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41、新たな一歩

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「今度のことの責任は、私にある。――ラファエルを許してやってはくれまいか」

 ジュスティーヌの居間で、王太子マルスランが言う。蜂蜜色の髪はやや乱れ、困ったように青い瞳が忙しなく動く。

「――何を許すというのです。わたくしは誰にも嫁がないと言っていましたのに、勝手に、それも恋人のいる人との話を強引に進めるなんて、お兄様こそ、最低です」

 ジュスティーヌが凛と背筋を伸ばしたまま、兄を睨みつける。マルスランは潔癖な妹を、少々持て余す。

「ミレイユ嬢の気持ちをあまりに無視したやり方ではあったと思う。それはすべて私の落ち度だ。ラファエルのせいではないよ。ラファエルは最初、ミレイユ嬢のことを理由に、縁組を辞退したのだから」
「ですが結局は、ラファエルは封爵と王女との婚姻に絆され、恋人を裏切ろうとしたのでしょう」
「ラファエルとミレイユ嬢の破局は、王女との婚姻のせいではないよ。彼女の父親が頑なに結婚を許さなかった。ラファエルの叙爵を条件にしながら、裏ではその叙爵の機会を潰していた。それを知ったラファエルの父親が結婚に否やを突きつけたのだ。ラファエルは、ミレイユが誰かに嫁ぐまでは、降嫁の話は具体化してくれるなと、父親にも釘を刺したそうだ」

 お気に入りの配下を庇うマルスランに、だがジュスティーヌは頑なであった。

「あれだけ、彼女を傷つけたのですよ?それなのに、ラファエルは王女との婚姻はないと、ずっと彼女に言い続けていたって。嘘ばかりではありませんか!」

 そんなジュスティーヌに、マルスランは言う。

「ミレイユの結婚を壊したのは彼女の父親だよ。ラファエルはミレイユに対する義理もあったのだろう。あいつの物堅さを考慮しなかったのは、私の失態だった」
「だいたい、ミレイユはどうなったのですか。例の、二十も年上の子爵と結婚させられるのですか?」
「ああ、あれはもちろん破談になったよ。いかにアギヨン侯爵の娘といえ、王族に刃を向けた女を妻にはできまい」
「そんな……っ」

 ジュスティーヌは、ミレイユのナイフが自身を狙ったものではないと知っていたけれど、だが状況的に、王族の前で刃物を振り回してしまったのだから、処罰は免れない。

「それでだ……お前の護衛の、セルジュと結婚させようと思って、それを伝えに来たのだ」
「セルジュ?」

 いきなり言われて、ジュスティーヌがぽかんとした顔をする。

「なぜ、セルジュなのです? なんだってそんな……」

 兄の考えがまったく理解できず、ジュスティーヌはまじまじと兄の顔を見る。そういえばここ数日、セルジュは護衛に入っていないが、それと関係しているのか。マルスランが悪戯っぽく笑って言う。

「世の中、広いようで狭いね。ミレイユがまだ下町に住んでいた時、近所に住んで家ぐるみで親しくしていたのが、セルジュとその母だったのだよ」

 ジュスティーヌが青い目を見開く。

「セルジュは騎士として身を立てたら、幼馴染みの少女に結婚を申し込むつもりだった。でも、セルジュがミレイユを見つけだした時には、すでにミレイユはラファエルと出会って恋仲になっていた。相手がラファエルならばと、セルジュは身を引いていたんだよ」
「それは……ミレイユはそのことは?」
「二人が離れ離れになって、もう十年以上たつ。ミレイユの方は、今でもセルジュに気づいていないらしい。セルジュはすっかり忘れられていることにショックを受けて、言い出せなかったそうだ」

 セルジュはミレイユの父親の名前も聞き知っていたけれど、幼かったミレイユはただ近所の「お兄さん」と呼んでいて、十年の年月を経て、身体つきも大きく変わってしまったセルジュがわからなくても、無理はない。
 
