上 下
35 / 86

35、夜の王宮

しおりを挟む
 王が挙行した大規模な狩猟に付随する王宮の舞踏会。夜の行事は基本、遠慮するジュスティーヌも、これは避けることはできなくて、濃紺に真珠を散りばめたドレスを纏い、静かに王宮の広間に現れた。

 金色の髪はサイドを編み込んで上半分だけ結って、そのほかは自然に背中を覆っている。胸高に締めた帯も金色で、手の込んだ銀糸の刺繍がシャンデリアの明かりに煌く。少し開いた首筋を飾るのは、瞳の色と同じサファイアの首飾り。貞潔を意味するその宝石が、儚げな風情によく似合っていた。

 ジュスティーヌの背後には、王家の紋章を織り込んだ、王宮騎士の青い制服を着たラファエルらが控える。容姿と言い立ち居振る舞いといい、王女に並ぶと絵のように似合いであった。

 国王の開幕の辞が終わると、白地に金糸の刺繍を散りばめた上着プールポワンに、白い脚衣を履いた王太子マルスランが、大きなお腹を抱えた王太子妃イザベルを伴っていったん、広間を退出する。イザベルを居室まで送って、その後もう一度、広間に戻る予定にしていた。

 王太子夫妻がいったん退出した後は、音楽が鳴り響いてダンスに移る。ダンスと言っても抱き合うように密着して踊るのではなく、せいぜい男女で手を繋いで、その場でステップを踏む程度の、良識あるものだ。

 ゆったりしたリズムの優雅な一曲を王と王妃が踊り終えれば、次はダンス巧者たちが技を競う、早いテンポの曲に移る。手拍子が打ち鳴らされ、翻る裾に歓声が上がる。壇上の椅子に座って、ジュスティーヌはそれを眺めている。

「一曲お願いできませんか」

 高位貴族の青年がジュスティーヌに声をかけるが、ジュスティーヌは静かに首を振る。隣国ではダンスなどする機会はなくて、帰国後にダンスの教師についてはいるが、まだ人前で踊る勇気はなかった。
 
 夜が更けるほどに、広間の熱気は高まっていく。だがその熱気に当てられたのか、ジュスティーヌは気分が悪くなって、そっと周囲に目配せして静かに席を立つ。すかさずラファエルが背後で手配して、広間近くに割り当てられた王女の休憩室へと下がった。

 



「人が多すぎて酔ってしまったみたい。お酒なんて一口も飲んでいないのに」
「姫様は注目を浴びていらっしゃったから。緊張なさったのでしょう。少し休憩なさいまし」

 侍女が熱いお茶を淹れ、ジュスティーヌに差し出す。

「しばらく、この部屋で休んでいるから、あなたたちも休憩してくれていいわ」

 ジュスティーヌに言われ、騎士たちも隣の控室に下がる。ラファエルは部屋の隅に控えているつもりだったが、騎士の一人が小さな紙に書いた言伝を渡してきた。それを見て一瞬、眉をひそめると、セルジュに頼んで少し抜けると言って部屋を出ていった。

 手紙はフィリップからだった。
 人気のない回廊の陰に、フィリップの姿があり、速足で近づく。

「何の用だ。俺は姫君の側を離れることはできないというのに」
「わかってはいるが、これが最後のチャンスなんだ。ミレイユに会ってくれ」
「ミレイユ? 来ているのか――」
「最後に、別れを言いたいと。それだけなんだ。頼む」

 ラファエルは眉を寄せるが、だが観念して、指示された庭園の方に急ぎ足で歩く。
 空に、月が出ていた。――今日は、姫君が水に映った月を見たがるかもしれない。早く、帰らなければ。
 
