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9、記憶の森

目覚め

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 時間にして、ほんの一分足らず。
 アデライードはすぐに戻ってきて目を開き、またほぼ同時に、マニとジュルチも紗幕の中で身動きする。

「姫君!――わが主は……」

 メイローズが言いかけるのを、ジュルチが手をあげて制して、その場の全員がシウリンに注目する。
 微かに、黒い眉が動いて、シウリンが静かに目を開き、二度、三度と瞬きする。

「シウリン!……目が、覚めたか?」

 問いかけられて、彼がゆっくりと身体を起こす。その表情に、十二歳のシウリンにはなかった鋭さが戻っているのを見て、ジュルチは記憶が戻ったのだと確信する。
 
「ジュルチ先生、マニ先生……私は……」
「シウリン!」

 アデライードが待ちきれなくて、紗幕を開いてぶつかるようにシウリンに抱き着く。

「アデライード……」

 ぎゅっと抱きしめてその髪の香りを嗅ぎ、シウリンが深い溜息をつく。

「すまなかった、もう――大丈夫だ。先生たちも、それからメイローズも、心配をかけた」

 アデライードを抱きしめたまま、シウリンが周囲を見回して言うと、メイローズが立ち上がって寝台の脇に跪き、頭を下げる。

「ご帰還を心よりお待ちしておりました、わが主よ――」
「確かに、数日前に戻ってきたのは、事情も理解できぬ小坊主だったからな」

 シウリンが自嘲気味に言えば、マニもジュルチもほっと息をつく。

「十年ぶりに愛弟子に会えたのは嬉しかったが、確かに、その外見で中身が十二歳というのも気色の悪いものだしな」
 
 シウリンがアデライードの額に軽く口づけしてから、メイローズに向けて指示を下す。

「私の記憶が戻ったと、部下たちに知らせを。それから、帝都の兄上にも連絡を。なるべく早く、魔法陣を介して直接に話をできるように、取り計らってくれ」
「仰せのままに」

 メイローズが頭を下げ、立ち上がって出ていくと、マニとジュルチが尋ねる。

「封印していた記憶の方は戻ったと思うが、旅の間のことはどうなっている?」
「もちろん、憶えています。フエルとも仲良くやっていましたよ。あいつ、私が記憶喪失なのを利用したんだな。全く、狡猾なところまで父親そっくりだ」

 少し眉間に皺を寄せて言うけれど、言葉ほど声は冷たくなかった。

 扉が開いて、エールライヒを肩に止まらせたシリルが部屋を覗く。扉の隙間からジブリールが走り込んできた。

 ぽーん、と寝台の上に飛び乗って、ガウガウとじゃれつくジブリールに圧倒されて、シウリンは笑う。

「おいおい、落ち着けよ。……私の中身が変わっても、お前は気にしないんだな?」
「言葉遣いが違うだけで、それほど変わっているわけではありませんよ?」

 アデライードが微笑み、マニとジュルチは一仕事終えたと、大きく伸びをして寝台を降りる。

「シウリン……いや、殿下。今夜は久しぶりに一杯やろう。北部の僧院から、とびきりいい馬鈴薯酒アクアヴィットを持ってきたのだ」
「それは楽しみです。……記憶がない時は、あんな強い酒のどこが美味いのかさっぱりわからなかったのですが、大人に戻ると飲みたくなります」

 バサリ、とエールライヒもシウリンの肩に降り立ち、久しぶりに大人に戻った主に甘えてクーと鳴く。シリルだけが、いつもと違うシウリンの様子に気後れして、そしてアデライードに遠慮して、入口でもじもじしていた。

「そんなところに立っていないで、入ってきたらいい。今さら何を気にしている」

 今までとは全く違う高圧的な口調で話しかけられ、シリルがびくりと身を固くする。

「ほんとに、記憶、戻ったんだ――」
「ああ、お蔭様で。やっと、戦争が再開できそうだ。しかし、私が不在の間の情勢を理解するのに、しばらく時間がいるな」

 シウリンはジブリールを抱き上げたまま、長い脚を動かして、寝台から降りる。

「アルベラ姫が今、どうしているか、お前わかるか?」
「……たぶん、泉神殿か、王城か。もともと、閣下はアルベラを秋分に即位させて、婚約式もする予定だったから、すぐにも動くんじゃないかな」
「あんな男みたいな髪型で、女王に即位させるのか? 婚約させられる男もいい面の皮だな」
「シウリン……十年で、めっちゃ性格悪くなってる……!」

 シリルの言葉に、アデライードが思わず噴き出した。

「性格は、そんなに変わらないわ。お口が悪くなっただけで」
「お姫様、こんな男でいいの? 全然、昔と違わない? コレが好きでアレも好きって、両立しないと、俺思うぜ?」
「お前もたいがい、口が悪いな。……だいたい、仕える姫君を呼び捨てとか、西の宮廷はどうなってるんだ」
「今まで気にもしなかったくせに、今になってからソコに突っこむ?」
「子供の時は許せても、大人には我慢のならないことがあるんだ」

 ずけずけと言いあう二人に、ジュルチが呆れたように口を挟む。

「まだ、お子様気分が抜けておられぬようだな。そんなに真剣に言いあう話でもあるまいに」

 ジュルチに指摘されて、シウリンも初めて気づいたように笑った。
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