上 下
215 / 236
18、永遠を継ぐ者

妻の度量

しおりを挟む
 ミカエラの出産からほぼ一月、メイローズから報告を聞いたアデライードは、困ったように溜息をついた。

「本当に、陛下も頑なでいらっしゃる」

 アデライードは居間の長椅子でくつろいで、その足元では白猫のリンリンと子獅子のジブリールがじゃれあっている。二匹の体格差はさらに大きくなり、相変わらず仲は悪くないが、時々、羽目を外して大騒ぎになってしまう。アデライードはその様子を目の端に入れて、鈴を鳴らして騎士を呼んだ。入ってきたのはフエルで、すぐに凛々しく片膝をついた。

「ジブリールが欲求不満みたいなの。サイードに言って、散歩させてもらえる?」
「承知しました」

 フエルは頭を下げ、ジブリールを一撫でして運動に行こうと誘う。ジブリールは人語を解するかのように、嬉しそうに尻尾を振り、フエルについて行く。部屋を出かかったところで、アデライードがふと気づいて言った。

「フエルはもうすぐ学院に戻るのよね?」
「はい、夏至の休暇が終わったら学院も再開するそうなので、僕もそれに合わせて戻るつもりです」
「そうなの、寂しくなるわ。……戻る前には言ってね、お土産を用意してもらうから」
「ありがとうございます」

 彼らが出て行ってから、アデライードはもう一度溜息をつき、卓上の茶杯を手に取る。

「ではこのまま、赤ちゃんとは対面もされないおつもりなのかしら」
「おそらくは――」

 アデライードは金色の睫毛を伏せる。

「あちらの――ミカエラ様はなんて?」
「とにかく一度でも面会をと、懇願しておられますが、わが主は必要ないと」
「そうは言っても、ねえ。……あちらの、配下の方も呆れていらっしゃるのでは?」
 
 ミカエラについているガルシア家の者にしてみれば、主家の娘を孕ませておきながら、子供の顔も見に来ない、とんでもない男ということになりはしないか。メイローズも苦笑して言った。
 
「はあ……ですがどうやらその……丁度、ついてきている者たちが、要するにわが主に酒と媚薬を飲ませて美人局つつもたせに協力した者たちのようで……当時の事情も事情なので、諦めているようです」
「だからと言って……ねえ。御子には何の罪もないのに」

 メイローズは優雅な手つきで、陰陽宮の特製ブレンドの薬草茶を淹れる。甘く爽やかな香りが、最近のアデライードのお気にいりだ。
 
「……わたしに遠慮なさって、あちらに顔を出されないのかしら」
「どうでしょう? 単純に、忌々しくて顔も見たくないのだと思いますが……」
「仮にも辺境伯家の令嬢に御子を産ませておきながら、完全放置は外聞もよくないわ……わたしの度量が狭いとか、器量が小さいとか言われてしまいそう」

 アデライードがもう一度、溜息をついた。
 
 同じ一夫多妻でも、西は同格の複数の妻を持つ。多少は身分の上下によって立場の差が出てくるけれど、その分、身分の高い妻には他の妻たちを円満にまとめる度量の広さが求められる。

「それに……将来、辺境伯を継がれる方なのでしょう。女王として無下にもできないわ」

 だからアデライードはミカエラにも誕生祝を贈ったし、表向き歓迎する態度を崩さない。もっとも、アデライードから子供の顔を見に行く気はしなかった。
 ただでさえ、西の貴族たちは皇帝の瑕瑾を探して嗅ぎまわっている。何とか形だけでも、円満に納めなければ。薬草茶を一口飲んで、言った。

「わたしから頼めば、自ら出向いてくださるかしら」
「さあ――一旦、こうと決めたら、テコでも動かないところがございますからね。ですが、こう申すのも何ですが、姫君が橋渡しをなさる必要もありますまい」

 メイローズがいかにも困ったように金色の眉の眉尻を下げるのに、アデライードも苦笑した。

「意地悪な言い方に聞こえるかもしれないけれど、陛下がミカエラ様から逃げ回っていらっしゃるから、ミカエラ様も陛下に執着なさるのよ。陛下が会いに来ないのは、わたしのせいだと思い込もうとしている。お気の毒だけど、陛下は御子にも愛情どころか興味もお持ちでいらっしゃらない。それをはっきりと目の当たりになされば、目も覚めるのではないかしら」

 メイローズも一理あると思う。捨てられた失意のどん底で懐妊が明らかになり、一種の妊娠ハイ状態で、もともとシウリンとの関係が破綻していたことを、忘れている。――いや、忘れようとしている。子が出来たくらいであの主が絆されるわけがないのに。

