上 下
156 / 236
14、薤露

西の森から

しおりを挟む
 ナキアの王城の西側に広がる森の中、周囲を威圧するようい建つ堅固な石造りの塔の上から、東の空を眺めていたシメオンの目は、青い空を貫く光の柱をはっきりと視認した。そして、碧空に広がっていく、銀色の女王の魔力も。

 次の瞬間、彼の心臓に棲む「モノ」が、ドクンと不吉な鼓動を伝える。ギリギリと胸が締め付けられ、消失感が全身を巡る。

 ――ああ、逝った。

 女王の結界の中では、魔物は「生身」では耐えることはできない。彼の中に巣くうモノの一部が、今この時に確かに消失した。

「父上――、勝手な人だ。最期まで、僕にすべてを押し付けて――」

 シメオンは塔の上で踵を返し、階段を降りる。その背後には、ウルバヌスの副官だった、アルブレヒトが続く。

「……ご指示を」

 アルブレヒトが問えば、カツン、カツンと石畳に靴音を響かせながら、シメオンが言った。

「まず、市街の邸に残っている使用人たちは、すべて逃がしてやれ。それから、イフリート家に嫁いでいた母上たち他家の女性たちは、希望すれば自由にしてやって。――東の奴らが、どうするかは僕はわからないけど、生きてるだけでもいいと言うなら。彼女たちにはイフリート家の血は混じってない。奴らも、それはわかるだろう」
「――泉神殿におります者たちは――」
「食事の準備を。最後の晩餐って奴だから、できる限り豪華にね。伯母上たちも、姉上たちも、わかってはいるだろう。――お前は、父上の指示に従うのだろう?」

 シメオンはアルブレヒトを振り返りもせずに言えば、アルブレヒトが無言で頭を下げた。

「僕は、アルベラのところに行く。……お前が命じられたことが、成る、とは思わないが、それはもう、僕のあずかり知らぬことだ」
「……武運を、祈ってはくださらないのですか」
「元々僕は、父上のしようとすることに反対だった。僕にできることは、一族の後始末だけだよ。……さよなら」

 シメオンはアルブレヒトに別れを告げると、一人、塔の温室へと向かう。渡り廊下を過ぎて、扉を叩けば、老婆が扉を開いて頭を下げた。

 午後の光が降り注ぐ大きな窓。この場所だけは、何が起きても平穏のままだった。

 階段をゆっくりと上り、テレイオスの部屋に行きつく。やはり別の老婆が立ち上がって頭を下げる。
 植物の鉢の緑の樹々に、陽光が煌く。大きな寝台には天蓋布の隙間から、光が斜めに差し込んでいた。

 寝台の脇の椅子に座っていたストロベリーブロンドが、足音に気づいてシメオンの方を振り返る。
 肩をようやく過ぎた、短い髪。それが揺れて、灰色の長衣に落ちかかる。

「シメオン兄様……」

 立ち上がったアルベラが、涙声で言った。

「どうして……ここに?……ううん、それより、テレイオスが!」
「すまない、ずっと会いに来られなくて」

 アルベラがただ、ストロベリーブロンドを振って、涙を振り落とす。

「そんなのはいいの! それより、テレイオスがどこかに連れ去られて……あんなに、体調が悪いのに!」

 アルベラが誰もいない寝台を指さす。

「そうか。……手回しがいいな。最後に、会いたいと思ったのに」

 歩調を乱さず、シメオンはゆっくりとアルベラに近づき、残念そうに言った。

「父上の命令だよ。……月神殿に向かう前に、指示を出しておいたんだね」
「お父様が?……いったいどこに……」

 シメオンはゆっくりと首を振る。

「もう誰も、父上を止められなかった。父上は最後の戦いを挑んで、つい、いましがた亡くなられたよ。――結界が修復され、イフリート家の野望はついえたけれど、最後まで足掻あがこうという者はいる」
「お父様が……わたし、結局お会いできないままだったわ……」

 翡翠色の瞳が涙で濡れ、涙の滴が盛り上がり、流れ落ちる。シメオンは微笑むと、その涙を指で拭い、言った。

「父上はたぶん、敢えてお前には会わなかったのかもしれない。……決心が鈍ると思われたのかな」

 アルベラは涙が頬を濡らすまま、まっすぐに兄を見つめる。
 
「何があったの。あの後、お兄様はどうしていたの。……わたし、心配で……」
 
 シメオンは柔らかく微笑むと、アルベラの手を取って窓際の椅子へと導く。

「……僕は、父上の命令で、当主の後継者の儀式をして……それからはずっと、父上の近くにいた」
「お兄様が、後継者になるなんて……てっきり、ギュスターブ兄上が……」

 アルベラがシメオンに薦められるままに、窓辺の椅子に座り、シメオンも対面に腰を下ろす。大きな窓の外には、森が広がっている。

「当主の条件は、望気者であることなんだ。実は、父上も望気者なんだよ。……ギュスターブは視えない人でね。むしろアルベラの方が相応しいくらいなんだ」

 シメオンが薄水色の瞳を少しだけ笑わせる。

「父上はもしかしたら、秋分の日にアルベラを、イフリート家の後継者に指名するつもりだったのかもしれないね。僕はずっと、〈王気〉が視えることを秘密にしていたし、女の当主は今までなかったけれど、アルベラとテレイオス以外に、〈王気〉の視える子どもはいないと思っておられたから」
 
 アルベラが異母兄をまっすぐに見て言う。

「……なぜ、〈王気〉を視る力が必要なの?」
「イフリート家が、泉神を奉じる祭司の家柄だから。龍種である女王家に仕える貴種がいるように、泉神に仕える僕たちは泉神を支える眷属けんぞくの一族。その役目を継承するのに、望気の才が必要なんだ。正しく、主神を見分けるために。そして、一族の記憶を継承するために」
「記憶――」

 シメオンの言葉にアルベラが翡翠色の瞳を見開く。

「女王家が、〈王気〉を通じて記憶を継承していることを、お前は知っていた?」
 
 ふるふると首を振るアルベラを見て、シメオンは少しだけ、何かが痛いような表情をした。

「そう、お前は継承できなかった。だから変わりにユウラ女王が継承して――おそらく、アデライード姫にも伝えられているはず。そうでなければ、結界の修復は叶わなかった」

 アルベラは無意識に俯いて唇を噛む。
 〈王気〉がないということは、女王を継ぐには致命的な欠陥だったのだ。それなのに、自分はその事実に目を背けて――。

 一人の老婆が、葡萄酒の入った錫のゴブレットを二つ、運んできた。それを二人の間にある円卓に置いて、立ち去る。シメオンがゴブレットを手に取り、アルベラに言った。

「アルベラ、全部、教えてあげる。イフリート家が何を考えて、何をしてきたのか。その記憶を――」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

転生令嬢は現状を語る。

みなせ
ファンタジー
目が覚めたら悪役令嬢でした。 よくある話だけど、 私の話を聞いてほしい。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...