【R18】渾沌の七竅

無憂

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二竅

11、無知

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 翌日、シウリンより「あの大きな胸が怖い」という答えを引き出して、メイローズは言葉を失った。
 あれは大小の差こそあれ、大人の女にはみなあるものだと告げると、シウリンは不思議そうに尋ねた。

「カリンやマーヤにもあるのか?」
「もちろんですとも」
「普段は服で隠しているのか?」
「夫になる男にしか見せぬものです」
「僕はあの、怖い女の夫になるのか?」
「あれは閨女と申しまして、精気を練る方法を殿下に教える係りの者です。夫婦になるわけではありませぬ」

 シウリンはぶるぶると首を振って言った。

「とにかくあれはもう、この部屋に入れないでくれ」
「それはなりませぬ。皇子は閨房教育を受ける決まりになっております」

 シウリンはぞっとしたような顔でメイローズに尋ねる。

「あの女たちの言うままにすると、僕は何をさせられるのだ?」
「まず男女の交わりの方法を学びます。次に、少し慣れたら精気を練る方法に移るそうです」
「……それは要するに、僕に女犯にょぼんの禁を犯せ、ということか?」

 蒼白になってシウリンが尋ねるのに、メイローズが非情に答える。

「そういうことになります」
「……い、嫌だ!堕落すると〈混沌〉の闇に落ちて這いあがれなくなる!嫌だ!」

 真っ青な顔でシウリンが拒絶するのを、メイローズが宥める。

「わが主、たしかに僧侶が淫乱の罪を犯すと〈混沌〉の闇に落ちますが、殿下は僧侶ではございません。女と交わり、女に子を与えるのは、俗人の定めでございます」
「嫌だ、破戒したら、僧院に帰れなくなるじゃないか!」

 思わず本音を漏らしてしまって、あわてて口を塞ぐシウリンに、メイローズが憐れんだような眼差しで諭す。

「わが主よ。わが主が僧院に帰る日はもうないのですよ。わが主は皇子として、妃を娶り、帝国の礎となる皇子皇女を生み参らせるのです」
「い、い、嫌だー!」

 泣き崩れるシウリンをメイローズは宥め、励まし、シウリンが泣き疲れて眠るまで側にいた。やがて落ち着いた主の寝台を整え、上掛けをかけてメイローズは寝室を離れる。

 メイローズは後を若い宦官に頼んでシウリンの部屋を出、廊下を渡って皇后の居室に向かった。

娘娘にゃんにゃん、メイローズにございます」
「入れ」

 皇后の居室には、皇后の他に賢親王とゲル、皇后付きの宦官がいた。娘娘とは、宦官が皇后を呼ぶ呼称である。

「あれの様子はどうなのです」

 皇后は皇子の名を呼ばない。シウリンと呼ぶことは禁じられ、皇后自身はユエリンとは呼びたくないと思っているからだ。

「今は落ち着いて眠っておられます。ですが……まず何の知識もないところに、いささか刺激が強すぎたようで、とにかく混乱しておられます。あと、僧院で叩きこまれたのか、女犯の禁を犯すと〈混沌〉の闇に落ちると信じ込んでおられまして」

 賢親王が頭を抱える。

「何の知識もない、とはいえ、もうすぐ十四になるのだぞ。女の裸を見て恐怖で失神するなど……。全く、他の点については問題なくなじんできたのに」
「乳房は全員の女にあると申し上げましたら、驚愕しておられました」

 賢親王が絶句する中に、皇后の弾けるような、甲高い笑い声が響いた。 

「可笑しいこと、女に乳房のあることも知らずに、おほほほほ……」

 一通り笑い続けたあと、それはぴたりと止まり、皇后はポツリと呟いた。

「可哀想な子……」

 各地から様々な理由で聖地に送られたみなしごたちは、男女別れて育てられる。男児は、太陽宮の僧院で、女児は、太陰宮の修道院で。特に、一部の〈純陽〉〈純陰〉とされる子供は、生涯を異性と交わることなく、聖地から出ることもなく、異性を知らぬ〈神聖なる無垢〉として生きる。シウリンもそういう子供として、育てられたのだ。

 母の乳房に養われることもなく、女たちの肌の温かさも知ることなく育ったもう一人の我が子。その我が子の存在さえ知らせずに母からも奪い、今またその我が子を平穏な生活から引き離し、その聖なる純潔さえ奪って汚濁の海に沈めようとしている。
 皇后のその白い頬に涙が流れた。

わらわは、……母親失格じゃ。結局どちらの子も、守ることも、救うこともできぬ」
「陛下……ご自分をお責めなさいますな。シウリンを聖地に入れたのも、彼を呼び戻したのも、すべて皇上の苦渋のご決断にございます」

 賢親王の言葉に皇后は首を振る。

「最初から、ユエリンが聖地に入っていれば……あるいは、二人とも手元で育てていれば……結果は違ったのであろうな……」

 賢親王はそれに頷くことはできなかった。ここ数か月の様子を見ても、明らかにユエリンよりもシウリンは優れている。頭脳の冴えも、人柄も。だがそれはシウリンが生まれ持った能力が僧院の厳しい清貧の暮らしの中で鍛えられ、開花したものだ。皇宮で育っていたら、ユエリンと同様に甘やかされ、堕落し、腐ってしまったかもしれない。もし二人とも皇宮に育っていたら、比較され、対抗させられ、政治的な思惑に振り回されて、さらにひどいことになった可能性が高い。

