【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

14、体調不良

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 シウリンが皇宮に来て――外向きにはユエリン皇子の体調が落ち着いて――二十日ほど。剃髪していた髪の毛が少し伸び、つくつくのネギ坊主のようになったころ、シウリンが倒れた。

 慣れない食事と、閉じ込められている精神的ストレス、詰め込まれる新しい知識、徐々に実感される理不尽な自身の立場。そんなあれこれがかさんで、シウリンは一気に体調を崩した。皇帝に直訴したことで食事が改善され、一時的には小康状態であったシウリンの胃腸が、ここへ来て悲鳴を上げた。毎晩のように嘔吐を繰り返して食事を受け付けなくなる。そろそろ部屋の外にも出て、剣術の訓練や本格的な皇子教育をと、焦るデュクトをメイローズとゲルは懸命に抑えて、まずはシウリンの心の安定を最優先すべきだと訴えた。

「要は精神的な問題だと、申すのであるな」

 シウリンが倒れたという知らせを受けて訪れた賢親王は、メイローズが淹れた茶を片手に問いかける。場所はシウリンの居間、奥の寝室で深夜から胃痙攣に苦しんだシウリンは、明け方にようやく眠りに落ちたところだ。今は医師が一人横についている。

「はい……。医師によりますれば、身体自体は悪いところはなく、痩せてはおられるものの、筋肉などはきちんとついていて、全体的には頑丈な方だと」

 デュクトが苦い顔で報告する。現在、シウリンを診ている医師は一人。シウリンとユエリンの入れ替わりを知る数少ない人物で、厳重に秘密保持を命じられている。医師はシウリンの身体も詳細に診察していて、粗食を強いられていたはずのシウリンだが、栄養的には問題なかったと言い切った。

「肉を食べる機会は少なかったようですが、大豆や乳製品を中心に口にしていたようで、とりわけ足腰の筋肉はしっかりしていると」

 僧院から連れ出されたあの日も、朝から片道二刻離れた尼僧院まで歩いて往復していたことを思い出しながら、デュクトは言う。食事は貧相だが、栄養は足りているのだ。
 というのも、僧侶は狩猟を禁じられていることもあって、肉食する機会が少ないのは確かだが、実は抜け道があり、畑を荒らすアナウサギやスズメや野鳥、イノシシ、鹿、そして家畜を狙う狼などを、罠をしかけて狩ることは許されている。不妄殺戒というのは、遊び半分や意味なく殺してはいけない、ということであり、それらの獲物はただ捨てるのはもったいないので、一旦、祭壇に供えた上で有り難く食べるのである。
 畑を狙う害獣の罠の仕掛けと回収も、まだ正式に得度していない見習い僧侶の仕事で、実はシウリンはウサギの罠を仕掛ける名人であった。そうして狩られたウサギはシチューなどにされて上級の僧侶たちの夕食にのぼせられるのだが、厨係の僧侶たちはみなシウリンにぞっこんで、シウリンが仕留めたウサギなどを持ち込むと、シウリンにもこっそり『味見』させてくれたのだ。肉がそれほど好きでないシウリンも、厨の長が香草を効かせてよく煮込んだウサギのシチューは好物であった。

 昼間はしっかり労働して、大人の目を盗んではしっかり遊んで、質素だが栄養的にはバランスのよい食事をしっかりよく噛んで食べ、疲れてぐっすり眠っていたシウリンは、運動嫌いで野菜嫌い、甘い物と肉ばかり食べていたユエリンよりも、実はうんと健康だったと、医師は見抜いていたのである。

 そのシウリンがここまで体調を崩す理由として、医師が上げたのは以下の点。

『一番大きいのはおそらく、魔力量の増加でございます。思春期のこの時期は、一気に魔力量が増えるため、余剰魔力の循環がうまくいかず、体調を崩すことが多うございます。と同時に、外に出られない、部屋に閉じ込めきりなのが、相当のストレスになっていると思われます』

