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33、結婚の拒絶

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 数日ぶりに王宮に出仕したラファエルは、姫君の居間に伺候した。

「大変なご迷惑をおかけいたしました。お詫びのしようもございません」

 深く頭を垂れるラファエルに、ジュスティーヌはか細く微笑んで言った。

「いいえ、あなたのせいではないわ。あんなことになって、あなたが辞めると言ったと聞いて、驚いたわ。あなたはずっと、わたくしに仕えると誓ってくれていたのに――」
「それは、俺の忠誠は変わるところはありませんが、しかし、姫を守り切れなかったわけで、騎士としてケジメが必要と考えたのです」

 数日、高熱を発していたジュスティーヌは、まだ本復ではないのか、普段よりもさらに儚げであった。
 
「その――少し、聞きたいことが」

 ジュスティーヌは言いにくそうに瞼を伏せると、侍女を少し遠ざけ、セルジュら他の護衛に部屋から下がるように言う。部屋にはソファに座るジュスティーヌと、その前に跪くラファエル、そして話が聞こえない程度の距離を置いて、侍女と乳母が控える。人の耳を憚る話だと気づき、ラファエルが一歩前に出、ジュスティーヌに近づく。ふと、湖の中で抱きしめた細い肢体を思い出し、ラファエルはごくりと唾を飲み込んだ。――姫に対し邪心などあるはずもないのに、男の劣情は忠誠心とは別の源に発するものであるらしい。

「あの時、わたくしのその、ドレスを脱がせましたね」
 
 咎めるような言葉に、ラファエルは頭を下げた。

「申し訳ありません、お叱りはいかようにも。水を吸って重くて……それ以外にお助けする方法が、咄嗟に浮かばなくて……」
「いえ、それはいいのです。ただ――わたくしの、肌を見ましたか」

 はっとして顔をあげれば、辛そうに俯くジュスティーヌの横顔が目に入る。

「いえ――」 
  
 嘘である。松明に照らされて、一瞬だがジュスティーヌの傷だらけの背中を目にしていた。だが、ここであくまで嘘をつくのもよくない気がした。

「その――姫の、お背中を、少し……申し訳ありません」
「背中、だけ?……他の、方も?」

 ジュスティーヌは一時、気を失っていたから、あの時の状況を知りたいのだと気づく。

「はい。舟の中にいた女性には、マントを広げてすぐに姫君を覆うように頼んでいて、マントに遮られて見えなかったはずです。男性と船頭は、舟のバランスを取るために、舟の反対側に立っていましたから、やはり、何も見えていないはずです」
 
 ラファエルの返答に、ジュスティーヌはほっとしたように息を吐いた。

「そう、よかった――。傷のことは、誰にも?」
「もちろんです。今、口に出したのが、初めてです」
「そう――お母様や、お姉さまには言わないで。きっと、悲しまれるから――」
「全て、墓の下まで持ってまいる所存です」
「それともう一つ――あなたとわたくしのことが、噂になっているとか」

 ああ、やはり、とラファエルは思う。

「申し訳ありません。姫君にも、また王家にも大変なご迷惑を――」
「そうではなくて、わたくしの方こそ、あなたに迷惑をかけることになって、申し訳なく思っています」
「いえ。俺の方は何とも――」
「お兄様より聞きました。わたくしを、あなたに降嫁させるつもりであると」

 ラファエルがはっとして、顔をあげた。

「そのお話は――」
「あなたの父上からは了承を得ていると。でも、わたくしは誰にも嫁ぐつもりはないのです」
「降嫁の件は、姫君のご希望のとおりになさってください。俺は、王家の決定に従うまでです」

 ラファエルの返答に、ジュスティーヌは少し気まずい様子で顔を背ける。

「その、あなたが嫌いとか、そういうのではないのです。お兄様はご存知ないかもしれませんが、わたくし、とてもではありませんが、どなたかの妻になれるような、そんな身体ではないのです」

 ラファエルは、返答のしようもなくて、ただ無言でジュスティーヌの白い顔を見上げる。

「あの、背中の傷だけでなくて、もっと、人に見せられない場所まで――そんな身体で夫に仕えることはできません」
「姫――俺は、降嫁の件に関わらず、姫には生涯、忠誠を尽くすと誓っております」
「ラファエル――それにわたくしは男性が怖い。舟の上であの男に掴まれて、恐ろしくてたまらなかった。――もう、あんな思いはしたくない。わたくしは妻の役目を果たすことができないのです」
 
 そう言って、ジュスティーヌは俯いて涙を零す。ラファエルは胸がぎゅっと締め付けられた。

「ですから、あなたの元に嫁したところで、あなたに迷惑しかかけられない。だから――」
「姫――俺は、姫を生涯お守りすると決めています。お側にいられる以上のことは望みません。姫は、ただ姫が望まれるように、生きればよろしいのです。俺はただ、それをお守りできれば、それ以上の幸せはありません」

 ラファエルの言葉に、ジュスティーヌはそっと目尻の涙を拭う。

「ごめんなさい。おかしなことを言って――。あんなことになったけれど、舟に乗せてくれてとても嬉しかったわ。ありがとう」
「勿体ないお言葉です」

 ラファエルは頭を下げる。それを見て、ジュスティーヌは改めて微笑んだ。
 透きとおるような、微笑み。儚くて、哀しくて、胸が痛い。――その胸の痛みの理由が、結婚をはっきりと拒否されたせいだとは、ラファエルは自覚していなかった。




 ジュスティーヌが隣国に嫁いだとき、まだ初潮も訪れていなかった。
 大公はその時すでに五十を超え、嫡出庶出問わず、子供は全てジュスティーヌより年上で、孫が二人もいた。
 先妻はとうに死に、長年連れ添った愛妾の他にも何人も愛人がいるという。子供というより孫のようなジュスティーヌと大公の結婚はただの名目であり、ジュスティーヌはお飾りの妻として放置されるだろうと、周囲は考えていた。不幸な結婚には違いないが、国同士の政略結婚にはよくあるとこと。

 それが、甘すぎるほど甘い期待であったと知らされるのは、隣国の公宮に入ったその夜のこと。

 夫だという壮年の男は、背は高く髪はまだ艶があったが、太って腹が出ていた。そしてギラギラと異様な光を放つ黒い瞳で、じっとジュスティーヌを見つめる。口髭の陰で赤い舌が蠢いた。
 
『ようやく手に入れた、幼い姫よ。――今宵からそちは余のものだ』

 四角い中庭のある離宮に押し込められ、ジュスティーヌの悲鳴も夢も、すべて圧殺された。
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