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7、婚約

〈王気〉の甘さ

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 どれほどの時間、唇を貪られていたのだろうか。男が角度を変えるためにわずかに唇を離した時、はっと我に返る。男の腕とて二本しかないはずなのに、視えない触手に絡めとられたかのように、がっちりと抱え込まれて身動きがとれない。アデライードは咄嗟に、わずかに剥き出しになっている男の首筋を爪で思い切り抓った。

「っつーー!」

 弾かれたように、男が身体を離して手で首筋を押さえ、黒い瞳を見開いた。次の瞬間、その目はふっと優し気に眇められ、口づけで濡れた口元が面白そうに弧を描く。〈王気〉の色を見ても、青年は怒ってはいないようだ。

 アデライードは数々の狼藉に、翡翠色の瞳を尖らせてぐっと男を睨みつけ、肩に両腕を突っ張って逃れようとした。しかし、男の両腕はアデライードの細い腰と背中に回され、それを許さない。男は目線を動かしてアデライードの全身を眺める。黒い瞳がきらりと光って、濡れた唇を舌で舐めた。壮絶な色気に、アデライードは思わずドキリとしながら、男の目線を追って驚愕した。アデライードの長衣は大きな一枚布を、襞をとって巻き付けたような形だから、両脚を開いて男の膝に座っているために打ち合わせがはだけ、片方の白い膝と太ももが露わになっていたのだ。慌てて長衣の布を掻き寄せ、太ももを覆う仕草に、男が肩を震わせてくっくっと笑った。

 「脚ぐらい、どうってことはないだろう。いずれ、もっと恥ずかしい場所も余さず私に晒すのだから―――あなたは、私の妻になるのだろう?」

 そうかもしれないが、初対面からこんな無体を働かれる謂われはない。アデライード必死で身を捩ったが、男の力強い腕は彼女の腰をしっかりと掴んで離さない。

 「暴れると、落ちるぞ?」

 そして再び難なく抱き寄せられ、当然の権利だとばかりに唇を奪われる。どんどんと拳で胸を叩いて抵抗の意を表すが、男は全く意に介することなく、好きに唇を蹂躙した。息ができなくて気が遠くなりかけ、窒息寸前でようやく唇が解放される。が、今度は耳たぶの柔らかいところに熱い息を吹きかけられる。あまりのくすぐったさに身体を捩り、首を振ると今度は逆側の耳たぶに息がかかる。ちゅ、ちゅ、とアデライードが逃れようと顔を左右に振る動きを利用して、左右の首筋に熱い口づけを落とされ、肩口に顔を埋められる。首筋をきつく吸いあげられ、アデライードは(ひっ)と声にならない悲鳴を上げた。男の唇が触れられたところから男の〈王気〉が絶え間なく侵入してくる。本能的な恐怖と甘美なときめきを感じ、アデライードは動揺した。

 (嫌――、嫌――。こわい……なんだか――おかしくなる――)

 蜘蛛の巣に絡めとられた蝶のように、どう身を捩ろうとも男の強くしなやかな腕が彼女の身体を絡めとり、抑え込み、折り取ろうとするかの如く強く抱きすくめる。アデライードはそれでも何とか男の腕の拘束から逃れようと身を捩る。ついに目尻から涙が溢れ、頬を伝って流れ落ち、それに気づいた男がようやく腕の拘束を緩める。ほっと息をついた彼女の耳元にもう一度熱い息がかかり、唇が触れる。

「無駄だ、離しはしない―――。あなたは、天と陰陽が定めた、私のつがいだ」

 その言葉に、アデライードがはっとして男を見る。射るように見つめてくる男の視線を、アデライードは涙で潤んだ翡翠色の瞳で見返した。
 男が長い、筋張った指でアデライードの目尻の涙を拭い、白く滑らかな頬を撫でる。

