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21、再生の光

運河

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 船がソリスティアに到着すると、港は熱狂に包まれた。二百年ぶりの〈聖婚〉の夫婦がソリスティアに降り立つ記念すべき場に立ち会おうと、ソリスティアの市民はもちろん、近隣の街からも人々が押し寄せていた。
 それらの群衆は、聖地の〈港街〉で総督別邸の門前に押し掛けた群衆の数を遥かに超えていた。港をびっちり取り囲む膨大な人間の群れに、修道院育ちのアデライードは恐怖を感じて、思わず横に立つ恭親王に縋りついた。左肩に鷹のエールライヒを止まらせた恭親王は、優しく右腕でアデライードの腰を抱き、安心させるように耳もとで囁く。甲板に立つ二人の仲睦まじい様子を遠目にみた群衆は、さらに熱狂的に歓呼の声をあげた。

「あの絵と全然違うじゃないの!誰よ、総督は筋肉男だって言ったの!」
「すごい美男美女!龍騎士と始祖女王様の生まれ変わりみたい!」
「〈狂王〉で処女殺しって噂の総督だけど、美少女新妻にメロメロじゃないか」

 港の運河の入口には、簡易なゲートが用意され、薬玉が下げられていた。船が通るのに合わせて薬玉が割られ、キラキラと紙吹雪が舞う中を、船が進んでいく。

「こういう趣向は、誰が準備するんだ?」
「港の市民層がエンロンに申し出て、一応、ゲルさんの許可が出てるって聞いたっス」

 ゾラとゾーイが歓迎ぶりに感心する。

「さすがに、ここまでやられると、少し恥ずかしいな」

 薬玉の紙吹雪を浴びながら恭親王が呟くのに、アデライードも羞恥で真っ赤になる。

「殿下、少しぐらいサービスしてあげたら? 市民も娯楽に飢えてるんすよ」

 ゾラに促され、恭親王はアデライードの顎を指で持ち上げると、唇を合わせた。鷹のエールライヒがふわりと飛び上がり、二人の頭上を旋回する。
 瞬間、周囲の群衆が地鳴りのようにどよめき、悲鳴と歓声がこだまする。ピューピューと口笛も鳴り響くなか、ゆっくりと口づけて顔を上げると、恭親王は余裕綽綽で群衆の歓呼に手を振って応え、アデライードは真っ赤になって両手で頬を覆って俯いた。その初々しい仕草に、また群衆は狂喜した。

 だが恭親王は首筋に危険の信号を感知した。この状況で来るならどこか。運河は広い港を過ぎて、家々の軒間近を通り過ぎる。花を飾った窓々からも、人々が船を覗き込んで手を振っている。だが、一際高い窓から、恭親王は不穏な気を察知した。

 ピギャー。鷹のエールライヒが甲高い鳴き声を上げてバサバサと羽ばたく。

 窓から矢が射られるのを、恭親王は左手の〈聖剣〉を呼び出して瞬時に斬って落とす。十数本の矢が瞬く間に恭親王によって防がれるのを、群衆は当初、理解できずにただ見ていた。

「殿下、ご無事ですか?」
「全て防いだ。あの窓だ、即刻、捕縛に向かわせろ」

 ゾーイに短く命令すると、左手の剣を掌に納める。ゾーイが信じられないものを見る目で凝視するのを無視し、アデライードを抱き寄せ、再び群衆に手を振って応えた。
 一部の群衆が、「総督様の手から剣が出てきて、また手の中に消えた」と騒ぎだしたが、総督が早業で剣を抜いた説と、総督の趣味は手品説に分かれて落ちついた。

 それが総督の左手に収納される〈聖剣〉であることは、その夜の陰陽宮による布告で、ようやく公にされる。

 警備隊と恭親王直属の暗部によって刺客が捕縛される間も、船は粛々と運河を行き、ソリスティア市民の目に〈聖夫婦〉の姿を焼き付ける。儚げで可憐な王女と、美貌の総督という容姿をも、恭親王は積極的に利用するつもりでいる。

 彼は今まで、自分の容姿を積極的に政治利用したことはなかった。北方辺境で異民族の虜囚となった時に、部下たちの命を救うために族長を誘惑した時くらいである。あとはせいぜい、廉郡王や詒郡王との悪い遊びの際に、女を容姿で誑かして引っ掛ける時くらいしか、利用していない。天からもらったこの、無駄な見かけの良さを、もっと有効活用しようと恭親王は開き直ったのだ。

 〈聖剣〉の出現は、動乱の避けられぬことを予言するものである。アデライードという唯一無二の番(つがい)を得た彼は、利用できるものは全て利用してでも、アデライードを守るつもりでいた。

 総督府の船着き場には、正傅のゲル以下、トルフィン、エンロン、そしてアデライードの異母兄レイノークス伯ユリウスが出迎えていた。総督府と別邸に陣営を分けざるを得なかった異常事態がようやく正常化された。東の皇子としてのソリスティア総督ではなく、西の王女の夫であるソリスティア総督として、彼はここから、二千年間禁忌とされてきた、西の政体への干渉を行っていくことになる。




 その夜は総督府の官人に対する結婚のお披露目の宴を張る予定であった。恭親王とアデライードは宴が始まるよりかなり早い時間に正装に身を包み、総督府の大広間に並んで立っていた。ゾラとゾーイが護衛として同席し、トルフィンが手配したソリスティアの絵師が正面で絵筆を取る。

 絵師はソリスティアで、現在新進気鋭の絵師として売り出し中だ。恭親王がいくつかの絵師を比較して、精緻で写実的な画風を気に入って選んだ。恭親王の注文はただ一つ。

「そのまま本物そっくりに描けばいい。十分美しいから」

 端麗な顔に余裕のある微笑を浮かべて言われ、絵師は背中に汗をかいた。どちらも、言うだけはある美男美女だ。ざっざっといくつかのポーズでラフを描いて、絵師は一つだけお願いをした。

「〈聖夫婦図〉を細密画ミニアチュールにして売るとおっしゃいましたが、もう一枚、絵をつけたいのですが」
「……オマケにもう一つ絵を着けるということか?」
「はい。龍騎士と始祖女王様の〈時の泉〉での出会いをモチーフに。お二方は俺が頭に描いていた、龍騎士と始祖女王様のイメージにドンピシャなんです!」

 咄嗟に、恭親王とアデライードは、あの鍾乳洞の中の〈時の泉〉を思い浮かべ、そんな絵が喜ばれるとは思えないなと考え、思わず顔を見合わせたのだが、とりあえず絵を見てから可否を決めればいいかと、了承することにした。

「少し、値段が高くなってもいいから、丁寧な造りにするんだ。販売はフェラール家に委託するつもりだが、二三の店で売らせてもいいと思っている」

 赤字は覚悟の上、という恭親王の太っ腹な言葉に、絵師は、ではこの金の飾緒も本物の金線が使えるぞと、ニンマリする。恭親王がただ、美しい妻を自慢したいだけだなどとは、考えもしなかった。
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