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二竅
6、侍従武官
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メイガンとゾーイがユエリン皇子の武術指南に就任して一月ほど、春の気持のいいある夕刻、皇宮の稽古から帰ったゾーイは、父のメイガンによばれて父の居間に足を向けた。
メイガンは禁軍の将軍を世襲するマフ家――十二貴嬪家の一つである――の当主で、現在は将軍職を長男に譲ってはいるが、帝都の端に専用の馬場まである広大な邸を所有していた。
父の居間には先客がいた。十二貴嬪家ではないが、その下の八侯爵家の一つ、武門として名高いフォーラ侯爵家のジームとその息子ゾラだ。ゾラは十八歳でゾーイとは幼馴染である。剣の腕もなかなかだ。
「これはジームの小父上、来ておられたのですか。ゾラも久しぶりだな、後で一つ手合わせするか」
「望むところっす!」
ゾラが小気味よく答える。
「ジーム殿は、ゾラの仕官のことで、相談があって見えたのだ。おぬしもそこに座れ」
ゾーイが空いた椅子にかけると、冷えた麦酒が運ばれてきた。それを駆けつけいっぱい、ぐっと煽ると、清涼感が胸に広がる。
「ゾーイはユエリン皇子の侍従武官に任官したそうだな?」
ジームがゾーイに尋ねる。ゾーイが頷くと、ジームが傍らの息子を見て言った。
「ゾラもユエリン皇子の、侍従武官としての任官を打診されておるのだ」
「ほう」
皇子の側付きには名門の子弟が選ばれる。それは大変な名誉ではあるが、皇子の浮沈によってその側付きの浮沈も決まる。ゾラの母親は十二貴嬪家のラバ公爵家の出で、母の母は先帝の公主(皇女)である。十二貴嬪家出身でこそないが、ゾラもまた貴種のホープであり、フォーラ家の今後を担う一人息子であるから、ジームもゾラの仕官先には慎重にならざるを得ない。
ゾラは現在、皇宮近衛騎士を務めている。名門の子弟としては悪くない地位であり、将来的にはこのまま近衛隊の中で出世して、皇帝の親衛隊になるか、あるいは皇帝直属軍である禁軍の将を目指して、武術と兵学の研鑽を積んでいた。そこへ降ってわいた皇子への仕官である。
「落馬の一件で、ユエリン皇子の侍従は軒並み入れ替えとなったそうだな。成人後の辺境への巡検を考えれば、貴種の聖騎士である侍従武官を複数抱えておく必要があるということで、賢親王殿下よりの直々のお誘いでな……。ゾーイもまた賢親王殿下の肝いりで侍従武官となり、メイガン殿まで皇子の剣術馬術指南となったと聞き、そのお人柄なりを聞いてみたいと思って罷りこした次第だ」
もともと、マフ家、フォーラ家、あるいはゲセル家といった武門の家柄は、帝都や州の騎士団を管轄しており、皇子の侍従官になることはあまりない。ゾーイは六男で末子ということもあり、賢親王の招聘に応じたが、名門の子弟とはいえ武官家の子弟は、だいたいが無骨で武芸一辺倒、宮廷の駆け引きなど金を積まれても御免、という輩が多いのだ。故に皇子の側近官は文官家のであるゲスト家、ラバ家、そして武官家ながら皇帝の親衛隊を管轄するソルバン家に連なる者たちが任官することが多い。ユエリン皇子の近侍ももとはそれらの家柄の者が占めていたのであろうが、総入れ替えとなった時に、さすがに同じ家の者からは任命しがたい、というところなのだろう。
さらに、ユエリン皇子には落馬以前から素行がよくない、という噂が囁かれており、ジームとしてはゾラを任官させるべきか否か、迷うところなのである。
「何しろ三か月以上意識が戻らなかったというからの、死んだという噂も流れておったし。……それで、実際のところはどのようなお方か」
ゾーイはメイガンを見た。メイガンが頷く。思った通りを謂えばよい、との意味だ。
