上 下
217 / 236
18、永遠を継ぐ者

龍種のさだめ

しおりを挟む
 シウリンが月神殿のミカエラのもとを非公式に訪れたのは、七月の末のこと。ミカエラ本人は渋っているが、彼らのガルシア領への出発は、八月末と決められた。温暖なナキアにも朝晩は涼しい風が吹き、秋の気配が漂い始めるこの時期ならば、赤子連れの旅もそれほど困難ではないはずだ。

 シウリンが月神殿の廊下を進んでいくと、ミカエラの従者の男たちが片膝をついて頭を垂れていた。シュテファンとユーリ、ダグラス、そしてレオン。
 
「貴き身をこのようなところまでお運びいただき、感謝に堪えません」

 代表して頭を下げるシュテファンを、シウリンは胡散臭そうに見た。

「もういい。私はアデライードに頼まれて、書類を渡しにきただけだ。以前に言った通り、許すつもりも信じる気ももう、ない。ただ罪もない子供の代わりに、私が少しだけ、取りたくもない責任を取るだけのこと」
 
 それだけ言って奥へと通る。
 ミカエラは白い絹の長衣の上に深い青の上着を着て、金の腰帯を交差するように結び、腕に赤子を抱いてシウリンを出迎えた。

「本日はお運びいただき……」
「誤解するなよ。私はもう、お前の顔など見たくなかったが、それでは無責任だとアデライードが言うから、仕方なく来た。あとこれを――」

 シウリンが懐から丸めた特許状を出し、無造作にミカエラに渡す。

「その子供の護衛騎士と、養育のための宦官たちもこちらに連れてきた。龍種は特殊な体質であるから、宦官の助言をよく聞き、事故のないようにせよ。本来ならば傅役が必要だが、辺境に骨を埋める覚悟のある、貴種の男に思い当たるフシがない。ひとまず数年は傅役無しで問題ないだろう。護衛騎士は数年で交代させるが、何か要望等があれば、彼らに言えば我々の耳に届く」

 淡々と事務的に語り、背後に控えるまだ若い宦官を引き合わせる。
 
「か……宦官?」

 ミカエラもシュテファンらも意外そうにシウリンを見る。

「龍種の精は平民の女には猛毒だ。ガルシア城には平民の女も多く仕えているだろうが、身の回りの世話をさせるには気をつけろ。世話については彼らが心得ている」
 
 それだけ言うと、手持ち無沙汰になったのか、早くも帰りたそうにな表情で、溜息をついて周囲を見回した。

「その……この子、です。その、エドゥアルドと、名づけました。わたくしの祖父の名で――」

 ミカエラが、シウリンのもとに子供を抱いていく。この子への愛情だけが、ミカエラの縋る最後の砦だった。だが、シウリンは赤子をちらりと見て、薄っすら目を細めただけで、手を振って抱くのを拒否した。

「いや……いい」
「……抱いても下さらないのですか?」

 目を潤ませて懇願するミカエラから、シウリンは顔を背ける。

「その子は要するに、私がアデライードとの誓いを裏切った証だ。たとえどれほどの言い訳を重ねようが、その子の存在が私に裏切りを突きつけてくる。はっきり言えば見るのも嫌だ」

 その言葉に、ミカエラが愕然とした表情でシウリンを見つめた。シウリンは醒めた目でミカエラを見返す。

「私にとってアデライードは全てだ。彼女がいれば何も必要なく、彼女を失えば全てが消える。私は幾度も彼女を裏切り、足を踏み外して穢れたけれど、彼女は私を受け入れてくれた。あの時、記憶を失って十二歳に戻ったのは、天と陰陽が与えてくれたやり直しの機会だった。私はもう一度彼女に誓って――その誓いを、お前たちは無理に破らせた。なぜ、その子を私が愛せると思うのか、私には理解できない」
「シウリン様――」

 その言葉は、ミカエラの中の何かを、確実に折ったらしい。呆然と赤子を抱きしめるミカエラに、シウリンはさらに言った。

「だが、その子はきっと、天と陰陽にとっては必要な子なのだろうと、アデライードが言うから来た。私たちがへパルトスに飛ばされ、私がそこから女王国を旅することになったのも、全てはその子を生み出すためだったのかもしれないと。きっと、この調和された世界を守る、何かの役割を負っているのだろう」

 不意にアデライードの言う、金の〈王気〉を持つ辺境伯という言葉が頭をよぎる。本当に天と陰陽は、シウリンの人生を好き放題に使いまわしてくれるものだ。だがそれも全て、龍種に生まれた定め。――この子も、いずれはその重荷を背負うのだ。
 シウリンは立ち上がり、ミカエラに背を向けた。

「シウリン様、待って――わたくしは……」

 だが、シウリンは後ろを振り返ることなくミカエラの部屋を出る。メイローズが軽く会釈をして後を追う。背中にミカエラの号泣を聞きながら廊下を遠ざかれば、宿泊エリアの入口で若い見習いの女神官を揶揄っていたゾラが、慌てて居住まいを正し、主を出迎えた。

「えらく早いっすね。もう、お帰りっすか?」
「いや、これから神殿の礼拝堂に寄る。アデライードの安産祈願をお願いしなければ」

 気の重い仕事を終えてホッとしたようにシウリンが言えば、ゾラが目を丸くする。

「ほんとうっすか。それはめでたいっすね。でも、生まれるのはだいぶ先っしょ?」
「今度こそ、ちゃんとこの世に生まれてくれるように、しっかりお祈りしないと。これから毎月恒例で参詣するぞ。聖地にも使者を出してお布施を弾まないと。……思うに、前回の時は、私は不信心に過ぎたのかもしれん」
「うわ、不信心が理由で赤ん坊がダメんなるんだったら、俺、一生子供生まれねーじゃん」
「そもそも、結婚する気があるのか、お前は」

 呆れたように言う主に、ゾラが肩を竦めた。

「親父からさすがに説教の手紙が来たっすよ。三十になるんだから、いい加減に結婚しろってさ。――でもこの前、盛大に振られたところなんすけど」

 恨みがましい目で主をじろっと見たゾラに、ゾラが振られた理由に関わりがないわけではないので、シウリンは気まずそうな表情をする。

「まあ、なんだ、そのうちお前の女遊びにも寛大な、破れ鍋に綴じ蓋みたいな女房が現れるさ」

 ものすごい気休めを言う主に、ゾラが首をコキコキ鳴らしながら言う。
 
「そうっすかねー。最近、リリアちゃんとユーエルがいい雰囲気なんすよー。なんかムカつくなってさ。ユーエルの癖に生意気じゃねぇっすか?」
「ユーエルの癖にって、身分や家柄を抜きにして考えれば、結婚相手としてはどう考えてもユーエルの方がいいだろ。悪いが、お前に自分の娘を嫁にやろうとは、到底、思えん」
「うわー、それ地味に傷ついちゃった、俺。あー、この後俺、神殿娼婦ちゃんに慰めてもらわないと、立ち直れねぇっす」
「だから、それがイカンと言うのだ!」

 くだらないことを言い合いながら回廊を立ち去るシウリンの頭はもう、アデライードに宿ったという、子供のことでいっぱいだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

転生令嬢は現状を語る。

みなせ
ファンタジー
目が覚めたら悪役令嬢でした。 よくある話だけど、 私の話を聞いてほしい。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

処理中です...