「このまま、悪者にされては堪らないわ。陛下にはご自分で、引導を渡していただかなくては」
  
 アデライードが溜息をつき、長椅子の端で丸くなるリンリンの白い毛皮を撫でる。メイローズが、アデライードに尋ねた。

「そう言えば、わが主には、もう?」
 
 アデライードは緩く首を振る。

「いいえ、まだ。この前はまだ、確証がないと言っていたから」
「ではこの手段はいかかでしょう」

 メイローズが少しだけアデライードに顔を近づけ、何事か囁く。ふんふんと聞いていたアデライードが、艶やかに微笑んだ。

「それなら、陛下も神殿に行く気になるかもしれないわ」
 
 そこへ、護衛騎士のユーエルが客人の来訪を告げた。

「エイロニア侯爵令嬢、クリスティナ様です」
「お待ちしていたのよ、こちらへ」

 アデライードが言えば、ランパの先導で入ってきたクリスティナを、アデライードとメイローズが立ち上がって出迎える。無言、無表情な美形の護衛騎士が、去り際に一瞬、クリスティナと視線を合わせるのを、アデライードはちゃんと目の端で確認して、満足そうに微笑んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔術師セナリアンの憂いごと

野村にれ
ファンタジー
エメラルダ王国。優秀な魔術師が多く、大陸から少し離れた場所にある島国である。 偉大なる魔術師であったシャーロット・マクレガーが災い、争いを防ぎ、魔力による弊害を律し、国の礎を作ったとされている。 シャーロットは王家に忠誠を、王家はシャーロットに忠誠を誓い、この国は栄えていった。 現在は魔力が無い者でも、生活や移動するのに便利な魔道具もあり、移住したい国でも挙げられるほどになった。 ルージエ侯爵家の次女・セナリアンは恵まれた人生だと多くの人は言うだろう。 公爵家に嫁ぎ、あまり表舞台に出る質では無かったが、経営や商品開発にも尽力した。 魔術師としても優秀であったようだが、それはただの一端でしかなかったことは、没後に判明することになる。 厄介ごとに溜息を付き、憂鬱だと文句を言いながら、日々生きていたことをほとんど知ることのないままである。

短編まとめ

あるのーる
BL
大体10000字前後で完結する話のまとめです。こちらは比較的明るめな話をまとめています。 基本的には1タイトル(題名付き傾向~(完)の付いた話まで)で区切られていますが、同じ系統で別の話があったり続きがあったりもします。その為更新順と並び順が違う場合やあまりに話数が増えたら別作品にまとめなおす可能性があります。よろしくお願いします。

皆さん、覚悟してくださいね?

柚木ゆず
恋愛
 わたしをイジメて、泣く姿を愉しんでいた皆さんへ。  さきほど偶然前世の記憶が蘇り、何もできずに怯えているわたしは居なくなったんですよ。  ……覚悟してね? これから『あたし』がたっぷり、お礼をさせてもらうから。  ※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

BL r-18 短編つめ 無理矢理・バッドエンド多め

白川いより
BL
無理矢理、かわいそう系多いです(´・ω・)

ヒーローは洗脳されました

桜羽根ねね
BL
悪の組織ブレイウォーシュと戦う、ヒーロー戦隊インクリネイト。 殺生を好まないヒーローは、これまで数々のヴィランを撃退してきた。だが、とある戦いの中でヒーロー全員が連れ去られてしまう。果たして彼等の行く末は──。 洗脳という名前を借りた、らぶざまエロコメです♡悲壮感ゼロ、モブレゼロなハッピーストーリー。 何でも美味しく食べる方向けです!

初めてなのに中イキの仕方を教え込まれる話

Laxia
BL
恋人との初めてのセックスで、媚薬を使われて中イキを教え混まれる話です。らぶらぶです。今回は1話完結ではなく、何話か連載します! R-18の長編BLも書いてますので、そちらも見て頂けるとめちゃくちゃ嬉しいですしやる気が増し増しになります!!

旦那様と楽しい子作り♡

山海 光
BL
人と妖が共に暮らす世界。 主人公、嫋(たお)は生贄のような形で妖と結婚することになった。 相手は妖たちを纏める立場であり、子を産むことが望まれる。 しかし嫋は男であり、子を産むことなどできない。 妖と親しくなる中でそれを明かしたところ、「一時的に女になる仙薬がある」と言われ、流れるままに彼との子供を作ってしまう。 (長編として投稿することにしました!「大鷲婚姻譚」とかそれっぽいタイトルで投稿します) ─── やおい!(やまなし、おちなし、いみなし) 注意⚠️ ♡喘ぎ、濁点喘ぎ 受け(男)がTSした体(女体)で行うセックス 孕ませ 軽度の淫語 子宮姦 塗れ場9.8割 試験的にpixiv、ムーンライトノベルズにも掲載してます。

悪役の俺だけど性的な目で見られています…(震)

彩ノ華
BL
悪役に転生した主人公が周りから性的な(エロい)目で見られる話 *ゆるゆる更新 *素人作品 *頭空っぽにして楽しんでください ⚠︎︎エロにもちょいエロでも→*をつけます!

処理中です...