「でも……セルジュとの婚姻を、ミレイユの父上が承知なさるとは思えませんが」
「王族の前で刃物を振るったわけだから、アギヨン侯爵そのものが改易されても文句は言えない。その不祥事を公にしない代わりに、一部の領地をミレイユの持参金とした上で、王家が指定する者の妻に差し出させるのだから、まあ、破格の温情だと思うがね?」
 
 にっこりと微笑むマルスランの言う意味が、ジュスティーヌにはよくわからない。

「セルジュもまた、以前の砦攻めの功績に対して、きちんとした恩賞が支払えていない。ミレイユが持参金として持ってくる領地に少しだけ色を付けて、セルジュに男爵位を賜えば、立派な王臣が出来上がるわけだ。アギヨン侯爵の領地も減るし、一石二鳥だろう?」
 
 実質的にはアギヨン侯爵から領地を取り上げているのだが、表向きはミレイユの持参金の形を取っているので、不名誉は公表されない。ミレイユとしても一見、王家の言うままに、成り上がり者の許に嫁がせられるわけで、深い事情を知らなければ、表面的にはそれなりに罰則めいて見える。実際には幼馴染であるセルジュに懇請されて、王太子の信任厚い若い貴族に嫁げるわけだから、王太子としては、ミレイユ救済処置のつもりである。

「あとはお前が意地を張るのをやめて、大人しくラファエルの許に嫁いでくれれば、すべて丸く収まるのだが……」

 いかにも満足気に微笑むマルスランに、ジュスティーヌは呆れたような溜息をつく。

「まったく、どうしてそんな――ミレイユはラファエルが好きだったのですよ? ミレイユは嫁ぐことに納得しているのですか?」
「ミレイユも貴族の娘だ。自身の仕出かしたことと、その代償は理解しているだろう。ミレイユが幸せになるかどうかは、セルジュ次第だよ。……そしてラファエル本人は、特に何か悪い事をしたわけでもないのに、恋人は失うし、お前には振られて、踏んだり蹴ったりじゃないか。封爵の機会も逸したままだし……だいたい、ジュスティーヌ。お前を妻にと望む者は多い。いつまでも結婚しなければ、彼らに無駄な希望を与えることになる。――ラファエルならば、お前の気持ちを推し量り、無理を強いることはない。お前にとって、これ以上の良縁はないと思うのだが」

 ジュスティーヌはその指摘に唇を噛む。確かに、ラファエルは結果的にはミレイユを裏切った形にはなるが、もともとは王家の方から、ジュスティーヌの降嫁を打診しているのであって、ジュスティーヌが裏切りを責めるのはお門違いとも言える。それに、ジュスティーヌは自分の身体にある傷を、夫にも誰にも見せたくないと思っている。ラファエルならば、白い結婚であっても、次男だから後継者の心配もないのだ。
 
「そんな理由で――。要はラファエルに厄介者を押し付けているだけではありませんか」
「ラファエルは、別に白い結婚になろうとも、構わないとまで言っているのだ。今、お前の護衛を外され、遠ざけられたことで、罰は十分に受けている。これ以上、あいつを虐めると、すっかり心を病んでしまうぞ?」

 兄に脅しをかけられ、ジュスティーヌはぐっと言葉に詰まる。

「それにジュスティーヌ。お前だってラファエルは満更嫌いでもないのだろう?」 
「それは――」

 ジュスティーヌは唇を引き結んで眉間にしわを寄せる。王女らしからぬ表情ではあるが、それもまた愛らしいと、兄バカのマルスランは思う。

「毛並みのいい番犬を飼うくらいのつもりで、気軽に嫁に行ってこい。隣国と違って、いつでも王宮には遊びに来られるのだから」

 そう言われて、ジュスティーヌは溜息をつく。

「でも――とにかく、ミレイユが無事に結婚して、幸せになってからです。そうでなければ、わたくしは――」

 新しい一歩を踏み出すことができない――。
 その言葉を、ジュスティーヌは喉の奥に呑み込んだ。


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