【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

23、デュクトの歪んだ想い

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 聖地で育ったシウリンは皇帝への畏敬や忠誠心も持っていないし、父親としての親愛の情も特にない。だがそれを口にすれば、デュクトを遠ざけるという自分の要求を通すことは難しくなるだろうと思い、黙っていた。

「デュクトのそなたへの態度は、たしかに些か強硬かも知れぬが、いずれもそなたを思ってのことだ。そなたが皇帝陛下と皇后陛下の血を受けた皇子であることは、そなたの纏う〈王気〉によっても証明されている。けして贋物などとは思ってはおるまい」
「違いますよ。デュクトは死んだユエリン皇子に忠誠を誓ったのでしょう。成り代わった僕に思うところがあるのは当然です。でもその鬱憤を僕に向けられても困るのです。だったら皇后陛下のように、気に入らない者には近づかないのが一番だと思います。だから――」

 シウリンが言いかけた時、賢親王が顔色を変えた。

「皇后陛下が、何だと申す?」

 はっとしてデュクトとゲルが顔を上げる。シウリンは少し困ったように眉を寄せるが、だが落ち着いて話しを続ける。

「皇后陛下は大事な息子が死んだのに、その喪を発することもできず、贋物を息子として扱うのが嫌なのでしょう。でもあの人は近づいてこないし、そういう関係なら、僕も当たり障りなくやっていけると思うのです。だからデュクトも――」
「――シウリン、そなたの方が陛下の訪いを拒んでいるのではないのか?!」

 身を乗り出すようにしてシウリンの両腕を掴んだ賢親王が、激しくシウリンを揺すぶり、シウリンは舌を噛みそうになりながら首を振る。

「拒む?――何をですか? それに、僕の要望など、ここで通った試しなどないでしょう?」
「どういうことなのだ?――ユエリンが陛下の訪いを遠慮していると言うのは、偽りであったのか?」

 デュクトが首を振る。

「そうではありません。ただ――殿下はまだ、貴人に相対する礼儀が不完全で、とても陛下に謁見できる状態では――」
「馬鹿者が! 母子の間に礼儀の隔たりなど! 陛下は幾度か面会を申し入れたが、ユエリンの体調が優れぬ故、一度も許可が出ぬと――礼儀を理由にそなたが留めておったとは!」

 賢親王が呆れたような顔で舌打ちする。

「メイローズ! ユエリンが皇后陛下の訪いを拒んでいるということはないのだな?」

 賢親王がメイローズに確認すると、メイローズが進み出て膝をついた。

「はい、そのようなことは。ただ――進んでお会いしたいとのご希望も、口にされたことはございません」
「別に――特にどうしても会いたいってわけではないし――。」

 シウリンの言葉に、賢親王がじっと視線を合わせて尋ねる。

「特に会いたくないわけでもない、ということか?」

 シウリンは首を傾げる。

「その――どちらでも、いいです。というか、どうでもいい――」

 その言葉を聞いて、賢親王は思わずといったように右手の人差し指と親指で両目頭を摘まんだ。

「デュクトよ―――。そなたは一体何がしたかったのだ?」
「いえ、俺は……その……」
「デュクト殿――その件に関しては、俺も聞きたい。俺も、殿下が皇宮にいらしてから、陛下からの何の音沙汰もないことを不自然だと思っていたのです。陛下のご訪問を差し止めていたのは、あんただったのか?」

 ゲルが我慢の限界だという顔で、デュクトに尋ねる。

「侍女たちが気遣って菓子を差し入れたのは、あの者たちですら、仕えはじめて一か月、実の母である皇后陛下が一度もご訪問されないのをいぶかしみ、殿下にご同情申し上げているせいだ。だが何故……なんのために母と子の間を裂くようなことをしたのだ?」

 一人、シウリンだけが状況が理解できずに眉をひそめている。

「親子の仲を裂くなどと、大げさな。殿下がもう少し皇宮に慣れてからの方がよいと判断したのだ」

 デュクトの言い訳をゲルは一蹴する。

「皇宮に慣れていないからこそ、肉親の温かい愛情に触れさせなければならんのでしょうが! あんたは殿下が表だっては何もおっしゃらないのをいいことに、親子の仲を裂いてどちらにも不信の芽を植え付ける。これ以上ご訪問がない状態が続けば、鴛鴦宮の外にも噂が漏れて皇后陛下に余計な風聞が立ってしまう。よもやどこかから賄賂でも受け取って、お二人の評判を地に落とす企みか何かか?」
「そんな訳あるか! 陛下は子供を甘やかしすぎる。ユエリン殿下がいい例だ。だから、俺は……」

 事実、母である皇后に溺愛されていたユエリンは、デュクトらの必死の諫言を受け入れず、あたら若い身空で不慮の死を遂げたのだ。だがゲルは首を振る。

「十二年ぶりに再会した子供を、母親が甘やかすのは当たり前だろう! むしろ十二年分、甘やかしてさし上げなければならないのに、あんたはその機会を奪ったのだ! 殿下は母上に愛されないと感じ、陛下は十二年捨て置いた自分に子は慣れぬと絶望しておられる。十二年の空白はどうにもならぬ。お互いに存在を知らなかったのだから。だが、この二か月強はあんたのせいだぞ! あんたはお二人が十二年の空白を埋めるのを邪魔したんだ!」

