【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

21、激怒

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「お呼びとうかがいましたが。何か、問題が?」

 常にない呼び出しに、デュクトがさすがに慌てた風にやってきた。

「問題がないわけがないだろう」

 シウリンがむっつりと言う。普段穏やかな彼があからさまに不機嫌な顔をするのは珍しい。

「なぜ、カリンたちを勝手に出仕停止にする? おかげで見たこともない年増の侍女がやってきて、香水臭くて鬱陶しいことこの上ない。とっととカリンたちを戻せ」

 カリンたちの代わりにきた侍女三人は、少しばかり年齢も上で些か薹が立っていた。デュクトが困ったように眉を顰めて言う。

「あれらは殿下に菓子など送って色目を使うなど、目に余ります。ですので少し年上の侍女たちに交代させようかと……」
「ふざけるな! たかが菓子を買ってきたくらいで色目とか……。それとも僕が菓子ごときで釣られるとでも?」

 デュクトはやれやれという表情で肩を竦める。

「すでに絆されていらっしゃるではありませんか。殿下は女人との交流が足りなすぎるというゲルの意見で侍女を付けましたが、普通、殿下のお年頃の皇子の周囲に侍女は置かないものなのですよ。ですので、もう少し年嵩の侍女を……」

 シウリンは還俗させられたことに納得していなかったから、気持ちの上ではまだ僧侶のつもりである。だから、若い侍女たちに色目を使われるとか、絆されるとか、そういうことを言われるのは一種の侮辱であった。だいたい、男女の情の機微など、シウリンには想像もついていない。

「年齢とかはどうでもいいんだよ! カリンたちが僕に菓子をくれたのは、この部屋に閉じ込められたきりの、僕のことを気の毒だと思ったからなんだよ! 別に僕に取り入ってどうこうしようってことじゃない。わかるか? 僕が可哀想な身の上だから同情しているんだよ。そして、僕が可哀想な目に遭っている一番の元凶は、紛れもなくあんただよ!」
「……可哀、想……?」

 デュクトは思ってみないとでもいうふうに目を見開いた。

「そうだよ! 侍女や宦官から見て僕は可哀想なんだよ! だからお菓子を買ってきたんだ! それがどういう意味がわかるか?!」

 デュクトは立ち尽くしたまま目を瞬いている。

「言っておくけれど、僕が可哀想な原因はは、ほとんどあんたのせいなんだからな! あんたがここに僕を閉じ込め、食べきれない量の食事を強要し、僕に無茶ばっかり言うから! で、侍女たちが慰めに買ってきた菓子を捨てて、侍女たちをクビにしようとする。僕が少しでも寛いだり、幸せな気分になったりするのが、そんなに許せないの? 僕が嫌いで、僕に恨みがあるのなら、とっとと僕を聖地に送り返してこんな茶番を終わらせればいいだろう!」

 デュクトに感情をぶつけるシウリンの周囲は、真っ赤に燃えるような〈王気〉が取り巻いて、火輪を背負った悪鬼の像のようであった――デュクトにも見えているはずだ。

 デュクトもその〈王気〉の怒りに押され、両膝をついて許しを請う姿勢を取り、シウリンを見上げて 弁解を始める。

「殿下、俺はそんなつもりでは……。確かに、殿下には多く苦言を呈しましたけれど、それは全て、殿下によき皇子となっていただくためでございます。殿下を不快な気分にさせるためにわざとしているわけでは……」
「僕には嫌がらせにしか見えなかったよ。別に、媚びを売れって言うつもりはないよ。今更親切にされたって気持ち悪いしね。……でもあんたからは贋物に仕えさせられて不愉快だって空気しか感じない。〈ユエリン〉に忠義立てするなら、潔くこの職は辞せばいい。何も贋物の相手をする必要はないんだから」
「殿下……! 贋物などとそのような!」
「本物じゃないのをわかっていて連れてきたのはあんただろう!」

