【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

6、皇宮

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 結局、少年はずっと目を醒まさなかったので、デュクトが抱きかかえて転移門に乗り、皇宮内の転移魔法陣に転移した。
 その魔法陣は後宮の一角、皇后の住まいである鴛鴦宮からほど近い奉宝殿という始祖龍皇帝の礼拝所の奥にあった。魔法陣の近くには、一人の若い宦官が待機していた。黄金色の髪に紺碧の瞳という目立つ容姿で、デュクトも一、二度見覚えがあった。十七、八に見えるが、実際にはもう、二十歳であるという話だ。

「お疲れさまでございます。萬歳爺わんすいいえのご命令で、殿下の御付きになります、美楼子メイローズと申します。以後、お見知りおきを」

 萬歳爺とは、宦官が皇帝を呼ぶときの呼称である。

「殿下は、眠っておられる。転移門でひどい魔力酔いを起こされたようだ」
「では、お抱き申し上げてお連れいたします。乾坤宮けんこんきゅうにて萬歳爺が賢親王殿下とともにお待ちでございます。このまま急ぎ、そちらに向かってください」

 腕の中の少年をメイローズに預け、デュクトとゲルは急いで皇帝の常宮である乾坤宮に向かった。
 宦官に取次ぎを頼めば、すぐに奥に通される。皇帝の個人的な書斎に導き入れられて、デュクトとゲルの緊張は高まる。

 その部屋は、それほど広くない。坪庭に面した窓辺にオンドルがしつらえられ、上は長椅子になっていた。小さな卓を中心に据えて、皇帝と賢親王が長椅子に並んで座っている。皇帝ははすでに齢六十を過ぎているが、まだまだ壮健である。対する第三皇子の賢親王は四十を過ぎて、その身に威厳と、思慮深い理知の輝きが備わっていた。個人的な書斎とはいえ、皇帝が長椅子への同席を許すのは大変な恩寵と言ってよい。皇帝が、第二皇子の皇太子ロウリンではなく、賢親王エリン皇子の才識を高く評価し、立太子を願っていたのは有名な話である。

 皇太子の母はマナシル家の娘、賢親王の母はブライエ家の娘。ともに皇后を出し得る家系ではあったが、皇帝自身の母――当時の皇太后――がブライエ家の出身であることから、政治的な配慮によりマナシル家の娘を皇后に冊立せざるを得なかった。必然的に皇后の子が皇太子に立てられ、賢親王の母は皇貴妃のまま世を去った。その後、マナシル家の皇后も崩御し、皇帝は新たにブライエ家より皇后をれた。新皇后は初めから皇后として後宮に入る――納后――という、異例の格式で迎えられ、またその孫ほど年の離れた新皇后を皇帝は溺愛した。その皇后の唯一の所生がユエリン皇子である。皇帝は賢親王に果たせなかった愛子への皇位継承の夢を、ユエリン皇子に託していた。

 つまり賢親王にとっては、新皇后は母方の従妹にあたり、ユエリン皇子は異母弟ではあるが、その母がともにブライエ家の出身であることから、ほとんど同母弟のような存在であった。それ故に、皇帝は今回のユエリン皇子の死の隠匿と、そして身代わりとの交代というあり得ない詐術を、賢親王の協力のもとでやり遂げようとしているのである。

「ユエリン皇子殿下の傅役ふやく二人が参りました」

 宦官に促されて、デュクトとゲルは頭を低くして書斎に入り、両袖を払う礼法を行い、片膝をついて頭を下げる。

「ご苦労であった。……その二人にスツールと、茶を」

 凡そ、皇帝との謁見で座らせてもらえるというのも、滅多にない待遇だ。さらに茶まで出してもらえるというは、よほど気心の知れた側近官のみである。将来の太傅と目されているデュクトはともかく、ゲルはあまりの好待遇にむしろ顔が引き攣った。

