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5、イライアス・ハミルトン
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ローズマリーは王都にいる。ただし、子供の件はまだ不明。
そう、リントン伯爵に知らせれば、調査費用については伯爵が出すというので、僕は王都でローズマリー・オルコットの調査を請け負うことにした。
まず、デニスから聞いた法律事務所にコンタクトを取り、リントン伯爵家の顧問弁護士リチャード・アーヴィングの立ち合いの上で、デニスの残した遺言と信託財産を確認する。貸金庫に入っていたローズマリーへの手紙には、切々とした懺悔というよりは男のみっともない言い訳が綴られて、正直言ってかなり見苦しかった。
メイドに手をつけて妊娠させるくらいは、よく聞く話だ。でも、デニスのやり方はいくらなんでもひどい。
メイドになり立ての十代の少女に対し、奉公先の主人という立場を利用して関係を迫り、結果妊娠に至る。身に覚えがあるのに、彼女との関係を否定し、自分の子じゃないと言い張る。嘘つき呼ばわりされた少女が、邸を追い出されるのをただ見ているだけだった。息子の言葉を信じ、手切れ金も払わずに妊婦を追い出したリントン伯爵も、人としてあり得ないと思う。
だって妊婦だぞ? 毎年、少なからぬ妊婦が、手厚い看護の下でさえ命を落としているのだ。
ましてまだ若い身体で妊娠し、頼る人もなく王都に流れ着いたローズマリーが、果たして無事に出産にこぎつけることができたのか。また、無事に生まれたとしても、若い母親が慣れない育児に苦労するだろうし、子供を抱えては仕事を見つけるのも難しい。
僕は王都にいくつかある、教会が経営する孤児院併設の助産院や乳児院を思い浮かべる。
ローズマリー・オルコットが王都で出産するとすれば、そういった慈善施設を頼るのが自然だ。
そちらの方向からある程度探れるかも――
だがそれでも、僕はローズマリーはともかく、彼女の子供についてはほぼほぼ、絶望視していた。
それでなくとも、乳幼児の死亡率はまだまだ高いのだ。
にもかかわらず、リントン伯爵は、デニスが死んで跡継ぎがいなくなった今、ローズマリーの腹の子が生存しているわずかな可能性に縋っている。自分が追い出したくせに、滑稽なことだ。
デニスは友人でもあり、戦友として、また医者として最期を看取った責任感から関わっているが、正直、デニスとその父の行状は不愉快極まりなかった。
さらに、デニスの未亡人ライラは僕の従妹。この仕事を僕が放りだした場合、万一子供が見つかった場合、何の配慮もなく、ライラの耳に入れられてしまうかもしれない。
それで、僕は自分が仲介する形で王都の探偵社に大枚をはたき(もちろん、リントン伯爵の金だけど)、ローズマリー・オルコットの行方の、捜索を依頼した。
僕の家、マクミラン侯爵家は王国南部の工業地帯に領地を持っていて、産業資本家に融資したり株を保有したりして、手広く経営しているらしい。生まれた時から家には普通に金があったので、僕は金儲けに興味がない。だが、次男の僕はいずれ平民として独り立ちしなければならない。貴族の次男、三男で、山っ気のある男なら起業家や議員を目指すのだろうが、生憎、僕はやる気というものを母親の胎内に忘れて生まれてきた男だ。だから、とりあえず大学に行き、医者か弁護士か官僚か軍人かと考え、生物学とか生理学なんかの授業が一番、性に合ったので、医者になった。
しかし、似たようなことを考える奴が多いせいか、現在、我が国では医者が余っている。開業したところで閑古鳥が鳴いている医院が山ほどある。暇すぎて探偵小説を書いて一山当てるような才能もないので、開業医で食っていくのはなかなかに厳しい。