 言われた本人のデュクトだけでなく、横で聞いていたゲル、そしてメイローズもまた胸を抉られた。「贋物に仕えている」――少なくとも主にそう感じさせていたのだとすれば、側仕えとして失格と言わざるを得ない。
 
「殿下、誤解です。俺はそんなつもりでは……俺は、殿下ご自身に忠誠を誓っています。どうか信じてください」
「なら、何故僕は〈ユエリン〉を名乗って、左利きであることを隠さなければならないの? 何故、これまでの記憶がない振りをしなければならないの? 何故昔のことを人に話してはならないの? 何故?――何故、〈僕〉が〈僕〉であってはならないの?」
「それは―――」

 畳みかけるシウリンの言葉に、デュクトは絶句する。それこそ、彼らがシウリンに強いたことだ。〈シウリン〉ではなく、〈ユエリン〉として生きること。それまでの過去を捨て、名を捨て、〈シウリン〉としての未来を捨てること。それが、どれほど残酷なことであるか、デュクトは直視しないようにしてきたのだ。

「それは……皇帝陛下の……ご命令で……」
「そう。皇帝陛下のご命令で、あんたらはこの先ずっと、贋物に仕えていくわけだ。でも、それは僕の望んだことじゃない。僕は、〈ユエリン〉を演じる以上、対価を要求する」
「対価……?」
「対価……とは?」

 デュクトだけでなく、ゲルも思わずと言ったふうに口を開く。すでにシウリンが「あんた」と言った時点で、ゲルもメイローズもその場に膝をついていた。

 シウリンは跪いた三人をくるりと見回して、息を吸った。

「あんたたちは皆、〈ユエリン〉として僕に言葉をかける。贋物だと知っているのに、皇子の〈ユエリン〉に仕えて、世話をする。でもそれは、〈僕〉じゃない。……聖地では……周りの人は〈僕〉を見てくれた。〈シウリン〉には、〈シウリン〉を大事にしてくれる人がたくさんいたんだ。〈僕〉はそれを全部捨てて来た。〈僕〉の意志じゃない。勝手に捨てさせられたんだ。……〈贋物のユエリン〉じゃなくて、中身の〈僕〉を見てくれたのは、カリンたちだけだ。〈僕〉は……そういう者たちに傍にいてもらいたい。そうでなければ……」

 シウリンは、泣くまいと懸命に涙を堪えた。ここで泣くのだけは嫌だった。たとえ名を奪われても、自分は自分だ。毅然として要求は伝えなければならない。シウリンは、唇を噛んで溢れそうな嗚咽を堪える。

 絶句して声も出せないデュクトに代わり、ゲルが考えながら言葉を紡ぐ。

「殿下……我々は、確かに殿下に無茶を強いております。それが、殿下ご自身のお心を酷く傷つけるとは知りながら、しかし全ては国の……帝国の平穏のためです。贋物とおっしゃいましたが、殿下が皇帝陛下と皇后陛下の貴き血を受け継ぐ皇子であることは嘘偽りのない真実です。我々は今、目の前におられる真実の皇子殿下に衷心よりの忠誠を誓います。どうか……我々の誠心をお疑いにならないでください。殿下……どうか……」

 額を床に擦りつけ、ゲルは必死に誓う。ゲルは以前の〈ユエリン〉よりも、今の主を愛しているから、主の誤解はどうしても解きたかったのだ。

「……ありがとう。ゲルとメイローズはね、なんとなく僕のことをそれなりに大事にしてくれるんだなって、わかるから、もういいよ。でも、デュクトからは僕に対する愛情みたいなのを感じられないから無理だ。……人間、相手に好かれているか、嫌われているかくらい、わかるものだし」

 シウリンの言葉に、デュクトは慌てて首を振る。

「殿下! そのようなことは断じてございません!……俺は……殿下ご自身に忠誠を!」
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