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番外編 聖地巡礼
恭親王の苦労話
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〈街道〉は太陽宮、そして陰陽宮への道を貫く聖地のメインストリートだが、四辻を抜けると途端に整備が悪くなる。馬車は悪路にガタガタと揺れ、時おり大きな穴に嵌ってバウンドした。そのたびにエールライヒがバサバサと羽ばたいて、黒い羽根が馬車の中に散る。
「ひどい道だねぇ。何とかならないの?」
「この道を馬車で通る者はそれほどいないのだろう。巡礼者は徒歩か、せいぜいロバに引かせた車だったりするからな。五体投地していれば、多少の凸凹などどうでもいいだろうし」
ユリウスの苦言に、恭親王が言う。
「だが、〈街道〉の整備費として私の個人資産から寄付してもいいな。巡礼者用の救護施設なども必要かもしれない」
車窓から見える巡礼者たちの様子を目で追いながら、恭親王は考えていた。さっきも、怪我をして動けなくなった巡礼者を一人、ランパの馬に乗せて近くの尼僧院まで運ばせたのだ。そのおかげで少しばかり旅程が押していた。
「まあ、巡礼の途中で死んでも、それは聖山プルミンテルンによばれたためだと、名誉にとらえるのが普通でございますからね」
ゲルの言葉に、恭親王が精悍な眉を顰める。
「だからと言って、倒れている者を見過ごしにはできまい」
「殿下は昔から、下々の者にはお優しいですからね」
ゲルが微笑んだ。ゲルは三十六歳、恭親王の副傅としてずっと傍らに仕えてきた。傅役というのは通常、皇子が生まれてすぐに付けられ、皇子の教育、生活全般に責任を持つ。成人後の皇子のプライベートや家計をも管理し、毎年の巡検では皇子と艱難を共にする。まさに水と魚のように、一体のものとして皇子の人生に寄り添うのである。それだけに、傅役の皇子に対する思い入れもまた、深いものとなる。
「これから尋ねるジーノというのは、亡き兄の傅役だったのだ。兄が死んだ後、その御霊を弔うために、出家して聖地に入ったのだ」
恭親王がユリウスに説明する。恭親王は第十五皇子だが、すぐ上の第十四皇子の成郡王という一つ違いの兄と、一番仲がよかった。
「……といっても、落馬する前の私はアイリンを虐め倒していたらしいから、とりあえず、落馬して頭を打って十二歳以前の記憶をまるっと忘れてしまってからの私にとっては、という限定がつくが」
「成郡王殿下は母君の生まれがやや低うございましてね。後宮でも冷遇されておられたのですよ」
揺れる馬車の中で、魔法瓶から注いだ温かい緑茶のカップをユリウスに手渡しながら、ゲルが言う。
「……その、兄上というのはどうして亡くなったの?」
「魔物に喰われた」
ぶほっと熱い緑茶を噴き出しそうになって、ユリウスは慌てて言う。
「帝都に住んでる皇子がどうしてそんな目にあうのさ!」
「十五歳になって成人すると、皇子は皆、巡検といって魔物狩りのために辺境を回るのだ。その時、北のベルン河畔で一緒に異民族に拉致されたのだ。北の異民族は魔物を崇拝する民族で、その首長には魔物が憑依していた。そいつの大好物が〈王気〉なんだ。〈王気〉を吸い取られ過ぎると魔力が枯渇し、そのまま命の素が涸れて死んでしまうのだ」
壮絶な話にユリウスは暫し茫然とする。恭親王が肩に止まる愛鷹を指差して言った。
「エールライヒは虜囚になっている時に、族長に強請ってもらったのだ」
「……強請るって?」
「生き残るためにはいろいろと必要なこともあるのだ。幸い、見かけだけはよかったからな」
何となくそれ以上は聞きたくなくて、ユリウスは話題を変えた。
「それが、君が殲滅したという、北の異民族?」
「そう……最終的には、帝国の軍隊が助けに来たからね。でも、捕まった三人の皇子の中で、現在生きているのは私だけだ」
「……他は魔物に?」
「魔力が枯渇すると、まず生きる気力がなくなる。一人は自殺したよ。アイリンは帝都には帰れたけれど、治療の甲斐なく死んでしまった。その二人は母親の身分が低いから、もともと〈王気〉があまり強くなかったからな。私は魔力量は多いし、成長期で日々、魔力がすごい勢いで増えている時期だったのと、族長に媚びを売っておいたおかげで、極限までは吸い取られずにすんだ」
ユリウスは淡々とした表情で語る恭親王の顔をじっと見た。今でも見惚れるほどに美しいが、少年期のころは妖しいほどの美貌だったのではないかと、ユリウスも思った。
ユリウス自身も、その手の性癖を持つ男たちに言い寄られたことは幾度もある。とくに髪を伸ばしていることもあり、ユリウスがそちらの筋の人間だと誤解する者までいるくらいだ。
だが幸いにも、彼は身分も財産も、また周囲の者にも恵まれていて、被害に遭ったことはない。
この友人とて、さらに高貴なる血を享けて生まれ、多くの者たちに守られて育って来たはずなのに、人生とは意外なところで突如牙を剥いてくるものらしい。
「君が相当な経験を積んでいることは予測はしていたけれど……そんな目にまで合っていたの」
「まあな。〈恭親王殿下の苦労話千夜一夜〉ぐらいにはなりそうだな。半分くらいは女の経験の自慢になると思うけれど」
「僕が今さっきした同情を返してくれるかな?」
「そのくらいでガタガタ騒ぐなよ。だからおぬしはケチだと言うんだ」
