【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

11、皇子教育

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 皇宮生活が始まると、シウリンがユエリンとして生きるには、いろいろと厄介なことが発覚していた。
 それはまず、食事の際に現れる。

 シウリンは左利きであった。当然のようにユエリン皇子は右利きであった。後宮の躾はその辺りのことは厳しく、かなり幼いうちに矯正されるのである。デュクトは厳しく言って、シウリンに右手で食べることを強制した。これには、ユエリン皇子を知る者の前で食事をする機会が訪れる前に、箸を右手で使えるようになる必要がある、という実際的な理由もあった。

 さらに用意されていた箸は、僧院のように木や竹のものではなく、象牙か漆塗りの上等なもので、極めて滑りやすい。そして特に昼食の時は横に必ずデュクトが貼りついて、やれ、汁ものの椀の持ち方が悪いの、大きなままの野菜にかぶりつくのは品がないだの、事細かに指示を出して来る。シウリンは食事の度に大変なストレスを溜め込むことになった。

 それでも、最初の数日はよかった。
 ユエリン皇子は長い昏睡から目を醒ましたところで、重いものは食べられないと、粥やなどの、椀物を中心にした軽い食事だったからだ。それでも一汁一菜に慣れたシウリンには量が多かったのに、次第に肉や魚、揚げ物といった重たい料理が加わるようになっていく。

 シウリンが驚いたのは、同じ米と呼ばれているのに、皇宮で出て来るものは輝くように白い、所謂る銀シャリであった。玄米に雑穀どころか時々小石が混じったようなのが米だと思っていたシウリンは、もっちりと甘く、噛めば噛むほど美味い白飯に、うっとりと夢見心地になった。シウリンにしてみればこれだけでもいいと思えるのに、デュクトはもっと肉や魚を食え食えと喧しい。

 「殿下は痩せすぎです。そんな量では成長期の栄養が足りません」

 しかし、部屋から一歩も出ることのできないシウリンは、運動不足で全くお腹が空かないのである。その上で初めて食べる脂っこい食事に、シウリンの胃は即刻悲鳴を上げた。
 ゲルが気を利かせて豆腐や、同じ肉でも鶏の笹身などのあっさりしたものを増やしてくれたのだが、もともとユエリン皇子が肉好きの野菜嫌いであったため、厨房としては従来通りに肉中心の献立になりやすい。皮つき豚バラ肉の紅焼肉(角煮)はユエリン皇子の大の好物であったらしく、これを食べないで下げれば、身代わりが露見するかもしれないからと、デュクトから絶対に全部食べるように厳命され、無理に完食したその夜、シウリンは酷い胃痛に襲われて、腹の中のものを全て吐いてしまう。

 げっそりと青い顔で寝台に横たわるシウリンの背中をさすりながら、メイローズはデュクトに言った。

「やはり、献立を通常に戻すのが早すぎたのですよ。もう少しあっさりした病人食を続け、野菜中心の献立変えるべきでしょう」
「しかし、ユエ……いや、以前はこれくらい平気で召し上がっておられたから……」

 デュクトが不満そうに、それでも少しは心配そうにシウリンの顔を覗き込んで言う。

「先ほどの医師の見立てでは、栄養状態はそこまで悪くないという話です。急激な食事の変化に、胃が耐えられないのですよ。無理に食べさせても、吐いてしまうだけです」

 メイローズがデュクトに言う。メイローズは宦官ではあるが、皇帝より直接の命令を受けてシウリンの側に付いているだけあり、デュクトに対して必要以上にへりくだったりはしない。メイローズは食事だけでなく、突然の環境の変化に身体がついていっていないと推測し、それをほのめかしているのだが、デュクトはいっこうに考えを改めようとしなかった。彼の基準は全て、亡きユエリン皇子なのである。

 シウリンの住む部屋は厳戒体制が敷かれ、許しのないものは蟻の子一匹通さぬ構えであった。当然、シウリンも外に出るどころか、窓から外を覗くようなことさえ許されなかった。地下牢でこそないが、監禁されているのと変わりがない。そんな中で、シウリンは午前中には礼儀作法、皇宮内のしきたり、一般常識などをメイローズから教えられる。相手の身分によって変わるお辞儀の角度、皇宮内で人とすれ違う時の作法、特に皇帝に謁見するときの作法をしつこいほどに叩きこまれる。

「公的な場と私的な場でも作法は異なります。同席する人の身分によって、振る舞いを変えねばなりません。瞬時に判断することが必要になります」

 皇后が同席した場合、大臣が同席した場合、兄弟が同席した場合、といろんな状況に合わせて、なんども片膝をつき、両袖を払う練習をさせられた。

「もっと下腹に力を入れて、堂々と歩いてください。背中は真っ直ぐに! 腕をぶらぶらさせてはなりません!」

 メイローズの駄目出しも容赦ないのだが、メイローズの場合は具体的に指摘が入るので、わかりやすく、三日も練習すれば、シウリンは皇帝に私的に謁見する場合の礼法をほぼマスターすることができた。

