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11、ナキア入城
無血開城
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騎士が中心である帝国軍の進撃は速い。カンダハルを出た午後には、先頭の部隊がナキアの城門に至っていた。迎え撃つべきナキア守備隊の士気はすでに低く、荷車に家財道具を満載し、ナキアから逃げ出す市民たちを、留めることすらできないでいた。
続々とナキアの城壁を取り囲んでいく帝国軍の騎士たち。二頭の龍が絡み合う、帝国の軍旗が翻る光景を、守備隊も市民も、ただ茫然と見上げる。
大陸が西と東に分かれて以来二千年、女王国の王都ナキアの街が、初めて東の帝国の軍馬の蹄に蹂躙されようとしているのだ。
「どうなっているんだ!」
「元老院は!」
「イフリート公爵はどこだ!」
「アルベラ王女は?」
事情を知らない市民は、逃げ場を求めて王城に駆け込む。元老院の耆老の幾人かは、最期まで責任を全うしようと王城に詰めていたが、ほとんどの者は皇帝親征の詔勅が出た時点で、責任も何もかも捨てて逃げ出していた。
すでに王城にはイフリート公爵も、その側近の姿もない。侍女や下級官吏の中でも、目端の利く者は、金になりそうな調度品を失敬して、昨夜のうちに城を抜け出している。忠義心だけは厚い、どこにも行き場のない者たちだけが、なすすべもなく王城内でうろうろしている。
「市民は王城の広間に案内せよ。食糧庫を開き、逃げる宛てのある者は逃がしてやるように」
主のいなくなった王城で、最後の指揮を執る覚悟を決めたのはフェルネル侯爵。始祖女王以来の八大諸侯家の一つとして、女王に忠誠を誓ってきたが、その一方で、イフリート公爵の提唱する、〈禁苑〉の支配を脱した世俗王権にも夢を見ていたのだ。髪も髭もすでに白い老臣は、ここ数か月のイフリート公爵の暴走を止めることができなかった自身が、女王国に捧げる最後の忠誠と思い定める。
せめて最期だけは、女王国の誇りを失わずに逝きたい。
女王が東の帝国の支配を受けるのが天と陰陽の意志であるとしても、始祖女王以来の二千年の歴史を、汚すことのないように――。
「街の城門を突破されました。帝国の騎士が王城にまっすぐ向かっています!」
斥候からの報告に、フェルネル侯爵は目を閉じる。
ついに来たか――。アルベラ王女がどこにいるのか、イフリート公爵はまだ、再起を期すつもりがあるのか。
「東の軍が王城に到着したら、市民の安全と引き換えに降伏を申し出る。無駄な抵抗をせず、矛を収めて恭順の意を示せ」
フェルネル侯爵の命令が王城に発せられた。侯爵は、白い口髭の陰で皮肉に笑う。
「……本来なら、わしはただの元老院の一議員に過ぎぬから、何の命令をも発する権限を持たぬのだがな」
女王国の最後の誇りを体現するために、王城の城門前に正装のローブを纏って立つフェルネル侯爵の前に、帝国の旌旗を掲げた黒髪の偉丈夫が馬を立てたのは、それから間もなくのこと。
「畏れ多くも帝国皇帝陛下より、征西大将軍廉郡王の爵位を授けられた皇子グインである! 武器を捨てて皇帝陛下の軍門に下る者の命は保証する! 正統なる女王、アデライード姫の統治を認める者は、我が前に跪け! 逆らう者は斬る!」
金色の兜は脱いで小脇に抱え、黒い髪を剥き出しにした若い男は、野性的ながら十分に美しい容姿をしていた。漆黒のマントを翻し、長大な剣はすでに血で染まっている。
(――これが、帝国の皇子……)
太陽の龍騎士の子孫である、金の龍種。生憎、フェルネル侯爵は望気の才はないから、彼が纏うはずの金の〈王気〉は視えなかったが、しかし何とも言い難い気品と威圧感に気圧されて、つい膝をつきたくなる衝動を堪える。
侯爵は自身を叱咤し、城門前に仁王立ちして出来得る限りの大音声で叫んだ。
「ここはナキアの王城である! たとえ帝国の皇子といえども、許しなく馬で乗りつけていい場所ではない! 下馬せよ!」
その声を聞いた廉郡王は黒い瞳を見開いて、次の瞬間ニヤリと笑った。
「おおっ、ようやく骨のあるじーさんに行き会ったな! イフリート公爵はどこだ? 俺たちは別に、この城の奴等を殺しにきたわけじゃあねーんだ!」
「閣下はすでにこの城を退去なされた」
「かーっ! 大口叩いといて、とっととご退場かよっ!……んで、じーさんがその尻拭いってわけかい。損な性分だな、嫌いじゃないぜクソじじいめ。……武装解除が確認でき次第、こちらも武装は解く! リック、ユキエル!」
皇子が背後の配下に声をかけると、「はっ」と声がして、見上げるほどの大柄の騎士と、まだ少年ぽさを残した騎士が名乗り出て、馬を進ませる。
「各、二十騎連れて城内の武装解除を確認しろ! 抵抗するヤツがいたら笛を吹け! 俺がすぐに出向いて斬って捨ててやる!」
「仰せの通りに!」
「てゆーか、殿下自分で斬りたいだけっすよね!」
「当たり前だ! 手ごたえが無さすぎて欲求不満だぜ!」
素早く城内に駆けて行く騎士たちに、フェルネル侯爵が背後の騎士を一人ずつ同道させる。
