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17、致命的な過ち
月神殿
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三月の半ばを過ぎた春分の日、午後、シウリンとアデライードは月蝕祭に出席するために、月神殿に向かう。伴はメイローズとマニ僧都、そして護衛のゾーイとゾラ、ランパ、フエル、アート、テムジンといった面々だ。アリナも同行を願ったが、今回は見送られた。ミハルとともに、ジブリールやリンリンのお守りとなる。
「来ると思うか?」
「両性具有の彼らが、逃げ続けられると思いません。半年後の秋分まで待つくらいなら、今日、来るのではないでしょうか」
アデライードの言葉に、マニ僧都も頷く。
「無理はするなよ、アデライード。今回はジュルチも呼び出すことができなくて、代わりにレグルス僧都に来てもらっている」
「大丈夫です、イスマニヨーラ伯父様。今度は、わたしも戦えます。本気で行きますから、安心してください」
渡し舟の中でのやり取りを聞いていたゾラが、嫌な予感に眉を顰める。
アデライードが本気出して戦うと、何が起こるか――太極殿の二の舞は困る。
(あーあ、もう、この女王様はドジっ娘の上に破壊者なんだよ。この前修理したばっかりなのに、またぞろ月神殿吹っ飛ばしたら、神殿が破産するっちゅうねん!)
今日の月蝕は蝕の開始時間がやや遅いので、先にお斎が出た。念のためにマニ僧都とランパ、フエルを認証の間に詰めさせて、その間に広間で神官らと会食する。祭祀の時間まで一度控室に戻ろうと、回廊を歩いていた時。
柱の影から人影が踊り出て、シウリンが咄嗟にアデライードを背後に庇う。ゾラを筆頭に、護衛たちが一斉に抜刀する。
「何者だ!」
ゾラの怒声にビクリと身を竦めたその影は、小柄だが腹部がはっきりと膨れていた。
「シウリン様、わたくしです、ミカエラです!……どうしても、お話ししたくて……」
柱の影からでてきた女に、シウリンは思わず眉を顰めた。
「お前……接触を禁ずると、メイローズを通じて命じたはずだが」
「それは……でも、どうして、お話ししたくて……今宵は月蝕祭でこちらにいらっしゃると聞いて、ほんの少しでも……」
剣を構えた護衛たちが戸惑って互いに顔を見合わせる。ミカエラの事情を知らされている者は、ゾラ他、ごくごく一部だけである。
――最悪だ、この女。
よりにもよってこんな時に、またもや膨らんだ腹をアデライードを見せつけに来るとは。
シウリンはもう、最後に残ったミカエラへの憐憫の情さえ、露と消えていくのを感じた。
「メイローズ、この女を下がらせよ。……このようなことがないよう、重々、言って聞かせろと命じたのに」
進み出たメイローズが頭を下げ、ミカエラに近づく。
「申し訳ございません。……ミカエラ嬢、伝えたいことがある場合は、私を通じてと申し上げたはずです。わが主はこれから重要な祭祀に出なければならない。前触れもなく皇帝陛下に謁見を願うのも非常な無礼にあたります。さあ……あちらに。伴の方はいらっしゃらないので?」
「シウリン様! お願いです! 少しだけでもっ……!」
だがシウリンは溜息をつくと、背後で困惑していたアデライードに振り返り、言った。
「……見苦しいところを見せて、すまない。行こう、アデライード」
