上 下
183 / 236
16、まだ見ぬ地へ

賢親王の要請

しおりを挟む
 アデライードの戴冠式を翌日に控え、シウリンは兄、賢親王との魔法陣を介した会談に臨む。同席するのは太傅のゲル、少傅のゾーイ、そしてメイローズ。極限まで同席者を絞り、最大の懸案事項を話し合わねばならない。

 皇帝の執務室、肘掛椅子に座って待つシウリンの前に、やはり肘掛け椅子にかけた賢親王の立体映像ホログラムが現れた。その傍らに立つのは、黒髪を中央で分けてピッタリと撫でつけ、片眼鏡モノクルを装着したゲルフィン。――つい数か月前の取り乱し様が嘘のような、相変わらず厭味な姿だ。

「久しぶりです、陛下」

 賢親王の呼びかけに、シウリンが顔を顰める。

「敬語はやめてください、兄上。――公の場ならともかく、これは私的な会議です」
「ならば――シウリン。無事に結界が修復されたことは喜ばしい。だが、赤子の件は残念であった」
 
 沈痛な表情で述べる賢親王に、シウリンも頷く。

「予想よりも結界の損傷が大きくて――アデライードの魔力でも厳しい状況でした」
「何、そなたらはまだ若い。すぐにまた授かるだろう。気を落とすな」
 
 黒い睫毛を伏せた異母弟を気遣い、賢親王はその話はそこで打ち切った。

「やはり、アルベラ姫を担ぎ出そうという輩が出たか」
「元老院は既得権益を守ろうと必死です。私が東の皇帝だという反発もある。彼らにとって、未婚のアルベラの方が都合がいい」
「アルベラ姫の精脈は――」
「絶ちました。メイローズと暗部によって監視も怠っていません。――さっそく、鼠が引っかかりましたがね」

 シウリンがちらりとメイローズを見やる。

「アルベラ姫の反応は如何いかに」

 賢親王の問いに、メイローズが頭を下げる。

「は。帝国の属国になる、東の男のいいようにされていいのか、と詰られて、同じことなら魔物を払ってくれる、東の男の方がマシだと」
 
 横で聞いていたゾーイが不自然な咳をした。

「……気の強い娘のようだな。して、その処遇はなんとする。どこか神殿にでも押し込めるか?」
「それが――」

 煮え切らない様子のシウリンに代わり、メイローズがすっぱりと言った。

「わずかではございますが、〈王気〉が見られました」
「なんと――だがアルベラ姫は……」
「結界が強化されたせいかも知れません」

 メイローズの言葉に、シウリンが付け足す。

「結界の外に出たら――例えば聖地かどこかに行ったら、〈王気〉が消える可能性も……」
「なんとまあ、かそけきことよ!」

 賢親王が呆れたように言う。

「だがそのようにかそけき〈王気〉であれ、それがある以上は龍種だ。……ならばやはり、銀の龍種を生んでもらわねばならぬの」
「相当、魔力の強い男でなければ、銀の龍種を生むのは叶わぬのではありませんか」

 ゲルが控えめに言う。
 
「ふむ。――だが、女王家の姫はもともと、女児しか産むことはないのだな。つまり、その男の跡継ぎを生むことは叶わぬ。となれば貴種の正嫡の者と娶あわすわけにはいかぬ」

 シウリンが眉間に皺を刻む。

「つまり――ゾラではダメですか」
「ゾラ?……ああ、フォーラ家の。それはやめておいたがよかろう。父親のジームから苦情がくると煩い」
「ゾラに……精脈を絶たせたのですが」
「別に、精脈を絶った男と結婚させる必要はあるまい」

