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14、薤露

アルベラの未来

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 アルベラが目を覚ましたのは、日も高くなってから――。
 細い窓から光が差し込む部屋で、アルベラは眩しさに目を細める。
 身体がギシギシして、とくに脚の付け根が痛い。顔を顰めながら起き上ると、一糸まとわぬ肌のあちこちに、赤い鬱血痕が散っている。――昨夜の記憶が蘇って、アルベラは真っ赤になってシーツをかき寄せる。枕元にはテセウスの短剣が置いてあった。

「目を覚ましたの! アルベラ!」

 聞きなれた、そして懐かしい声がして、アルベラは声をのする方に目を向ける。ちょうど、枯草色の髪に白い布を巻いた少年が、水差しと盥を抱えて入ってきたところだった。

「……シリル……」
「アルベラ……」

 走り寄ってきたシリルの、ハシバミ色の両目がみるみる潤んで、滂沱たる涙が溢れ出す。

「アルベラ、俺、もう絶対、アルベラの側を離れないから。アルベラがこの先どうなろうが、誰と結婚しようが、ウルサイ、邪魔だどけ、って言われても、絶対、絶対、ついていくから!」
「……何の話よ……」

 薬の後遺症か、まだ頭が痛い。昨夜のあれはゾラ?……それとも、テセウス? 自分はこの後、いったいどうなるのかと――。

「体調はどう? 顔を洗って、身なりを整えたら、メイローズさんに診てもらった方がいい」
「メイローズ?」

 聞きなれない人名に、アルベラが首を傾げる。シリルが泣き笑いのような顔をした。

「ああ、シウリンの――皇帝の側付きだった、今は陰陽宮の枢機卿をしてる、宦官なんだ。……俺の、お師匠さん。俺、今は宦官の修行中なんだぜ?」
「かんがん」
「いや、俺さ、できる仕事がほとんどなくって……その、宦官が一番近いらしいんだよね。もともと半陰陽だし」
「そう……なんだ」
「で、そのメイローズさんは〈王気〉もバッチリ見える人なんだけど、アルベラに〈王気〉があるって言ってたよ」

 アルベラは自分の腕を見下ろす。たしかに、薄っすらとだが銀色の光が視える。シウリンのような、時々龍が焔のように湧きおこる、そんな強さはない。ただ薄っすら、銀色に光っている。

「……結界が、治ったせいだって、お兄様が」
「うん、メイローズさんもそう、言ってた。でも、アルベラに〈王気〉があることで、おかしなことを仕出かすのが出ないように、しばらくはここに隠そうってことになったから」

 その言葉にアルベラもはっとした。〈王気〉があると言うことは、龍種で、女王の資格があるということだ。だが、そもそもはアデライードが結界を修復したから、アルベラに〈王気〉が出現したわけだが――。

「アルベラ、お腹空いただろ? あ、風呂に入りたい? この部屋はさ、設備がちょっと古くて、お風呂の支度は時間かかるんだよね」
「お風呂、入りたい。でも、準備が必要なら、後でもいいわ」
「そう、じゃあ、準備してくる。ちょっと待ってて!」

 シリルはアルベラに絹のガウンを着せると、部屋を走り出て行く。次に戻ってきたとき、パンとスープ、それから果物の乗った盆を抱えてきた。
 
「お風呂の準備ができるまで、これ、食べてて」
「ありがとう」

 昨日の昼過ぎ、シメオンから渡された葡萄酒を飲んで以来だ。――ああ、でもゾラには水をもらったな、と思い出す。空腹だったけれど、食欲はない。でも、こういう時こそ食べなければ、と出された食事を根性で完食すると、ノックの音がして、長い金髪を後ろで一本に編んだ、美貌の男が入ってきた。
 