 四阿あずまやの柱の陰に、見慣れた人影を認め、一瞬、深呼吸した。

 ――かつては、愛しいと思った人。姿を目にすれば愛も蘇るかと思ったが、だが、今のラファエルには何の感慨も呼ばなかった。

「――ミレイユ。こういうのは、困る」
 
 ラファエルの足音に、ミレイユは振り返る。

「ラファエル――会いたかった」
「今日は姫君の警護で手が離せない。もう、戻らなければ――」

 ミレイユはラファエルに近づいて抱き着こうとするが、ラファエルはその手を拒んだ。

「こんなところで――誰が見ているかわからない。やめてくれないか」
「愛しているの。だから――わたくしを連れて、逃げて」
「は?」

 別れを告げるだけだと聞いていたラファエルは、予想外のミレイユの言葉に間抜けな声を出してしまう。

「逃げる? 逃げるってどこへ?」
「お父様が、年明けにもスール子爵の元に嫁げって。あなた以外の人は嫌。だから、わたくしのことを愛してくださっているなら、わたくしは何も望まないから――」
「な――何の話だ。俺は君が別れを言いたいだけだと聞いて――」

 すっかり及び腰のラファエルの腕をミレイユは掴んで、離れまいとするように言う。

「あなたさえいてくれれば、どんな貧乏も耐えられるわ。だから、お願い。わたくしを攫って逃げて!」
「ちょっと待ってくれ、何でそんなことになっているんだ、ミレイユ」
「わたくしのこと、愛しているんでしょ? だったら――」
「愛してはいるが、駆け落ちとか、とんでもない。俺は王家の騎士だ。王家に対する忠誠も責任も捨てて女と逃げるなんて、できるわけないだろう」
 
 呆れたように言うラファエルに、ミレイユが茫然とする。

「どうして――だって、わたくしのこと、愛しているって――」
「ミレイユ、落ち着いてくれ。自分が何を言っているか、わかっているか。たしかに君が好きだったけれど、物事にはいろいろと優先順位がある。俺は王家から代々、ジロンド領を預かる家に生まれた者としての責任があるし、王家に忠誠を尽くす義務がある。それは自分の愛だの、恋だのに優先すべきものだ。領民の生活だってかかっているのだから。君を選んで貴族としての責任を放棄することはできない」

 ラファエルにしてみたら、しごく真っ当なことを言っているつもりなのだが、頭に血が上ったミレイユは納得しない。

「どうして! 愛しているって言ったじゃない!――やっぱり、噂のとおり、姫君のことが!」
「しっ! ミレイユ、こんなところで大声を出さないでくれ。誰かに聞かれたら――」
「裏切り者! 一生、わたくしだけって言ったくせに! 嘘つき! 姫君に心変わりするなんて!」
「ミレイユ、姫君とは何でもないんだって! 大声を出すのはやめてくれ!」

 咄嗟にミレイユの口を大きな掌で覆い、暴れるミレイユを何とか宥めようとする。

「本当に姫君とは何もない。ただの護衛だ。――心変わりはしていない。誓いは守るつもりだったが、爵位を得られる当てもないし、君の父上の許しを得られない。君が結婚すると言うのを、俺には止める権利はないんだよ。わかってくれ」
「じゃあ、どこかに二人で逃げて――」
「うちの父も兄も、君との結婚は認めないと言われた。駆け落ちしたら勘当されるし、それは貴族としての責任を放棄することになる。俺は騎士として、貴族として、それはできない」

 はっきりと言われて、ミレイユの青い瞳に涙が浮かぶ。――ああ、この瞳の色が、好きだったのだと、ラファエルは思い出す。

「そんな――愛しているの。他の人は嫌。あなたが、あなたがいいの」
「ミレイユ――俺には力がなくて、申し訳ない。救ってはやれない」

 救ってやれると思っていた。あの家から。あの父親から。――でも、ラファエルは無力だった。

 ほろほろと涙を流し、ミレイユもようやく落ち着いたように見えたので、ラファエルは姫君の元に戻らなければと思い出す。

「ミレイユ、悪いが俺はもう行かなければ――」
「お願い。初めてはあなたがいいの。一度だけでいいから――ラファエル」

 何を要求されているのか一瞬、理解できなくて、ラファエルの動きが止まる。
 
「何を――言ってるんだ、ミレイユ」
「あんな二十も年上の男に触れられるのは嫌。せめて、初めては好きな人に捧げたいの。お願い――」

 ミレイユの瞳がラファエルの瞳を射抜く。

「それは――」

 数か月前であれば、ラファエルの心も動いたかもしれない。ずっと、ミレイユを愛していると、思っていたから。
 だが今、ラファエルの脳裏には、同じ青い瞳の人の姿が浮かぶ。彼女の涙、金色の髪、そして――ちらりと見た、傷だらけのあの白い背中。

