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7、旅路
寒い日のすいとん
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季節はしだいに冬に向かっていた。何日も村を通らず、まともな獲物も狩れない日もある。
その日は朝から雨が降って、しかも防水の合羽は人数分には足りなかった。まずアルベラとシリルに合羽を着せ、ゾーイはもちろんシウリンに譲るつもりだったが、シウリンはいらないと言う。結局、ゾーイとゾラと、シウリンが合羽無しで山道を行く。篠突く雨と寒さにアルベラの顔色は青白く、シリルも、フエルも疲労困憊しているのがわかった。しかし雨を避けられるような場所もなくて、夕方近くになって、ようやく見つけた猟師の避難小屋のような建物に逃げ込んだ時には、若年組は三人ともぐったりして、寒さに震えていた。
シウリンが手早く暖炉に火を入れて、アルベラとシリル、フエルを休ませる。エールライヒは濡れた羽をせっせと嘴で整え、ジブリールは豪快に水滴を弾き飛ばす。さすがに一日雨に打たれて、最も体力のあるゾーイとゾラも疲労で座り込んでしまった。しかし、シウリンは一人、濡れた服のまま沢に水を汲み行くと言って出て行ってしまう。
「それにしても、殿下、丈夫ですよね……」
暖炉の前で毛布にくるまって、フエルが震えながら感心する。さすがに誰も、主の後を追う気力もなくて、ただランパが生姜の粉を入れたお茶を沸かして皆に振舞い、トルフィンは濡れたものを暖炉の前に広げて乾かしていく。シウリンは泥だらけになって戻ってくると、濡れた服を脱ぎ、当たり前のように全裸で食事の支度を始めようとした。アルベラは真っ赤になって下を向き、ゾラが慌ててシウリンを窘める。
「裸はやばいっしょ、殿下。着替えは……」
「ないよ」
もともと馬で旅をしていた彼らは数枚の着換えを持っていたが、徒歩のつもりだったシウリンは替えを持っていない。慌てたトルフィンが自分のシャツを差し出したので、シウリンはそれを羽織ったシャツ一枚の姿で、さて、何を食べられるか考え始める。ゾーイが言う。
「今日は食糧を調達できませんでしたから、携行食の固焼きパンで……」
「こんなに疲れて寒い日に、そんなご飯じゃ力が出ないよ」
シウリンはホーヘルミアで調達した大きな鉄の鍋を取り出し、それからランパが管理している食糧の籠をあさる。一昨日狩ったウサギ肉が少しだけ残っていた。後は馬鈴薯と、萎びかけた青椒がちょこっと。シウリンは自分の荷物から、ガルシア辺境伯領でもらってきた味噌と、エヴァンズ伯の城で分けてもらった小麦粉を取り出した。ついでに、ぐったりしているのアルベラたちに、アデライードが持ってきた砂糖菓子の、最後の残りを手渡してやる。
「少し時間がかかるから、これを食べておきなよ。三人で仲良く分けるんだよ?」
子供扱いされたことに、フエルがムッとしたように言う。
「僕は大丈夫です! 料理手伝いますよ!」
「何言ってんのよ、一番、年下のくせに」
喧嘩し始める若年組の声に、うとうとしていたのを起こされて、ゾーイが窘める。
「うるさいぞ。そんなことで騒ぐな」
「そうだよ。とにかく甘いものは疲れが取れるから」
いつも、尼僧院の仕事の後で、老尼僧がほんのり甘い蕎麦粉の菓子を渡してくれたのを思い出しながら、シウリンが微笑んだ。
辛うじて動けるのはランパとトルフィンだが、トルフィンは料理はからっきしだった。それでトルフィンには濡れたものを乾かす仕事を頼み、シウリンはランパに野菜を刻むように言う。馬鈴薯は皮を剥いて細切りに、青椒も細切りに。その間に、ガルシア辺境伯領の砦で失敬してきた小さな鍋に小麦粉を入れ、水を二、三回に分けて加え、箸で混ぜてドロドロの種を作る。種を寝かせる間に、シウリンもランパを手伝って野菜を刻み、ウサギ肉は量が少ないから、叩いて挽肉にする。