 あっさり却下されて、シウリンは溜息をつく。

「しかし、こちらは女性の貞操にうるさい。精脈を絶った男とは、別の男に嫁がせるとなれば……」

 シウリンがアルベラの心情を気遣うのを見て、賢親王が眉をひそめる。

「畏れながら、アルベラ姫をナキアに置く限り、世俗派の蠢動はやまぬと思われます」

 賢親王の傍らにいたゲルフィンが口を挟む。シウリンがゲルフィンを見る。

「……アルベラを、ナキアから出すと。ならば何処いずこに?」
「人質という形で、帝都にお住まいいただくのがよろしいかと」
「「人質」」

 シウリンとゾーイが同時に呟く。

「だがそれでは、西の世俗派だけでなく中立派の反発も必至だ。極力波風を立てたくない」

 シウリンが否定的に首を振るが、ゲルフィンは敢えて続ける。

「女王家の姫とはいえ、要はイフリート家の娘です。微かながらも〈王気〉を持つ故に殺さぬだけです。あまりに甘い処遇では、イフリート家の為したことと釣り合いません。帝国の貴種の心情として、納得しかねます」
「だが……」
「帝都の、廃太子の叛乱の背後にはイフリート公爵がおりました。あれで、どれだけの被害が出たか、陛下は早くもお忘れでいらっしゃる」

 シウリンが無言で立体映像ホログラムの向こうを眺める。ゲルフィンの父や叔父をはじめ、多くの高官があの叛乱で理不尽に命を奪われた。その傷は相当に深い。賢親王も頷いた。

「そうよの。……余の息子も全員、殺されておる。命は助かったものの、害に遭った皇子は十人を越えておるぞ。さすがにその娘を無傷で置いておくわけにはいくまい」
「兄上……」

 しばらく顎に手をあてて考えていた賢親王が、その手をひじ掛けにおろし、居住まいを正す。

「……ならば、これは余、いや、一親王として陛下にお願いする。アルベラ姫を余に下げ渡していただきたい」

 その言葉に、シウリンが目を剥き、ゾーイもゲルも、そしてメイローズも虚を衝かれて息を飲んだ。滅多なことでは表情を変えないゲルフィンですら、片眼鏡モノクルの陰の切れ長の目を見開く。

「あ、兄上?」

 シウリンがまじまじと兄を見つめる。――どんな時でも冷静沈着で、そして筋を通してきた真っ当な兄だと思っていたが。

「それは――その――」
「アルベラ姫は銀の龍種を産まねばならぬのであろう。その孕ませ役を余が担うと申すのだ。余の精であれば、あるかなきかのかそけき〈王気〉の姫でも、銀の龍種ぐらい孕めよう」

 冷酷に言い放った異母兄を見つめ、シウリンが思わず呟いた。

「……私の耳がおかしくなったのか? それとも魔法陣の不調か?」
「俺の耳にも同じように聞こえておりますから、魔法陣でもお耳の不調でもございませんよ」

 ゲルフィンの些か呆れたようなセリフがシウリンの耳を打つ。

「ですが! アルベラはまだ二十歳です! いえ、二十歳なのが信じられぬくらい、子供っぽいところのある娘で……あ、あ、兄上ももう、五十――」
「正月で五十二になるな。三十も上の、父親程の男の子を孕ませられるのだ。イフリート公の娘とあれば、それくらいの報復は必要ではないか?」
「しかし!」

 シウリンは反論しようとしても、だが動揺のあまり言葉が出てこない。思わず背後を振り向いて言う。

「おぬしら、兄上に何とか言って、やめさせてくれ! いくら何でもっ……」

 ゾーイは茫然と立体映像を見上げているだけで、ゲルは困惑したように眉を八の字に下げている。唯一冷静なのはメイローズくらいだった。

「お言葉ながら――たとえかそけき〈王気〉にしても、金銀の龍種同士の婚姻には〈禁苑〉の許可が必要でございます」
「婚姻?……別に、正式な妃として迎える必要などなかろう。銀の龍種は父親が誰であれ、関係ないからな」

 子は孕ませるが妃として迎えるつもりもない、という兄の言葉に、シウリンは絶句した。大きく肩で息をして、反論するどころではない。メイローズだけが、冷静に言葉を紡ぐ。

「そうは申されましても、龍種同士であれば、男児が出生する可能性もございます。……とくに、母の〈王気〉が弱く父の〈王気〉が強い場合は十分にあり得ると存じますが――」
「男児は必要ない。――余にはもう、五人もいたからな。それに、余に男児が生まれれば、それを理由に余の即位を押す者どもが調子づく。何より、イフリート家の血を享けた金の龍種など、存在すら忌まわしい。それは〈純陽〉として聖地に入れることにしよう」
「兄上!」