「俺もユエリン殿下に関しては、あまりいい噂は聞かなかったのだが、実際に目にすると、全く印象が違っていて驚きました。初めは絶世の美少女と見紛いまして、男と知って少しばかりがっかりしたくらいですよ」
「ゾーイ!! 殿下に対して何たる物言いか!」
メイガンが怒鳴りつける。
「親父殿、話は最後まで聞いてください。……見かけは優し気ですが、中身はなかなか、豪胆なところがありますな。真面目で稽古熱心、そして、非常に頭がいいです」
ジームはゾーイを見て、言った。
「気に入らぬことがあると、宦官を鞭で打ちすえると聞いたが」
ゾーイは首を振った。
「稽古に通って一月程になるが、一度も声を荒げたのを見たこともない。一度街へ降りたが、御付きの侍女や宦官にと、土産を買ってお帰りになった。鞭で打ち据えるなど、想像もできぬ」
それはメイガンも太鼓判を押した。
「わしら二人に猫を被ってもしょうもない故、別に装っているわけではあるまい」
ジームは腕を組んで考えた。
「落馬は悪所通いの末に、酒に酔ってのことだとも聞いたがの」
ゾーイが不審な顔で言う。
「殿下はこの年明けで十三歳になられたばかり、悪所通いをする年齢でもないし……それに……何というか、女には興味なさそうに見えるが。第一、十二歳の皇子が花街に行くのを、側仕えは止めなかったのか?」
メイガンもゾーイも首を傾げる。皇族男子は花街への出入りを禁じられている。それは始祖龍騎士以来の、皇族の特殊な体質に依る禁則なのだが、禁止されれば殊更に足を踏み入れたくなるものなのか、身分をやつして花街に通う皇子もいないわけではない。だが、ゾーイやメイガンの知るユエリン皇子は生真面目な性質で、そういう悪さをするタイプではない。
「何というか、全体に質素な方で、食事の前なども必ず天と陰陽に感謝の祈りを捧げておられるぞ。以前、我が家に滞在した、旅の修行僧がそういう感じであったが」
ジームとゾラは顔を見合わせる。
「親父、ソルバンの大叔父上の話とは、全っ然、別人みたいじゃね?」
ゾラのその言葉を、ゾーイが咎める。
「ゾラは相変わらず言葉遣いが悪いな……。その、ソルバンの大叔父上というのは、先のソルバン公爵のことか?」
ジームが渋い顔でメイガン親子に言う。
「わしの妻の実家が十二貴嬪家のラバ家なのは存じておろう。妻の伯母がやはり十二貴嬪家のソルバン家に嫁いでおるのじゃが、そこの妾腹の娘がルグルー家に嫁ぎ、その次男がユエリン殿下の侍従だったのだ」
ルグルー家というのは貴種ではない一等伯爵だが、中位貴族の中では有力な家である。家柄自体は貴種ではないが、裕福な家の貴種の血を引く次男坊などは母方の縁もあって皇子付きの侍従を務めることが多い。このルグルー家の次男は皇子が落馬した時にも扈従しており、運の悪いことに皇子の落馬に巻き込まれて落馬し、こちらは暴れ馬の蹄にかかって命を落としていた。その時の侍従たちは皆、成人前の皇子を花街に連れ出して、なおかつ飲酒させ、あまつさえ馬に乗せているわけで、皇子を正しく輔導しなかった科で、一人は死罪、残り五人は職を解かれて永の押し込めとされていた。ただ、ルグルー家の息子は死亡したために処罰だけは免れたのである。
「正傅であるソアレス家のデュクト卿と、副傅のゲル卿は、殿下の命で太陽神殿に供物と願文を捧げに行っていたとかでお側におらず、ただ蟄居を命ぜられておったが、皇子の回復によって原職に復帰された。……デュクト卿は現在、皇子の本復の御礼として太陽神殿の龍皇帝廟に奉仕に行っているがな。……そもそも傅役二人がお側におらぬ、というのが不自然な上に、事故当時、側付きの者が全員泥酔しておったらしい。天河街の妓館で一晩騒ぎ明かし、皇宮に帰る途中であったとか。もともとルグルー家の次男も素行が悪く、他の側仕えも似たりよったりな悪餓鬼どもばかりだったそうだ」
