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47、つけ入る隙
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ジュスティーヌとラファエルの新婚生活は、表面的には何の問題もなく、始まった。
翌日は領内の代官や、治下の荘園主たちを招いたお披露目が予定され、城内は朝からも支度に大わらわであった。ジュスティーヌも三人の侍女たちによって飾りたてられ、蜂蜜色の髪は上半分だけを結い上げ残りは自然に背中に垂らし、髷には真珠を編み込んだネットを被せる。耳飾りと首飾りは、ラファエルから結婚の印に贈られたサファイアで、ドレスはやはり青い光沢のあるもの。細かい真珠を装飾に散らし、金色の帯を締める。乳母とを含めて四人がかりで磨き上げ、支度が出来たころにラファエルが迎えに来た。ラファエルもまた、揃いの青い上着に白い脚衣、リスの腹毛を裏打ちした白いマントを左肩に纏っている。二人が並ぶと絵から抜け出たようで、乳母も侍女もそして女中頭のアキテーヌ夫人も、思わずため息を漏らした。
ラファエルのエスコートで城の大広間へ向かう。
「俺も、こういうのは慣れていないのです。領地のことは、現在勉強中で……」
ラファエルが銀色の髪をガシガシと掻いた。その無造作な仕草もまた美しい。
「わたくしはずっと、座っていればよろしいのかしら」
「ええ、それでいいでしょう。王宮から典礼掛を寄越してくれましたので、万事、彼らと家令のヨアヒムで上手くやってくれると思います」
そうして、ラファエルはジュスティーヌの耳元で囁いた。
「できれば――仲良く見えるようにだけ、していただければ」
「仲――悪くはありませんわよね?」
「もちろん、そうですが、つけ入る隙があるように見られると、ちょっと面倒かもしれません」
「つけ入る隙?」
「ええまあ――まあ、おいおいご説明します」
もっともその様子はまるで蜜のように甘くて、二人がまだ夫婦の契りを交わしていないなど、言われても誰も信じなかっただろう。
広間に詰めかけたのは、この地方のいっぱしの名士、富豪と呼ばれる人々であったが、王宮に出入りする者を見慣れた目には、幾分、田舎臭く、格も下がるように見えた。
新領主夫妻が広間に入場すると、客たちは一斉に立ち上がる。誰もが夫妻の麗しさに目を瞠らずにはいられない。新婦である王女は一度未亡人となり、今回は再嫁という話であったが、それが信じられぬほどの初々しさ、新郎はこれまた騎士物語の主役を張れそうな美男である。
酒が回って乾杯の音頭が取られ、皆が新郎新婦を祝福する。堅苦しかったのは最初だけで、すぐに座は解れて、料理と酒に気を良くした素朴な人々が、赤い顔で主役たち二人の許に挨拶にくる。そのたびにラファエルは乾杯して杯を重ねていくが、顔色一つ変わらない。
と、そこにやけに綺羅綺羅しい衣装を着た、太った中年の男がやってきた。
「いや、これはまたお美しい姫君だ! さすが隣国の大公が是非にとお求めになっただけのことはある」
ジュスティーヌは思い出したくもない前の夫の話を持ち出され、一瞬、金色の眉を顰める。
「某はこのボーモン領の総代官を拝命しておりました、ギヨーム・バルテルと申します。オダンに荘園を所有しておりまして、そのあたり一帯の代官を、引き続き仰せつかっております。以後、お見知りおきください」
ギヨームと名乗った男は、てかてか光る赤ら顔にわざとらしい笑みを浮かべ、大仰な動作で頭を下げた。ボーモン領はここ二十年ほど領主がおらず、王の直轄領であった。飛び地のように点在する荘園主を近隣の代官に任じて租税の徴収を請け負わせ、その代官からの上がりをまとめて王家に納入する役を、ここ数年はギヨームが拝命していたらしい。ボーモン領はラファエルの封地とされたから、総代官の役割はもう必要ない。だが近隣の地理や事情に詳しくないラファエルは、引き続き各地の代官たちをそのまま任用することにしたのだ。
ラファエルは鷹揚に頷いているが、ジュスティーヌはこの太った中年男から前の夫と同じニオイを嗅いで、何となく恐怖を覚えて、無意識にラファエルに身を寄せる。その雰囲気を感じ取ったラファエルが、さりげなく腕を腰に回し、「心配ない」と言うようにジュスティーヌの腰を軽く叩いた。思わずラファエルの顔を見上げれば、輝くような微笑みがかえってくる。
その様子をまともに目にした周囲の客たちは、二人の発散する甘い雰囲気に口に含んでいた酒を吹きそうになる。
だがギヨームという男はとことん鈍いところがあるのか、なおも二人の前に陣取って、下がろうとしない。
「そうそう、某の姪カトリーヌがこの城での行儀見習いをしております。身内ながら美しく育った自慢の姪なのです。ぜひ、お目をかけていただけると幸いです」
ジュスティーヌの背後で控えていた侍女のマリーは、その話を聞いて微かに頬をピクリと動かす。わざわざ姪を城に送り込んでくるギヨームの魂胆が、分かり過ぎるほどに分かったからだ。
(なるほど、これがさきほど、ラファエル殿が口にした、「付け込まれる隙」ということね……)
