上 下
4 / 43

4、オルコット男爵

しおりを挟む
 翌日、僕はオルコット男爵家を訪ねる。

 元はそれなりの田舎の豪家だったのだろうが、庭木も伸び放題で門扉は壊れ、建物もあちこちが傷んで、いかにも古びている。
 呼び鈴を鳴らすと、腰の曲がったヨボヨボの執事が出て来て、殺風景な応接間に通される。待つほどもまく、地味な三十前後の女性がお茶を運んできた。

「夫はすぐに参ります」
「いえ、突然の訪問ですのでお構いなく」

 奥方が自ら茶の接待に出てくるあたり、ロクなメイドもいないのだろう。 
 手持ち無沙汰に僕は周囲を観察する。暖炉の上の壁が四角く変色していて、コンソールの上にも何もない。絵画などの調度品は、売れるものは全部売ってしまった、そんな侘しさが漂う。

 しかし、やってきたオルコット男爵は、栗色の髪に紫色の瞳が特徴的な、かなりの美男子だった。

「ジェイムズ・オルコット、この家の当主です」
「突然すみません、イライアス・ハミルトンと申します。――その、リントン伯爵の嫡男デニス卿の友人で、彼が亡くなる直前にとあることを依頼されまして」

 僕がデニスの名を出すと、オルコット男爵の形のよい眉がぐっと顰められる。

「デニスの戦死は御存じでいらっしゃる」
「ええ、それは。こんな小さな町では大ニュースですから」

 その口調から、デニス……というか、リントン伯爵家の評判があまりよくないのではと僕は思う。

「デニスは今際の際に、かつて家から追い出したメイド、ローズマリー・オルコット嬢のことを探してほしい、彼女に詫びなければならないと言い残しました。それで――」
「ハッ、今さら!」

 オルコット男爵が忌々し気に吐き捨てる。

「あのバカ息子、妹を手籠めにしておきながら、そんな阿婆擦れと関係などないと言い放ったのですよ! うちは山ほど借金のある貧乏男爵家で、あちらはあくどく稼いでいる伯爵家。デニスは外では殊勝にしていましたが、屋敷内では相当、暴君だったようです。使用人たちも、主を恐れて証言を拒んで、妹は嘘つきの売女ばいたと呼ばれて、その月の給金ももらえずに追い出されたのですよ!」
「ひどい話ですね」

 僕が相槌を打てば、オルコット男爵はさらにまくしたてる。

「もっとひどいのはあの業突く張りの伯爵です! 妹が他の男の子をデニスの子と偽り、未来の伯爵夫人になろうとしている、なんて言い出して。十六の小娘にそんな知恵があると思いますか?」
「僕も昨夜、伯爵からローズマリー嬢の年齢を聞いて驚きました」
「妹は、我が家の家計を助けるために、あの屋敷にメイド奉公に上がりましたが、その時、たった十五歳だったのですよ! 奉公に上がった時は、あのデニスのバカ息子は学校の寄宿舎に入っていて、お屋敷には不在でした。しかし、学校を卒業して家に戻ると、すぐに妹に目をつけ、無理矢理寝台に引きずり込んだのです!」
「……ローズマリー嬢はその……どんな外見で……」
「妹の髪と瞳の色は私と同じです。うちは代々、瞳が紫色なんです。……ですから、紫色の花にちなんでローズマリーと」
「なるほど」 

 僕は手帳を取り出し、オルコット男爵の話を聞きながらメモを取る。

 ローズマリー・オルコット、大陸暦一八七三年生まれ。栗色の髪に紫色の瞳。十五歳でリントン伯爵家にメイド奉公に出て、十六歳で妊娠を理由に解雇された。

「つまりその――現在生きていたら二十二歳――」

 僕はそう言いながらオルコット男爵を観察する。なんとなくだが、この兄は彼女の行方を知っているのではないかと思ったからだ。
 オルコット男爵が、逆に僕に尋ねた。

「デニスの頼みを聞いて、妹の居場所を探しにきた。――今さらどうするのです。デニスも死んでしまったのに」
「……デニスの妻には内緒の、信託財産が残してあるそうなのです。それを渡してほしいと言われています」
「財産……」
「あの時、ローズマリー嬢は本当に妊娠していたのですか?」
「ええ。間違いありません。妊娠に気づくのが遅れたこともあり、なんとなくお腹も膨らみ始めていました。ごく、わずかですが」
「なるほど……五か月くらいではっきりしてくる妊婦もいますからね」