 宦官が運んできた籐の榻に腰かけ、宦官が淹れた茶を啜る。帝室の御料茶園で特別に作られる、最高級の茶葉。馥郁ふくいくたる香りのはずだが、ゲルは緊張のあまり全く味がしなかった。

「あれは、こちらに到着したか。様子はどうだ」

 賢親王が二人に尋ねる。こうして見ると、やはり母方の血が濃いのか、賢親王とユエリン皇子――そして先ほどの少年も――はよく似ている。

「はい。成長期のためか、余剰魔力が時に滞っておられ、そのために転移門ゲートでひどい魔力酔いを起こされました。現在は眠っておられます」
「ふむ。騒がれるよりはよかったな。……その、どうだ、似ているか?」

 おそらくそれが二人の最大の懸念だったのであろう。そのまま、ユエリン皇子として通ずる容姿をしているのか。もし、全く似ていないということならば、何等かの細工が必要となる。

「はい。大変、よく似ておられて……ただ、栄養状態の問題なのか、少しく身体が小さく、痩せておられるように感じました」

 デュクトの答えに、皇帝と賢親王はあからさまにほっとした吐息をついた。

「そうか。それは、よかった。身体の方は、おいおい、育ってこよう」

 賢親王が頷くのに、皇帝が尋ねる。

「……〈王気〉はどうだ」
「はい、はっきりとした金色の〈王気〉をお持ちです。大変清澄で……俺では形態までは分からないのですが、間違いなく、直系の龍種の〈王気〉でございます」

 デュクトの答えに、皇帝は満足したように、大きく頷いた。

「今日付けで、そなたらの蟄居ちっきょを解いた。ユエリンが意識を取り戻したとの、報を出そう。これ以後、鴛鴦宮に通い、教育にこれ務めるように」
「は」
 
 デュクトとゲルが頭を下げる。

「これまでの侍従はすべて解任し、自宅にて永の謹慎とさせる。新たな侍従については、ユエリンの体調を見ながら、選んでいくことにする」
「承知しました」
  
 それから、皇帝は横にいる息子の方を見た。

「エリンよ……。夕刻にでも、あれを見舞ってやってほしい。メイローズが付いておれば問題はなかろうが、混乱しているであろうからな。よく言ってきかせて欲しい」
「承知いたしました」
「どういう育ちをし、何を知り、何を知らぬのか。見極め、適切な指導を行うように。あれのことは、そなたに一任しよう」
「は」

 賢親王が頭を下げた。

「あの……」

 恐る恐る、ゲルが口を挟む。

「なんだ?」
「その……ご遺体とは、体面できますでしょうか?」

 途端に、長椅子の二人の表情が硬くなる。

「すでに、太陽神殿の墓地に葬った」

 ゲルとデュクトの二人が、思わず息を詰める。

「墓地の……どちらに? 墓参はできましょうか?」

 ゲルが、絞り出すように尋ねる。

「無縁墓地の一つだ。場所は聞いていない」

 無縁墓地!
 デュクトは目の前が暗くなった。
 
 賢親王の命令を受けて、即刻聖地に発ったために、二人はユエリン皇子の遺体にも対面できていないのだ。もはや葬られ、墓参すら叶わぬと言われて、二人は絶望に言葉もない。

 皇子として生まれ、栄華に彩られた人生を歩むはずだった少年が、長い昏睡のあげくに泉下せんかに旅立ったその行く末として、あまりにも惨めではないのか。

娘娘にゃんにゃんは……皇后陛下は、何と?」

 ゲルが震え声で尋ねる。だが皇帝はただ首を振った。
 あれだけ一人息子を溺愛していた皇后が、その仕打ちに納得するとは思えなかった。

「その話は、皇后の前ではしてはならぬ。ユエリンは、本復した。鴛鴦宮よりは、どこの誰とも知らぬ、死体が運び出されただけにすぎぬ。よいな」

 皇帝の重々しい言葉の前に、デュクトとゲルも、ただ、頭を垂れる以外になかった。
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