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9、記憶の森
シリルの葛藤
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シルルッサに帰還し、ゾーイらは三日休んだだけですぐに仕事に戻った。ゾラは恭親王の護衛の責任者としてシルルッサの領主館に詰め、トルフィンは文官として溜まった事務を片付けるべく、すぐにソリスティアに発った。ゾーイはアリナと過ごした後、再びカンダハルに戻る。アリナの出産は年明けになる見込みだ。ナキアの月神殿での結界の張り直しに、アリナは当然同行するつもりだが、ゾーイとしては微妙な気分であった。だが、出来る限り姫君の側に仕えたいと願うアリナを、ゾーイは止めることができない。ランパとフエルはそのまま、シルルッサのゾラの下に残る。ランパは年齢的にも、そろそろ正規の騎士として叙任されるべきだが、恭親王の記憶が戻らない限り、どうしようもない。
「フエルは学院には戻らないのか?」
ゾーイの問いに、フエルは頷く。
「はい。今、学院は学問どころじゃないので。聖地への船の出入りもすごく混雑していますし」
「だが、殿下の記憶が戻ったら――」
ゾーイの懸念に対し、フエルは覚悟の決まった顔で頷く。
「僕も覚悟はできています。もし、殿下が僕をお側に置きたくないと言ったら、その時は一度学院に戻り、卒業してから帝都に戻ります」
せっかくだから学院を卒業はしたいのだ、とフエルは言う。ゾーイはフエルの腹が決まっているのを見て、それ以上は何も言わなかった。
一方、シリルの身分は宙ぶらりんのままである。
主であるアルベラはイフリート公の手に落ちた。殺されることはないだろうが、不安で仕方がない。シリルは自分の主はアルベラだけだと思っているから、他に仕事を求めることもできないでいる。
メイローズは、シリルが半陰陽であると知り、やはり宦官の修行をするのがよいだろうと、自分の下で面倒を見ることに決めた。ちょうど、恭親王の側仕えのシャオトーズがソリスティアから到着し、また記憶の件もあって小宦官は伴っていないので、敷布の取り換えや着替えの準備など、一つ一つ手伝わせながら仕事を教えていく。
「俺、宦官ってものになるつもりはないんだけど」
「西には宦官という括りのものがありませんからね。でも、あなたがアルベラ姫の側近くに仕えることが許されたのも、あなたが一生、大人の男性として成長することがないからでしょう。でも今後、アルベラ姫がどういう処遇を受けるにしろ、あなたももっと知識と技量を身につけるべきです。私の見る限り、あなたの現在の状態は小姓というより、ただの遊び相手ですよ? 今はまだ若いから許されるけれど、将来、そんな仕事ぶりでは主の役には立てません。せめて、東の宦官の仕事くらいは出来るようにならないと。あなたのような、半陰陽で宦官になる者も、少数ですがいますよ」
中には、思春期になってから癒着が解消されて男性器が顕現し、宦官を辞めた事例もあるが、シリルは十八になる今も相変わらず少女のようで、このままの可能性が高い。
「宦官にならないということなら、陰陽宮に入るという手もありますが。でも、あなたは聖職者になりたいわけではないようですし」
「俺はアルベラに仕えたいんだけど……」
「恭親王殿下の周囲でアルベラ姫との再会を待ちたいなら、やはり小宦官として働いてください。仕事もしないお客としてブラブラさせるには、あなたの身分は低すぎる」
全くその通りなので、シリルは頷くしかない。シリルのこれまでは全て、アルベラに寄りかかり切りだった。アルベラとも離れ離れの今、シリルはここを放り出されたら、露頭に迷ってしまう。自分のできる一番近い仕事が宦官なんだってことは、シリルにもわかる。
シリルが躊躇っているのは、ここで宦官として仕えるということは、アデライードの側に仕えることになるからだ。
シリルはアルベラの私的な小姓で、その生活の資もすべてアルベラの財産に拠っていた。間接的にではあるが、イフリート家に飼われていたに近い。そんな生活の中で、シリルがアデライードを〈敵〉と認識していたのも仕方のないことだ。
