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16、致命的な失敗

それぞれの十年*

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 ソリスティアに向かう総督専用艇の、船室の簡素な寝台の上でふてくされて枕を抱きしめ、恭親王は先ほどまでのアデライードの嫋やかな姿態と〈王気〉の甘さを思い出し、一人悶々とその余韻に浸っていた。

 ――口づけに酔ったアデライードが自分の腕の中に身を委ねたのを感じて、恭親王は我知らず腕に力を込める。伏せられた長い金色の睫毛が憂いを帯び、上気した頬に陰を作る。少し綻んだ薄紅色の唇の甘さを思い出すと、もっともっと貪りたくなる。

 触れているだけで、アデライードの〈気〉が恭親王に流れ込んでくる。恭親王の体内を巡るその〈気〉は、彼を蕩かすほど、甘い。鼻をくすぐる薔薇の香りと相まって、彼の中枢神経まで入り込んで甘く冒していく。

 あの、婚約式の日――。
 祭壇の前に立ち、ゆっくりと近づいてくるアデライードの姿を見た時は、息が止まるかと思った。
 高い窓から差し込む光に照らされて輝くプラチナブロンド。金色の長い睫毛に縁どられた大きな翡翠色の瞳は、不安げに翳って揺れている。透き通るように白い肌は内側から輝くようで、薄紅色の唇は可憐で、そしてどこか艶めかしく、白く折れそうな首筋と浮き出た鎖骨、薄い肩のラインは儚げで、抱きしめたら壊れてしまいそう。少し広めの襟元から双丘の谷間をのぞかせ、金糸の刺繍が入った腰帯を胸高に締めたくびれた腰のラインと相まって、清楚な中に隠しきれない色香を漂わせていた。

 心臓をわしづかみにされる、というのはこういうことなのだろう。目を離すこともできず、ひたすら食い入るように見つめていた。
 神聖な美しさに見惚れる一方で、龍種の雄の本能が強烈に劣情を刺激されて、相反する二つの感情に、身動きすらままならない。
 呆けたように陶然と見つめる恭親王を、周囲は姫君の美しさに心を奪われたと見たであろう。

 半分は当たりで、半分は外れだ――。
 恭親王は確かに、アデライードに心を奪われた。その美しさに。そして、十年の時を経て、恋い焦がれた初恋の少女に再会したという、運命の偶然に。出会い、引き裂き、再び〈聖婚〉の夫婦としてめあわせる、天と陰陽の配剤に。

 何故、自分は今、ここに立っているのだ。東の皇子として。
 何故、彼女は今、ここに立っているのだ。西の王女として。

 森の中で出会った二人が、互いに違う名を名乗り、天と陰陽の祝福を受けて〈聖婚〉を成す。

 何の意味があるのか。どこから仕組まれていたのか。
 全てが、天と陰陽の手の内に踊っていただけなのか。

 二十二年前に生まれた双子の皇子。
 片方は皇宮で、片方が聖地で。互いの存在も知らされずに育った彼ら。
 身勝手な理由で選別され、棄てた皇子を、十二年の時を経て、再び身勝手な理由で呼び戻す。
 名を奪われ、過去を奪われ、押し付けられた皇子としての未来。
 豪奢な寝台、贅沢な食事、強制された破戒と快楽。

 彼の手に残った物は、〈メルーシナ〉に託された指輪だけ。

 アデライードとの〈聖婚〉は、彼の歪められた人生への贖罪しょくざいなのか。
 それとも、アデライードと彼の〈聖婚〉を成すために、彼のが必要だったのか。

 アデライードが〈メルーシナ〉であったと知った時から、恭親王の内面では二つの感情が葛藤をつづけた。

 一つは、単純な歓び。黒く塗りつぶされていた恭親王の日常はにわかに色づく。
 ただ日々新たに作り出される自分の精を吐き出すだけの醜い欲に過ぎなかったものが、アデライードへの愛情と結びつき、狂おしいほどの愛欲に変わる。
 獣人の奴隷を組み敷いてどれほどの淫戯を極めてもけして充たされない欲と、アデライードを抱きしめ、その姿を目にするだけで満たされる心。得られるはずがないと思っていた恋人が、あと少し、少しだけ我慢すれば手に入るのだ。有頂天にならない男など、この世にいないだろう。
 
 二つ目は、後悔と、罪悪感。〈シウリン〉であることを捨て去るために、敢えて自身を汚すように放蕩三昧を繰り返した忌まわしい過去。〈ユエリン〉と呼ばれ続ける自分が憎くて、奈落の淵に堕ちるように快楽の闇に自ら投じた。もう今さら、あの日の無垢でまっさらだった〈シウリン〉には戻れないのだ。

 そんなことを、アデライードに知られたら。
 ここにいる男が、彼女の愛した〈シウリン〉の成れの果てだと知られたら。
 まして、目の前のアデライードは十年前のままの、時を止めたようにまっさらなままなのだから。

