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21、再生の光
ユリウスの自棄酒
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対岸のソリスティア総督府では、港を見下ろせる大広間のテラスで、ついに届いた松明を見ながら、花嫁の兄レイノークス辺境伯ユリウスが自棄酒を呷って管を巻いていた。
「あああ、僕の大切なアデライードがっ! あんなっ!変態エロ皇子に! あんなことや、こんなことやされているのかと思うとっ!」
ダルバンダルの大都督である詒郡王が、半ば呆れながら慰める。
「まあまあ、いいじゃないか。ああ見えてもユエリンは上手いからな。妹御もきっとそんな痛い目には合っていないよ。下手くそな男だと本当に辛いと言うぞ、よかったじゃないか」
「何がいいものか! あああ、きっとあの鬼畜な男のことだ、純情な僕には想像もつかないようなすごい責め苦を与えているに違いない」
その場に同席しているのは、正傅のゲルとその夫人、副総督にして侍従文官のエンロンとその夫人二人、侍従文官のトルフィン、トルフィンの許嫁であるミハル。侍女が足りないこともあって、その夜はゲルの妾であるマーヤも侍女として立っていた。
二人の会話を、周囲はやや眉を顰めて聞いている。一人、ミハルだけがよく意味がわからない。
ミハルは、隣にいたトルフィンにぽそっと話しかけた。
「トルフィン兄様……上手いとか、下手くそとかって何のことですの?」
白葡萄酒のグラスを口に運んでいたトルフィンが、ぶほっと噴いた。
「ばっ……それは……その、なんだ、お前は知らなくてもいい!」
そういう言われ方をすると、気の強いミハルは余計に腹が立ってくるのである。
「何ですの! 馬鹿にして! そういうトルフィン兄様は上手いんですの? 下手くそなんですの?」
「だから! もうやめろっての!」
二人が隅っこでこそこそと言い争っていると、詒郡王がくるりと振り向いて言った。
「おい、トルフィン。あの松明に二人で愛を誓うと、一生幸せでいられるとかいうそうだぞ。そのご令嬢とはちゃんと誓ったのか?」
「えっあっ、いや、その……」
トルフィンがしどろもどろになるのに、ゲルは詒郡王に尋ねた。
「そんな言い伝えがあるのですか」
「そう、〈聖婚〉の歳に結婚すると幸せになるというのもあって、ダルバンダルの太陽神殿も、今年は予約がいっぱいだそうだ」
「素敵ですわね、あなた」
ゲルの夫人が夫に微笑みかける。その腹は丸く膨れて、今にも生まれそうだ。
「今夜は夜通し屋台が出て、街は騒ぎ続けるらしい」
「もともと冬至の夜はそんなんだが、今年は二百年ぶりの〈聖婚〉だからなあ」
詒郡王がにやにや笑う。ダルバンダルは東方人と西方人が混住する街なので、彼は西のしきたりにも詳しいのだ。
「殿下が聖地からお帰りなるのはいつごろになりますの?」
「だいたい、九の刻(午後四時)とのことだ。街の商人が薬玉を割りたいと言ってきたので、許可を出したが、殿下が何と仰るか、少し心配なのだ」
「まあ、では街の人が出迎えに出ますの?」
「恒例ではそうだという話なのだが、何せ二百年ぶり故、よくわからぬ」
どうやら港には〈聖婚〉夫婦を一目見ようと、市民が押し掛けるらしい。ゲルはすでに警備の手配を済ませていた。明日の夜は、総督府の官人を集めての披露目の宴を張ることになっている。
「詒郡王殿下はそれにはおいでになりませんの?」
「残念だが、東西の王家は関わってはならないという決まりでね。俺は明日の朝帰るよ。ユエリンにはおめでとうと言っておいてくれ」
詒郡王が笑う。
「ああそうだ、トルフィン、絵師の手配はどうなっている」
ゲルに話を振られて、トルフィンがはっとする。
「あ、はい。それについてはもう、済んでいます」
「絵師?」
詒郡王が聞き返す。
「はい。殿下がご夫婦の絵の公認したものを売り出すと……」
「何だってそんな……」
東では、皇子の顔などを民衆に晒すようなことはしない。
「何でもまったく似ていない絵姿が、聖地に広まっているとかで……。今後、姫君の女王即位を要求する上でも、殿下の姿が誤解されているのはよろしくないとお考えのようです」
「ほう……」
〈狂王〉のイメージが独り歩きすれば、それを夫に持つアデライードも不利になる。女王の夫は執政長官になるのだから、狂暴な脳筋では困る、と考えるのが普通だ。恭親王は間違ったイメージを払拭しなければならない。
「何にせよ、明日、殿下がお帰りになれば、その後は忙しくなるぞ。新年の儀もあるというのに、殿下は蜜月を満喫すると、すでに宣言されておられるからな」
ゲルの一言を聞いて、ユリウスが再び悶え始める。
「くっそー! あのエロ皇子め! 蜜月期間にアデライードにあんなことやこんなことをして、アデライードをアンアン言わせるつもりに違いない!」
「ユリウス卿、ご婦人方もいらっしゃるのですから、少しお言葉に気をつけてください……」
さすがに聞くに堪えかねたトルフィンが、立っていって耳打ちする。この調子で喚かれて、ミハルに「あんなことやこんなことって何?」なんて聞かれても困る。
「うるさい、トルフィン! お前だって許嫁といちゃいちゃしやがって! 飲め! 僕の領地の葡萄酒が飲めないって言うのか!」
完全に出来上がっているユリウスが今度はトルフィンに絡み始める。