皇家の醜聞だけにジームも言いにくそうであるが、ゾーイもメイガンも思わず眉を顰める。十二歳の少年を花街に連れ出し、泥酔させる側仕えとは常軌を逸している。その側仕えの暴走を抑えきれなかったデュクトという正傅は、たしかに神殿に追放されても致し方ないだろう、いっそ命があるのを感謝すべきである。
「ユエリン皇子の本復に合わせて、側仕えを新たに揃えるにあたり、今回、ゾラに侍従武官として出仕するよう、賢親王殿下からお声がかかった。背後にはもちろん、皇上の思し召しをほのめかしておられる。……普通ならば喜ぶべきお話だが、どうしてもルグルー家の次男のことが気になって、妻の方からソルバン家に事情を聞き合わせたのだ」
ソルバン家よりもたらされたユエリン皇子の評判は滅茶苦茶であった。
まず、美しいのは外見だけであること。さらに悪いことに、皇子本人も皇后譲りの自身の美貌を十分理解していて、一見優し気に振る舞うだけにたちが悪いというのだ。
そして傲慢、怠惰で移り気……皇帝と皇后の寵愛をいいことに好き勝手に振る舞い、正傅のデュクトの真摯な諫言も馬耳東風と聞き流し、同様の悪ずれした悪童どもと遊び歩いていた、と。
「我が子ながら、ゾラは言葉遣いもこんな風であるし、妓館遊びが何より好きの遊び人だ。騎士としてはいい腕をしているが、皇子の側仕えには向かぬと考え、お断りするつもりだったのだが、メイガン殿とゾーイがユエリン皇子にお仕えしていると聞き、ゾラの方が乗り気になってしまったのだ」
ジームが言い、ゾラも肩を竦める。
「皇宮近衛騎士ってなーんかスカしたヤツばっかで、つまんねぇんすよ。お行儀よくビシっと立ってねぇといけねぇし。ゾーイの兄貴と一緒なら、ちょいワル皇子様の家来の方が面白そうかなってさ」
ゾラの言い分に、ゾーイが眉を寄せた。
「まさかおぬし、殿下と一緒に花街に繰り込むつもりだったのではあるまいな?」
「まさかっ! 俺でもそれがやべぇってことくらい、わかるっつーの! でも、俺だったら皇子様に深酒させた挙句、馬に乗せるなんつー間抜けなことはしねぇで、ちゃーんと無事に皇宮まで連れ帰るって!」
話を聞いてメイガンとゾーイは顔を見合わせてしまった。ソルバン公の孫は実際にユエリン皇子に仕えていたのだから、話にはかなりの信憑性がある。しかし、メイガンとゾーイが指南をしているユエリン皇子とは印象が違いすぎる上に、側仕えもまた全員泥酔するなど、やはりどこか不自然である。
「……殿下はものすごく生真面目で勤勉な方だ。少なくとも、ゾラが期待するのようなちょいワル皇子様などではないぞ。素振りをしろと言って少し席を外したら、俺が帰ってくるまで馬鹿正直に五百回以上振り続けていたような方だ。あの皇子に悪所通いの経験があるようには到底、見えぬ」
ゾーイの言葉に、ゾラが言う。
「頭の打ちどころが悪くて、人格ごと変わっちまう、つーことがあるのかな? それとも、まさかの別人?」
「馬鹿な!……うかつことを申すものではない」
メイガンが一喝する。
「兄上の賢親王殿下が目をかけておられて、時々稽古を見にいらっしゃる。お顔もよく似ておられるし、お年こそ離れているが、間違いなくご兄弟だ。そう言えば、落馬の後遺症で記憶障害があるとゲル殿が申していた」
ゾーイの言葉に、メイガンが頷く。
「そうじゃった。剣も馬も一から教えるようにとの話で……確かに最初は危なっかしい感じだったが、すぐに勘を取り戻しておられたがの」
ジームとゾラは首を傾げる。ゾラがゾーイに尋ねる。
「兄貴から見て、ユエリン皇子ってどうよ?」
ゾーイが即答した。
「俺はあのお方が好きだ。正直に言えばかなり迷ったし、デュクト殿が神殿から帰ってきたら些か厄介そうな気もするが、お仕えしたのは後悔していない」
結局、それが決定打となった。