「アルベラ姫。初めて御意を得ます。……陰陽宮の枢機卿をしております、メイローズと申します」
「あ、……アルベラ、です。初めまして」

 言われてみれば、男は年齢不詳で声が妙に甲高い。これが宦官なのだ、とアルベラは納得した。

「お体の加減はいかかでしょうか」
 
 メイローズと名乗った男は寝台の脇に片膝をつき、紺碧の瞳をまっすぐに向ける。

「えっと、その……」
「脈を取らせていただいても?」

 するりと自然に細い手首を取られ、そこに指を当てられる。

「お熱などもないようですね。入浴を済まされましたころに、また参ります」

 メイローズはシリルにいくつか注意を与え、優雅に一礼して去って行く。それを見送るシリルの立ち居振る舞いも、以前とは大違いに洗練されていた。

「……なんか、すごい人ね」 
「あ? ああ、優しいけど、厳しいんだ。普段の態度も、全部、一から直されたよ。……言葉遣いも、本当はこんな風には喋っちゃダメなんだけど、急に俺が丁寧に喋ったら、アルベラも気持ち悪いかと思って」
「……想像もつかないわ」

 入浴の準備ができたからとシリルの介添えで風呂に入り、丁寧に洗われる。洗髪の技術が劇的に向上していることに、アルベラは再び驚いた。

「俺はさ、皇帝陛下――シウリンのことだよ?――のお世話はさせてもらえるんだけど、アデライード姫お世話はやったことがなくて、長い髪を洗うのは久しぶりなんだ」
  
 アデライードはわずかな侍女がついていて、宦官は直接の世話はしない。

「アルベラも、侍女の方が便利だよね。でも、信用のおける侍女がいなくて、しばらくは俺一人で我慢して」
 
 シリルが着替えとして持ってきたのは、白絹のストンとした被り型のワンピースの上に、深緑色の毛織のガウンを重ねるタイプの長衣だ。胸の下で金銀糸の組紐を交差させるように締め、シリルが丁寧に飾り結びにした。足元はフェルトの室内履き。アルベラがいつも冬に使っていた愛用の品だ。

「シリルは、シルルッサからずっと、シウリンとアデライードの下で働いているの?」
「うん。そうそう、シウリンは皇帝になっちゃったから、御名をお呼びしてはいけないんだって。陛下とか、宦官は万歳爺わんすいいえって呼ぶよ。アデライード姫のことは娘娘にゃんにゃんって呼ばなきゃいけないんだ」
「何それ! 変な呼び方!」

 アルベラはシリルに髪を梳かされながら、心配そうに尋ねた。

「……苛められたりは、してない?」
 
 シリルは、卓上の鏡の中の、アルベラに目を合わせるようにして、言った。

「……アデライード姫は、俺、正直言えば何考えているかわからないって思うけど、意地悪じゃあないよ。俺がアルベラに仕えていたことももちろん知っているけど、何も言わない。……最初ね、アデライードの周囲の侍女たちは俺のこと無視したけど、あの姫様だけは普通に接してくれて……今では、侍女たちとも上手くやってるよ。アルベラが、赦して欲しいって言ったら、赦してくれるんじゃないかな。だからこそ――安易な気持ちで謝るべきじゃないのかも、しれない」

 アルベラは鏡の中で微笑んで、シリルに言った。

「……そうね。間接的にしろ、わたしの存在が彼女を危険にさらしていたのは、間違いないんだし、結局、国を混乱に陥れたまま、彼女に引き継ぐ結果になったわけだし――謝って、そして、できることならなんでもしたいって思うの。それに――」

 アルベラは睫毛を伏せた。
 最後の、シメオンの言葉。アルベラが受け継いだ、イフリート家の歴史について、女王であるアデライードには伝えるべきだろう。それに、テレイオスの件も――。

「謝罪、とかではなくて、女王陛下に申し上げなければならないことがあると、伝えてもらえる?」
 
 シリルが鏡の中でまっすぐ、目を合わせて頷く。

「わかった。あっちの方もしばらくバタバタすると思うけど、なるべく早く、面会できるように、頼んでみる」
「お願いね」

 アルベラは鏡の中の自分の翡翠色の瞳を見つめ、改めて思う。

 女王家の血を享けた、誇りだけは失うまい――。
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