もちろんシリルとて、アデライードが置かれた境遇の理不尽さは理解できたし、密かに同情もしていた。それは「うちの大事な姫様に比べて可哀想に」、という気分に近い。
だが昨年六月の〈聖婚〉の婚約以来、アデライードとアルベラの幸不幸は逆転する。見るからに幸せそうな〈聖婚図〉を見ては、父親の駒として愛のない結婚をさせられるアルベラを、何とかして救いたいと思った。シウリンが例の〈聖婚〉の皇子だと知り、その美貌と優しさと、強さに目を瞠った。まっすぐ恋しい妻に走り寄るシウリンの後ろ姿を目にして、父親の手に落ちてしまったアルベラのことを考えずにはいられない。
どうして。
かつて、アルベラが幸福だった時、アデライードは不幸だった。
今、アデライードが祝福された結婚をして幸福である一方で、アルベラは父にも裏切られ、恋人にも死なれて不幸のどん底にいる。
どこかで、アデライードが再び不幸になれば、アルベラが幸せになれるのではと、思う自分がいる。
アデライードに罪はないとわかっているのに。彼女の不幸を、無意識に願ってしまいそうで、シリルはそれが恐ろしかった。だから、なるべくアデライードに近づかないようにしていた。
遠巻きに見るアデライードは、たしかにシウリンが夢中になるのもわかるほど美しくて――悔しいけれど、アルベラより美人かもしれないと、ちょっとだけ思う――でも何を考えているのかわからなくて、シリルは少し怖い。アデライードはシリルがアルベラの小姓だと聞いても、顔色一つ変えなかった。ただわかった、というように頷いて、それだけだった。
アルベラを、恨んでいないのだろうか。
イフリート家を、憎んでいないのだろうか。
イフリート家に飼われていた俺を、軽蔑しないのだろうか。
本当はアデライードと仲良くなって、アルベラを助けて欲しいと頼みたい。アルベラはけして悪い子じゃなくて、ただ、立派な女王になろうと必死すぎて、周囲が見えていなかっただけなんだと、言い訳したい。ユウラ女王やアデライードを虐げる父ウルバヌスを、アルベラだってどうにもできなかったのだと。
シウリンの記憶が戻ったら――。
シウリンが、〈狂王〉に戻ったら、即座にナキア攻略にかかるはずだ。
十二歳のシウリンは、必ずアルベラを救い出すと約束してくれた。でも、二十三歳の〈狂王〉は?
シウリンがどうなるか読めない分、アデライードを説得するべきだと、シリルも思うけれど、勇気も切っ掛けもつかめていない。
ああでも――天と陰陽よ!
そして、プルミンテルンの頂に旅立ったテセウスよ!
どうかアルベラを。アルベラを護って――。
結局のところ、シリルにできるのは、ただ祈ることだけ――。
「フエルは学院には戻らないのか?」
ゾーイの問いに、フエルは頷く。
「はい。今、学院は学問どころじゃないので。聖地への船の出入りもすごく混雑していますし」
「だが、殿下の記憶が戻ったら――」
ゾーイの懸念に対し、フエルは覚悟の決まった顔で頷く。
「僕も覚悟はできています。もし、殿下が僕をお側に置きたくないと言ったら、その時は一度学院に戻り、卒業してから帝都に戻ります」
せっかくだから学院を卒業はしたいのだ、とフエルは言う。ゾーイはフエルの腹が決まっているのを見て、それ以上は何も言わなかった。
一方、シリルの身分は宙ぶらりんのままである。
主であるアルベラはイフリート公の手に落ちた。殺されることはないだろうが、不安で仕方がない。シリルは自分の主はアルベラだけだと思っているから、他に仕事を求めることもできないでいる。
メイローズは、シリルが半陰陽であると知り、やはり宦官の修行をするのがよいだろうと、自分の下で面倒を見ることに決めた。ちょうど、恭親王の側仕えのシャオトーズがソリスティアから到着し、また記憶の件もあって小宦官は伴っていないので、敷布の取り換えや着替えの準備など、一つ一つ手伝わせながら仕事を教えていく。
「俺、宦官ってものになるつもりはないんだけど」
「西には宦官という括りのものがありませんからね。でも、あなたがアルベラ姫の側近くに仕えることが許されたのも、あなたが一生、大人の男性として成長することがないからでしょう。でも今後、アルベラ姫がどういう処遇を受けるにしろ、あなたももっと知識と技量を身につけるべきです。私の見る限り、あなたの現在の状態は小姓というより、ただの遊び相手ですよ? 今はまだ若いから許されるけれど、将来、そんな仕事ぶりでは主の役には立てません。せめて、東の宦官の仕事くらいは出来るようにならないと。あなたのような、半陰陽で宦官になる者も、少数ですがいますよ」