「ゾーイがそこまで言うのであれば、間違いなかろう。このお話はお受けすることにしよう」
そう言って、ジームとゾラ親子は帰っていった。
メイガンは禁軍の将軍を世襲するマフ家――十二貴嬪家の一つである――の当主で、現在は将軍職を長男に譲ってはいるが、帝都の端に専用の馬場まである広大な邸を所有していた。
父の居間には先客がいた。十二貴嬪家ではないが、その下の八侯爵家の一つ、武門として名高いフォーラ侯爵家のジームとその息子ゾラだ。ゾラは十八歳でゾーイとは幼馴染である。剣の腕もなかなかだ。
「これはジームの小父上、来ておられたのですか。ゾラも久しぶりだな、後で一つ手合わせするか」
「望むところっす!」
ゾラが小気味よく答える。
「ジーム殿は、ゾラの仕官のことで、相談があって見えたのだ。おぬしもそこに座れ」
ゾーイが空いた椅子にかけると、冷えた麦酒が運ばれてきた。それを駆けつけいっぱい、ぐっと煽ると、清涼感が胸に広がる。
「ゾーイはユエリン皇子の侍従武官に任官したそうだな?」
ジームがゾーイに尋ねる。ゾーイが頷くと、ジームが傍らの息子を見て言った。
「ゾラもユエリン皇子の、侍従武官としての任官を打診されておるのだ」
「ほう」
皇子の側付きには名門の子弟が選ばれる。それは大変な名誉ではあるが、皇子の浮沈によってその側付きの浮沈も決まる。ゾラの母親は十二貴嬪家のラバ公爵家の出で、母の母は先帝の公主(皇女)である。十二貴嬪家出身でこそないが、ゾラもまた貴種のホープであり、フォーラ家の今後を担う一人息子であるから、ジームもゾラの仕官先には慎重にならざるを得ない。
ゾラは現在、皇宮近衛騎士を務めている。名門の子弟としては悪くない地位であり、将来的にはこのまま近衛隊の中で出世して、皇帝の親衛隊になるか、あるいは皇帝直属軍である禁軍の将を目指して、武術と兵学の研鑽を積んでいた。そこへ降ってわいた皇子への仕官である。
「落馬の一件で、ユエリン皇子の侍従は軒並み入れ替えとなったそうだな。成人後の辺境への巡検を考えれば、貴種の聖騎士である侍従武官を複数抱えておく必要があるということで、賢親王殿下よりの直々のお誘いでな……。ゾーイもまた賢親王殿下の肝いりで侍従武官となり、メイガン殿まで皇子の剣術馬術指南となったと聞き、そのお人柄なりを聞いてみたいと思って罷りこした次第だ」
もともと、マフ家、フォーラ家、あるいはゲセル家といった武門の家柄は、帝都や州の騎士団を管轄しており、皇子の侍従官になることはあまりない。ゾーイは六男で末子ということもあり、賢親王の招聘に応じたが、名門の子弟とはいえ武官家の子弟は、だいたいが無骨で武芸一辺倒、宮廷の駆け引きなど金を積まれても御免、という輩が多いのだ。故に皇子の側近官は文官家のであるゲスト家、ラバ家、そして武官家ながら皇帝の親衛隊を管轄するソルバン家に連なる者たちが任官することが多い。ユエリン皇子の近侍ももとはそれらの家柄の者が占めていたのであろうが、総入れ替えとなった時に、さすがに同じ家の者からは任命しがたい、というところなのだろう。
さらに、ユエリン皇子には落馬以前から素行がよくない、という噂が囁かれており、ジームとしてはゾラを任官させるべきか否か、迷うところなのである。
「何しろ三か月以上意識が戻らなかったというからの、死んだという噂も流れておったし。……それで、実際のところはどのようなお方か」
ゾーイはメイガンを見た。メイガンが頷く。思った通りを謂えばよい、との意味だ。
「俺もユエリン殿下に関しては、あまりいい噂は聞かなかったのだが、実際に目にすると、全く印象が違っていて驚きました。初めは絶世の美少女と見紛いまして、男と知って少しばかりがっかりしたくらいですよ」
「ゾーイ!! 殿下に対して何たる物言いか!」