 ゲルが、躊躇いがちに提案した。

「やはり、男女のことはもう少し緩やかに知識を与えるべきではないでしょうか。焦って無理強いをすれば、殿下の精神の平衡が失われるやもしれません」

 賢親王が腕を組んで思案する。 

「だが、あまり時間はない」
「しかし、結局はそれが近道ではありませんか。殿下が自ら、女性への恐怖を克服し、異性に興味を持つことが重要です」
「具体的にはどうするのだ?」
「閨房の教えは今まで通り、続けましょう。ただし、彼女たちに絶対に無理強いさせない、殿下が拒否したらやめさせるように命じるのです。強制的に行為に及ばせると、行為自体に恐怖心と嫌悪感を持ってしまうかもしれません。それが、一番まずいです。……いっそ何も知らないうちに、と身近の侍女たちとも引き離しましたが、それもよろしくなかったかもしれません」

 閨房教育に入った皇子には、閨女以外を近づけてはならない決まりになっている。女を知ったばかりの皇子が、暴走して侍女を襲うことがあるからだ。しかし、シウリンの場合は恐怖心が強すぎて、その段階にすら入れていない。ゲルの言葉にメイローズも頷く。
 
「殿下は侍女とは親しくされていますが、相手が異性だという意識がほとんどありません。まず、男女の違いを知り、その上で女性に興味を持つように仕向けて行くべきです」

 賢親王が溜息をつく。

「迂遠な方法だな。成人まであと一年と少し、間に合うのか?」

 どの皇子もほぼ例外なく、閨女と始めて関係してしばらくは盛りのついた犬のようになってしまう。十五歳になって成人すれば、皇子としてまず軍に所属し、辺境への巡検が義務づけられている。狂犬のような状態で表に出すわけにはいかないのだ。その狂乱状態が落ち着くまで、平均で一年ほど、長い者だと二年くらいかかる。シウリンはもはやギリギリの状態であった。

 ゲルが言う。

「希望的観測ではございますが……殿下はご幼少から厳しく己を律することを教え込まれておられます。そういう方であれば、欲望を律する生活に立ち戻るのも、早いのではないかと」 
「それを信じるしかないようだな」

 賢親王は仕方ない、というふうに頷いた。





 この取り決めの後、昼間だけという条件で、シウリンの元に侍女たちが一時返された。食事の支度、お茶の相手など、積極的に交流を持たせ、シウリンの女性に対する恐怖心を解くとことが目的だ。

 閨女たちは相変わらずやってくるが、触らないでくれ、と頼めばシウリンに触れず、ただその豊満な乳房を露わにしてシウリンの前で微笑んでいるだけだ。シウリンが彼女たちの乳房と自分の胸を見比べ、

「どうしてお前たちにはそんなものが付いているのか?中には何が入っているのか?」

と尋ねると、女たちはくすくす笑って、

「大人になるとどの女も膨らみます。子供を産むと、ここから出る乳で子を養うのです」

と言う。実はこの閨女たちは獣人と人との混血という特殊な血筋のために不妊なのだが、皇子には余計なことを言わないように教育されている。シウリンが目を丸くして、言う。

「乳が出るのか? ここから? ヤギや牛のように?……ではこの中身は乳か?」

 二人の女はまた、くすくす笑う。

「今はまだ出ません。子を産んだら出るのです。触ってごらんになりますか?」

 シウリンは恐る恐る手を伸ばして、そっと触れる。柔らかい。
 見ただけで怯えていたころに比べれば格段の進歩だが、やはり〈混沌〉の闇に落とされる恐怖には打ち勝てず、その日は乳房を指でつついただけで終わった。
 だがこれはいい傾向だった。シウリンは女性の身体は男のものと異なる、との知識を得、それに対する好奇心を持ったのだから。

 その好奇心は身近な侍女たちにも、向いた。
 あの女たちは巨大な乳房を持っているが、カリンや、マーヤや、ユナには見たところそんなものはなさそうだ。特に一番年下のカリンはまだ十五歳で、体も痩せている。

(大人になると大きくなる、と言っていたが、ということは子供の内は大きくない、ということだ。何時頃から大きくなるのだろう?)

 好奇心に負けたシウリンは、お茶を運んできたカリンをメイローズの眼を盗んで寝室に連れ込み、頼みこんだ。

「胸を見せてほしい」

 シウリンのとんでもないお願いに、カリンは真っ赤になって躊躇ったものの、あっさりと承諾して寝台に腰かけ、紺色のお仕着せの上の白い前掛けを外し、帯を解いて打ち合わせを開いた。
 予想通り、つつましやかな白い二つの乳房がシウリンの目の前に現れた。このくらい小さければ、怖くない。
 
「これは、子供の時はもっと小さいのか?」

 シウリンの質問に、カリンは真っ赤になって俯いて答える。

「はい……三年くらい前から……少しづつ、大きくなって……」
「触っても……?」
「……はい……でも、あまり強く触ると……痛いので……」

 その言葉にシウリンは驚いて聞き返す。

「い、痛いの?……じゃあ、いいよ。触るのは、よすよ。……ありがとう……」

 カリンが衣服を直しているところに、用事に出ていたメイローズが戻ってきて、その様子を咎めた。

「寝室には侍女を入れてはならないと、申し上げましたよね?」
「いや、その……」

 しどろもどろになるシウリンに、メイローズが真剣に言った。

「殿下ももう子供ではございませんから、申し上げるのですが、閨房の学びが終わるまでは、この決りだけは守っていだきませんと」

 さすがに胸を見せてもらったとは言い難く、赤くなって下を向いてしまう。カリンの方は耳まで真っ赤にして俯いている。

「カリン、そなたもけして寝台に上がったりしてはならぬ。よいな」
「はい……」

 何故、閨女はよくてカリンはダメなのか。
 シウリンにはその理由が理解できず、不満だった。
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