それからシウリンは暖炉に五徳を置き、鉄の大鍋を熱して、ウサギ肉の脂身と一緒に挽肉を色が変わるまで炒める。馬鈴薯と青椒もざっと炒め、水を入れて沸かす。塩と味噌で味を調え、思い出して言う。
「ランパ、さっきの乾燥生姜、まだある?」
ランパが無言で差し出すそれを、ひとつまみ鍋に入れ、ぐつぐつしてきたところに、小さな鍋を傾けて、溶いた小麦粉の種を少しずつ、箸で切るようにして落としていく。だいたい半プル(十五センチメートル)程度の、白い麺が具の間で躍る。
「撥魚か、懐かしいな」
シウリンの調理の様子を見ていたゾラが言い、アルベラが振り向く。
「食べたことあるの?」
「前、帝都の馴染みの妓の得意料理で、夜食に作ってくれた。具は残り野菜だけだったけど。美味かったよ」
帝国でも北方の、あまり米の採れない地方の名物料理である。小麦粉の麺が白い魚のように見えることから、この名がついたとされる。
「しっかし、殿下、どこでそんな料理習ったんすか?」
ゾラが尋ねる。十年、側に仕えたのに、さすがに皇子が料理するのを見たことはなかった。――釣った魚を捌いたのを見たことがあるが、その時は傅役のゲルが必死に止めて、その後はない。
シウリンは種を手際よく湯の中に落としながら答える。
「えー?水車小屋の番人だったルカの得意料理だったんだよ。時々、食糧を届けに行っていたから、その時習った。彼は疙瘩って呼んでたよ。普通のうどんだと、捏ねたり寝かせたりが大変だけど、これはすぐできるからさあ」
すべての種を湯に落としてしばらく煮立たせると、シウリンは大鍋をぐるりとひと混ぜし、言った。
「はい、できたよ? ランパ、固焼きパンも出して。スープにつけて食べれば、お腹も足りるでしょ」
ランパと手分けしてみなの椀に注ぎ分け、熱々の麺を食べる。
「おいしい……」
アルベラは、雨で冷え切った手足に、熱が行き渡るのを感じる。モチモチした麺は温かく、優しく腹を満たしてくれる。さすがにその夜は、翌朝の分を残しておく余裕もなくて、鍋の中の湯も麺も、一滴残らず彼らの腹の中に納まった。
その日は朝から雨が降って、しかも防水の合羽は人数分には足りなかった。まずアルベラとシリルに合羽を着せ、ゾーイはもちろんシウリンに譲るつもりだったが、シウリンはいらないと言う。結局、ゾーイとゾラと、シウリンが合羽無しで山道を行く。篠突く雨と寒さにアルベラの顔色は青白く、シリルも、フエルも疲労困憊しているのがわかった。しかし雨を避けられるような場所もなくて、夕方近くになって、ようやく見つけた猟師の避難小屋のような建物に逃げ込んだ時には、若年組は三人ともぐったりして、寒さに震えていた。
シウリンが手早く暖炉に火を入れて、アルベラとシリル、フエルを休ませる。エールライヒは濡れた羽をせっせと嘴で整え、ジブリールは豪快に水滴を弾き飛ばす。さすがに一日雨に打たれて、最も体力のあるゾーイとゾラも疲労で座り込んでしまった。しかし、シウリンは一人、濡れた服のまま沢に水を汲み行くと言って出て行ってしまう。
「それにしても、殿下、丈夫ですよね……」
暖炉の前で毛布にくるまって、フエルが震えながら感心する。さすがに誰も、主の後を追う気力もなくて、ただランパが生姜の粉を入れたお茶を沸かして皆に振舞い、トルフィンは濡れたものを暖炉の前に広げて乾かしていく。シウリンは泥だらけになって戻ってくると、濡れた服を脱ぎ、当たり前のように全裸で食事の支度を始めようとした。アルベラは真っ赤になって下を向き、ゾラが慌ててシウリンを窘める。
「裸はやばいっしょ、殿下。着替えは……」
「ないよ」
もともと馬で旅をしていた彼らは数枚の着換えを持っていたが、徒歩のつもりだったシウリンは替えを持っていない。慌てたトルフィンが自分のシャツを差し出したので、シウリンはそれを羽織ったシャツ一枚の姿で、さて、何を食べられるか考え始める。ゾーイが言う。