ただし、僕は王立病院では大変な人気医師だった。何しろ僕は、とても「腕がいい」と評判だったのだ。だが、その技術が問題で――
僕が得意としていたのは、女性の「ヒステリー」の治療だ。
「ヒステリー」は伝統的に、女性の骨盤内のうっ血が原因と考えられて、女性の性的欲求を解消してやる治療が主だった。
つまり何をするのかと言うと、女性の性器を直接マッサージして快感をもたらしてやればよいのだ。
医局で、先輩の医師からこの治療を委ねられた僕には、次から指名が殺到した。僕が若くて貴族の出であるのも人気の理由ではあっただろう。王都でも高名な高位貴族の老貴婦人からも往診を依頼されたりした。あくまで「治療」ではあるが、どうせなら若くて見目のいい男の医者にお願いしたい、というのが人情なのかもしれない。
僕の「治療」を必要とする女性たちは、夫を亡くした未亡人や、恋も結婚も経験せずに年を重ねてしまった老嬢が多かった。時には、まだ若く美しいのに夫に顧みられない不幸な女性もいた。家と家とのつながりのための政略結婚で、夫が性的に不能だったり、同性愛者だったり、ひどい場合は愛人に夢中だったり。「気鬱の治療」と銘打って、昼間っから夫以外の若い男の医者にこんな治療を施されていると知ったら、果たして彼女の夫はどう思っただろう。
僕にとっては、彼女たちはあくまで「患者」で、「治療」の一環でしかない。でも、僕の「神技」に魅了されてしまった患者たちは、「その先」を望むようになり、僕は困惑した。治療のたびにねっとりと絡みつくような、熱い視線で見つめられ、絶頂するときにわざと抱き着かれたり、僕のトラウザーズを下ろそうとする猛者までいた。
僕はただ、はっきりきっぱり断って治療を打ち切ればよかったのだが――
問題は――まあ、僕が悪いのだけど――僕も男だから、まんざらでもないような相手に涙ながらに縋られると、拒み切れない。二十年以上も白い結婚で、処女のまま捨て置かれた貴婦人に、せめて一度だけでもなんて泣かれて、僕は絆されてしまった。
医師としては到底、許されない倫理の逸脱であり、じゃあ、責任とって二十も年上のその女性と結婚するかと言われても、僕にあるのは安い同情で愛ではなく、向こうもそんなことまで望んでいない。
そういうことが重なり、僕はだんだん、女性の患者が苦手になった。自分の優柔不断さに嫌気が差したのだ。
ちょうど、手の使い過ぎで腱鞘炎になったこともあり、僕は王立病院を辞め、女の患者のいなさそうな軍医に志願した。
戦争が終わって帰還を果たしたものの、再び医者の仕事に就く勇気がない。
ローズマリー・オルコットを探す、なんて厄介な仕事を引き受けたのも、医者としての仕事を再開するのが嫌で、一種の猶予期間のようなものだと、僕自身も薄々わかっていた。
そして、そういう僕の弱さに追い打ちをかけるように、思いもよらぬ運命の変転が僕を待ち受けていた。
僕が戦地から帰還して半年もたたないうちに、侯爵だった兄夫婦が不慮の事故で急死してしまったのだ。
兄アシュリーは新しもの好きで精力的な男だった。新たな投資先として飛行船の旅客事業に注目し、デモンストレーション飛行に兄嫁を連れて行った。たくさんの報道陣が詰めかけ、青空に華々しく浮かびあがった巨大な飛行船。――それが、見上げている僕たちの目の前で爆発炎上した。
あまりの出来事に、隣で母が半狂乱になって何か叫んでいたが、僕の脳はショートして、燃え盛り焼け落ちる飛行船を呆然と見上げていた。何が起きたのか理解するのを拒否していたのかもしれない。
とにかく、兄が死んだ。
兄、マクミラン侯爵アシュリー・ハミルトンは、その飛行船会社の筆頭の株主で、被害者の中では最も爵位が高かった。同乗の兄嫁ももちろん、助からなかった。――美人と名高く、社交界の華だった美しい兄嫁が、顔も見分けられぬほどの黒焦げの遺体になっていた。