メイガンが怒鳴りつける。
「親父殿、話は最後まで聞いてください。……見かけは優し気ですが、中身はなかなか、豪胆なところがありますな。真面目で稽古熱心、そして、非常に頭がいいです」
ジームはゾーイを見て、言った。
「気に入らぬことがあると、宦官を鞭で打ちすえると聞いたが」
ゾーイは首を振った。
「稽古に通って一月程になるが、一度も声を荒げたのを見たこともない。一度街へ降りたが、御付きの侍女や宦官にと、土産を買ってお帰りになった。鞭で打ち据えるなど、想像もできぬ」
それはメイガンも太鼓判を押した。
「わしら二人に猫を被ってもしょうもない故、別に装っているわけではあるまい」
ジームは腕を組んで考えた。
「落馬は悪所通いの末に、酒に酔ってのことだとも聞いたがの」
ゾーイが不審な顔で言う。
「殿下はこの年明けで十三歳になられたばかり、悪所通いをする年齢でもないし……それに……何というか、女には興味なさそうに見えるが。第一、十二歳の皇子が花街に行くのを、側仕えは止めなかったのか?」
メイガンもゾーイも首を傾げる。皇族男子は花街への出入りを禁じられている。それは始祖龍騎士以来の、皇族の特殊な体質に依る禁則なのだが、禁止されれば殊更に足を踏み入れたくなるものなのか、身分をやつして花街に通う皇子もいないわけではない。だが、ゾーイやメイガンの知るユエリン皇子は生真面目な性質で、そういう悪さをするタイプではない。
「何というか、全体に質素な方で、食事の前なども必ず天と陰陽に感謝の祈りを捧げておられるぞ。以前、我が家に滞在した、旅の修行僧がそういう感じであったが」
ジームとゾラは顔を見合わせる。
「親父、ソルバンの大叔父上の話とは、全っ然、別人みたいじゃね?」
ゾラのその言葉を、ゾーイが咎める。
「ゾラは相変わらず言葉遣いが悪いな……。その、ソルバンの大叔父上というのは、先のソルバン公爵のことか?」
ジームが渋い顔でメイガン親子に言う。
「わしの妻の実家が十二貴嬪家のラバ家なのは存じておろう。妻の伯母がやはり十二貴嬪家のソルバン家に嫁いでおるのじゃが、そこの妾腹の娘がルグルー家に嫁ぎ、その次男がユエリン殿下の侍従だったのだ」
ルグルー家というのは貴種ではない一等伯爵だが、中位貴族の中では有力な家である。家柄自体は貴種ではないが、裕福な家の貴種の血を引く次男坊などは母方の縁もあって皇子付きの侍従を務めることが多い。このルグルー家の次男は皇子が落馬した時にも扈従しており、運の悪いことに皇子の落馬に巻き込まれて落馬し、こちらは暴れ馬の蹄にかかって命を落としていた。その時の侍従たちは皆、成人前の皇子を花街に連れ出して、なおかつ飲酒させ、あまつさえ馬に乗せているわけで、皇子を正しく輔導しなかった科で、一人は死罪、残り五人は職を解かれて永の押し込めとされていた。ただ、ルグルー家の息子は死亡したために処罰だけは免れたのである。
「正傅であるソアレス家のデュクト卿と、副傅のゲル卿は、殿下の命で太陽神殿に供物と願文を捧げに行っていたとかでお側におらず、ただ蟄居を命ぜられておったが、皇子の回復によって原職に復帰された。……デュクト卿は現在、皇子の本復の御礼として太陽神殿の龍皇帝廟に奉仕に行っているがな。……そもそも傅役二人がお側におらぬ、というのが不自然な上に、事故当時、側付きの者が全員泥酔しておったらしい。天河街の妓館で一晩騒ぎ明かし、皇宮に帰る途中であったとか。もともとルグルー家の次男も素行が悪く、他の側仕えも似たりよったりな悪餓鬼どもばかりだったそうだ」
皇家の醜聞だけにジームも言いにくそうであるが、ゾーイもメイガンも思わず眉を顰める。十二歳の少年を花街に連れ出し、泥酔させる側仕えとは常軌を逸している。その側仕えの暴走を抑えきれなかったデュクトという正傅は、たしかに神殿に追放されても致し方ないだろう、いっそ命があるのを感謝すべきである。
