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16、まだ見ぬ地へ
消えた未来
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フエルとランパに警護されて塔の部屋に帰る。アルベラには懐かしい面子だ。
「元気だった?」
道すがら、何気なく尋ねるアルベラに、フエルが怒ったように言う。
「元気に決まってますよ。――人の心配はいいから、自分の心配をしてくださいよ! ほんと、能天気なんだから」
そう言われて、アルベラが笑った。
「ほんとそうね。でも、自分の心配をしても、どうにもならないでしょう。人の心配の方がいいわ」
「僕はまだ見習いだから、詳しい話は何も聞いてないんです。だからさっきは驚いて――僕は陛下は、アルベールを守ってくれると信じてたのに」
アルベラが帝国に人質として送られる話は、フエルにとっても青天の霹靂だったらしい。
「うーん。聖地か、どこかの神殿に押し込められるのは覚悟していたから、帝都っていうのは案外と悪くないかもしれないわ」
「そんな能天気な……旅行とはわけが違うんですよ?」
「そうだけど……でも、普通だったら絶対、行くこともないのよね。新しい場所で、新しい生活が始まるって考えたら、なんだかワクワクするじゃない。どっちみち、わたしは死ぬわけにもいかないし、子供は生まなきゃならないし。そう思って、前向きに生きることにしたの」
「前向き過ぎますよ……」
フエルが黒い眉を顰め、辛そうにアルベラを見る。
フエルは以前言った。帝国の叛乱で、十二貴嬪家の当主の多くが命を落とした、と。それ以外にも、たくさんの人が死んだんだろう。そしてその叛乱の背後にアルベラの父イフリート公爵がいたのを、帝都の人はみな、知っている。
帝都では、きっと多くの悪意に曝されるに違いない。
「でも、今からクヨクヨしたってどうしようもないわ。どんなに頑張っても、辛い目に遭うことはある。辛い思いは、辛い目に遭ってからしても十分じゃない。まだ辛くない間は、楽しいことを考えるわ」
そう微笑えんで、アルベラが塔の入口に手をかけた時。
死角から、わらわらと数人が走り出てきた。黒い布で顔を包み、みな剣を抜いている。フエルもランパも、すぐに剣を抜く。
「何者だ!」
フエルが厳しく誰何するが、顔を包んだ男たちはくぐもった声で言った。
「アルベラ姫を頂戴する」
「我らの主を奪還する」
ランパに向けて打ち込まれる剣をランパが何気なく払い、剣を返して手首を切り飛ばし、戦闘不能にする。反対側でもフエルが二人を相手にしてアルベラを護る。だがその隙に違う腕が伸びてきて、アルベラの腕を掴んだ。
「こちらへ!」
「いや! 何するの、離して!」
「姫、我らを信じてください!」
アルベラが抵抗していると、聞き覚えのある蓮っ葉な声が飛んだ。
「兄さん、嫌がる女の子に無理強いはよくねぇよ。手を離しな」
いつの間にか、彼らの周囲を東の騎士の一隊が取り囲んでいた。
「お前――テセウス? 生きていたのか!」
「ああもうっ、テセウス、テセウス、うっせーっつーの! 俺は栄えある皇帝陛下直属の親衛騎士で、ウソみたいだけど貴種の跡取り息子なわけ。家柄も剣の腕も、絶対に俺の方が上なのよ? 俺がテセウスに負けてんのは誠実さと言葉遣いだけって、何度説明したら西の皆さんはわかってくれんの?」
ゾラが盛大に愚痴をぶちまけて、そのまま流れるような動きで一歩踏み出し、アルベラの腕を掴んでいた男の黒い頭巾を剣で取り去る。現れたのは銀髪に青い目をした男――。
「パウロス!」
「アリオス家のお坊ちゃまはとうとう、やらかしちゃったっすね。見せしめに潰される御家はアリオス家に決定~っと」
ゾラは悪戯っぽく言うと、周囲の騎士たちに命令を下す。
「時代を読み違えちゃってるお坊ちゃんがたも、一人残らず確保しろよ!」
ランパとフエルも心得ていて、次々と男たちを拘束していく。――二人がアルベラの護衛に付いたのは、襲撃を予想してのことだったと、アルベラはようやく合点した。
アデライードの戴冠式の間、アルベラの警備は手薄になる。反アデライード派がアルベラの身柄を奪うなら、その隙を狙うに違いない。