報道陣の目の前でのセンセーショナルな大事故であったから、毎日、我が家に野次馬や新聞社が押し掛け、警察の聴取もあった。母はショックのあまりに倒れてしまい、それでも葬儀を行わないわけにはいかない。
まったく予想もしないことで、僕は爵位を継いだ。
母がようやく少し回復して日常が戻ってきたころに、探偵社から連絡があった。
――ローズマリー・オルコットの居場所がわかった。
そう、リントン伯爵に知らせれば、調査費用については伯爵が出すというので、僕は王都でローズマリー・オルコットの調査を請け負うことにした。
まず、デニスから聞いた法律事務所にコンタクトを取り、リントン伯爵家の顧問弁護士リチャード・アーヴィングの立ち合いの上で、デニスの残した遺言と信託財産を確認する。貸金庫に入っていたローズマリーへの手紙には、切々とした懺悔というよりは男のみっともない言い訳が綴られて、正直言ってかなり見苦しかった。
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だって妊婦だぞ? 毎年、少なからぬ妊婦が、手厚い看護の下でさえ命を落としているのだ。
ましてまだ若い身体で妊娠し、頼る人もなく王都に流れ着いたローズマリーが、果たして無事に出産にこぎつけることができたのか。また、無事に生まれたとしても、若い母親が慣れない育児に苦労するだろうし、子供を抱えては仕事を見つけるのも難しい。
僕は王都にいくつかある、教会が経営する孤児院併設の助産院や乳児院を思い浮かべる。
ローズマリー・オルコットが王都で出産するとすれば、そういった慈善施設を頼るのが自然だ。
そちらの方向からある程度探れるかも――
だがそれでも、僕はローズマリーはともかく、彼女の子供についてはほぼほぼ、絶望視していた。
それでなくとも、乳幼児の死亡率はまだまだ高いのだ。
にもかかわらず、リントン伯爵は、デニスが死んで跡継ぎがいなくなった今、ローズマリーの腹の子が生存しているわずかな可能性に縋っている。自分が追い出したくせに、滑稽なことだ。
デニスは友人でもあり、戦友として、また医者として最期を看取った責任感から関わっているが、正直、デニスとその父の行状は不愉快極まりなかった。
さらに、デニスの未亡人ライラは僕の従妹。この仕事を僕が放りだした場合、万一子供が見つかった場合、何の配慮もなく、ライラの耳に入れられてしまうかもしれない。
それで、僕は自分が仲介する形で王都の探偵社に大枚をはたき(もちろん、リントン伯爵の金だけど)、ローズマリー・オルコットの行方の、捜索を依頼した。
僕の家、マクミラン侯爵家は王国南部の工業地帯に領地を持っていて、産業資本家に融資したり株を保有したりして、手広く経営しているらしい。生まれた時から家には普通に金があったので、僕は金儲けに興味がない。だが、次男の僕はいずれ平民として独り立ちしなければならない。貴族の次男、三男で、山っ気のある男なら起業家や議員を目指すのだろうが、生憎、僕はやる気というものを母親の胎内に忘れて生まれてきた男だ。だから、とりあえず大学に行き、医者か弁護士か官僚か軍人かと考え、生物学とか生理学なんかの授業が一番、性に合ったので、医者になった。
しかし、似たようなことを考える奴が多いせいか、現在、我が国では医者が余っている。開業したところで閑古鳥が鳴いている医院が山ほどある。暇すぎて探偵小説を書いて一山当てるような才能もないので、開業医で食っていくのはなかなかに厳しい。
ただし、僕は王立病院では大変な人気医師だった。何しろ僕は、とても「腕がいい」と評判だったのだ。だが、その技術が問題で――
僕が得意としていたのは、女性の「ヒステリー」の治療だ。
「ヒステリー」は伝統的に、女性の骨盤内のうっ血が原因と考えられて、女性の性的欲求を解消してやる治療が主だった。
つまり何をするのかと言うと、女性の性器を直接マッサージして快感をもたらしてやればよいのだ。
