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7、旅路
めぐりゆく未来
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ゾーイの問いに、アルベラはちらりと、焚火の番をしているシリルを見た。
「まず、一つはシリルのこと。――彼は、わたしの側にいたけれど、何も悪くないの。だから、彼を助けて欲しい。もう一つは、泉神殿の儀式が嫌で、逃げたの。わたしはイフリート家の血を引いているけど、女王の娘でいたい。たとえ罪人になっても、イフリート家の支配から抜けたかった。アデライードが命で償えというなら、受け入れるつもりでいる」
「俺は、姫君のお気持ちは知らぬ。感情を表にお出しにならない方だから。――初めは、感情も希薄なのかと思っていた。だが、そうではなくて、感情を押し込める生活が長すぎて、表現する方法がわからなくなってしまったのかもしれないと、思ったこともある」
ゾーイはアデライードの儚げな姿を思い描きながら言った。レイノークス伯家の霊廟で、魔力を暴走させたように、家族や故郷への思いを、心の奥底に押し込めて生きてきたのだろうから。
「まだカンダハルへ侵攻する前、ナキアを落とした後におぬしの処遇をどうするか、話し合ったことがあるが、結論は出なかった。イフリート家がおそらくは、〈禁苑〉とは異なる信仰を持つ家であることも我々は掴んでいて、その血を引くおぬしの扱いは慎重に、だが女王家の姫であることを忘れるなと殿下は仰った。――まあ、今の殿下はそんなことはすっかり忘れておられるが、姫君のお話が確かであれば、ソリスティアに戻れば記憶は取り戻せるはずだから。おそらくは、我々東の者の意向としては、おぬしの命を奪うことにはならないだろうと思う。龍種は何があろうとその命を奪うことはしないのが鉄則で、たとえ〈王気〉はなくともおぬしはそれに準ずる者として扱われるであろうから。一番、重い場合で神殿かどこかに永の押し込めで、俺の印象では、誰か我々帝国側にとって都合のいい相手に嫁がせられるか、そんなもんではないかと思う。おぬしの心情的に、それが受け入れられるかどうか、俺は知らんがな」
帝国側にとって都合のいい相手、とは、要するにアルベラにあわよくば〈王気〉のある娘を産ませられるかもしれない、毒にも薬にもならない男、ということだ。――たとえテセウスが生きていたとしても、帝国がアルベラと、貴種でもないテセウスの結婚など、認めるはずはない。ゾーイやゾラがテセウスに同情するのは、そのせいもある。
「だが、姫君とおぬしの間の件は、それとはまた、別だ。姫君がおぬしの存在を同胞として認められるのか、否か。俺も、おそらく殿下も、姫君ご自身にはっきりと聞いたわけではない」
「つまり――帝国としてはわたしを殺すよりも、銀の龍種を産む可能性に賭けたいけれど、アデライードがどう思うかは、わからないってこと?」
「さっきも言ったように、姫君は感情を表に出されないから、何を考えておられるのか、俺にはよくわからない。イフリート家についても、直接、何か悪口めいたことを口にされたことはないと思う。……というより、俺は姫君の声自体、めったに聞いたことないしな」
そう言えば、アデライードは修道院では一言も口をきかなかった、とフエルは言っていた。十年も沈黙の行を守るなんて、アルベラにはできそうもない。
「だが――これは俺の、勝手な推測だが、姫君も記憶を失う前の殿下も、やはり王族だからなのか、ある意味ものすごく醒めたものの考え方をなさるところがある。自身の感情と全体の状況を天秤にかけて、感情を殺すことに躊躇いがない。だから感情ではおぬしやイフリート家をものすごく恨んでいたとしても、全体の利としておぬしを殺さぬ方がよい、と判断されれば、おぬしを詰ったりはされないのではないかと思う。でも、それはおぬしを許しているとか、恨んでいないとか、そういうことではなくて」
なんとなく、それはアルベラにもわかる。アルベラとて王族だから、自分の感情よりも世界平和の方が大事だから。
「それに、姫君はぼんやりしたフリをなさっているが、実は相当に鋭いところがあるとうちの女房などは言っていた。だから、おぬしが悪いわけじゃないことくらい、十分承知しておられると思うぞ? 変に卑屈になられても、かえって面倒くさいと思われるかもしれん。姫君もまた、身分や生まれを全く気にされないそうだ」
アルベラは目を見開く。言われてみれば、アルベラはアデライードの人間性については、全く知らない。たぶん向こうだって、アルベラ自身がどんな女かなんて、これっぽっちも知らないだろう。
「おぬしの生まれや、イフリート家の為したことに、おぬしは責任を取れまい。おぬしを責めたところでどうにもならぬと皆、わかってはいる。結局はおぬし自身の価値なのだと思う。そしておぬしがどう、生きたいのか。おぬしは何のために父と訣別し、逃げ、今、我々とともにソリスティアに向かうのか。言ってしまえば、姫君が恨んでいるかどうかなんて、大局からすれば些細なことだ」
宵闇が迫り、男たちは鍛錬をやめて焚火の側に集まり始める。
「ゾーイさん、アルベール! スープが煮えたよー」
シリルが二人に呼び掛け、ゾーイが立ち上がる。
