上 下
205 / 236
17、致命的な過ち

月神殿

しおりを挟む
 三月の半ばを過ぎた春分の日、午後、シウリンとアデライードは月蝕祭に出席するために、月神殿に向かう。伴はメイローズとマニ僧都、そして護衛のゾーイとゾラ、ランパ、フエル、アート、テムジンといった面々だ。アリナも同行を願ったが、今回は見送られた。ミハルとともに、ジブリールやリンリンのお守りとなる。

「来ると思うか?」
「両性具有の彼らが、逃げ続けられると思いません。半年後の秋分まで待つくらいなら、今日、来るのではないでしょうか」

 アデライードの言葉に、マニ僧都も頷く。

「無理はするなよ、アデライード。今回はジュルチも呼び出すことができなくて、代わりにレグルス僧都に来てもらっている」
「大丈夫です、イスマニヨーラ伯父様。今度は、わたしも戦えます。本気で行きますから、安心してください」
 
 渡し舟の中でのやり取りを聞いていたゾラが、嫌な予感に眉を顰める。
 アデライードが本気出して戦うと、何が起こるか――太極殿の二の舞は困る。

(あーあ、もう、この女王様はドジっの上に破壊者ハカイダーなんだよ。この前修理したばっかりなのに、またぞろ月神殿吹っ飛ばしたら、神殿が破産するっちゅうねん!)

 今日の月蝕は蝕の開始時間がやや遅いので、先におときが出た。念のためにマニ僧都とランパ、フエルを認証の間に詰めさせて、その間に広間で神官らと会食する。祭祀の時間まで一度控室に戻ろうと、回廊を歩いていた時。

 柱の影から人影が踊り出て、シウリンが咄嗟にアデライードを背後に庇う。ゾラを筆頭に、護衛たちが一斉に抜刀する。

「何者だ!」
 
 ゾラの怒声にビクリと身を竦めたその影は、小柄だが腹部がはっきりと膨れていた。

「シウリン様、わたくしです、ミカエラです!……どうしても、お話ししたくて……」

 柱の影からでてきた女に、シウリンは思わず眉を顰めた。

「お前……接触を禁ずると、メイローズを通じて命じたはずだが」
「それは……でも、どうして、お話ししたくて……今宵は月蝕祭でこちらにいらっしゃると聞いて、ほんの少しでも……」

 剣を構えた護衛たちが戸惑って互いに顔を見合わせる。ミカエラの事情を知らされている者は、ゾラ他、ごくごく一部だけである。

 ――最悪だ、この女。
 よりにもよってこんな時に、またもや膨らんだ腹をアデライードを見せつけに来るとは。
 
 シウリンはもう、最後に残ったミカエラへの憐憫の情さえ、露と消えていくのを感じた。

「メイローズ、この女を下がらせよ。……このようなことがないよう、重々、言って聞かせろと命じたのに」
 
 進み出たメイローズが頭を下げ、ミカエラに近づく。

「申し訳ございません。……ミカエラ嬢、伝えたいことがある場合は、私を通じてと申し上げたはずです。わが主はこれから重要な祭祀に出なければならない。前触れもなく皇帝陛下に謁見を願うのも非常な無礼にあたります。さあ……あちらに。伴の方はいらっしゃらないので?」
「シウリン様! お願いです! 少しだけでもっ……!」

 だがシウリンは溜息をつくと、背後で困惑していたアデライードに振り返り、言った。

「……見苦しいところを見せて、すまない。行こう、アデライード」

 アデライードはちらりとミカエラを見たが、月蝕祭の時間が迫っている今、シウリンにそんな暇はないと知っているので、無言で頷いた。

「アデライード様も!……少しだけ、少しだけでいいんです! お時間をくださいませ! お願いです! アデライード様ならお分かりくださいますよね、わたくしの気持ちが!」

