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11、ナキア入城
アデライードの帰還
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黒い艶やかな髪、瞳もまた黒曜石のように黒い。まだ若い、目を瞠るような美貌の男。黒い天鵞絨のマントをするりと捌いて立つ身のこなしも、均整の取れた長身も何もかも、光が添うように美しい。騎士を踏み台にして馬車から降りるなんて、人を人とも思わない傲慢さだが、しかし、それをも当然かくあるべしと思わせてしまう、人離れした美形だ。老練なフェルネル侯爵ですら、一瞬、我を忘れた。
(――これが、皇帝……)
先にナキアに入城した二人の皇子もそれぞれに美しく、威厳に満ちていたが、この男の美貌は別格だった。以前に、娘から見せられた『聖婚図』よりも、実物はさらに傲岸不遜で冷酷な雰囲気が漂っている。
次いで、先ほど皇帝の踏み台になった騎士の肩に、今度は華奢な金のサンダルが乗る。皇帝の手が馬車から伸ばされた白い手を掴み、白い貂の毛皮の縁取りのあるマントを纏った、可憐な女を馬車から抱き降ろした。
白金色の長い髪が白いマントに零れ落ち、初冬の午後の光に煌めく。踏み台になった赤毛の騎士に振り向いて礼を言ったらしく、花びらのような唇が少しだけ動いた。騎士が恐縮して頭を下げ、立ち上がって威儀を正す。その騎士もまた、素晴らしい美形で、取り囲んだ観衆が溜息をつく。
この一連の動作は皇帝の超越性を強調するための、一種の演出であったが、観衆に強烈な印象を与えていた。――ランパの無駄な美形も使いようだな、と横で見ていたゾラなどは、噴き出すのを堪えるのに必死であったが。
馬車を降りた女がふらりと崩れそうになるが、その折れそうな細腰を皇帝ががっちりと抱き込んで、ゆっくりと向きを変え、フェルネル侯爵を見下ろした。
白金色の髪に、翡翠色の瞳。二千年に渉って西の国に君臨する女王の色。ユウラ女王によく似た、いやさらに美しい花の顔。隣の皇帝と並べば、まるで二柱の神が降り立ったかのようだ。
フェルネル侯爵がまず跪き、しばしアデライードに見惚れていたシルキオス伯爵も、慌てて倣う。だがレイノークス伯ユリウスは優雅に腰をかがめて一礼すると、何のてらいも遠慮もなくずかずかと二人の前に進み、なんと王女の頬に口づけた。
「おかえり、アデライード。相変わらず、僕の妹は麗しい」
アデライードが薄く微笑んでユリウスの頬にキスを返し、フェルネル侯爵はこの妙にキラキラした男が王女の異母兄だったことを、ようやく思い出す。
「ユリウス、くっつきすぎだ。アデライードにキスするとか、不敬罪で逮捕させるぞ」
「妹にキスして不敬罪とか、何の冗談なの。皇帝だからって法を枉げると叛乱起こされるぞ?」
「そのくらいの特権がなくては、馬鹿馬鹿しくて皇帝なんてやってられるか」
二人の男が何やらくだらない冗談を言い合っていると、そこへ碧空を切り裂いて黒い何かが舞い降り、皇帝の肩に止まった。黒い羽根が、跪くフェルネル侯爵の目前にヒラヒラと舞い落ちてきて、無意識に顔を上げると、小ぶりの黒い鷹であった。
「やあ、エールライヒは空中散歩に出ていたのか」
「狭い馬車の中は苦手でな。……おいで、ジブリール。城に入るぞ? はぐれるなよ」
皇帝がチッチッと舌を鳴らして白い子獅子を呼び、子獅子は嬉しそうに皇帝の黒革の長靴を追いかけていく。
「ああ、その前に――元老院のフェルネル侯爵と、シルキオス伯爵だよ」
ユリウスが初めて、跪いたままの二人を紹介し、皇帝は黒い瞳をそちらに向けた。
「アデライード王女殿下に拝礼仕ります」
髪も髭も白い侯爵が丁重に頭を下げるのを、皇帝は無感動な眼差しで見下ろす。
「王女の夫には拝礼せず、か。さすが、王女を十年も、聖地に押し込めていただけの無礼さだな」