ユリウスと恭親王のくだらない漫才に、エールライヒがバサバサと翼を羽ばたく。
「退屈になったか?少し散歩するか?」
恭親王が馬車の窓を開けてやると、エールライヒは小雪のちらつく冬空に飛び立っていった。
「ひどい道だねぇ。何とかならないの?」
「この道を馬車で通る者はそれほどいないのだろう。巡礼者は徒歩か、せいぜいロバに引かせた車だったりするからな。五体投地していれば、多少の凸凹などどうでもいいだろうし」
ユリウスの苦言に、恭親王が言う。
「だが、〈街道〉の整備費として私の個人資産から寄付してもいいな。巡礼者用の救護施設なども必要かもしれない」
車窓から見える巡礼者たちの様子を目で追いながら、恭親王は考えていた。さっきも、怪我をして動けなくなった巡礼者を一人、ランパの馬に乗せて近くの尼僧院まで運ばせたのだ。そのおかげで少しばかり旅程が押していた。
「まあ、巡礼の途中で死んでも、それは聖山プルミンテルンによばれたためだと、名誉にとらえるのが普通でございますからね」
ゲルの言葉に、恭親王が精悍な眉を顰める。
「だからと言って、倒れている者を見過ごしにはできまい」
「殿下は昔から、下々の者にはお優しいですからね」
ゲルが微笑んだ。ゲルは三十六歳、恭親王の副傅としてずっと傍らに仕えてきた。傅役というのは通常、皇子が生まれてすぐに付けられ、皇子の教育、生活全般に責任を持つ。成人後の皇子のプライベートや家計をも管理し、毎年の巡検では皇子と艱難を共にする。まさに水と魚のように、一体のものとして皇子の人生に寄り添うのである。それだけに、傅役の皇子に対する思い入れもまた、深いものとなる。
「これから尋ねるジーノというのは、亡き兄の傅役だったのだ。兄が死んだ後、その御霊を弔うために、出家して聖地に入ったのだ」
恭親王がユリウスに説明する。恭親王は第十五皇子だが、すぐ上の第十四皇子の成郡王という一つ違いの兄と、一番仲がよかった。
「……といっても、落馬する前の私はアイリンを虐め倒していたらしいから、とりあえず、落馬して頭を打って十二歳以前の記憶をまるっと忘れてしまってからの私にとっては、という限定がつくが」
「成郡王殿下は母君の生まれがやや低うございましてね。後宮でも冷遇されておられたのですよ」
揺れる馬車の中で、魔法瓶から注いだ温かい緑茶のカップをユリウスに手渡しながら、ゲルが言う。
「……その、兄上というのはどうして亡くなったの?」
「魔物に喰われた」
ぶほっと熱い緑茶を噴き出しそうになって、ユリウスは慌てて言う。
「帝都に住んでる皇子がどうしてそんな目にあうのさ!」
「十五歳になって成人すると、皇子は皆、巡検といって魔物狩りのために辺境を回るのだ。その時、北のベルン河畔で一緒に異民族に拉致されたのだ。北の異民族は魔物を崇拝する民族で、その首長には魔物が憑依していた。そいつの大好物が〈王気〉なんだ。〈王気〉を吸い取られ過ぎると魔力が枯渇し、そのまま命の素が涸れて死んでしまうのだ」
壮絶な話にユリウスは暫し茫然とする。恭親王が肩に止まる愛鷹を指差して言った。
「エールライヒは虜囚になっている時に、族長に強請ってもらったのだ」
「……強請るって?」
「生き残るためにはいろいろと必要なこともあるのだ。幸い、見かけだけはよかったからな」
何となくそれ以上は聞きたくなくて、ユリウスは話題を変えた。
「それが、君が殲滅したという、北の異民族?」
「そう……最終的には、帝国の軍隊が助けに来たからね。でも、捕まった三人の皇子の中で、現在生きているのは私だけだ」
「……他は魔物に?」
「魔力が枯渇すると、まず生きる気力がなくなる。一人は自殺したよ。アイリンは帝都には帰れたけれど、治療の甲斐なく死んでしまった。その二人は母親の身分が低いから、もともと〈王気〉があまり強くなかったからな。私は魔力量は多いし、成長期で日々、魔力がすごい勢いで増えている時期だったのと、族長に媚びを売っておいたおかげで、極限までは吸い取られずにすんだ」
ユリウスは淡々とした表情で語る恭親王の顔をじっと見た。今でも見惚れるほどに美しいが、少年期のころは妖しいほどの美貌だったのではないかと、ユリウスも思った。
ユリウス自身も、その手の性癖を持つ男たちに言い寄られたことは幾度もある。とくに髪を伸ばしていることもあり、ユリウスがそちらの筋の人間だと誤解する者までいるくらいだ。
だが幸いにも、彼は身分も財産も、また周囲の者にも恵まれていて、被害に遭ったことはない。
この友人とて、さらに高貴なる血を享けて生まれ、多くの者たちに守られて育って来たはずなのに、人生とは意外なところで突如牙を剥いてくるものらしい。
「君が相当な経験を積んでいることは予測はしていたけれど……そんな目にまで合っていたの」
「まあな。〈恭親王殿下の苦労話千夜一夜〉ぐらいにはなりそうだな。半分くらいは女の経験の自慢になると思うけれど」
「僕が今さっきした同情を返してくれるかな?」
「そのくらいでガタガタ騒ぐなよ。だからおぬしはケチだと言うんだ」
ユリウスと恭親王のくだらない漫才に、エールライヒがバサバサと翼を羽ばたく。
「退屈になったか?少し散歩するか?」
恭親王が馬車の窓を開けてやると、エールライヒは小雪のちらつく冬空に飛び立っていった。
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