「今日は食糧を調達できませんでしたから、携行食の固焼きパンで……」
「こんなに疲れて寒い日に、そんなご飯じゃ力が出ないよ」
シウリンはホーヘルミアで調達した大きな鉄の鍋を取り出し、それからランパが管理している食糧の籠をあさる。一昨日狩ったウサギ肉が少しだけ残っていた。後は馬鈴薯と、萎びかけた青椒がちょこっと。シウリンは自分の荷物から、ガルシア辺境伯領でもらってきた味噌と、エヴァンズ伯の城で分けてもらった小麦粉を取り出した。ついでに、ぐったりしているのアルベラたちに、アデライードが持ってきた砂糖菓子の、最後の残りを手渡してやる。
「少し時間がかかるから、これを食べておきなよ。三人で仲良く分けるんだよ?」
子供扱いされたことに、フエルがムッとしたように言う。
「僕は大丈夫です! 料理手伝いますよ!」
「何言ってんのよ、一番、年下のくせに」
喧嘩し始める若年組の声に、うとうとしていたのを起こされて、ゾーイが窘める。
「うるさいぞ。そんなことで騒ぐな」
「そうだよ。とにかく甘いものは疲れが取れるから」
いつも、尼僧院の仕事の後で、老尼僧がほんのり甘い蕎麦粉の菓子を渡してくれたのを思い出しながら、シウリンが微笑んだ。
辛うじて動けるのはランパとトルフィンだが、トルフィンは料理はからっきしだった。それでトルフィンには濡れたものを乾かす仕事を頼み、シウリンはランパに野菜を刻むように言う。馬鈴薯は皮を剥いて細切りに、青椒も細切りに。その間に、ガルシア辺境伯領の砦で失敬してきた小さな鍋に小麦粉を入れ、水を二、三回に分けて加え、箸で混ぜてドロドロの種を作る。種を寝かせる間に、シウリンもランパを手伝って野菜を刻み、ウサギ肉は量が少ないから、叩いて挽肉にする。
それからシウリンは暖炉に五徳を置き、鉄の大鍋を熱して、ウサギ肉の脂身と一緒に挽肉を色が変わるまで炒める。馬鈴薯と青椒もざっと炒め、水を入れて沸かす。塩と味噌で味を調え、思い出して言う。
「ランパ、さっきの乾燥生姜、まだある?」
ランパが無言で差し出すそれを、ひとつまみ鍋に入れ、ぐつぐつしてきたところに、小さな鍋を傾けて、溶いた小麦粉の種を少しずつ、箸で切るようにして落としていく。だいたい半プル(十五センチメートル)程度の、白い麺が具の間で躍る。
「撥魚か、懐かしいな」
シウリンの調理の様子を見ていたゾラが言い、アルベラが振り向く。
「食べたことあるの?」
「前、帝都の馴染みの妓の得意料理で、夜食に作ってくれた。具は残り野菜だけだったけど。美味かったよ」
帝国でも北方の、あまり米の採れない地方の名物料理である。小麦粉の麺が白い魚のように見えることから、この名がついたとされる。
「しっかし、殿下、どこでそんな料理習ったんすか?」
ゾラが尋ねる。十年、側に仕えたのに、さすがに皇子が料理するのを見たことはなかった。――釣った魚を捌いたのを見たことがあるが、その時は傅役のゲルが必死に止めて、その後はない。
シウリンは種を手際よく湯の中に落としながら答える。
「えー?水車小屋の番人だったルカの得意料理だったんだよ。時々、食糧を届けに行っていたから、その時習った。彼は疙瘩って呼んでたよ。普通のうどんだと、捏ねたり寝かせたりが大変だけど、これはすぐできるからさあ」
すべての種を湯に落としてしばらく煮立たせると、シウリンは大鍋をぐるりとひと混ぜし、言った。
「はい、できたよ? ランパ、固焼きパンも出して。スープにつけて食べれば、お腹も足りるでしょ」
ランパと手分けしてみなの椀に注ぎ分け、熱々の麺を食べる。
「おいしい……」
アルベラは、雨で冷え切った手足に、熱が行き渡るのを感じる。モチモチした麺は温かく、優しく腹を満たしてくれる。さすがにその夜は、翌朝の分を残しておく余裕もなくて、鍋の中の湯も麺も、一滴残らず彼らの腹の中に納まった。
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