中には、思春期になってから癒着が解消されて男性器が顕現し、宦官を辞めた事例もあるが、シリルは十八になる今も相変わらず少女のようで、このままの可能性が高い。
「宦官にならないということなら、陰陽宮に入るという手もありますが。でも、あなたは聖職者になりたいわけではないようですし」
「俺はアルベラに仕えたいんだけど……」
「恭親王殿下の周囲でアルベラ姫との再会を待ちたいなら、やはり小宦官として働いてください。仕事もしないお客としてブラブラさせるには、あなたの身分は低すぎる」
全くその通りなので、シリルは頷くしかない。シリルのこれまでは全て、アルベラに寄りかかり切りだった。アルベラとも離れ離れの今、シリルはここを放り出されたら、露頭に迷ってしまう。自分のできる一番近い仕事が宦官なんだってことは、シリルにもわかる。
シリルが躊躇っているのは、ここで宦官として仕えるということは、アデライードの側に仕えることになるからだ。
シリルはアルベラの私的な小姓で、その生活の資もすべてアルベラの財産に拠っていた。間接的にではあるが、イフリート家に飼われていたに近い。そんな生活の中で、シリルがアデライードを〈敵〉と認識していたのも仕方のないことだ。
もちろんシリルとて、アデライードが置かれた境遇の理不尽さは理解できたし、密かに同情もしていた。それは「うちの大事な姫様に比べて可哀想に」、という気分に近い。
だが昨年六月の〈聖婚〉の婚約以来、アデライードとアルベラの幸不幸は逆転する。見るからに幸せそうな〈聖婚図〉を見ては、父親の駒として愛のない結婚をさせられるアルベラを、何とかして救いたいと思った。シウリンが例の〈聖婚〉の皇子だと知り、その美貌と優しさと、強さに目を瞠った。まっすぐ恋しい妻に走り寄るシウリンの後ろ姿を目にして、父親の手に落ちてしまったアルベラのことを考えずにはいられない。
どうして。
かつて、アルベラが幸福だった時、アデライードは不幸だった。
今、アデライードが祝福された結婚をして幸福である一方で、アルベラは父にも裏切られ、恋人にも死なれて不幸のどん底にいる。
どこかで、アデライードが再び不幸になれば、アルベラが幸せになれるのではと、思う自分がいる。
アデライードに罪はないとわかっているのに。彼女の不幸を、無意識に願ってしまいそうで、シリルはそれが恐ろしかった。だから、なるべくアデライードに近づかないようにしていた。
遠巻きに見るアデライードは、たしかにシウリンが夢中になるのもわかるほど美しくて――悔しいけれど、アルベラより美人かもしれないと、ちょっとだけ思う――でも何を考えているのかわからなくて、シリルは少し怖い。アデライードはシリルがアルベラの小姓だと聞いても、顔色一つ変えなかった。ただわかった、というように頷いて、それだけだった。
アルベラを、恨んでいないのだろうか。
イフリート家を、憎んでいないのだろうか。
イフリート家に飼われていた俺を、軽蔑しないのだろうか。
本当はアデライードと仲良くなって、アルベラを助けて欲しいと頼みたい。アルベラはけして悪い子じゃなくて、ただ、立派な女王になろうと必死すぎて、周囲が見えていなかっただけなんだと、言い訳したい。ユウラ女王やアデライードを虐げる父ウルバヌスを、アルベラだってどうにもできなかったのだと。
シウリンの記憶が戻ったら――。
シウリンが、〈狂王〉に戻ったら、即座にナキア攻略にかかるはずだ。
十二歳のシウリンは、必ずアルベラを救い出すと約束してくれた。でも、二十三歳の〈狂王〉は?
シウリンがどうなるか読めない分、アデライードを説得するべきだと、シリルも思うけれど、勇気も切っ掛けもつかめていない。
ああでも――天と陰陽よ!
そして、プルミンテルンの頂に旅立ったテセウスよ!
どうかアルベラを。アルベラを護って――。
結局のところ、シリルにできるのは、ただ祈ることだけ――。
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