医局で、先輩の医師からこの治療を委ねられた僕には、次から指名が殺到した。僕が若くて貴族の出であるのも人気の理由ではあっただろう。王都でも高名な高位貴族の老貴婦人からも往診を依頼されたりした。あくまで「治療」ではあるが、どうせなら若くて見目のいい男の医者にお願いしたい、というのが人情なのかもしれない。
僕の「治療」を必要とする女性たちは、夫を亡くした未亡人や、恋も結婚も経験せずに年を重ねてしまった老嬢が多かった。時には、まだ若く美しいのに夫に顧みられない不幸な女性もいた。家と家とのつながりのための政略結婚で、夫が性的に不能だったり、同性愛者だったり、ひどい場合は愛人に夢中だったり。「気鬱の治療」と銘打って、昼間っから夫以外の若い男の医者にこんな治療を施されていると知ったら、果たして彼女の夫はどう思っただろう。
僕にとっては、彼女たちはあくまで「患者」で、「治療」の一環でしかない。でも、僕の「神技」に魅了されてしまった患者たちは、「その先」を望むようになり、僕は困惑した。治療のたびにねっとりと絡みつくような、熱い視線で見つめられ、絶頂するときにわざと抱き着かれたり、僕のトラウザーズを下ろそうとする猛者までいた。
僕はただ、はっきりきっぱり断って治療を打ち切ればよかったのだが――
問題は――まあ、僕が悪いのだけど――僕も男だから、まんざらでもないような相手に涙ながらに縋られると、拒み切れない。二十年以上も白い結婚で、処女のまま捨て置かれた貴婦人に、せめて一度だけでもなんて泣かれて、僕は絆されてしまった。
医師としては到底、許されない倫理の逸脱であり、じゃあ、責任とって二十も年上のその女性と結婚するかと言われても、僕にあるのは安い同情で愛ではなく、向こうもそんなことまで望んでいない。
そういうことが重なり、僕はだんだん、女性の患者が苦手になった。自分の優柔不断さに嫌気が差したのだ。
ちょうど、手の使い過ぎで腱鞘炎になったこともあり、僕は王立病院を辞め、女の患者のいなさそうな軍医に志願した。
戦争が終わって帰還を果たしたものの、再び医者の仕事に就く勇気がない。
ローズマリー・オルコットを探す、なんて厄介な仕事を引き受けたのも、医者としての仕事を再開するのが嫌で、一種の猶予期間のようなものだと、僕自身も薄々わかっていた。
そして、そういう僕の弱さに追い打ちをかけるように、思いもよらぬ運命の変転が僕を待ち受けていた。
僕が戦地から帰還して半年もたたないうちに、侯爵だった兄夫婦が不慮の事故で急死してしまったのだ。
兄アシュリーは新しもの好きで精力的な男だった。新たな投資先として飛行船の旅客事業に注目し、デモンストレーション飛行に兄嫁を連れて行った。たくさんの報道陣が詰めかけ、青空に華々しく浮かびあがった巨大な飛行船。――それが、見上げている僕たちの目の前で爆発炎上した。
あまりの出来事に、隣で母が半狂乱になって何か叫んでいたが、僕の脳はショートして、燃え盛り焼け落ちる飛行船を呆然と見上げていた。何が起きたのか理解するのを拒否していたのかもしれない。
とにかく、兄が死んだ。
兄、マクミラン侯爵アシュリー・ハミルトンは、その飛行船会社の筆頭の株主で、被害者の中では最も爵位が高かった。同乗の兄嫁ももちろん、助からなかった。――美人と名高く、社交界の華だった美しい兄嫁が、顔も見分けられぬほどの黒焦げの遺体になっていた。
報道陣の目の前でのセンセーショナルな大事故であったから、毎日、我が家に野次馬や新聞社が押し掛け、警察の聴取もあった。母はショックのあまりに倒れてしまい、それでも葬儀を行わないわけにはいかない。
まったく予想もしないことで、僕は爵位を継いだ。
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