「ユエリン皇子の本復に合わせて、側仕えを新たに揃えるにあたり、今回、ゾラに侍従武官として出仕するよう、賢親王殿下からお声がかかった。背後にはもちろん、皇上の思し召しをほのめかしておられる。……普通ならば喜ぶべきお話だが、どうしてもルグルー家の次男のことが気になって、妻の方からソルバン家に事情を聞き合わせたのだ」
ソルバン家よりもたらされたユエリン皇子の評判は滅茶苦茶であった。
まず、美しいのは外見だけであること。さらに悪いことに、皇子本人も皇后譲りの自身の美貌を十分理解していて、一見優し気に振る舞うだけにたちが悪いというのだ。
そして傲慢、怠惰で移り気……皇帝と皇后の寵愛をいいことに好き勝手に振る舞い、正傅のデュクトの真摯な諫言も馬耳東風と聞き流し、同様の悪ずれした悪童どもと遊び歩いていた、と。
「我が子ながら、ゾラは言葉遣いもこんな風であるし、妓館遊びが何より好きの遊び人だ。騎士としてはいい腕をしているが、皇子の側仕えには向かぬと考え、お断りするつもりだったのだが、メイガン殿とゾーイがユエリン皇子にお仕えしていると聞き、ゾラの方が乗り気になってしまったのだ」
ジームが言い、ゾラも肩を竦める。
「皇宮近衛騎士ってなーんかスカしたヤツばっかで、つまんねぇんすよ。お行儀よくビシっと立ってねぇといけねぇし。ゾーイの兄貴と一緒なら、ちょいワル皇子様の家来の方が面白そうかなってさ」
ゾラの言い分に、ゾーイが眉を寄せた。
「まさかおぬし、殿下と一緒に花街に繰り込むつもりだったのではあるまいな?」
「まさかっ! 俺でもそれがやべぇってことくらい、わかるっつーの! でも、俺だったら皇子様に深酒させた挙句、馬に乗せるなんつー間抜けなことはしねぇで、ちゃーんと無事に皇宮まで連れ帰るって!」
話を聞いてメイガンとゾーイは顔を見合わせてしまった。ソルバン公の孫は実際にユエリン皇子に仕えていたのだから、話にはかなりの信憑性がある。しかし、メイガンとゾーイが指南をしているユエリン皇子とは印象が違いすぎる上に、側仕えもまた全員泥酔するなど、やはりどこか不自然である。
「……殿下はものすごく生真面目で勤勉な方だ。少なくとも、ゾラが期待するのようなちょいワル皇子様などではないぞ。素振りをしろと言って少し席を外したら、俺が帰ってくるまで馬鹿正直に五百回以上振り続けていたような方だ。あの皇子に悪所通いの経験があるようには到底、見えぬ」
ゾーイの言葉に、ゾラが言う。
「頭の打ちどころが悪くて、人格ごと変わっちまう、つーことがあるのかな? それとも、まさかの別人?」
「馬鹿な!……うかつことを申すものではない」
メイガンが一喝する。
「兄上の賢親王殿下が目をかけておられて、時々稽古を見にいらっしゃる。お顔もよく似ておられるし、お年こそ離れているが、間違いなくご兄弟だ。そう言えば、落馬の後遺症で記憶障害があるとゲル殿が申していた」
ゾーイの言葉に、メイガンが頷く。
「そうじゃった。剣も馬も一から教えるようにとの話で……確かに最初は危なっかしい感じだったが、すぐに勘を取り戻しておられたがの」
ジームとゾラは首を傾げる。ゾラがゾーイに尋ねる。
「兄貴から見て、ユエリン皇子ってどうよ?」
ゾーイが即答した。
「俺はあのお方が好きだ。正直に言えばかなり迷ったし、デュクト殿が神殿から帰ってきたら些か厄介そうな気もするが、お仕えしたのは後悔していない」
結局、それが決定打となった。
「ゾーイがそこまで言うのであれば、間違いなかろう。このお話はお受けすることにしよう」
そう言って、ジームとゾラ親子は帰っていった。
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