マリーは密かに、ギヨーム・バルテルの姪カトリーヌの名を、要注意人物として頭に刻み込んだ。
翌日は領内の代官や、治下の荘園主たちを招いたお披露目が予定され、城内は朝からも支度に大わらわであった。ジュスティーヌも三人の侍女たちによって飾りたてられ、蜂蜜色の髪は上半分だけを結い上げ残りは自然に背中に垂らし、髷には真珠を編み込んだネットを被せる。耳飾りと首飾りは、ラファエルから結婚の印に贈られたサファイアで、ドレスはやはり青い光沢のあるもの。細かい真珠を装飾に散らし、金色の帯を締める。乳母とを含めて四人がかりで磨き上げ、支度が出来たころにラファエルが迎えに来た。ラファエルもまた、揃いの青い上着に白い脚衣、リスの腹毛を裏打ちした白いマントを左肩に纏っている。二人が並ぶと絵から抜け出たようで、乳母も侍女もそして女中頭のアキテーヌ夫人も、思わずため息を漏らした。
ラファエルのエスコートで城の大広間へ向かう。
「俺も、こういうのは慣れていないのです。領地のことは、現在勉強中で……」
ラファエルが銀色の髪をガシガシと掻いた。その無造作な仕草もまた美しい。
「わたくしはずっと、座っていればよろしいのかしら」
「ええ、それでいいでしょう。王宮から典礼掛を寄越してくれましたので、万事、彼らと家令のヨアヒムで上手くやってくれると思います」
そうして、ラファエルはジュスティーヌの耳元で囁いた。
「できれば――仲良く見えるようにだけ、していただければ」
「仲――悪くはありませんわよね?」
「もちろん、そうですが、つけ入る隙があるように見られると、ちょっと面倒かもしれません」
「つけ入る隙?」
「ええまあ――まあ、おいおいご説明します」
もっともその様子はまるで蜜のように甘くて、二人がまだ夫婦の契りを交わしていないなど、言われても誰も信じなかっただろう。
広間に詰めかけたのは、この地方のいっぱしの名士、富豪と呼ばれる人々であったが、王宮に出入りする者を見慣れた目には、幾分、田舎臭く、格も下がるように見えた。
新領主夫妻が広間に入場すると、客たちは一斉に立ち上がる。誰もが夫妻の麗しさに目を瞠らずにはいられない。新婦である王女は一度未亡人となり、今回は再嫁という話であったが、それが信じられぬほどの初々しさ、新郎はこれまた騎士物語の主役を張れそうな美男である。
酒が回って乾杯の音頭が取られ、皆が新郎新婦を祝福する。堅苦しかったのは最初だけで、すぐに座は解れて、料理と酒に気を良くした素朴な人々が、赤い顔で主役たち二人の許に挨拶にくる。そのたびにラファエルは乾杯して杯を重ねていくが、顔色一つ変わらない。
と、そこにやけに綺羅綺羅しい衣装を着た、太った中年の男がやってきた。
「いや、これはまたお美しい姫君だ! さすが隣国の大公が是非にとお求めになっただけのことはある」
ジュスティーヌは思い出したくもない前の夫の話を持ち出され、一瞬、金色の眉を顰める。
「某はこのボーモン領の総代官を拝命しておりました、ギヨーム・バルテルと申します。オダンに荘園を所有しておりまして、そのあたり一帯の代官を、引き続き仰せつかっております。以後、お見知りおきください」
ギヨームと名乗った男は、てかてか光る赤ら顔にわざとらしい笑みを浮かべ、大仰な動作で頭を下げた。ボーモン領はここ二十年ほど領主がおらず、王の直轄領であった。飛び地のように点在する荘園主を近隣の代官に任じて租税の徴収を請け負わせ、その代官からの上がりをまとめて王家に納入する役を、ここ数年はギヨームが拝命していたらしい。ボーモン領はラファエルの封地とされたから、総代官の役割はもう必要ない。だが近隣の地理や事情に詳しくないラファエルは、引き続き各地の代官たちをそのまま任用することにしたのだ。
ラファエルは鷹揚に頷いているが、ジュスティーヌはこの太った中年男から前の夫と同じニオイを嗅いで、何となく恐怖を覚えて、無意識にラファエルに身を寄せる。その雰囲気を感じ取ったラファエルが、さりげなく腕を腰に回し、「心配ない」と言うようにジュスティーヌの腰を軽く叩いた。思わずラファエルの顔を見上げれば、輝くような微笑みがかえってくる。
その様子をまともに目にした周囲の客たちは、二人の発散する甘い雰囲気に口に含んでいた酒を吹きそうになる。
だがギヨームという男はとことん鈍いところがあるのか、なおも二人の前に陣取って、下がろうとしない。
「そうそう、某の姪カトリーヌがこの城での行儀見習いをしております。身内ながら美しく育った自慢の姪なのです。ぜひ、お目をかけていただけると幸いです」
ジュスティーヌの背後で控えていた侍女のマリーは、その話を聞いて微かに頬をピクリと動かす。わざわざ姪を城に送り込んでくるギヨームの魂胆が、分かり過ぎるほどに分かったからだ。
(なるほど、これがさきほど、ラファエル殿が口にした、「付け込まれる隙」ということね……)
マリーは密かに、ギヨーム・バルテルの姪カトリーヌの名を、要注意人物として頭に刻み込んだ。
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