 午後はデュクトやゲルが交代で伺候し、歴史・地理や詩の講義、そして習字、絵画などの練習をする。
 ゲルが担当の日は穏やかだ。ゲルはもともと歴史学者を多く輩出する家の出で、その分野の造詣が深い。頭脳明晰で読書の好きなシウリンは、もともと部屋にあった初級の本はすぐに読破してしまい、ゲルが家から持ってきたり、新たに書肆で購入したりして、順調に進んだ。ゲルはシウリンの記憶力の良さと明晰な理解力に驚いた。とくに数学はマニ僧都から学んでいたシウリンの方が知識も豊富で、歴史書に見える暦のズレや、月蝕の記事の矛盾点など、ゲルも気づかないような問題をシウリンが指摘し、ゲルが史書編纂所にいるゲルの兄にそれを教えるまでにいたる。

 もともとユエリン皇子も頭は悪くなかった。しかしユエリンは勉強嫌いで、サボり癖があり、成績は最低ギリギリだった。ゲルはシウリンの真面目さ、勤勉さに瞠目した。

 一方、デュクトからは魔力制御の他、詩歌や絵画、習字などを習う。これが毎度のように衝突が発生する。
 魔力制御の講義はまだよい。魔力を体内に循環させ、力を制御する。豊富な魔力を持ちながら、外に発動できないことがシウリンのコンプレックスだったのだが、どうやらそれは皇家の男の特徴であると知った。とにかく効率的に体内に魔力を巡らせて、筋力・体力を強化したり、防御力を高めたり、怪我や病気を自身で治癒したり、解毒したりと、戦うために魔力を使う方法を特化して学ぶのだという。

「戦いって、何と戦うの?」

 シウリンが素朴に尋ねると、デュクトがそんなことも知らないのか、とでもいう表情で言った。

「まずは、皇家の親王ともなれば、命を狙う者もおりますので、それらの不届き者と。また、皇家の男はみな、成人後は軍に所属し、毎年、辺境を巡検いたします。魔物に備えるためです」
「魔物……魔物なんて、出るの?」
「聖地より離れた辺境では、毎年、数匹ですが、出ます。魔物には普通の武器が効きません。魔物を狩るには聖別された武器が必要で、その聖別された武器の力を引き出せるのは龍種と貴種の聖騎士だけです」
「龍種と……貴種……」

 龍種とは要するに皇族のこと、貴種とは龍騎士の眷属けんぞくの子孫であり、十二貴嬪家に八侯爵家を加えた最上層貴族二十家のことである。どちらも個人差はあるが魔力を持ち、陽の龍種である皇族の男子は〈王気〉を持つ。皇族の女子も微弱ではあるが〈王気〉を持つ者もあり、彼女たちは十二貴嬪家に嫁いで貴種の血を濃く保つ役割を担った。
 
「龍種や貴種の男である以上、常に身体を鍛え、武芸を磨き、聖別された武器の力を引き出す訓練を怠ってはなりません。この世界を魔物から守れるのは我々選ばれた聖騎士だけなのですから」

 デュクトは些か誇らしげに語る。彼は十二貴嬪家の一つ、ソアレス家の嫡流の出で、強い魔力も持っている。

「デュクトは……魔物を狩れるの?」
「最近は殿下のお側に詰めておりますが、以前は数度、騎士として巡検に参加したことがございます。それも貴種の男の務めでございますから」

 魔物の討伐には特殊な技能が必要とされるので、貴種の男たちは、成人後は交代で巡検に参加し、魔物討伐の技術を習得するのだ。巡検は皇子を中心とした小集団を作って行う。デュクトの家は代々皇族の傅役を務める家系だが、御付きの皇子が幼い時は、別の皇子の巡検に参加し、魔物討伐のノウハウを獲得する。そのノウハウが、御付きの皇子が成人後に役に立つことになるのだ。

「……つまりそれは……僕もいずれ、魔物を討伐させられるってこと?」

 シウリンがデュクトの顔色を伺うように尋ねる。魔物がどんなものか、『聖典』の記載でしか知らないが、いかにも恐ろし気でできればお近づきになりたくない。

「龍種である以上、当然ではありませんかっ!」

 そんなことを言われても、シウリンは自分が人でなく龍種であることを、皇宮に来て初めて知ったのである。

「嫌だよ、そんな危険なこと。そもそも、殺生は戒律で禁じられているし」
「戒律?」
「不妄殺、不妄語、不淫……僕は得度前の誓約も済ませているから、戒律を破るようなことはできないよ」
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