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32、ミレイユの縁談

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 傷心のミレイユに、父のアギヨン侯爵は容赦なかった。

「十日後に、スール子爵を我が家に招く。そのつもりにしておくように」

 夕食の席で冷酷に告げられ、ミレイユは思わず銀のスプーンを取り落としてしまう。

「なんだ、所詮、妾の子と言われぬよう、作法だけは気をつけよと申しておるのに」

 不機嫌そうに黒い眉をひそめる父に、勇気を振り絞ってミレイユが口答えする。

「申し訳ありません。ですが……スール子爵はもう四十を過ぎていて、長く連れ添った愛人もいるとの噂です。そんな方に嫁ぐのは……」
「二十くらいの年の差はどうってことあるまい。例の末姫は、十二歳で五十過ぎの男に嫁いだのだぞ? スール子爵の愛人は平民で、妻にはなれぬ。病身だった奥方がようやく死んで、正妻が必要なのだ。寡婦手当もしっかり分捕ってこれそうな歳の差だし、願ったりかなったりではないか。庶子のお前にはもったいないような話だ」

 ピシャリと切り捨てられ、さらに嘲るように言われた。

「例のジロンドの小倅は、ようやくお前を諦めたのかと思ったら、どうやらその、末姫に釣り上げられたようだな。噂では、さんざんに嬲り者にされて子も望めぬ姫君だそうだが、陛下もちょうどいい厄介払いの先を見つけたものよ。所詮、領地を持参金に釣られて、ホイホイ、尻尾を振る浅ましい男だ」
「まさか、ラファエルは王女とは何もないと……!」

 ムキになって反論しようとするミレイユを、アギヨン侯爵は鼻で嗤う。

「あれだけの騒ぎを起こしておきながら、護衛騎士を解任されていないのが、いい証拠だ。あるいはとっくにデキているのかもしれん。お前にどんな甘い言葉を囁いていたかは知らんが、所詮は封爵と王家との繋がりに転ぶ、安い男だったのだ。さんざんその気にさせられた挙句、お前は裏切られて、捨てられたのだ。諦めて、スール子爵のもとに嫁げ。これ以上婚期が遅れれば、修道院に放り込むぞ」
「お父様……」

 ひどい言われように、涙で視界がにじむ。
 違う。ラファエルはそんな人じゃない。彼は王女とはなんでもないと言っていた。ずっとミレイユと結婚するつもりだったと――。

 その機会を潰したのは父自身ではないか。どうして、父のために、二十も年上の男に嫁がねばならないのだ。そんな目に遭うくらいなら、死んだほうがマシだ。――ああ、何もかも失ってもいいから、ラファエルが自分を攫ってくれたら――。

 ラファエルが。ラファエルだけが。彼だけがミレイユを愛し、ミレイユを救ってくれる。
 彼を失ったら、もう生きていく意味もないのだ。

 ラファエルだけ。ラファエルさえ側にいてくれれば、他は何もいらない――。
 

 
 
 
 

 ミレイユは、夜に帰宅した異母兄のフィリップを、玄関で呼び止める。

「お兄様、お願いがあるの」
 
 どこか、すわったような目をしたミレイユを見て、フィリップが眉をひそめる。

「なんだ、ミレイユ。――ラファエルのことなら、俺にももう、どうしようもないぞ?」
「どうしても会いたいの。何とか、機会を作って欲しいの。もうすぐ、陛下主催の狩があるわ。それにはさすがに、末の姫君も参加されるでしょう? だったら、ラファエルも出てくるわ」
 
 毎年、秋に、王は郊外の森に貴族たちを集めて狩猟を催す。夜には舞踏会も行われ、王家の威信を示す重要な行事である。隠居した王太后ですら、夜の舞踏会には参加する。喪中とはいえ、末の姫が出ないはずはなかった。

「ラファエルは姫の護衛として周辺に張り付くことになる。ほとんど時間は取れないと思うがな」
「ほんの少しでいいの。お願い、お兄様」

 結局絆されて、フィリップはミレイユの頼みを引き受けてしまう。 
 
「ありがとう、お兄様。――最後に、お別れを言いたいだけなの。それから、愛しているって、わたくしの気持ちを伝えて――そうしたら、すべて諦めて、お父様の言う通りに嫁ぐわ」
「ミレイユ――」

 ミレイユは信じていた。
 ラファエルは自分をまだ愛している。自分が頼めば、きっと、全てを捨てても自分を選んでくれるはずだと――。
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