アデライードはちらりとミカエラを見たが、月蝕祭の時間が迫っている今、シウリンにそんな暇はないと知っているので、無言で頷いた。
「アデライード様も!……少しだけ、少しだけでいいんです! お時間をくださいませ! お願いです! アデライード様ならお分かりくださいますよね、わたくしの気持ちが!」
今度はアデライードに向かって懇願を始めたミカエラに、シウリンの堪忍袋の緒が千切れそうになる。
「いい加減にしろ! 我々が月神殿に来るのは神事のためだ。事前の連絡もなしに突撃して、話を聞けと言うばかりか、アデライードにまで……」
「シウリン……」
激昂しかかるシウリンの袖を、アデライードが引いて窘める。
「その……ミカエラ様とおっしゃったかしら。申し訳ないのですが、今宵ばかりは本当に時間がないのです。どうか日を改めて――」
そこまで言いかけて、アデライードははっとしたように翡翠色の瞳を虚空に向けた。
「……伯父様……」
そう呟いたアデライードが、シウリンに向かって言った。
「伯父様から念話が……来たようです」
「何だと、わかった、今すぐ向かおう。あなたは……」
「伯父様たちが心配です。わたし、先に行きます!」
言うが否や、アデライードは転移魔法陣を発動し、その場から消えてしまう。
「アデライード!……ったく、もう!」
シウリンは一瞬で消えた妻に悪態をつくが、すぐに切り替えて配下に命令を下す。
「認証の間に急ぐぞ、できることは少ないかもしれないが、フエルらが心配だ」
「は!」
一同が認証の間に向かおうとするのを、一人、状況を何も知らないミカエラがシウリンに縋りついた。
「シウリン様、お願いです! 少しでいいんです! お話を……」
腕を掴まれた瞬間にシウリンがブチ切れた。
触るな! 今それどころじゃないと、わからんのか! 結界が崩壊して困るのは、お前の領地だろうが! 二度と私の前に現れるな!」
乱暴に腕を振り払った拍子にミカエラがふらつくが、間一髪、走り寄ったメイローズが支える。シウリンはミカエラに構わず回廊を走りだし、騎士たちも後を追う。まだ追い縋ろうとするミカエラを、メイローズが止める。
「本当に逼迫しているのですよ。申し訳ありませんが、お部屋までお送りする暇もないのです。――また、ご連絡を差し上げます。お気をつけてお帰りください」
そしてメイローズも金色の長い三つ編みを翻して、回廊の奥へとその主を追って駆けていく。
一人残されたミカエラは回廊の列柱の一つに縋りつき、ずりずりと滑って膝をつくと、声を上げて泣いた。部屋を勝手に抜け出したミカエラを、従者のユーリらが探しに来るまで、ずっと一人で泣き続けていた。
「来ると思うか?」
「両性具有の彼らが、逃げ続けられると思いません。半年後の秋分まで待つくらいなら、今日、来るのではないでしょうか」
アデライードの言葉に、マニ僧都も頷く。
「無理はするなよ、アデライード。今回はジュルチも呼び出すことができなくて、代わりにレグルス僧都に来てもらっている」
「大丈夫です、イスマニヨーラ伯父様。今度は、わたしも戦えます。本気で行きますから、安心してください」
渡し舟の中でのやり取りを聞いていたゾラが、嫌な予感に眉を顰める。
アデライードが本気出して戦うと、何が起こるか――太極殿の二の舞は困る。
(あーあ、もう、この女王様はドジっ娘の上に破壊者なんだよ。この前修理したばっかりなのに、またぞろ月神殿吹っ飛ばしたら、神殿が破産するっちゅうねん!)