 僕が言えば、オルコット男爵も頷く。

「無理に堕胎したら命の保証はできないと、産婆にも断られました」
「リントン伯爵家を追い出された後、こちらに来たのですね?」

 オルコット男爵が沈痛な表情をした。

「うちは見てお分かりのように、貧乏男爵家で。父が倒れて長患いとなり、薬代がかさんで、相当額をリントン伯爵家に用立ててもらっていました。あの頃はまだ、父が存命でしたので、こちらから苦情を言うこともできず――」

 オルコット家とて、貧乏ながら男爵家で、貴族としての外聞もある。このままお腹が大きくなれば、アーリングベリは小さな町だから、アッと言うまにとんでもない醜聞になることが予想できた。伯爵家の嫡男が相手ではどうにも、分が悪い。オルコット家はリントン伯爵家の仕打ちに怒りながらも、伝手を頼って王都と行き来する行商人にローズマリーを預け、町から出したのだという。

「では、妹さんは王都にいらっしゃるのですか。現在の居場所はわかりませんか」

 僕の問いに、しかしオルコット男爵が首を振る。

「妹は、未婚で身籠ったことを恥じていました。我が家の恥にもなるから、縁を切って欲しいと言い、その後の便りもありません。ですが、一度だけ――」

 オルコット男爵は一枚の絵葉書を見せてくれた。――王都ランデリアの、有名な時計塔の写真。差出人はなく、ただあまり上手くない文字で、「生きています」とだけ走り書きされていた。

「この字は、妹さんの?」
「妹は読み書きがあまり……。住所は誰かに代筆してもらったのだと思います。だから、ほら、綴りが少し間違っているでしょう? アーリングベリの郵便局から先、あちこち転送されて、やっと届いたのです」
「なるほど……これは、二年前の消印ですね」

 僕はその葉書をひっくり返し、入念にチェックする。住所の文字と走り書きはおそらく別人の手蹟で、消印は王都の郵便局のものだ。子供のことについては、何も書かれていない。
 僕はオルコット男爵に丁重に礼を言い、ローズマリーの行方がわかったら知らせると約束した。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

旦那様の求婚~Je veux t'epouser~

ありま
恋愛
商家のメイドのアリメアは、長年仕えている幼馴染でもある旦那様に突然プロポーズされ悩んでいた。相手が好きなひと、であるにもかかわらず悩む訳は沢山あるのだが……そんなアリメアの返事とは? ヒストリカル風ですがファンタジー世界です。 【一章/二章/三章完結済】

心の鍵と彼女の秘密

アルカ
恋愛
伯爵令嬢のアリシアは、カールストン伯爵家の舞踏会で壁の花に徹していた。ある使命を帯びて久々の舞踏会へと出席したためだ。 一方、ランクス・ラチェットは部下と共に突入の準備をしていた。カールストン伯爵家から、どうしても見つけ出さなければいけないものがあるのだ。 そんな二人の、運命の出会いから始まる恋と事件の語。 小説家になろうにも掲載しております。 ◆◆完結しました!◆◆

海の嘘と空の真実

魔瑠琥&紗悠理
恋愛
綾瀬悠希(18)は、高校中退の未婚の母。親元を離れ、祖父母の住む宮崎県・日向市に越してきた。幼い頃から慣れ親しんだ宮崎の自然が綾瀬を癒し、包み込んでくれる。そんな自然豊かな環境の下、綾瀬は我が子のためにバイトに励む!!日向市の人々の温かい想いに、自身の過去を見つめ直していく。バイト先での新しい出会いや従弟との再会に、綾瀬の恋心は振り回されてばかりで……!?これは、全ての人に捧げる恋愛讃歌。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...