 あまりの言いようにシウリンは叫んだが、だが賢親王の決意は揺らがなかった。

「それらも含めての全てが、アルベラ姫、そしてイフリート家への報復である。――叛乱を鎮定し、摂政として国政を預かる我が唯一の願いを、陛下はお聞き届けくださらぬのか?」

 叛乱によって家族すべてを失い、その後も献身的に国に尽くしてきた賢親王の要請を、皇帝としてシウリンは退けることはできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

【R18】転生?した先は、リアルよりもHな世界でした。

N.M.V
ファンタジー
注)本小説は、1話毎にエロシーンが御座います。嫌悪感を抱かれる方、苦手な方は閲覧をお控えください。 ……そこはダンジョン奥深く、戦闘の狭間で休憩していたワタシは、パーティーメンバーの1人、後衛の魔法士にいきなり弱の麻痺魔法をかけられ、押し倒された。 「なに考えれんろのよ!!、やめれぇ!!」 麻痺のせいでろれつが回らない。 「テメェが、素直にヤラせてくれねーからだろ?」 他のメンバーに助けを求め視線を向けた。だけど、全員が下卑た笑いをしてる。コイツら全員最初からワタシを犯す気なんだ。 最悪だわ。 魔法士は、ワタシの装備を剥がし、その下の服を引き裂いて、下半身の下着を引きちぎった。 「ペナルティ食らうわよ……」 「そんなもん怖くねーよ、気持ち良けりゃイイんだよ」 魔法士はそう言ってズボンを下ろした。ギンギンに張ったサオを握りしめ、ワタシの股を割って腰を入れて来る。 「や、やめてぇ、いやぁん」 「好き者のくせに、カマトトぶるんじゃねーよ、最初に誘ったのはオメエじゃねーか」 強引なのは嫌なのよ! 魔法士のサオがワタシのアソコに当てがわれ、先っちょが入って来る。太くて硬い、リアルとは異なるモノが…… 「や、いやっ、あっ、ああっ」 ……… ワタシの名前は、「エム」 人類は平和だろうが戦争中だろうが、心に余裕があろうがなかろうが、生きるも死ぬも関係なしに、とにかく欲望のままにHをしたがる。 ワタシがプレイしていたゲームは、そんな人類の中で、人より頭がちょっと賢くてオカシなゲームマスターが 「とにかくHがしたい」 なーんて感じで娯楽を創造したんだと思う。 類い稀なるフルダイブ型エロゲー。世界設定は、剣と魔法のファンタジー、エロゲーだけあり、Hもできちゃう。 でも内容は本格的、一切の妥協はなし。 生と死の間、命のやりとり、バトルオブサスペンス!、世界も広い!、未踏の大地、拡張されるストーリー!、無限に広がるナントやら。 因みに、H出来るのは倫理上、人同士のみ。 ゴブリンに攫われてヤラレちゃうとかナンセンス。そんなのは他所でヤレ、です。 …そんなゲーム世界から、いきなり異世界に飛ばされてしまった不幸なワタシの物語です。

【完結】「父に毒殺され母の葬儀までタイムリープしたので、親戚の集まる前で父にやり返してやった」

まほりろ
恋愛
十八歳の私は異母妹に婚約者を奪われ、父と継母に毒殺された。 気がついたら十歳まで時間が巻き戻っていて、母の葬儀の最中だった。 私に毒を飲ませた父と継母が、虫の息の私の耳元で得意げに母を毒殺した経緯を話していたことを思い出した。 母の葬儀が終われば私は屋敷に幽閉され、外部との連絡手段を失ってしまう。 父を断罪できるチャンスは今しかない。 「お父様は悪くないの!  お父様は愛する人と一緒になりたかっただけなの!  だからお父様はお母様に毒をもったの!  お願いお父様を捕まえないで!」 私は声の限りに叫んでいた。 心の奥にほんの少し芽生えた父への殺意とともに。 ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 ※「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※タイトル変更しました。 旧タイトル「父に殺されタイムリープしたので『お父様は悪くないの!お父様は愛する人と一緒になりたくてお母様の食事に毒をもっただけなの!』と叫んでみた」

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

処理中です...