるのだ。全国の名馬の山地から、選りすぐりの馬が集まる馬市は、十二貴嬪家や皇族方も参加する、ちょっとした社交の場となっている。

 要するに、市は常時何かが開催中の催事場と言え、人が集まる場所だけに、大道芸人や旅めぐりの一座が、かわるがわる舞台を張っていて、買い物以外でも見飽きるということがない。なお、東西の市それぞれに常設の劇場があって、西市は乙女歌劇の一座が百年の伝統を誇り、東市は講談や人形浄瑠璃、人情芝居を月替わりで駆ける芝居小屋があって、帝都の人気を二分していると言う。

 当然、狭い路地の隙間を縫うように食い物の屋台がひしめき合い、各地の名物に老舗伝統の味から新作料理まで、安価に腹を満たすこともできる。帝都の一大娯楽広場アミューズメント・パーク、これが帝都の市なのである。

 その日、シウリンが足を踏み入れたのは東市で、あまりの賑わいに人に酔ってしまい、しばらくぽかんと口を開けて突っ立っていた。

「大丈夫っすか、殿下」

 ゾラに声をかけられ、はっとして我に返り、頭を振った。

「すごいねぇ……世の中、こんなに人間がいるんだ……」
「まあ、全国各地から集まってきますからねぇ。場合によっては外国からも」
「外国!」

 ぎょっと目を瞠るシウリンに、ゾラがほら、と屋台を指さす。

「あれなんか……ダルバンダル名物の羊の串焼きってあるでしょ? あそこの菓子は西方の焼き菓子っぽいっすね」
「ああ……なるほど」

 折角来たんすから、欲しい物があったら遠慮なく言ってください、とゾラが笑い、トルフィンがゲルから預かってきた銀貨の袋を見せる。

「何か食べます? それとも――」

 言いかけたところで、わあっと歓声が上がり、シウリンの注意がそちらに向かう。見れば路上の大道芸の一座が、これからナイフ投げをするところであった。派手な衣装を着た中年の男が、やはり派手な房飾りのついた大きなナイフを振り回し、口からブオオオと炎を吹いて気勢を上げている。
 的になるのはまだ幼い少年で、その頭の上にリンゴを乗せ、どうやらそれをナイフで狙うというのだ。

「うわっ……あれ、危なくない? もし手元が狂ったら……」

 シウリンがおろおろと言うが、ゾラもトルフィンものんびりしたものだ。

「大丈夫っすよ、玄人プロなんすから」
「そうそう、あれで食ってるんですよ」

 見事、男のナイフは少年の頭上のリンゴを貫き、拍手喝采が沸き起こる。

「さあさあ! お代はこちらに! タダ見はいけませんや! 旦那方!」

 的になっていた少年が、帽子を容器に集金に回ってきた。まだシウリンよりも幼くて、十歳にもなっていないように見える。

「すごいね、君、ナイフで狙われて、怖くないの?」

 シウリンが思わず問いかけると、ナイフ投げ一座の少年は、屈強な騎士に守られた目の前の美少年は、どうやら高貴な身分であるらしいと直感し、ここぞとばかりに営業用のスマイルを浮かべ、言った。

「もちろん! 親父の投げナイフに間違いはありません! 火も吹きますしね!」
 
 断言する笑顔から覗く、白い歯の眩さに、シウリンもつい、笑ってしまう。

「ねえ、トルフィン、こういうのは普通、いくらぐらい払うものなの?」
「別に相場はないですけどねぇ……」

 そう言いながらさりげなく帽子の中を覗き込むと、だいたいは銅銭が投げ入れられていた。

「じゃあ、四人分で銀貨一枚でもいいかな?」

 だいたい銅貨二十枚で銀貨一枚(銀貨は秤量貨幣)であるから、少年は目を輝かせる。

「ありがとうございます!」

 シウリンが恐る恐る、銀貨を帽子に中に入れると、チャリン、と銀貨の鳴る音が響いた。
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