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11、ナキア入城

アデライードの懐妊

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 ここ十年ほど、ほとんど使われていなかった女王の居間は、ソファの座面がへたっていたり、カーテンが日光で焼けていたりと、いろいろと不都合があって、かなりの突貫工事で整えられた形跡があった。――カーテンの色と、絨毯の色が合っていないのだ。

 女王となったアデライードは急遽持ち込んだ寝椅子カウチに脚を伸ばして座り、皇帝はその隣に置いた大きな足載せオットマンに座って、二人で寄り添い合うようにしていた。皇帝はすでに大袈裟な武装は解いて絹のシャツと黒い脚衣、邪魔なのか長靴ブーツも脱いで素足で、絨毯の上には木の下駄が転がっていた。絹のシャツは東方風の飾り結びのボタンが上から三つも外れ、鎖にかけた神器の指輪が胸元に光る。シャツの隙間からよく鍛えた素肌が覗き、やや乱れた黒髪の風情と合わせて、男から見てもドキリとする色気があった。夫の胸に凭れるようにして、やや眠そうな表情で座っているアデライードは、絹の長衣の胸元から足元を、薄い毛織の毛布ブランケットで隠すように覆っている。

 シルキオス伯爵は白痴美に萌える性癖ではないから、アデライードが美少女であるのは認めるが、別に食指は動かない。――生きの良さ、という点で食ってみてもいい、と思えたアルベラの方が好みだった。むしろ、男色趣味はないはずなのに、皇帝の方に色気を感じる。

 そんなことを考えながら、フエルの誘導に従って対面に置かれた長椅子ソファに、フェルネル侯爵と二人、並んで腰をおろす。さりげなく周囲に目をやれば、少し離れた壁際にからは元老院にもいた黒髪の偉丈夫が油断なく目を光らせ、その隣には黒く長い髪をした明らかに臨月近い妊婦が座っていた。二人にほど近い場所には黄金の髪をした素晴らしく美しい男。だが、白い貫頭衣に赤い帯をして、それにどこか雰囲気が普通の男とは違っていた。アデライードにほど近い背後には、梔子色の袈裟を纏い、頭髪を剃りあげた太陽宮の僧侶。その青い瞳と容貌を見て、フェルネル侯爵はあっと思う。彼の友人によく似ていたからだ。僧侶の方もフェルネル侯爵に気づき、袈裟を捌いて立ち上がりって一礼した。

「お久しぶりですね、フェルネル侯爵。……二十年ぶりでしょうか。ヴェスタ家の三男の、イスマニヨーラ、現在は出家してマニ僧都と名乗っております」

 先々代のヴェスタ侯爵――つまり、女王ゼナイダの三番目の夫にして執政長官インペラトールであったマルティネスは、フェルネル侯爵の友人だった。ヴェスタ家にも頻繁に招待され、息子のイスマニヨーラとも面識があったのだ。

「アデライード、この方はお前の母方のお祖父じい様の友人だったフェルネル侯爵様だよ」

 マニ僧都に紹介されて、アデライードが眠そうだった翡翠色の瞳を少しだけ見開いた。起き上がって挨拶しようとしたが、それを夫ががっちり抱き込んで許さない。皇帝がじっとフェルネル侯爵を見て、言った。

「ええと……フェルネル侯爵? このことはまだ公表はしていないのだが、アデライードは現在、身籠っている。少し体調に不安があるので、座ったままで失礼する」

 その告白に、フェルネル侯爵もシルキオス伯爵も、皇帝がアデライードを女王として矢面に立たせない理由を、ようやく悟ったのであった。

「では、女王陛下はご懐妊でいらっしゃる……」

 フェルネル侯爵が茫然と呟くと、アデライードははにかむように顔を伏せ、シウリンは誇らしげに微笑む。

「ああ。かなり魔力も強いらしく、すでに薄っすらと〈王気〉が視えるそうだ。〈王気〉の色からすると、女の子らしい」
「では、次代の女王が――」

 何となく、フェルネル侯爵もシルキオス伯爵も、アデライードの毛布に覆われた、まだまったく膨らんでいない腹を見つめる。

「だが一つ問題がある。この冬至を一つの期限として、アデライードは月神殿で女王としての認証式を行い、そこで始祖女王の結界を張り直さねばならないのだ。それまでは少し、静かに過ごさせたい。だから懐妊については年明けまで公表しないでおく」

 結界と女王の〈王気〉の関係については、すでにフェルネル侯爵もシルキオス伯爵も知っていた。

「それは承知いたしました。認証式の準備にも取り急ぎ入りたいと思います」
「通例ですと、認証式は親しい親族と元老院の議長、副議長あたりが参加するだけのようで――」
 
 シルキオス伯爵が懐から帳面を出して言った。
 
「どうやら、女王認証の間の広さが問題でして、大人数は入りきれないと――」

 その結果、女王の認証式と結界の関係がおおやけにされてこなかった。

「ああ。その辺りの事情をイフリート家も元老院も利用して、意図的に女王の〈王気〉の力が結界を守ってきた事実を秘匿していたようだな。……元老院が女王よりも優位に立つために。さっきの椅子の件といい、元老院の奴等は小賢しい上に、いちいちやることがしょぼいな」

 シウリンの発言にシルキオス伯爵とフェルネル侯爵は顔を見合わせる。――先程の椅子も、しょぼい嫌がらせだと、彼は気づいていたらしい。

 認証し、結界に〈王気〉を注いで同期するだけならば、たいした魔力は必要ない。だが今回は、破れた結界を修復しなければならない。調査はしているが損傷の度合いもはっきりせず、修復に必要な魔力量が読めない状態だ。

「私がついているから、ある程度ならカバーできるはずだが、何しろ始祖女王の結界だからな」

 あまり大きな魔力を使用すると、胎児への影響が心配される。

「無事に済むことを祈るばかりだ」

 そう言ってアデライードの額に口づけたシウリンは、妻の初めての妊娠に一喜一憂する普通の若い夫で、先ほど元老院で並み居る耆老きろうを威圧した片鱗はすでになかった。
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