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18、永遠を継ぐ者
妻の度量
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ミカエラの出産からほぼ一月、メイローズから報告を聞いたアデライードは、困ったように溜息をついた。
「本当に、陛下も頑なでいらっしゃる」
アデライードは居間の長椅子でくつろいで、その足元では白猫のリンリンと子獅子のジブリールがじゃれあっている。二匹の体格差はさらに大きくなり、相変わらず仲は悪くないが、時々、羽目を外して大騒ぎになってしまう。アデライードはその様子を目の端に入れて、鈴を鳴らして騎士を呼んだ。入ってきたのはフエルで、すぐに凛々しく片膝をついた。
「ジブリールが欲求不満みたいなの。サイードに言って、散歩させてもらえる?」
「承知しました」
フエルは頭を下げ、ジブリールを一撫でして運動に行こうと誘う。ジブリールは人語を解するかのように、嬉しそうに尻尾を振り、フエルについて行く。部屋を出かかったところで、アデライードがふと気づいて言った。
「フエルはもうすぐ学院に戻るのよね?」
「はい、夏至の休暇が終わったら学院も再開するそうなので、僕もそれに合わせて戻るつもりです」
「そうなの、寂しくなるわ。……戻る前には言ってね、お土産を用意してもらうから」
「ありがとうございます」
彼らが出て行ってから、アデライードはもう一度溜息をつき、卓上の茶杯を手に取る。
「ではこのまま、赤ちゃんとは対面もされないおつもりなのかしら」
「おそらくは――」
アデライードは金色の睫毛を伏せる。
「あちらの――ミカエラ様はなんて?」
「とにかく一度でも面会をと、懇願しておられますが、わが主は必要ないと」
「そうは言っても、ねえ。……あちらの、配下の方も呆れていらっしゃるのでは?」
ミカエラについているガルシア家の者にしてみれば、主家の娘を孕ませておきながら、子供の顔も見に来ない、とんでもない男ということになりはしないか。メイローズも苦笑して言った。
「はあ……ですがどうやらその……丁度、ついてきている者たちが、要するにわが主に酒と媚薬を飲ませて美人局に協力した者たちのようで……当時の事情も事情なので、諦めているようです」
「だからと言って……ねえ。御子には何の罪もないのに」
メイローズは優雅な手つきで、陰陽宮の特製ブレンドの薬草茶を淹れる。甘く爽やかな香りが、最近のアデライードのお気にいりだ。
「……わたしに遠慮なさって、あちらに顔を出されないのかしら」
「どうでしょう? 単純に、忌々しくて顔も見たくないのだと思いますが……」
「仮にも辺境伯家の令嬢に御子を産ませておきながら、完全放置は外聞もよくないわ……わたしの度量が狭いとか、器量が小さいとか言われてしまいそう」
アデライードがもう一度、溜息をついた。
同じ一夫多妻でも、西は同格の複数の妻を持つ。多少は身分の上下によって立場の差が出てくるけれど、その分、身分の高い妻には他の妻たちを円満にまとめる度量の広さが求められる。
「それに……将来、辺境伯を継がれる方なのでしょう。女王として無下にもできないわ」
だからアデライードはミカエラにも誕生祝を贈ったし、表向き歓迎する態度を崩さない。もっとも、アデライードから子供の顔を見に行く気はしなかった。
ただでさえ、西の貴族たちは皇帝の瑕瑾を探して嗅ぎまわっている。何とか形だけでも、円満に納めなければ。薬草茶を一口飲んで、言った。
「わたしから頼めば、自ら出向いてくださるかしら」
「さあ――一旦、こうと決めたら、梃でも動かないところがございますからね。ですが、こう申すのも何ですが、姫君が橋渡しをなさる必要もありますまい」
メイローズがいかにも困ったように金色の眉の眉尻を下げるのに、アデライードも苦笑した。
「意地悪な言い方に聞こえるかもしれないけれど、陛下がミカエラ様から逃げ回っていらっしゃるから、ミカエラ様も陛下に執着なさるのよ。陛下が会いに来ないのは、わたしのせいだと思い込もうとしている。お気の毒だけど、陛下は御子にも愛情どころか興味もお持ちでいらっしゃらない。それをはっきりと目の当たりになされば、目も覚めるのではないかしら」
メイローズも一理あると思う。捨てられた失意のどん底で懐妊が明らかになり、一種の妊娠ハイ状態で、もともとシウリンとの関係が破綻していたことを、忘れている。――いや、忘れようとしている。子が出来たくらいであの主が絆されるわけがないのに。
「このまま、悪者にされては堪らないわ。陛下にはご自分で、引導を渡していただかなくては」
アデライードが溜息をつき、長椅子の端で丸くなるリンリンの白い毛皮を撫でる。メイローズが、アデライードに尋ねた。
「そう言えば、わが主には、もう?」
アデライードは緩く首を振る。
「いいえ、まだ。この前はまだ、確証がないと言っていたから」
「ではこの手段はいかかでしょう」
メイローズが少しだけアデライードに顔を近づけ、何事か囁く。ふんふんと聞いていたアデライードが、艶やかに微笑んだ。
「それなら、陛下も神殿に行く気になるかもしれないわ」
そこへ、護衛騎士のユーエルが客人の来訪を告げた。
「エイロニア侯爵令嬢、クリスティナ様です」
「お待ちしていたのよ、こちらへ」
アデライードが言えば、ランパの先導で入ってきたクリスティナを、アデライードとメイローズが立ち上がって出迎える。無言、無表情な美形の護衛騎士が、去り際に一瞬、クリスティナと視線を合わせるのを、アデライードはちゃんと目の端で確認して、満足そうに微笑んだ。