今日の月蝕は蝕の開始時間がやや遅いので、先にお斎が出た。念のためにマニ僧都とランパ、フエルを認証の間に詰めさせて、その間に広間で神官らと会食する。祭祀の時間まで一度控室に戻ろうと、回廊を歩いていた時。
柱の影から人影が踊り出て、シウリンが咄嗟にアデライードを背後に庇う。ゾラを筆頭に、護衛たちが一斉に抜刀する。
「何者だ!」
ゾラの怒声にビクリと身を竦めたその影は、小柄だが腹部がはっきりと膨れていた。
「シウリン様、わたくしです、ミカエラです!……どうしても、お話ししたくて……」
柱の影からでてきた女に、シウリンは思わず眉を顰めた。
「お前……接触を禁ずると、メイローズを通じて命じたはずだが」
「それは……でも、どうして、お話ししたくて……今宵は月蝕祭でこちらにいらっしゃると聞いて、ほんの少しでも……」
剣を構えた護衛たちが戸惑って互いに顔を見合わせる。ミカエラの事情を知らされている者は、ゾラ他、ごくごく一部だけである。
――最悪だ、この女。
よりにもよってこんな時に、またもや膨らんだ腹をアデライードを見せつけに来るとは。
シウリンはもう、最後に残ったミカエラへの憐憫の情さえ、露と消えていくのを感じた。
「メイローズ、この女を下がらせよ。……このようなことがないよう、重々、言って聞かせろと命じたのに」
進み出たメイローズが頭を下げ、ミカエラに近づく。
「申し訳ございません。……ミカエラ嬢、伝えたいことがある場合は、私を通じてと申し上げたはずです。わが主はこれから重要な祭祀に出なければならない。前触れもなく皇帝陛下に謁見を願うのも非常な無礼にあたります。さあ……あちらに。伴の方はいらっしゃらないので?」
「シウリン様! お願いです! 少しだけでもっ……!」
だがシウリンは溜息をつくと、背後で困惑していたアデライードに振り返り、言った。
「……見苦しいところを見せて、すまない。行こう、アデライード」
アデライードはちらりとミカエラを見たが、月蝕祭の時間が迫っている今、シウリンにそんな暇はないと知っているので、無言で頷いた。
「アデライード様も!……少しだけ、少しだけでいいんです! お時間をくださいませ! お願いです! アデライード様ならお分かりくださいますよね、わたくしの気持ちが!」
今度はアデライードに向かって懇願を始めたミカエラに、シウリンの堪忍袋の緒が千切れそうになる。
「いい加減にしろ! 我々が月神殿に来るのは神事のためだ。事前の連絡もなしに突撃して、話を聞けと言うばかりか、アデライードにまで……」
「シウリン……」
激昂しかかるシウリンの袖を、アデライードが引いて窘める。
「その……ミカエラ様とおっしゃったかしら。申し訳ないのですが、今宵ばかりは本当に時間がないのです。どうか日を改めて――」
そこまで言いかけて、アデライードははっとしたように翡翠色の瞳を虚空に向けた。
「……伯父様……」
そう呟いたアデライードが、シウリンに向かって言った。
「伯父様から念話が……来たようです」
「何だと、わかった、今すぐ向かおう。あなたは……」
「伯父様たちが心配です。わたし、先に行きます!」
言うが否や、アデライードは転移魔法陣を発動し、その場から消えてしまう。
「アデライード!……ったく、もう!」
シウリンは一瞬で消えた妻に悪態をつくが、すぐに切り替えて配下に命令を下す。
「認証の間に急ぐぞ、できることは少ないかもしれないが、フエルらが心配だ」
「は!」
一同が認証の間に向かおうとするのを、一人、状況を何も知らないミカエラがシウリンに縋りついた。
「シウリン様、お願いです! 少しでいいんです! お話を……」
腕を掴まれた瞬間にシウリンがブチ切れた。
触るな! 今それどころじゃないと、わからんのか! 結界が崩壊して困るのは、お前の領地だろうが! 二度と私の前に現れるな!」
乱暴に腕を振り払った拍子にミカエラがふらつくが、間一髪、走り寄ったメイローズが支える。シウリンはミカエラに構わず回廊を走りだし、騎士たちも後を追う。まだ追い縋ろうとするミカエラを、メイローズが止める。
「本当に逼迫しているのですよ。申し訳ありませんが、お部屋までお送りする暇もないのです。――また、ご連絡を差し上げます。お気をつけてお帰りください」
そしてメイローズも金色の長い三つ編みを翻して、回廊の奥へとその主を追って駆けていく。
一人残されたミカエラは回廊の列柱の一つに縋りつき、ずりずりと滑って膝をつくと、声を上げて泣いた。部屋を勝手に抜け出したミカエラを、従者のユーリらが探しに来るまで、ずっと一人で泣き続けていた。
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