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15、王気

王気

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 帝国軍の大部分が帝都へと帰還したその日、メイローズとシリルが目立たぬように、アルベラを女王の棟へと連れ出した。
 女王の寝室のある、王城の最奥。アルベラもまた、九歳まではこの棟に住んでいた。久しぶりに足を踏み入れた女王の居間を、懐かしく見回す。記憶にあるものとはカーテンも絨毯も、そして家具も変わっていた。

 勧められた長椅子にアルベラが腰を下ろすと、すぐに若い男性が茶の盆を捧げて入ってきた。メイローズはアデライードの部屋に伝達に向かい、シリルは男を手伝って茶の支度をする。

「この人が太監たいかん――ええっと、一番偉い宦官の、シャオトーズさんです」

 シリルがアルベラに紹介し、シャオトーズが手を止めて優雅にお辞儀をし、香り高い緑茶をアルベラの前に置く。奥の扉が開き、黒く長い髪を靡かせた背の高い女騎士が入ってきた。だがそのお腹が明らかに臨月の妊婦のそれで、アルベラは息を飲む。女は颯爽とアルベラの前に進むと、少しだけ腰を折る。

「これからアデライード女王陛下がいらっしゃいます。わたくしは護衛の、ゲセル家のアリナと申します」
「……もしかして、ゾーイさんの奥さん?」

 そう聞かれて、アリナは黒い切れ長の瞳を一瞬、驚いたように見開いたが、すぐににっこりと微笑んだ。

「ええ。旅の間は夫がお世話になりました」

 アリナは一礼するとくるりと踵を返し、再び颯爽と奥の部屋へと歩み去る。男装しているその姿には、何とも言えない色香がにじみ出ていて、アルベラはしばしその後ろ姿に見惚れてしまった。

(なるほど! これが究極の男装――)

 ゾーイが男装に並々ならぬ拘りを抱くのも当然だ。ほどなくしてメイローズの先導で、白金色の髪をしたいかにも儚げな少女が寝室から出てきた。薄紫色の古風な巻き付け式の長衣に、白く細い毛糸で編まれたショールを羽織っている。アルベラが弾かれたように立ち上がる。

 叔母のユウラ女王によく似た、目を瞠るほど美しい少女。翡翠色の瞳は夢見るように揺蕩って、この世ならぬものに向けられているかのよう。白金の髪は緩やかにウェーブを描いて腰まで覆い、洗練されているがどこか危うい雰囲気が漂い、つい、抱きしめて守ってあげたくなる。

 何よりも全身にまとう眩いばかりの銀の〈王気〉。時に龍の形を取って揺らぐそれは、シウリンの金色の〈王気〉に勝るとも劣らない。

(すごい――こんなの、初めて見たわ……)

 シウリンのそれもすごかったが、アデライードのもすごい。幼い日はユウラ女王の〈王気〉が強くて素晴らしいと思ったけれど、アデライードの〈王気〉はそれを凌駕していた。

 アルベラがアデライードの〈王気〉に見惚れていると、アデライードもまた立ち止まり、アルベラを見た。二人の目が合って、だがアデライードの目が驚愕に見開かれる。銀色の〈王気〉がざわざわと揺れて、龍が暴れるように飛び交い、無言で咆哮した。形のよい唇が開いて、小さく動いた。

《どうして――? だって……これは……》

 そう読み取って、アルベラは気づいた。――アデライードは、アルベラの〈王気〉を視ている。

 カタカタと風もないのに茶器が鳴り、カーテンが捲り上がり、天井のシャンデリアが揺れ出した。壁付けの魔力灯のガラス幌がパリン、パリンと砕け散る。

 何が起きているのか、護衛のアリナとメイローズがはっとする。アデライードは傍目にも明らかに動揺しており、魔力がグルグルと渦巻いている。

「姫君! いけません、落ち着いてっ!」
「姫様?」

 メイローズとアリナが異常に気付き、アデライードを宥めようとするが、アデライードは二人の声も耳に入らないのか、蒼白になって立ち尽くすだけだ。

「ガルル、ガウ、ガウ!」

 隣室から白い毛玉が走ってきてアデライードの長衣の裾に纏わりつき、「ガウ!」と吼えた。

「ジブリール!」

 アルベラが叫ぶ。アデライードの魔力の乱れはさらにひどくなり、カーテンが風を孕んだように大きくまくれ上がり、頭上のシャンデリアがガシャガシャと揺れ、卓上の茶器が揺れてお茶が溢れる。

(――わたしの、〈王気〉を視たから――?)

 アデライードの足元に大きな白い光の魔法陣が浮かび、アルベラは本能的にまずいと思った。動揺のあまり魔力が乱れ、何か術を発しようとしていた。――魔力の暴走を止めなければ!

 アルベラは無意識にぬるくなったお茶の杯を掴んで、中身をアデライードの顔に浴びせかけていた。

 バシャ!

「アルベラ、なんてことを!」
「姫様!」

 シリルが仰天して叫び、アリナが悲鳴を上げたけれど、アデライードはお茶を被ったショックで我に返ったのか、足元の魔法陣が消えた。数秒、呆然とアルベラの顔を見詰めていたが、その場に崩れるように気を失い、メイローズが素早くアデライードを支える。

「姫様!」

 アリナもまた慌ててアデライードに駆け寄るけれど、メイローズがさっとアデライードを横抱きにして、言った。

「申し訳ありません、アルベラ姫。私の失態です。……アデライード様にアルベラ様の〈王気〉について話していませんでした。ここまでショックを受けると、考慮しなかった。今日は一旦、出直していただけますか」

 やはり、アルベラの〈王気〉のせいなのだ。アルベラはアデライードが取り乱した理由が気になったけれど、だが長い睫毛を伏せて意識を失っているアデライードを見ては、これ以上尋ねることはできない。

「……いえ、わたしは大丈夫。……その、お茶をかけてしまって……」

 謝るアルベラに、メイローズは金色のに眉を八の字にして、苦笑した。

「驚きましたが……あのまま魔力暴走が起こるよりはよかった」

 アデライードを横抱きにして去っていくメイローズとアリナを見送り、アルベラはどさりとソファに腰を下ろす。

 自分の両腕を見下ろせば、アデライードのものとは比較にもならないほど弱い、銀色の〈王気〉が薄っすらと視える。

〈王気〉――。

 これがないために、アルベラは苦しんできた。だが今になって弱いながらも〈王気〉が現れ、それを視たアデライードが衝撃を受けた。

 やはり自分たちは相容れないのか。
 できれば、女王家の血を引く者として、アデライードの力になりたいと思ったのに――。

 アルベラはアデライードの去った扉をじっと見つめ、溜息をついた。
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