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17、挽回したい

西の事情と悪い友達

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「うっ……無理っ……久々に胃にきた……」
「殿下!」

 恭親王がみぞおちを押さえて身体を丸めると、トルフィンがすぐに隣室にシャオトーズを呼びに行き、エンロンとユリウスが心配そうに覗き込む。シャオトーズが心得たもので、すぐに水と粉薬を持ってきた。恭親王がそれを流し込むと、背中をさすりながら、

「それはジュルチ僧正様からいただいた、太陽神殿の薬草園で調合している胃薬だそうです」

と言った。

「大丈夫なの?自己治癒とか使えるんじゃないの?」
「ストレス性の疾患には、自己治癒が効かない。結構役立たずなんだよ、私の魔力は」

 残った水をちびちび舐めながら、恭親王は額の汗をぬぐう。

「ユリウス、その、エイロニア侯爵とやらと、縁組しないとどうにもならんのか?」
「うーん。ナキアのイフリート派の結束は意外と固くてね。まだしも可能性があるのが、エイロニア侯爵とか、八大諸侯家の流れを汲む、旧名門貴種の一派かな。辺境伯ってのは、中央の政治に口を出さないのが原則だから、僕はあんまり表だって動けないし、そんなに伝手つてもないんだよ。東の皇族と縁を結びたいって家は多いから、これを断っても、この手の話は山ほど来ると思うけどな。エイロニア侯爵の娘なら、妻の妹でもあるから、アデライードともうまくやれると思うんだよ。僕としては、変な女に嫁に来られるよりは、ここらあたりで手を打ちたい」

 ユリウスはシャオトーズがついでに淹れていった茶を啜って、一息つく。

 恭親王はまだみぞおちに手をやって、眉間に深い皺を刻んで考え込んでいる。その手が、無意識に右耳の翡翠に触れる。

「とりあえず、今回の〈聖婚〉が成立するまでは、この手の話はすべてシャットアウトしてくれ。仮にも、〈聖婚〉の王女は私にとっては最も尊重すべき正室だ。それは西の婚姻事情に照らしても揺るがない。もし、今後政治的事情により第二第三の妻を娶る必要が生じたとしても、それは全て、アデライードの意向を確認してからだ」

 恭親王は黒い睫毛に縁どられた瞼を半ば閉じるようにして、苦し気な表情でそれだけ言った。

「アデライードは反対したりはしないと思うよ。夫が複数の妻を持つのは当たり前だし、アデライードだって、子供の時はユウラ様と一緒に、妻同士のお茶会に何度も招ばれているんだから」
「そういう問題ではなくて……アデライードがどう思うかではなくて、あくまで私の心情の問題だ」

 ユリウスの言葉に恭親王はそう答えると、少し首を傾げる。

「そうだな……エイロニア侯爵に対しては、可能性を否定しないが、今はまだ確約できないと応えてくれないか。なぜなら私はまだ、ただのソリスティア総督であり、西の政治に干渉すべきでない東の皇族の一人に過ぎないのだから。今の私と縁を結んだところで、彼らにはメリットはない。やはり、全てはアデライードの夫として動けるようになってからの話だと」
「それで、納得すると思うかい?」
「納得しない相手ならば、それまでだろう。皆はソリスティア総督としての利権と十万の大軍に目が眩んでいるのだろうが、アデライードと結婚しなければ、私は西の政治に何の影響力も権利も持たないのだから。それに、十万の大軍があれば何でもできると思っているかもしれないが、それを動かして敵地に攻め込むのは簡単なことじゃない。今、ナキアに至る地勢その他も調べているところだが、数が多いということは足枷でもあるんだ」

 それから恭親王は、残った水を一気に飲み干すと、肘掛椅子に倒れ込んだ。

「だがユリウス、今日の話で、自分が西ではいかに異邦人であるか骨身に沁みた。やはりもう少し、西の政体と歴史について学ばなければならない。ついては、信用のおける政治学者を紹介してもらいたい」
 
 その言葉に、ユリウスが眉を顰める。

「本気かい?政治学者の言うことなんて、三人いれば三人が違う話をするに決まっているよ。あいつらに言わせれば、真実は人の数だけあるんだから」
「じゃあ、どうする?歴史の本は読んでいるが、二千年分あるし、無意味に詳しくって、まだその女傑の女王陛下のとこまで行ってないんだ。吟遊詩人と女官の悲恋話とか、女王が戦地の夫に書いた愚痴満載の手紙に、夫からの『あなたに会いたい』って手を変え品を変えひたすら言い続けている手紙の往復とか、そんなのが馬鹿馬鹿しいほど詳細に書いてあって、全然進まない」

 女性文化が発達した西は歴史家も恋愛脳で、異様に色恋沙汰に詳しい。他人の恋路に興味のない恭親王には、難解な数学の論文よりも不可解で退屈であった。ユリウスが目を瞠る。

「驚いた。君って意外に勉強家だよねぇ。僕は酒飲んでるか、〈陰陽〉やってるか、〈清談〉しているかしか、見たことがないのに」
「そりゃ、おぬしが来るときはおぬしに付き合っているからだろう! その分、おぬしがいないときは死ぬほど働いているんだぞ!」

 それについては横で見ていたトルフィンも納得する。ユリウスがやたら遊びに来るおかげで、業務もいろいろと滞っているのだから。
 まあ、ユリウスも、こちらに来ないときはナキアと往復したり、あっちこっちと海浜小国家群を飛び回っているのだろうけれど。

 しばらく考えていたユリウスが言った。

「そうだ!今度ナキアに遊びに行こうよ! そこで、ナキアの貴族たちと交流すれば、西の貴族の考え方がわかるし、人脈も作れるよ! 君の容姿ならモテモテだろうし」
「ちょっと待て、おぬし私を餌にして女でもひっかけるつもりじゃないだろうな?」
「もちろん! 君なら男も女も入れ食いで釣れそうだよねぇ」
「勘弁してくれ! 私はそういう生活は二年前に卒業したんだから!」
「別に単に遊びに行くわけじゃないし、情報収集に行くんだよ! ついでにちょっとばかし楽しんだって、罰は当たらないよ!」

 再び頭を抱えた恭親王を見ながら、どうしてうちの主には、こういう友人しかできないのだろうか、とトルフィンも密かに溜息をついた。
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