皇帝の冷たい言葉に、だがフェルネル侯爵も怯むことなく反論した。
「我ら元老院では、アデライード王女殿下のご結婚については、承認を与えておりませぬ」
「ほう、そなたも〈禁苑〉とは袂を別った、泉神の信徒か。異端は予想よりも王城内に蔓延っておるのだな。――精脈を絶つ処置が必要か」
皇帝の発言に、横で聞いていたシルキオス伯爵が慌てて言う。
「い、いえ、我らは〈禁苑〉の信仰は棄ててはおりませぬ。ただ、イフリート公爵の暴走を止められなかったことについては、忸怩たるものはございますが……その、元老院の議決として、アデライード姫のご結婚を承認していないということで……」
「私とアデライードの婚姻は、〈禁苑〉の要請による〈聖婚〉だ。天と陰陽の教えを戴く者であれば、たとえ何人たりとも、異議を唱えることは許されぬ。そなたらの戴く女王は、その前にまず、我が妃である。二国は対等とはいえ、皇帝の格が女王に優先することは〈禁苑〉の認めるところ。これ以後、礼を失した態度は厳しい処断を以て当たる。胸に刻んでおけ」
皇帝は言い捨てると、跪いたままのフェルネル侯爵の前を通り過ぎ、ユリウスに言う。
「元老院を召集してくれ。即刻、アデライードの即位を宣言する」
「もう召集済みだよ。議場に案内しよう。……いや、ご案内申し上げる、と言うべきかな、皇帝陛下」
「おぬしも厭味が上手くなったな」
「あの片眼鏡ほどじゃないよ。そういや、あいつはどうしたの?」
「ああ、あれは――帝都に追い払った。あんな厭味男でも、兄上が返せとうるさいからな」
通り過ぎた若者たちの背後で、フェルネル侯爵が立ち上がり、汚れたローブの膝を払って後に続く。シルキオス伯爵もまた、立ちあがって膝を払い、歩き出す。彼らを警戒するように、一際豪華な戎服を纏った騎士達が取り囲み、その背後には親衛騎士が続く。騎士たちの煌びやかな軍装は、帝国の誇示する軍事力そのものに見えた。
要するに、女王国は帝国の軍門に下ったのだ。元老院が維持しようとした、女王国の〈禁苑〉よりの独立は、帝国の圧倒的な武力の下にあえなく潰え去った。それは世俗派の貴族の、大きな後退を意味する。
フェルネル侯爵は、前をゆく背の高い黒髪の男の背中を見ながら、女王国の政治に訪れるであろう、変化について思い巡らせていた。
(――これが、皇帝……)
先にナキアに入城した二人の皇子もそれぞれに美しく、威厳に満ちていたが、この男の美貌は別格だった。以前に、娘から見せられた『聖婚図』よりも、実物はさらに傲岸不遜で冷酷な雰囲気が漂っている。
次いで、先ほど皇帝の踏み台になった騎士の肩に、今度は華奢な金のサンダルが乗る。皇帝の手が馬車から伸ばされた白い手を掴み、白い貂の毛皮の縁取りのあるマントを纏った、可憐な女を馬車から抱き降ろした。
白金色の長い髪が白いマントに零れ落ち、初冬の午後の光に煌めく。踏み台になった赤毛の騎士に振り向いて礼を言ったらしく、花びらのような唇が少しだけ動いた。騎士が恐縮して頭を下げ、立ち上がって威儀を正す。その騎士もまた、素晴らしい美形で、取り囲んだ観衆が溜息をつく。
この一連の動作は皇帝の超越性を強調するための、一種の演出であったが、観衆に強烈な印象を与えていた。――ランパの無駄な美形も使いようだな、と横で見ていたゾラなどは、噴き出すのを堪えるのに必死であったが。
馬車を降りた女がふらりと崩れそうになるが、その折れそうな細腰を皇帝ががっちりと抱き込んで、ゆっくりと向きを変え、フェルネル侯爵を見下ろした。
白金色の髪に、翡翠色の瞳。二千年に渉って西の国に君臨する女王の色。ユウラ女王によく似た、いやさらに美しい花の顔。隣の皇帝と並べば、まるで二柱の神が降り立ったかのようだ。
フェルネル侯爵がまず跪き、しばしアデライードに見惚れていたシルキオス伯爵も、慌てて倣う。だがレイノークス伯ユリウスは優雅に腰をかがめて一礼すると、何のてらいも遠慮もなくずかずかと二人の前に進み、なんと王女の頬に口づけた。