 僧院では毎朝、日の出とともに起きて水汲み、掃除、洗濯、そして放牧された羊の世話、畑仕事、薪割り……とそれこそ日が沈むまで仕事には限りがない。特別な勉強を課せられていたシウリンは、週に三日は室内での座学が加わるものの、ジュルチ僧都による体術・棒術と魔力制御の訓練まであって、ほぼ身体を休める間もなく動き回っていたのだ。それが突然に室内に閉じ込められるのだから、そのストレスたるや想像にあまりある。

『さらに外に出られないために、体力・筋力を消費することがありません。殿下は強い魔力を持っていて、それを無意識的に体力増強や筋力強化、疲労回復等に利用していたと思われます。つまり、動かないことによって、これまで消費されていた魔力が使われることなく余って、魔力過多を引き起こしているのではないかと』

 魔力過多、または魔力不足による体調不良は、まだ魔力制御が完璧でない若い皇族には起こりがちの不調だ。特に思春期・成長期に急に魔力が増えたりすると、身体のバランスを崩してひどい場合は倒れてしまう。

 デュクトの説明を、賢親王はふんふんと頷きながら聞いていた。賢親王自身、五人の息子を持つ身である。確かに十を過ぎたころから魔力の調整にしくじってよく体調を崩していた、と我が子のことを思いながら納得していた。

「あともう一つが……人間関係のトラブルではないかと……」

 このトラブルの相手は間違いなく自分であるため、デュクトはさすがに言いにくそうである。賢親王もきりりとした眉をぐっとあげ、デュクトを見据える。

「……わしの見る限り、ユエリンは無茶や我儘を言うことのない子供のようだが、なぜうまくいかぬ?」
「申し訳ありません」

 デュクトが殊勝に頭を下げるが、傍で見ていたゲルはこの殊勝さがシウリンと対峙している時にもあれば、と思わずにいられない。厳しく育てろとは言われているが、少なくとも今は、事情がわかっている大人のデュクトが引くべきなのに、意地にでもなっているのか、デュクトが引かずに衝突が尖鋭化する一方だ。

「その……」

 ゲルが口を挟む。賢親王が視線を副傅に向ける。この大人しい学者肌の男とは、シウリンは問題なくやっているらしいのに。

「事情が事情ですので仕方のない面もありますが、今、殿下は密室の中で育てられているようなものです。閉鎖された中での子育てはとても危険です。秘密保持は必要ですが、早急にもっと人を増やすべきだと思います」

 ゲルは人の精神の問題に興味を持ち、そういう書籍を読み漁っていた。閉じられ、逃げ場のない環境で育てば、人の心は歪む危険がある。ゲルはシウリンの置かれた現状はまさに密室だと感じたのだ。

「人を……のう。具体的には?」

 賢親王がゲルに続きを促した。

「はい。まず、同じ年頃の友人がいません。メイローズですら、八歳も離れていますから。それに、できれば小間使いの宦官ではなく、年の近い侍従をつけられればいいのですが……」
「ふむ……それはもっともだが、今すぐは難しいな。ユエリンの侍従はすべて、落馬の責任を取って死を賜うか、永の謹慎となっている。成人前の皇子に深酒を飲ませるような素行の悪い者たちばかりとはいえ、今、ユエリンの側仕えに大事な息子を差し出すような貴族はおるまい」

 落馬事故以前のユエリン皇子の評判は、実は皇宮内では散々だった。わがままで癇癪もちで、気に入らないことがあると理由なく宦官を鞭打つこともあった。

「だが、人が少ないというのはわしも思わんでもない。それに、外に出す必要があるのもわかった。外に出すとなれば、護衛を兼ねた侍従は必要であろう」
「侍従もですが、むしろもっと年上の御目付役でもよろしいかもしれません」

 メイローズが言った。

「お目付け役?」

 賢親王が首を傾げる。

「はい。正傅殿も副傅殿もまだお若い。失礼を承知で申し上げますが、正傅殿は少し気負いすぎていらっしゃる。もっと年嵩の師をお付けになって、殿下とともに学ぶ、兄弟子のような立場を目指されれば、殿下の方ももう少し心を開きやすいのではないかと」
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