 今度はアデライードに向かって懇願を始めたミカエラに、シウリンの堪忍袋の緒が千切れそうになる。

「いい加減にしろ! 我々が月神殿に来るのは神事のためだ。事前の連絡もなしに突撃して、話を聞けと言うばかりか、アデライードにまで……」
「シウリン……」
 
 激昂しかかるシウリンの袖を、アデライードが引いて窘める。

「その……ミカエラ様とおっしゃったかしら。申し訳ないのですが、今宵ばかりは本当に時間がないのです。どうか日を改めて――」
 
 そこまで言いかけて、アデライードははっとしたように翡翠色の瞳を虚空に向けた。

「……伯父様……」
 
 そう呟いたアデライードが、シウリンに向かって言った。

「伯父様から念話が……来たようです」
「何だと、わかった、今すぐ向かおう。あなたは……」
「伯父様たちが心配です。わたし、先に行きます!」

 言うが否や、アデライードは転移魔法陣を発動し、その場から消えてしまう。

「アデライード!……ったく、もう!」

 シウリンは一瞬で消えた妻に悪態をつくが、すぐに切り替えて配下に命令を下す。

「認証の間に急ぐぞ、できることは少ないかもしれないが、フエルらが心配だ」
「は!」

 一同が認証の間に向かおうとするのを、一人、状況を何も知らないミカエラがシウリンに縋りついた。

「シウリン様、お願いです! 少しでいいんです! お話を……」
 
 腕を掴まれた瞬間にシウリンがブチ切れた。

 触るな! 今それどころじゃないと、わからんのか! 結界が崩壊して困るのは、お前の領地だろうが! 二度と私の前に現れるな!」

 乱暴に腕を振り払った拍子にミカエラがふらつくが、間一髪、走り寄ったメイローズが支える。シウリンはミカエラに構わず回廊を走りだし、騎士たちも後を追う。まだ追い縋ろうとするミカエラを、メイローズが止める。

「本当に逼迫ひっぱくしているのですよ。申し訳ありませんが、お部屋までお送りする暇もないのです。――また、ご連絡を差し上げます。お気をつけてお帰りください」

 そしてメイローズも金色の長い三つ編みを翻して、回廊の奥へとその主を追って駆けていく。

 一人残されたミカエラは回廊の列柱の一つに縋りつき、ずりずりと滑って膝をつくと、声を上げて泣いた。部屋を勝手に抜け出したミカエラを、従者のユーリらが探しに来るまで、ずっと一人で泣き続けていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

パワハラ騎士団長に追放されたけど、君らが最強だったのは僕が全ステータスを10倍にしてたからだよ。外れスキル《バフ・マスター》で世界最強

こはるんるん
ファンタジー
「アベル、貴様のような軟弱者は、我が栄光の騎士団には不要。追放処分とする!」  騎士団長バランに呼び出された僕――アベルはクビを宣言された。  この世界では8歳になると、女神から特別な能力であるスキルを与えられる。  ボクのスキルは【バフ・マスター】という、他人のステータスを数%アップする力だった。  これを授かった時、外れスキルだと、みんなからバカにされた。  だけど、スキルは使い続けることで、スキルLvが上昇し、強力になっていく。  僕は自分を信じて、8年間、毎日スキルを使い続けた。 「……本当によろしいのですか? 僕のスキルは、バフ(強化)の対象人数3000人に増えただけでなく、効果も全ステータス10倍アップに進化しています。これが無くなってしまえば、大きな戦力ダウンに……」 「アッハッハッハッハッハッハ! 見苦しい言い訳だ! 全ステータス10倍アップだと? バカバカしい。そんな嘘八百を並べ立ててまで、この俺の最強騎士団に残りたいのか!?」  そうして追放された僕であったが――  自分にバフを重ねがけした場合、能力値が100倍にアップすることに気づいた。  その力で、敵国の刺客に襲われた王女様を助けて、新設された魔法騎士団の団長に任命される。    一方で、僕のバフを失ったバラン団長の最強騎士団には暗雲がたれこめていた。 「騎士団が最強だったのは、アベル様のお力があったればこそです!」  これは外れスキル持ちとバカにされ続けた少年が、その力で成り上がって王女に溺愛され、国の英雄となる物語。

処理中です...