「本当に、陛下も頑なでいらっしゃる」
アデライードは居間の長椅子でくつろいで、その足元では白猫のリンリンと子獅子のジブリールがじゃれあっている。二匹の体格差はさらに大きくなり、相変わらず仲は悪くないが、時々、羽目を外して大騒ぎになってしまう。アデライードはその様子を目の端に入れて、鈴を鳴らして騎士を呼んだ。入ってきたのはフエルで、すぐに凛々しく片膝をついた。
「ジブリールが欲求不満みたいなの。サイードに言って、散歩させてもらえる?」
「承知しました」
フエルは頭を下げ、ジブリールを一撫でして運動に行こうと誘う。ジブリールは人語を解するかのように、嬉しそうに尻尾を振り、フエルについて行く。部屋を出かかったところで、アデライードがふと気づいて言った。
「フエルはもうすぐ学院に戻るのよね?」
「はい、夏至の休暇が終わったら学院も再開するそうなので、僕もそれに合わせて戻るつもりです」
「そうなの、寂しくなるわ。……戻る前には言ってね、お土産を用意してもらうから」
「ありがとうございます」
彼らが出て行ってから、アデライードはもう一度溜息をつき、卓上の茶杯を手に取る。
「ではこのまま、赤ちゃんとは対面もされないおつもりなのかしら」
「おそらくは――」
アデライードは金色の睫毛を伏せる。
「あちらの――ミカエラ様はなんて?」
「とにかく一度でも面会をと、懇願しておられますが、わが主は必要ないと」
「そうは言っても、ねえ。……あちらの、配下の方も呆れていらっしゃるのでは?」
ミカエラについているガルシア家の者にしてみれば、主家の娘を孕ませておきながら、子供の顔も見に来ない、とんでもない男ということになりはしないか。メイローズも苦笑して言った。
「はあ……ですがどうやらその……丁度、ついてきている者たちが、要するにわが主に酒と媚薬を飲ませて美人局に協力した者たちのようで……当時の事情も事情なので、諦めているようです」
「だからと言って……ねえ。御子には何の罪もないのに」
メイローズは優雅な手つきで、陰陽宮の特製ブレンドの薬草茶を淹れる。甘く爽やかな香りが、最近のアデライードのお気にいりだ。
「……わたしに遠慮なさって、あちらに顔を出されないのかしら」
「どうでしょう? 単純に、忌々しくて顔も見たくないのだと思いますが……」
「仮にも辺境伯家の令嬢に御子を産ませておきながら、完全放置は外聞もよくないわ……わたしの度量が狭いとか、器量が小さいとか言われてしまいそう」
アデライードがもう一度、溜息をついた。
同じ一夫多妻でも、西は同格の複数の妻を持つ。多少は身分の上下によって立場の差が出てくるけれど、その分、身分の高い妻には他の妻たちを円満にまとめる度量の広さが求められる。
「それに……将来、辺境伯を継がれる方なのでしょう。女王として無下にもできないわ」
だからアデライードはミカエラにも誕生祝を贈ったし、表向き歓迎する態度を崩さない。もっとも、アデライードから子供の顔を見に行く気はしなかった。
ただでさえ、西の貴族たちは皇帝の瑕瑾を探して嗅ぎまわっている。何とか形だけでも、円満に納めなければ。薬草茶を一口飲んで、言った。
「わたしから頼めば、自ら出向いてくださるかしら」
「さあ――一旦、こうと決めたら、梃でも動かないところがございますからね。ですが、こう申すのも何ですが、姫君が橋渡しをなさる必要もありますまい」
メイローズがいかにも困ったように金色の眉の眉尻を下げるのに、アデライードも苦笑した。
「意地悪な言い方に聞こえるかもしれないけれど、陛下がミカエラ様から逃げ回っていらっしゃるから、ミカエラ様も陛下に執着なさるのよ。陛下が会いに来ないのは、わたしのせいだと思い込もうとしている。お気の毒だけど、陛下は御子にも愛情どころか興味もお持ちでいらっしゃらない。それをはっきりと目の当たりになされば、目も覚めるのではないかしら」
メイローズも一理あると思う。捨てられた失意のどん底で懐妊が明らかになり、一種の妊娠ハイ状態で、もともとシウリンとの関係が破綻していたことを、忘れている。――いや、忘れようとしている。子が出来たくらいであの主が絆されるわけがないのに。
「このまま、悪者にされては堪らないわ。陛下にはご自分で、引導を渡していただかなくては」
アデライードが溜息をつき、長椅子の端で丸くなるリンリンの白い毛皮を撫でる。メイローズが、アデライードに尋ねた。
「そう言えば、わが主には、もう?」
アデライードは緩く首を振る。
「いいえ、まだ。この前はまだ、確証がないと言っていたから」
「ではこの手段はいかかでしょう」
メイローズが少しだけアデライードに顔を近づけ、何事か囁く。ふんふんと聞いていたアデライードが、艶やかに微笑んだ。
「それなら、陛下も神殿に行く気になるかもしれないわ」
そこへ、護衛騎士のユーエルが客人の来訪を告げた。
「エイロニア侯爵令嬢、クリスティナ様です」
「お待ちしていたのよ、こちらへ」
アデライードが言えば、ランパの先導で入ってきたクリスティナを、アデライードとメイローズが立ち上がって出迎える。無言、無表情な美形の護衛騎士が、去り際に一瞬、クリスティナと視線を合わせるのを、アデライードはちゃんと目の端で確認して、満足そうに微笑んだ。
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