「美しい―――我慢できそうもない。今すぐにでも――奪ってしまいたい」

 男の全身から立ち上る金色の光の龍が、焔のように形を変えてアデライードを取り巻き、締め付ける。男の黒い瞳に危険な光が浮かび、アデライードは身を竦ませた。かたかたと身体の奥底から沸き起こる恐れに、唇が震え顔が青ざめる。アデライードの震えを感じ取り、男がわずかに眉根を寄せた。

「私が……怖いか?」

 心配そうに覗き込まれ、男の顔が近づき、また口づけられるのではと恐れて咄嗟に顔を背けてしまう。男はその仕草に少し傷ついたのか、おそるおそるといった風に、アデライードの頬をざらついた指で撫でた。まるで、風にも耐えぬ花に触れるように、優しく。

「すまない、少しばかり、急いていたようだ。あなたが、修道院育ちだったことを忘れていた」

 金色の睫毛を伏せて震えているアデライードの頬をしばらく指で撫でていた男は、やがて、アデライードのうなじを大きな手で支え、涙を湛えた目尻に口づけて涙を吸った。頬、こめかみ、額と触れるか触れないかの優しいキスを繰り返し、再びアデライードの華奢な身体を抱き込んでいく。

「……なんて甘い、………これが、〈王気〉の甘さなのか……」

 男が、溜息とともに呟くと、その熱い息が敏感な耳朶にかかり、アデライードは思わずびくりと身を捩る。

「ああ、ここ……敏感なのだな……」

 そう言いながら翡翠の耳飾りごと甘噛みされ、舌でべろりと耳の中を舐られれば、アデライードは荒い息をしてびくりと頤を逸らし、白い喉をさらす。男は思わずと言ったふうに、その白い喉にぱくりと食いついた。

(食べられる―――こわい、離して―――!)

 ギュッと瞑った両の目の目尻から、再び涙が零れ落ちる。声を失った身では、嫌だという気持ちを示すこともできず、ただ両目からぽろぽろと涙を流し、首を振るだけだ。

「私に、触れられるのは、嫌か?」

 唇を離して至近距離から見つめられ、アデライードは涙で潤んだ瞳を上げた。男の表情はどこか、苦しげであった。アデライードが涙を弾くように目を瞬き、こくんと頷くと、男の眉尻がはっきりと下がった。

「その……私が、嫌いか?」

 そのどこか切羽詰まったような表情にアデライードは動揺し、思わず視線を逸らす。しばらくして、ゆるく首を振った。途端に、男がほっとしたような吐息を漏らした。

「嫌いでないなら、触れることを許して欲しい。我慢が、できそうもない」

 そう言いながら、男は涙で濡れた頬に優しく口づける。アデライードは顔を捩って逃れ、首を振った。

「だめなのか?……その、悪いようにはしない。最後まではしない、約束する」

(最後?何が?)

 アデライードは男の言う意味が理解できず、涙で潤んだ瞳で、きょとんと男を見た。男はその表情から何事かを察したらしい。

「そうか、あなたは何も知らぬのだな……ならば、無理強いもできぬな」

 男は眉間に皺を寄せて少し考え込むようなふうで、首を傾げてアデライードを観察した。

「その、声は……本当に出せぬのか?」

 アデライードが目を伏せて肯定の意を示すと、その頬から顎をおりて白い首筋をつるりと大きな掌で撫でた。

「……あの修道女はもういない。二度と側には近寄せぬから、安心していい」

 その言葉に、アデライードがはっとして男を見ると、男は薄い唇の端を少しだけ持ち上げて微笑んだ。

「あれは、間諜なのだろう?あなたを、監視するための。……一目でわかった」

 アデライードがあっけにとられて男を見る。今まで、エイダの被る「忠誠心は厚いがちょっと鈍くさい修道女」の仮面を見破った者は誰もいないのに。なぜ―――?

「声は、出そうとしたら出るのだろう?それとも―――」

 ふいに、男の黒い瞳に危険な煌めきが宿り、薄い唇の口角が引き上がって悪戯っぽい表情になった。

「本当に声が出せぬか、私が試してやろうか?……可愛い声で啼かずにはいられぬように」
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