聖地に発した松明は、海を越えてソリスティアより東西に広がって海沿いの街を連なる。
再生の光に、その夜人々は酔いしれた。
「あああ、僕の大切なアデライードがっ! あんなっ!変態エロ皇子に! あんなことや、こんなことやされているのかと思うとっ!」
ダルバンダルの大都督である詒郡王が、半ば呆れながら慰める。
「まあまあ、いいじゃないか。ああ見えてもユエリンは上手いからな。妹御もきっとそんな痛い目には合っていないよ。下手くそな男だと本当に辛いと言うぞ、よかったじゃないか」
「何がいいものか! あああ、きっとあの鬼畜な男のことだ、純情な僕には想像もつかないようなすごい責め苦を与えているに違いない」
その場に同席しているのは、正傅のゲルとその夫人、副総督にして侍従文官のエンロンとその夫人二人、侍従文官のトルフィン、トルフィンの許嫁であるミハル。侍女が足りないこともあって、その夜はゲルの妾であるマーヤも侍女として立っていた。
二人の会話を、周囲はやや眉を顰めて聞いている。一人、ミハルだけがよく意味がわからない。
ミハルは、隣にいたトルフィンにぽそっと話しかけた。
「トルフィン兄様……上手いとか、下手くそとかって何のことですの?」
白葡萄酒のグラスを口に運んでいたトルフィンが、ぶほっと噴いた。
「ばっ……それは……その、なんだ、お前は知らなくてもいい!」
そういう言われ方をすると、気の強いミハルは余計に腹が立ってくるのである。
「何ですの! 馬鹿にして! そういうトルフィン兄様は上手いんですの? 下手くそなんですの?」
「だから! もうやめろっての!」
二人が隅っこでこそこそと言い争っていると、詒郡王がくるりと振り向いて言った。
「おい、トルフィン。あの松明に二人で愛を誓うと、一生幸せでいられるとかいうそうだぞ。そのご令嬢とはちゃんと誓ったのか?」
「えっあっ、いや、その……」
トルフィンがしどろもどろになるのに、ゲルは詒郡王に尋ねた。
「そんな言い伝えがあるのですか」
「そう、〈聖婚〉の歳に結婚すると幸せになるというのもあって、ダルバンダルの太陽神殿も、今年は予約がいっぱいだそうだ」
「素敵ですわね、あなた」
ゲルの夫人が夫に微笑みかける。その腹は丸く膨れて、今にも生まれそうだ。
「今夜は夜通し屋台が出て、街は騒ぎ続けるらしい」
「もともと冬至の夜はそんなんだが、今年は二百年ぶりの〈聖婚〉だからなあ」
詒郡王がにやにや笑う。ダルバンダルは東方人と西方人が混住する街なので、彼は西のしきたりにも詳しいのだ。
「殿下が聖地からお帰りなるのはいつごろになりますの?」
「だいたい、九の刻(午後四時)とのことだ。街の商人が薬玉を割りたいと言ってきたので、許可を出したが、殿下が何と仰るか、少し心配なのだ」
「まあ、では街の人が出迎えに出ますの?」
「恒例ではそうだという話なのだが、何せ二百年ぶり故、よくわからぬ」
どうやら港には〈聖婚〉夫婦を一目見ようと、市民が押し掛けるらしい。ゲルはすでに警備の手配を済ませていた。明日の夜は、総督府の官人を集めての披露目の宴を張ることになっている。
「詒郡王殿下はそれにはおいでになりませんの?」
「残念だが、東西の王家は関わってはならないという決まりでね。俺は明日の朝帰るよ。ユエリンにはおめでとうと言っておいてくれ」
詒郡王が笑う。
「ああそうだ、トルフィン、絵師の手配はどうなっている」
ゲルに話を振られて、トルフィンがはっとする。
「あ、はい。それについてはもう、済んでいます」
「絵師?」
詒郡王が聞き返す。
「はい。殿下がご夫婦の絵の公認したものを売り出すと……」
「何だってそんな……」
東では、皇子の顔などを民衆に晒すようなことはしない。
「何でもまったく似ていない絵姿が、聖地に広まっているとかで……。今後、姫君の女王即位を要求する上でも、殿下の姿が誤解されているのはよろしくないとお考えのようです」
「ほう……」
〈狂王〉のイメージが独り歩きすれば、それを夫に持つアデライードも不利になる。女王の夫は執政長官になるのだから、狂暴な脳筋では困る、と考えるのが普通だ。恭親王は間違ったイメージを払拭しなければならない。
「何にせよ、明日、殿下がお帰りになれば、その後は忙しくなるぞ。新年の儀もあるというのに、殿下は蜜月を満喫すると、すでに宣言されておられるからな」
ゲルの一言を聞いて、ユリウスが再び悶え始める。
「くっそー! あのエロ皇子め! 蜜月期間にアデライードにあんなことやこんなことをして、アデライードをアンアン言わせるつもりに違いない!」
「ユリウス卿、ご婦人方もいらっしゃるのですから、少しお言葉に気をつけてください……」
さすがに聞くに堪えかねたトルフィンが、立っていって耳打ちする。この調子で喚かれて、ミハルに「あんなことやこんなことって何?」なんて聞かれても困る。
「うるさい、トルフィン! お前だって許嫁といちゃいちゃしやがって! 飲め! 僕の領地の葡萄酒が飲めないって言うのか!」
完全に出来上がっているユリウスが今度はトルフィンに絡み始める。
聖地に発した松明は、海を越えてソリスティアより東西に広がって海沿いの街を連なる。
再生の光に、その夜人々は酔いしれた。
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