シウリンら東の首脳部はそれを読んだうえで、わざと先ほどのアデライードとの対面で、アルベラを人質として帝国に差し出すと表明した。反アデライード派の焦燥を煽り、実力行使に追い込むために。
捕らえられていく男たちを見ながら、アルベラは気づく。
この一件が公になれば、アルベラが帝国に送られるのも仕方のないことと、西の貴族も納得せざるを得ない。アルベラはナキアにあるだけで、アデライードの王権を脅かす存在となる。女王国の安定のためには、アルベラをナキアから遠ざけることが必要だ、と。
きっと、数日前のパウロスの訪問も上層部は掴んでいた。それをあえて泳がせ、決定的なところで叩き潰す。危険因子を排除し、見せしめにし、帝国の力を誇示するために――。
アルベラはそっと溜息をつく。
全て、シウリンらの手のひらの上で踊らされているだけ。
拘束され、引っ立てられていく男たちを見送っていたアルベラは、背後に視線を感じ、振り向いた。ゾラが、じっとアルベラを見ていた。
アルベラを人質として帝都へ送るという決定は、つまり――。
いつもは飄々としたゾラが、珍しく屈託した様子で、顔を歪めた。
「嬢ちゃん……帝都行きの件、俺もさっき聞いたんだけどよ。――俺は、陛下に死ぬまでお仕えするって、決めてる。家族よりも、好きになった女よりも、何よりも、陛下を優先するって。だから――俺は帝都には行けない」
アルベラが帝都に行く以上、ゾラとの未来はない。ゾラが先のことを考えてくれていたことに、少し驚いた。
「ううん……今まで、ありがとう。あなたに、一番、お世話になったと思う。あなたがいたおかげで、テセウスの死も乗り越えられたのかもしれない」
ゾラはゾラで、テセウスはテセウスだ。二人は、全然違う別の人間だ。でも――。
テセウスの死後もゾラが身近にいたことで、アルベラはどこかで救われていた。でももう、これ以上、甘えるわけにはいかない。
気づけば、アルベラの頬を涙が伝う。
今、ゾラと別れることでようやく、テセウスとも訣別できるのかも、しれない――。
「じゃあ、嬢ちゃん……元気でな」
「さようなら……」
背中を向けて去って行くゾラの背中を見送って、アルベラは、少しだけ自由になった、気がした。
「元気だった?」
道すがら、何気なく尋ねるアルベラに、フエルが怒ったように言う。
「元気に決まってますよ。――人の心配はいいから、自分の心配をしてくださいよ! ほんと、能天気なんだから」
そう言われて、アルベラが笑った。
「ほんとそうね。でも、自分の心配をしても、どうにもならないでしょう。人の心配の方がいいわ」
「僕はまだ見習いだから、詳しい話は何も聞いてないんです。だからさっきは驚いて――僕は陛下は、アルベールを守ってくれると信じてたのに」
アルベラが帝国に人質として送られる話は、フエルにとっても青天の霹靂だったらしい。
「うーん。聖地か、どこかの神殿に押し込められるのは覚悟していたから、帝都っていうのは案外と悪くないかもしれないわ」
「そんな能天気な……旅行とはわけが違うんですよ?」
「そうだけど……でも、普通だったら絶対、行くこともないのよね。新しい場所で、新しい生活が始まるって考えたら、なんだかワクワクするじゃない。どっちみち、わたしは死ぬわけにもいかないし、子供は生まなきゃならないし。そう思って、前向きに生きることにしたの」
「前向き過ぎますよ……」
フエルが黒い眉を顰め、辛そうにアルベラを見る。
フエルは以前言った。帝国の叛乱で、十二貴嬪家の当主の多くが命を落とした、と。それ以外にも、たくさんの人が死んだんだろう。そしてその叛乱の背後にアルベラの父イフリート公爵がいたのを、帝都の人はみな、知っている。
帝都では、きっと多くの悪意に曝されるに違いない。
「でも、今からクヨクヨしたってどうしようもないわ。どんなに頑張っても、辛い目に遭うことはある。辛い思いは、辛い目に遭ってからしても十分じゃない。まだ辛くない間は、楽しいことを考えるわ」
そう微笑えんで、アルベラが塔の入口に手をかけた時。
死角から、わらわらと数人が走り出てきた。黒い布で顔を包み、みな剣を抜いている。フエルもランパも、すぐに剣を抜く。
「何者だ!」