夜が明ければ、また朝になる。 今日は、昨日になり、未来が現在になる。
アルベラもまた、立ち上がった。
「まず、一つはシリルのこと。――彼は、わたしの側にいたけれど、何も悪くないの。だから、彼を助けて欲しい。もう一つは、泉神殿の儀式が嫌で、逃げたの。わたしはイフリート家の血を引いているけど、女王の娘でいたい。たとえ罪人になっても、イフリート家の支配から抜けたかった。アデライードが命で償えというなら、受け入れるつもりでいる」
「俺は、姫君のお気持ちは知らぬ。感情を表にお出しにならない方だから。――初めは、感情も希薄なのかと思っていた。だが、そうではなくて、感情を押し込める生活が長すぎて、表現する方法がわからなくなってしまったのかもしれないと、思ったこともある」
ゾーイはアデライードの儚げな姿を思い描きながら言った。レイノークス伯家の霊廟で、魔力を暴走させたように、家族や故郷への思いを、心の奥底に押し込めて生きてきたのだろうから。
「まだカンダハルへ侵攻する前、ナキアを落とした後におぬしの処遇をどうするか、話し合ったことがあるが、結論は出なかった。イフリート家がおそらくは、〈禁苑〉とは異なる信仰を持つ家であることも我々は掴んでいて、その血を引くおぬしの扱いは慎重に、だが女王家の姫であることを忘れるなと殿下は仰った。――まあ、今の殿下はそんなことはすっかり忘れておられるが、姫君のお話が確かであれば、ソリスティアに戻れば記憶は取り戻せるはずだから。おそらくは、我々東の者の意向としては、おぬしの命を奪うことにはならないだろうと思う。龍種は何があろうとその命を奪うことはしないのが鉄則で、たとえ〈王気〉はなくともおぬしはそれに準ずる者として扱われるであろうから。一番、重い場合で神殿かどこかに永の押し込めで、俺の印象では、誰か我々帝国側にとって都合のいい相手に嫁がせられるか、そんなもんではないかと思う。おぬしの心情的に、それが受け入れられるかどうか、俺は知らんがな」
帝国側にとって都合のいい相手、とは、要するにアルベラにあわよくば〈王気〉のある娘を産ませられるかもしれない、毒にも薬にもならない男、ということだ。――たとえテセウスが生きていたとしても、帝国がアルベラと、貴種でもないテセウスの結婚など、認めるはずはない。ゾーイやゾラがテセウスに同情するのは、そのせいもある。
「だが、姫君とおぬしの間の件は、それとはまた、別だ。姫君がおぬしの存在を同胞として認められるのか、否か。俺も、おそらく殿下も、姫君ご自身にはっきりと聞いたわけではない」
「つまり――帝国としてはわたしを殺すよりも、銀の龍種を産む可能性に賭けたいけれど、アデライードがどう思うかは、わからないってこと?」
「さっきも言ったように、姫君は感情を表に出されないから、何を考えておられるのか、俺にはよくわからない。イフリート家についても、直接、何か悪口めいたことを口にされたことはないと思う。……というより、俺は姫君の声自体、めったに聞いたことないしな」
そう言えば、アデライードは修道院では一言も口をきかなかった、とフエルは言っていた。十年も沈黙の行を守るなんて、アルベラにはできそうもない。
「だが――これは俺の、勝手な推測だが、姫君も記憶を失う前の殿下も、やはり王族だからなのか、ある意味ものすごく醒めたものの考え方をなさるところがある。自身の感情と全体の状況を天秤にかけて、感情を殺すことに躊躇いがない。だから感情ではおぬしやイフリート家をものすごく恨んでいたとしても、全体の利としておぬしを殺さぬ方がよい、と判断されれば、おぬしを詰ったりはされないのではないかと思う。でも、それはおぬしを許しているとか、恨んでいないとか、そういうことではなくて」
なんとなく、それはアルベラにもわかる。アルベラとて王族だから、自分の感情よりも世界平和の方が大事だから。
「それに、姫君はぼんやりしたフリをなさっているが、実は相当に鋭いところがあるとうちの女房などは言っていた。だから、おぬしが悪いわけじゃないことくらい、十分承知しておられると思うぞ? 変に卑屈になられても、かえって面倒くさいと思われるかもしれん。姫君もまた、身分や生まれを全く気にされないそうだ」
アルベラは目を見開く。言われてみれば、アルベラはアデライードの人間性については、全く知らない。たぶん向こうだって、アルベラ自身がどんな女かなんて、これっぽっちも知らないだろう。
「おぬしの生まれや、イフリート家の為したことに、おぬしは責任を取れまい。おぬしを責めたところでどうにもならぬと皆、わかってはいる。結局はおぬし自身の価値なのだと思う。そしておぬしがどう、生きたいのか。おぬしは何のために父と訣別し、逃げ、今、我々とともにソリスティアに向かうのか。言ってしまえば、姫君が恨んでいるかどうかなんて、大局からすれば些細なことだ」
宵闇が迫り、男たちは鍛錬をやめて焚火の側に集まり始める。
「ゾーイさん、アルベール! スープが煮えたよー」
シリルが二人に呼び掛け、ゾーイが立ち上がる。
夜が明ければ、また朝になる。 今日は、昨日になり、未来が現在になる。
アルベラもまた、立ち上がった。
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