「おかえり、アデライード。相変わらず、僕の妹は麗しい」
アデライードが薄く微笑んでユリウスの頬にキスを返し、フェルネル侯爵はこの妙にキラキラした男が王女の異母兄だったことを、ようやく思い出す。
「ユリウス、くっつきすぎだ。アデライードにキスするとか、不敬罪で逮捕させるぞ」
「妹にキスして不敬罪とか、何の冗談なの。皇帝だからって法を枉げると叛乱起こされるぞ?」
「そのくらいの特権がなくては、馬鹿馬鹿しくて皇帝なんてやってられるか」
二人の男が何やらくだらない冗談を言い合っていると、そこへ碧空を切り裂いて黒い何かが舞い降り、皇帝の肩に止まった。黒い羽根が、跪くフェルネル侯爵の目前にヒラヒラと舞い落ちてきて、無意識に顔を上げると、小ぶりの黒い鷹であった。
「やあ、エールライヒは空中散歩に出ていたのか」
「狭い馬車の中は苦手でな。……おいで、ジブリール。城に入るぞ? はぐれるなよ」
皇帝がチッチッと舌を鳴らして白い子獅子を呼び、子獅子は嬉しそうに皇帝の黒革の長靴を追いかけていく。
「ああ、その前に――元老院のフェルネル侯爵と、シルキオス伯爵だよ」
ユリウスが初めて、跪いたままの二人を紹介し、皇帝は黒い瞳をそちらに向けた。
「アデライード王女殿下に拝礼仕ります」
髪も髭も白い侯爵が丁重に頭を下げるのを、皇帝は無感動な眼差しで見下ろす。
「王女の夫には拝礼せず、か。さすが、王女を十年も、聖地に押し込めていただけの無礼さだな」
皇帝の冷たい言葉に、だがフェルネル侯爵も怯むことなく反論した。
「我ら元老院では、アデライード王女殿下のご結婚については、承認を与えておりませぬ」
「ほう、そなたも〈禁苑〉とは袂を別った、泉神の信徒か。異端は予想よりも王城内に蔓延っておるのだな。――精脈を絶つ処置が必要か」
皇帝の発言に、横で聞いていたシルキオス伯爵が慌てて言う。
「い、いえ、我らは〈禁苑〉の信仰は棄ててはおりませぬ。ただ、イフリート公爵の暴走を止められなかったことについては、忸怩たるものはございますが……その、元老院の議決として、アデライード姫のご結婚を承認していないということで……」
「私とアデライードの婚姻は、〈禁苑〉の要請による〈聖婚〉だ。天と陰陽の教えを戴く者であれば、たとえ何人たりとも、異議を唱えることは許されぬ。そなたらの戴く女王は、その前にまず、我が妃である。二国は対等とはいえ、皇帝の格が女王に優先することは〈禁苑〉の認めるところ。これ以後、礼を失した態度は厳しい処断を以て当たる。胸に刻んでおけ」
皇帝は言い捨てると、跪いたままのフェルネル侯爵の前を通り過ぎ、ユリウスに言う。
「元老院を召集してくれ。即刻、アデライードの即位を宣言する」
「もう召集済みだよ。議場に案内しよう。……いや、ご案内申し上げる、と言うべきかな、皇帝陛下」
「おぬしも厭味が上手くなったな」
「あの片眼鏡ほどじゃないよ。そういや、あいつはどうしたの?」
「ああ、あれは――帝都に追い払った。あんな厭味男でも、兄上が返せとうるさいからな」
通り過ぎた若者たちの背後で、フェルネル侯爵が立ち上がり、汚れたローブの膝を払って後に続く。シルキオス伯爵もまた、立ちあがって膝を払い、歩き出す。彼らを警戒するように、一際豪華な戎服を纏った騎士達が取り囲み、その背後には親衛騎士が続く。騎士たちの煌びやかな軍装は、帝国の誇示する軍事力そのものに見えた。
要するに、女王国は帝国の軍門に下ったのだ。元老院が維持しようとした、女王国の〈禁苑〉よりの独立は、帝国の圧倒的な武力の下にあえなく潰え去った。それは世俗派の貴族の、大きな後退を意味する。
フェルネル侯爵は、前をゆく背の高い黒髪の男の背中を見ながら、女王国の政治に訪れるであろう、変化について思い巡らせていた。
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