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3、総督府
副総督エンロン
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副総督エンロンの官舎は、中奥から庭を挟んだ独立した別棟となっている。エンロンは恭親王と侍従官二人を夕食に招き、やや緊張した面持ちで、三人を邸で最もよいサロンに通す。
入浴を済ませた恭親王は白い麻のシャツの上に濃紺の袖なしの上着、黒い脚衣に黒い革の長靴を履き、黒い肩衣をふわりと纏っている。ベルトから下げた佩玉が揺れる。皇家の紋章である絡み合う二頭の龍を透かし彫りにした、皇家の一員である証。黒髪はやや湿って艶を帯びて輝き、色気のある双眸が周囲の状況をするりと一舐めすると、サロンで待っていた二人の妻も緊張で身を固くした。
家の主であるエンロン自ら恭親王を上席に導くと、鷹揚な態度と隙のない動作で、優雅に席に着く。肩衣を捌き、長い脚を組むその動きだけで、明らかに一人だけ格の違う高貴な人間だとわかってしまう。
(天上界から下界に降りて来た天人みたいだな……)
エンロンは今更ながら、とんでもない人を自宅に招いてしまったと少し後悔した。
「今日は言葉に甘えてお邪魔させてもらった。これからも世話になる」
「賤しき身分をわきまえず、ご来臨をねだりましたのに、お運びいただき恐縮です。……こちらは妻の……まあその、正妻は帝都に置いてまいりまして、下世話に現地妻?と申しますか、ソリスティアの豪商の娘であるミアと、近郊のゾアリス領主の娘のアウローラでございます。奥向きのことは二人に任せておりますので、殿下もご内証の件でお困りのことがございましたら、遠慮なくお申しつけください」
明るい色の髪にハシバミ色の瞳をした穏やかな雰囲気の女と、赤褐色の髪に緑の瞳の背の高い女が、緊張した面持ちで挨拶する。二人に鷹揚に頷く恭親王の瞳には高貴な色気がダダ漏れで、「よろしく頼む」と、甘い声で言われて、エンロンの妻二人は思わず顔を赤らめている。
「私は軍隊生活が長くて格式ばったのは嫌いだ。せっかく侍従官のゾラとトルフィンも招いてくれたのだから、今日は無礼講でいこう。……お前たちも座ってくれ……と、私の家じゃなかったな。座らせても構わないか?」
気さくに話しかける恭親王にエンロンは戸惑いながら、「それは気づきませんで」と、慌てて侍従官二人に席を薦め、妻二人に食前酒の用意をさせる。初めての客には応接室かサロンで家族を紹介し、食前酒を供して、後に食堂に移動する。
ゾラとトルフィンとも互いに挨拶を交わし、エンロンは二人が帝都でも指折りの名家の出身と知り、背中に冷や汗をかく。
寒門出身のエンロンは、帝都の没落しかかった貴族の娘と結婚して、貴族籍の末席にようやく連なっている苦労人だ。血筋がものを謂う帝国官僚の世界で、エンロンが三十半ばでソリスティア副総督まで来たというのは、何より運と努力と才能の賜物だった。そしてソリスティア副総督というのは、寒門出のエンロンにとっては、ほぼ上限に近い。これ以上の出世を望むならば、この旨味の多い地位を活かして財産を築きあげ、その金を中央政界にばら撒くくらいしか方法がない。が、生憎、伝手がないのでほぼ絶望だ。
もっとも、エンロン自身はソリスティア副総督を、最高の当たりポストだと思っている。総督は帝都に留まってほとんどやってこないし、当たり障りのない報告書だけ上げておけばよい。何より、気位ばかり高い年上の正妻を帝都に残し、大っぴらに若い妾を囲えるなんて、ソリスティア副総督以外の役職では考えられない。エンロンにとって、ソリスティアは天国だった。
ところが、二百年ぶりの〈聖婚〉のおかげで、普通は赴任しない総督がソリスティアにやってきてしまった。正直言って迷惑である。しかも皇后腹の親王ってだけでも頭が痛いのに、選りにもよって悪名高い暗黒三皇子の一人、恭親王殿下なのだから。
どんなドラ息子が来るかと思っていたら、見かけはとんでもない美形で、噂と違って中身もまともそうである。些か拍子抜けした。
とはいえ、直属の上司である皇子に嫌われれば、彼の首などあっという間に飛んでいく。エンロンとしては、ようやく掴んだソリスティア副総督の地位を守るために、ここは正念場なのだ。
晩餐の支度が整ったと言われ、四人で座を移す。食堂にはソリスティア特産の新鮮な海の幸と、西方から取り寄せた珍味が並び、帝都でも手に入らない銘品の葡萄酒も準備した。
「これが泡のある葡萄酒か。ダヤンが言っていたやつだな」
恭親王が感心する。レイノークス辺境伯領で生産する発泡葡萄酒は、特殊な瓶詰工程と輸送コストの関係で、近隣にわずかに出回る程度なのである。
「この黒い粒粒、美味いっすね」
「それはチョウザメの腹子です」
「ゾラ、お前さっきからそればっか食べてるじゃん!」
「そうだ、私の分がなくなるじゃないか」