 無理だ、とラファエルは思う。
 ミレイユを抱くことはできない。なぜなら――。

 ラファエルはすでに、姫を愛しているから。ずっと、心変わりはしていないと、思い込もうとしていたけれど、ラファエルは今、はっきりと自覚した。

 愛しているのは、ミレイユではない。水に映った月のように、永久に触れることのできない、あのひとなのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

つがいの皇帝に溺愛される幼い皇女の至福

ゆきむら さり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

全裸で異世界に呼び出しておいて、国外追放って、そりゃあんまりじゃないの!?

猿喰 森繁
恋愛
私の名前は、琴葉 桜(ことのは さくら)30歳。会社員。 風呂に入ろうと、全裸になったら異世界から聖女として召喚(という名の無理やり誘拐された被害者)された自分で言うのもなんだけど、可哀そうな女である。 日本に帰すことは出来ないと言われ、渋々大人しく、言うことを聞いていたら、ある日、国外追放を宣告された可哀そうな女である。 「―――サクラ・コトノハ。今日をもって、お前を国外追放とする」 その言葉には一切の迷いもなく、情けも見えなかった。 自分たちが正義なんだと、これが正しいことなのだと疑わないその顔を見て、私はムクムクと怒りがわいてきた。 ずっと抑えてきたのに。我慢してきたのに。こんな理不尽なことはない。 日本から無理やり聖女だなんだと、無理やり呼んだくせに、今度は国外追放? ふざけるのもいい加減にしろ。 温厚で優柔不断と言われ、ノーと言えない日本人だから何をしてもいいと思っているのか。日本人をなめるな。 「私だって好き好んでこんなところに来たわけじゃないんですよ!分かりますか?無理やり私をこの世界に呼んだのは、あなたたちのほうです。それなのにおかしくないですか?どうして、その女の子の言うことだけを信じて、守って、私は無視ですか?私の言葉もまともに聞くおつもりがないのも知ってますが、あなたがたのような人間が国の未来を背負っていくなんて寒気がしますね!そんな国を守る義務もないですし、私を国外追放するなら、どうぞ勝手になさるといいです。 ええ。 被害者はこっちだっつーの!

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【R18】国王陛下に婚活を命じられたら、宰相閣下の様子がおかしくなった

ほづみ
恋愛
国王から「平和になったので婚活しておいで」と言われた月の女神シアに仕える女神官ロイシュネリア。彼女の持つ未来を視る力は、処女喪失とともに失われる。先視の力をほかの人間に利用されることを恐れた国王からの命令だった。好きな人がいるけどその人には好かれていないし、命令だからしかたがないね、と婚活を始めるロイシュネリアと、彼女のことをひそかに想っていた宰相リフェウスとのあれこれ。両片思いがこじらせています。 あいかわらずゆるふわです。雰囲気重視。 細かいことは気にしないでください! 他サイトにも掲載しています。 注意 ヒロインが腕を切る描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

【R18】聖なる☆契約結婚

mokumoku
恋愛
東の聖女セラフィナは西の聖騎士クライドと国同士の友好の証明のために結婚させられる。 「これは契約結婚だ。……勘違いするな、ということです。この先、何があったとしても」 そんな夫は結婚初日にそう吐き捨てるとセラフィナの処女を「国からの指示だ」と奪い、部屋を出て行った。 一人部屋に残されたセラフィナは涙をポツリと落としはせずに夫の肩に噛みついた。 聖女として育ったわんぱく庶民セラフィナと謎の聖騎士クライドの契約結婚生活がはじまる。

処理中です...