 賢親王はシウリンの肩に手を置いたまま、じっと二人のやり取りを聞いている。デュクトはゲルの弾劾に対し、両膝を床について真っ青な顔で首を振って否定した。

「違います! 俺は……ユエリン殿下があんなことになって……甘やかしたことを本当に後悔して……もっと厳しく接して、たとえ嫌われても、正しい道に導くべきだったとずっと後悔して……それで、今度こそ立派にお育てしたいと思って! あえて厳しくしているのです! すべて殿下のために! 俺は……」

 とうとう床で丸まるようにして、両手で頭を覆ってしまったデュクトを見下して、シウリンが冷たく言った。

「僕は、あんたが甘やかして殺してしまったユエリンじゃないよ。僕は、僕だ。何をしてもあんたのユエリンは返ってこない」

 残酷な宣告を受けて、デュクトはのろのろと床から顔を上げる。その両頬は涙で濡れていた。
 賢親王は沈痛な面持ちでデュクトを見て、深い溜息をつく。

「……はっきり言えば、以前のユエリンに対する教育は失敗であった。そなたは魔法の制御と剣に優れ、書画や詩文に長じ、皇子の教育係としては並み以上の素晴らしい力量を持っている。しかも代々傅役を務めるソアレス家の嫡流だ。故に挽回の機会として、もう一度、このユエリンの養育を任せたのだ。だが、此度のこと、死んだユエリンに忠誠を誓っていたおぬしにとっては、なかなか受け入れられぬことであったかも知れぬ。かつてのユエリンにできなかった躾が、今のユエリンにそのまま有効でないことくらい、よほどの無能でない限り、理解できるはずなのに、そなたはそれを直視しようとはしなかったのだな」

 賢親王はしばらく目を閉じ、考えてから言った。

「たしかに、このままおぬしをユエリンの近くに置いておけば、双方の傷ばかりが深くなる一方だ。……デュクトよ、おぬしはユエリンが命の瀬戸際を脱し、無事に健康を取り戻したことを祖宗の靈に感謝するため、しばらく、太陽神殿にある太祖である龍皇帝の廟に奉仕にまいれ。一旦冷却期間を置き、おぬしが平静を取り戻し、誠心誠意、今のユエリンに仕える心づもりができたと判断すれば、こちらに戻ってこさせよう」

 賢親王が判断を下すと、デュクトががっくりと床に頭を垂れる。さらに賢親王はシウリンに向かって言った。
 
「ユエリン……いや、わが異母弟よ。今、この状況が真実を糊塗した歪なものであることは、我々とて十分に承知しているのだ。本来ならば、ユエリンの喪を発し、その上で十二年前に太陽宮に送られた皇子のそなたを、シウリン皇子として正式に迎え入れるのが筋だ。しかし、どのような事情があろうとも、生まれたばかりの皇子を太陽宮に棄てたなどという醜聞を公にすることはできぬのだ。だから、ここは耐えて欲しいのだ」

 シウリンの心は賢親王の謝罪にも動かなかった。

「公にできぬのであれば、何故僕を放っておいてくれないのですか。今からでも遅くありません、ユエリン皇子の喪を発し、僕を太陽宮に返してくれればいい。僕は皇族としての権利も、何も要求はしないし、〈純陽〉だから一生結婚も、子供を持つこともありません。そもそもが、それがあなたがたの希望だったのでしょう?」

 賢親王は唇を引き結んで首を振る。

「それはならぬ。お前たち皇后腹の皇子は特別だ。現在の皇太子は身体が弱く、また精神状態にも不安があって、皇帝陛下は常に廃嫡を視野に置いている。死んだユエリンはここしばらく素行が定まらなかったが、身体は丈夫で〈王気〉も強かった。弱い皇太子を廃し、強い後継者を指名するために、そなたが必要なのだ」
「僕には関係のないことです」
「異母弟よ。そなたの名を呼べぬ事情を理解してほしい。今磐石にみえる帝国も、支える要石たる皇帝が揺らげば簡単に崩れ落ちる。帝国が揺らげば、陰陽の和が乱れ、世界そのものが再び〈混沌〉の闇に巻き込まれるかもしれぬ。〈王気〉を持って生まれた我々龍種は、世の陰陽を調和する義務があるのだ」

 シウリンは目を伏せた。聖地に育った彼は世界の陰陽を和することの重要性をずっと叩きこまれてきた。だが――。

「それに異母弟よ。――デュクトの浅慮によってそなたと皇后陛下の間には隔意が生まれたかも知れぬが、……皇后陛下はけして、そなたを疎んではいない。むしろ――罪の意識に苦しんでおられる」

 兄の言葉に驚いてシウリンが目を上げると、賢親王は言った。

「皇后陛下には、双子の片方は死産だったと伝えられておった。真実に気づかず、十二年もの長きにわたり、そなたに遠い聖地での辛い暮らしを強いたことを、ずっと謝罪したいと思っておられる。だから――そなたの体調が整わぬというのを、無理強いできなかったのだ。けして、そなたのことを疎んで、会いにこなかったわけではない」

 シウリンは目を瞠る。
 謝罪――?何のために――?何を――?
 シウリンはただ茫然と兄を見つめていた。
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