酒と食事が回るってくると、恭親王主従は若者らしい気安い調子でしゃべり始め、エンロンの緊張もほどけてきた。男が四人集まれば、話題はどうしても女との夜のお楽しみの話になる。
「エンロンさん、ソリスティアの娼館って、どこがお薦めっすか?」
入浴を済ませた恭親王は白い麻のシャツの上に濃紺の袖なしの上着、黒い脚衣に黒い革の長靴を履き、黒い肩衣をふわりと纏っている。ベルトから下げた佩玉が揺れる。皇家の紋章である絡み合う二頭の龍を透かし彫りにした、皇家の一員である証。黒髪はやや湿って艶を帯びて輝き、色気のある双眸が周囲の状況をするりと一舐めすると、サロンで待っていた二人の妻も緊張で身を固くした。
家の主であるエンロン自ら恭親王を上席に導くと、鷹揚な態度と隙のない動作で、優雅に席に着く。肩衣を捌き、長い脚を組むその動きだけで、明らかに一人だけ格の違う高貴な人間だとわかってしまう。
(天上界から下界に降りて来た天人みたいだな……)
エンロンは今更ながら、とんでもない人を自宅に招いてしまったと少し後悔した。
「今日は言葉に甘えてお邪魔させてもらった。これからも世話になる」
「賤しき身分をわきまえず、ご来臨をねだりましたのに、お運びいただき恐縮です。……こちらは妻の……まあその、正妻は帝都に置いてまいりまして、下世話に現地妻?と申しますか、ソリスティアの豪商の娘であるミアと、近郊のゾアリス領主の娘のアウローラでございます。奥向きのことは二人に任せておりますので、殿下もご内証の件でお困りのことがございましたら、遠慮なくお申しつけください」
明るい色の髪にハシバミ色の瞳をした穏やかな雰囲気の女と、赤褐色の髪に緑の瞳の背の高い女が、緊張した面持ちで挨拶する。二人に鷹揚に頷く恭親王の瞳には高貴な色気がダダ漏れで、「よろしく頼む」と、甘い声で言われて、エンロンの妻二人は思わず顔を赤らめている。
「私は軍隊生活が長くて格式ばったのは嫌いだ。せっかく侍従官のゾラとトルフィンも招いてくれたのだから、今日は無礼講でいこう。……お前たちも座ってくれ……と、私の家じゃなかったな。座らせても構わないか?」
気さくに話しかける恭親王にエンロンは戸惑いながら、「それは気づきませんで」と、慌てて侍従官二人に席を薦め、妻二人に食前酒の用意をさせる。初めての客には応接室かサロンで家族を紹介し、食前酒を供して、後に食堂に移動する。
ゾラとトルフィンとも互いに挨拶を交わし、エンロンは二人が帝都でも指折りの名家の出身と知り、背中に冷や汗をかく。
寒門出身のエンロンは、帝都の没落しかかった貴族の娘と結婚して、貴族籍の末席にようやく連なっている苦労人だ。血筋がものを謂う帝国官僚の世界で、エンロンが三十半ばでソリスティア副総督まで来たというのは、何より運と努力と才能の賜物だった。そしてソリスティア副総督というのは、寒門出のエンロンにとっては、ほぼ上限に近い。これ以上の出世を望むならば、この旨味の多い地位を活かして財産を築きあげ、その金を中央政界にばら撒くくらいしか方法がない。が、生憎、伝手がないのでほぼ絶望だ。
もっとも、エンロン自身はソリスティア副総督を、最高の当たりポストだと思っている。総督は帝都に留まってほとんどやってこないし、当たり障りのない報告書だけ上げておけばよい。何より、気位ばかり高い年上の正妻を帝都に残し、大っぴらに若い妾を囲えるなんて、ソリスティア副総督以外の役職では考えられない。エンロンにとって、ソリスティアは天国だった。
ところが、二百年ぶりの〈聖婚〉のおかげで、普通は赴任しない総督がソリスティアにやってきてしまった。正直言って迷惑である。しかも皇后腹の親王ってだけでも頭が痛いのに、選りにもよって悪名高い暗黒三皇子の一人、恭親王殿下なのだから。
どんなドラ息子が来るかと思っていたら、見かけはとんでもない美形で、噂と違って中身もまともそうである。些か拍子抜けした。
とはいえ、直属の上司である皇子に嫌われれば、彼の首などあっという間に飛んでいく。エンロンとしては、ようやく掴んだソリスティア副総督の地位を守るために、ここは正念場なのだ。
晩餐の支度が整ったと言われ、四人で座を移す。食堂にはソリスティア特産の新鮮な海の幸と、西方から取り寄せた珍味が並び、帝都でも手に入らない銘品の葡萄酒も準備した。
「これが泡のある葡萄酒か。ダヤンが言っていたやつだな」
恭親王が感心する。レイノークス辺境伯領で生産する発泡葡萄酒は、特殊な瓶詰工程と輸送コストの関係で、近隣にわずかに出回る程度なのである。
「この黒い粒粒、美味いっすね」
「それはチョウザメの腹子です」
「ゾラ、お前さっきからそればっか食べてるじゃん!」
「そうだ、私の分がなくなるじゃないか」
酒と食事が回るってくると、恭親王主従は若者らしい気安い調子でしゃべり始め、エンロンの緊張もほどけてきた。男が四人集まれば、話題はどうしても女との夜のお楽しみの話になる。
「エンロンさん、ソリスティアの娼館って、どこがお薦めっすか?」
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