『あなたは、本当に、シウリンではないの?』

 アデライードが、指輪のことに疑問を持つのは当たり前だ。
 恭親王は自分の迂闊うかつさを呪った。
 あれは、選ばれた男しか、触れることはできない。
 男しかいない太陽宮から、あれを持ち出せるのは〈シウリン〉だけだ。
 そのことに気づかれれば、詐術さじゅつは露見する。
 恭親王は慎重に、指輪から話を逸らした。

 そして知ったのは、アデライードの十年の献身。

 十年の、沈黙。
 それは全て、〈シウリン〉のため。

 彼が指輪を握り締めて彼女を思っていたその同じ時を、彼女もまた、そこにはない指輪の在り処を思って過ごしていた。遠く離れていても、二人だけの繋がった時間があったのだ。

 心の底から湧き上がる歓びと、身を斬られるほどの、痛み、後悔、懺悔――。
 彼女が無言の行を貫いた十年、自分は何をしていた?
 流されるままに純潔を失い、天と陰陽との誓約を違え、人を殺し、街を焼いた――。
 〈シウリン〉の十年を、どうして語ることができようか?

 そして今も、彼は彼女を騙し続ける。

 〈シウリン〉はもう、この世にいない。
 アデライードの愛した〈シウリン〉は死んだ。彼が、汚して、殺した。
 いっそアデライードも汚してしまいたい。――なぜなら、あまりに眩しすぎるから。

 汚れを知らぬアデライードを寝台に引きずり込み、その身体を暴く。
 封印の制約さえなければ、力ずくで犯していたかもしれないほど、あの時の恭親王は嗜虐心に満ちていた。それでも、最後まで奪わないために、服は脱がさなかった。裸にしたら、歯止めが効かなくなりそうだった。

 手淫をさせるまでは、よかった。
 かねてから考えていたことだし、メイローズに対する言い訳もある。魔力耐性の件は、実はそれほど心配はしていなかった。本当に耐性のない女は、精に触れただけで皮膚が爛れてしまうから、手淫すらさせられない。

 アデライードの白い手が、彼の屹立に触れた瞬間、最も敏感な場所からアデライードの〈王気〉が流れ込み彼の脳髄を直撃した。これは、中に挿れたら、悦すぎて心臓が止まるかもしれないと、本気で思う。
 必死に上下に動かすアデライードの真剣な表情も、柔らかな手の感触も、全てが素晴らしかった。精が弾けた瞬間、これを彼女の中に充たしたいと、心底思った。精を浴びても爛れない綺麗なままの白い手に、言いようもなく安堵した。

 後は、彼女にも自身の身体のことを教えなければいけない。
 恭親王はアデライードの長衣の隙間に手を入れ、彼女の膝から太ももへと手を滑らせる。その奥にある、アデライードの秘密の場所を探って。

 十年前の彼は、そんな場所に触れたいとすら思わなかった。そもそもそんな場所の存在すら、知らなかった。いきついた秘裂を割り、秘所をまさぐれば、アデライードは狼狽した声をあげる。指を一本挿れただけで、痛みに悲鳴をあげ、その狭い場所は彼の指を喰いちぎらんばかりに締め上げる。

(これは……こんなに狭いのは、初めてだ……)

 経験数だけは無駄に多いが、よく考えれば、処女を抱いたのはあの、一度だけだ。あの時の彼は逆上のぼせあがっていて、かなり無理無体に突っ込んだ記憶がある。

(落ち着いて……優しく、丁寧に……)

 アデライードのあげる甘い声に煽られて、性急に掻き回したくなるのをぐっと堪える。絶頂の予感に恐怖を感じたのか、アデライードが〈シウリン〉に救けを求めた時、だが彼の理性が飛んだ。

 見ることはすまいと思っていた秘所を暴き立て、舌と唇で執拗に責めたてた。甘い〈王気〉に酔い痴れ、無我夢中で貪り、アデライードをイかせ続けた。慣れない彼女の身体で、執拗に愛撫されるのは、もはや苦痛でしかなかったかもしれないが、それでもやめることができなかった。最後、失神した彼女を見て、おかしな達成感すら感じていたのだから――。
 
 この後、婚儀までは触れることはできなくなるだろう。メイローズの厳重な監視付きでしか、会えなくなるだろうから。

 それでも、誰も知らない彼女の花園を知っているのは、自分一人。
 彼が張り巡らせた快楽と言う名の蜘蛛の巣に、アデライードは絡めとられた蝶も同じだ。

 婚儀まであと少しだけ我慢すれば、彼女は自分のものになる。
 無垢な彼女を堕としてしまえばいい。深い深い、快楽の淵に――。



 実際には、アデライードの甘い蜜に溺れているのは、彼の方なのだけれど――。
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