フエルが厳しく誰何するが、顔を包んだ男たちはくぐもった声で言った。
「アルベラ姫を頂戴する」
「我らの主を奪還する」
ランパに向けて打ち込まれる剣をランパが何気なく払い、剣を返して手首を切り飛ばし、戦闘不能にする。反対側でもフエルが二人を相手にしてアルベラを護る。だがその隙に違う腕が伸びてきて、アルベラの腕を掴んだ。
「こちらへ!」
「いや! 何するの、離して!」
「姫、我らを信じてください!」
アルベラが抵抗していると、聞き覚えのある蓮っ葉な声が飛んだ。
「兄さん、嫌がる女の子に無理強いはよくねぇよ。手を離しな」
いつの間にか、彼らの周囲を東の騎士の一隊が取り囲んでいた。
「お前――テセウス? 生きていたのか!」
「ああもうっ、テセウス、テセウス、うっせーっつーの! 俺は栄えある皇帝陛下直属の親衛騎士で、ウソみたいだけど貴種の跡取り息子なわけ。家柄も剣の腕も、絶対に俺の方が上なのよ? 俺がテセウスに負けてんのは誠実さと言葉遣いだけって、何度説明したら西の皆さんはわかってくれんの?」
ゾラが盛大に愚痴をぶちまけて、そのまま流れるような動きで一歩踏み出し、アルベラの腕を掴んでいた男の黒い頭巾を剣で取り去る。現れたのは銀髪に青い目をした男――。
「パウロス!」
「アリオス家のお坊ちゃまはとうとう、やらかしちゃったっすね。見せしめに潰される御家はアリオス家に決定~っと」
ゾラは悪戯っぽく言うと、周囲の騎士たちに命令を下す。
「時代を読み違えちゃってるお坊ちゃんがたも、一人残らず確保しろよ!」
ランパとフエルも心得ていて、次々と男たちを拘束していく。――二人がアルベラの護衛に付いたのは、襲撃を予想してのことだったと、アルベラはようやく合点した。
アデライードの戴冠式の間、アルベラの警備は手薄になる。反アデライード派がアルベラの身柄を奪うなら、その隙を狙うに違いない。
シウリンら東の首脳部はそれを読んだうえで、わざと先ほどのアデライードとの対面で、アルベラを人質として帝国に差し出すと表明した。反アデライード派の焦燥を煽り、実力行使に追い込むために。
捕らえられていく男たちを見ながら、アルベラは気づく。
この一件が公になれば、アルベラが帝国に送られるのも仕方のないことと、西の貴族も納得せざるを得ない。アルベラはナキアにあるだけで、アデライードの王権を脅かす存在となる。女王国の安定のためには、アルベラをナキアから遠ざけることが必要だ、と。
きっと、数日前のパウロスの訪問も上層部は掴んでいた。それをあえて泳がせ、決定的なところで叩き潰す。危険因子を排除し、見せしめにし、帝国の力を誇示するために――。
アルベラはそっと溜息をつく。
全て、シウリンらの手のひらの上で踊らされているだけ。
拘束され、引っ立てられていく男たちを見送っていたアルベラは、背後に視線を感じ、振り向いた。ゾラが、じっとアルベラを見ていた。
アルベラを人質として帝都へ送るという決定は、つまり――。
いつもは飄々としたゾラが、珍しく屈託した様子で、顔を歪めた。
「嬢ちゃん……帝都行きの件、俺もさっき聞いたんだけどよ。――俺は、陛下に死ぬまでお仕えするって、決めてる。家族よりも、好きになった女よりも、何よりも、陛下を優先するって。だから――俺は帝都には行けない」
アルベラが帝都に行く以上、ゾラとの未来はない。ゾラが先のことを考えてくれていたことに、少し驚いた。
「ううん……今まで、ありがとう。あなたに、一番、お世話になったと思う。あなたがいたおかげで、テセウスの死も乗り越えられたのかもしれない」
ゾラはゾラで、テセウスはテセウスだ。二人は、全然違う別の人間だ。でも――。
テセウスの死後もゾラが身近にいたことで、アルベラはどこかで救われていた。でももう、これ以上、甘えるわけにはいかない。
気づけば、アルベラの頬を涙が伝う。
今、ゾラと別れることでようやく、テセウスとも訣別できるのかも、しれない――。
「じゃあ、嬢ちゃん……元気でな」
「さようなら……」
背中を向けて去って行くゾラの背中を見送って、アルベラは、少しだけ自由になった、気がした。
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