「元老院のフェルネル侯爵が命ずる! 武装解除して降伏せよと!」
「すまねぇな、爺さん、助かるぜ」
馬上の皇子がもう一度ニヤリと笑い、手にした血塗れの剣を一振りすると、鞘に納めた。
続々とナキアの城壁を取り囲んでいく帝国軍の騎士たち。二頭の龍が絡み合う、帝国の軍旗が翻る光景を、守備隊も市民も、ただ茫然と見上げる。
大陸が西と東に分かれて以来二千年、女王国の王都ナキアの街が、初めて東の帝国の軍馬の蹄に蹂躙されようとしているのだ。
「どうなっているんだ!」
「元老院は!」
「イフリート公爵はどこだ!」
「アルベラ王女は?」
事情を知らない市民は、逃げ場を求めて王城に駆け込む。元老院の耆老の幾人かは、最期まで責任を全うしようと王城に詰めていたが、ほとんどの者は皇帝親征の詔勅が出た時点で、責任も何もかも捨てて逃げ出していた。
すでに王城にはイフリート公爵も、その側近の姿もない。侍女や下級官吏の中でも、目端の利く者は、金になりそうな調度品を失敬して、昨夜のうちに城を抜け出している。忠義心だけは厚い、どこにも行き場のない者たちだけが、なすすべもなく王城内でうろうろしている。
「市民は王城の広間に案内せよ。食糧庫を開き、逃げる宛てのある者は逃がしてやるように」
主のいなくなった王城で、最後の指揮を執る覚悟を決めたのはフェルネル侯爵。始祖女王以来の八大諸侯家の一つとして、女王に忠誠を誓ってきたが、その一方で、イフリート公爵の提唱する、〈禁苑〉の支配を脱した世俗王権にも夢を見ていたのだ。髪も髭もすでに白い老臣は、ここ数か月のイフリート公爵の暴走を止めることができなかった自身が、女王国に捧げる最後の忠誠と思い定める。
せめて最期だけは、女王国の誇りを失わずに逝きたい。
女王が東の帝国の支配を受けるのが天と陰陽の意志であるとしても、始祖女王以来の二千年の歴史を、汚すことのないように――。
「街の城門を突破されました。帝国の騎士が王城にまっすぐ向かっています!」
斥候からの報告に、フェルネル侯爵は目を閉じる。
ついに来たか――。アルベラ王女がどこにいるのか、イフリート公爵はまだ、再起を期すつもりがあるのか。
「東の軍が王城に到着したら、市民の安全と引き換えに降伏を申し出る。無駄な抵抗をせず、矛を収めて恭順の意を示せ」
フェルネル侯爵の命令が王城に発せられた。侯爵は、白い口髭の陰で皮肉に笑う。
「……本来なら、わしはただの元老院の一議員に過ぎぬから、何の命令をも発する権限を持たぬのだがな」
女王国の最後の誇りを体現するために、王城の城門前に正装のローブを纏って立つフェルネル侯爵の前に、帝国の旌旗を掲げた黒髪の偉丈夫が馬を立てたのは、それから間もなくのこと。
「畏れ多くも帝国皇帝陛下より、征西大将軍廉郡王の爵位を授けられた皇子グインである! 武器を捨てて皇帝陛下の軍門に下る者の命は保証する! 正統なる女王、アデライード姫の統治を認める者は、我が前に跪け! 逆らう者は斬る!」
金色の兜は脱いで小脇に抱え、黒い髪を剥き出しにした若い男は、野性的ながら十分に美しい容姿をしていた。漆黒のマントを翻し、長大な剣はすでに血で染まっている。
(――これが、帝国の皇子……)
太陽の龍騎士の子孫である、金の龍種。生憎、フェルネル侯爵は望気の才はないから、彼が纏うはずの金の〈王気〉は視えなかったが、しかし何とも言い難い気品と威圧感に気圧されて、つい膝をつきたくなる衝動を堪える。
侯爵は自身を叱咤し、城門前に仁王立ちして出来得る限りの大音声で叫んだ。
「ここはナキアの王城である! たとえ帝国の皇子といえども、許しなく馬で乗りつけていい場所ではない! 下馬せよ!」
その声を聞いた廉郡王は黒い瞳を見開いて、次の瞬間ニヤリと笑った。
「おおっ、ようやく骨のあるじーさんに行き会ったな! イフリート公爵はどこだ? 俺たちは別に、この城の奴等を殺しにきたわけじゃあねーんだ!」
「閣下はすでにこの城を退去なされた」
「かーっ! 大口叩いといて、とっととご退場かよっ!……んで、じーさんがその尻拭いってわけかい。損な性分だな、嫌いじゃないぜクソじじいめ。……武装解除が確認でき次第、こちらも武装は解く! リック、ユキエル!」
皇子が背後の配下に声をかけると、「はっ」と声がして、見上げるほどの大柄の騎士と、まだ少年ぽさを残した騎士が名乗り出て、馬を進ませる。
「各、二十騎連れて城内の武装解除を確認しろ! 抵抗するヤツがいたら笛を吹け! 俺がすぐに出向いて斬って捨ててやる!」
「仰せの通りに!」
「てゆーか、殿下自分で斬りたいだけっすよね!」
「当たり前だ! 手ごたえが無さすぎて欲求不満だぜ!」
素早く城内に駆けて行く騎士たちに、フェルネル侯爵が背後の騎士を一人ずつ同道させる。
「元老院のフェルネル侯爵が命ずる! 武装解除して降伏せよと!」
「すまねぇな、爺さん、助かるぜ」
馬上の皇子がもう一度ニヤリと笑い、手にした血塗れの剣を一振りすると、鞘に納めた。
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