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3、うたかたの恋

天幕の外の会話

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 一行はその後も南下を続けたが、ゾーイは二人の体力を考えて、その日は早めに野営することにし、地図を見て、沢沿いの少し開けた場所を野営地に決めた。

 ゾーイが想像していたよりもアルベラは馬の扱いが上手く、また深窓育ちの割には我慢強かった。だが、それでも限界が来ているのは明らかだった。

 昼過ぎ、ゾーイはトルフィンとフエルにいくつか買い物を命じて村に向かわせ、野営地で合流することにした。まだ日の高いうちに野営地に着いて、木陰の目立たない場所に草色の天幕を張ると、二人に休むように言った。

「昨夜、ほとんど寝ていないのだろう。今は休め。トルフィンたちが戻ってきたら、また起こす」
 
 遠慮する二人に、ゾーイはただ笑った。

「おぬしらの仕事はゆっくり休んで、明日も俺たちに遅れない体力を回復することだ」

 実を言えばアルベラはもう、立っていられないくらい疲れ切っていて、彼らが敷いてくれた厚地の毛布(ブランケット)に横たわると、次の瞬間、プツンと糸が切れるように眠りに落ちた。





「ねぇねぇ、あのお姫様たちさあ、結果的に駆け落ちって言ってたけど、てことは当然、エッチするはずだったんだよねぇ。三人でどうするつもりだったのかな?」
「何をわけのわかんないこと! 無駄口叩いてないで、早く火を熾して下さいよ!焚火一個じゃ足りないとか言い出したの、トルフィンさんなんですから!」

 うす暗い天幕の中で目を覚ましたアルベラは、外から聞こえてくる男と少年らしい声のいい争いに、パチパチと瞬きして、だがそのまま横になっていた。すぐ横から、シリルの規則正しい寝息が聞こえている。
 
「わかってるよぉ!……んー、でも火を熾すの難しいなあ。殿下はすぐに点火しちゃうのに」
「皇子より火おこしが下手な側仕えって、役に立たなさ過ぎ!」
「俺は侍従文官であって、火おこし係じゃないもーん」

 何となく、肉の焼けるいい匂いも漂ってきて、アルベラは眉を寄せた。
 昼食は彼らが渡してくれた固焼きパンと水だけだった。……テセウスの死の衝撃もあって、アルベラは、ほとんど食べられなかったのだが。
 
「だいたいさあ、今日もまた芋と干し肉のスープ? たまには別の物作れないのかよ、ランパ」
「ああもう、人のことはいいから、早く火を熾してってば!さっきから煙ばっかりじゃないですか!」

 喧しい二人の会話を、アルベラは暗い天幕の中でぼうっとして聞いていた。

「でさあ、やっぱりエッチの時は、あの男の子を追い出すつもりだったのかな?それともいっそ三人でするつもりだったとか?」
「いい加減にしてください! 駆け落ちしたからって即エッチする必要ないでしょう!」

 フエルという少年は潔癖な性質なのか、卑猥なことを口にするトルフィンをしきりに詰っている。

「いやーだってさあ、駆け落ちだよ、駆け落ち。駆け落ちまでしたのに、その日にエッチさせてくれないとか、そんな女、百年の恋も醒めるだろ、常識で考えてもさ」
「あなたの常識で考えないでください! トルフィンさんだって、ミハルさんとの結婚前は我慢してたんでしょ?!」
「そりゃあまあねぇ。結婚までのギリギリの辛抱を楽しむのも、それもまた一興だったし。でも駆け落ちかあ、確かにちょっと憧れるなあ。駆け落ち初日の晩はさぞ盛り上がっちゃうだろうなあ。そこで頑なに拒まれちゃったりしたら、ちょっとショックだよね。え、俺って所詮、その程度って?……あーでも、ミハルだったら平気で拒否しそうだな。ま、そんな空気読まないところも、俺好みではあるんだけどさあ」
「ああもう、少しは黙ってくれませんか! さっきの百年の恋も醒めるって発言と、思いっきり矛盾してるし!」
 
 二人の言い争いを聞いているうちに、アルベラにもようやく、何の話かわかってきて、思わず目を見開いてしまう。

「トルフィン、いい加減にしろ、嬢ちゃんが起きるだろ!……二人がどこまでデキてたか知らねぇが、あの男は命懸けで女を庇って死んだんだ。茶化すような言い方はやめろ」

 二人に比べれば少し低い声がトルフィンを咎める。アルベラの良く知る声を、少しだけ蓮っ葉にした感じの、乱暴な、だがアルベラを気遣う声。
 アルベラの胸にようやく、喪失の重みが落ちて来る。――彼はもう、いない。いなくなった。永遠に――。

「別に茶化すつもりはないよ。ちょっと気になっただけじゃん。怖い怖い」

 ちぇっ、と舌打ちするような音がして、それからはトルフィンも黙々と作業に没頭したらしい。すぐに起きて行くのも気まずくて、しばらく暗闇の中で目を凝らす。しばらくすると、隣でシリルが目を覚ましたのか、ゴソゴソと身動きする気配がして、アルベラも身を起こす。

「うわっ、すっごい寝ちゃったけど、もう夕方だ……」
 
 そんな風にシリルと喋っていると、起きた気配を察知したのか、天幕の外からゾラが裏声で呼びかける。

「嬢ちゃん、お坊ちゃん、ごはんですよー、食べにいらっしゃーい!」
「何なのゾラ、そのお母さんみたいな言い方!」
「裏声やめてください、気持ち悪すぎです」

 ガヤガヤと賑やかな男たちの冗談に引かれるようにアルベラが顔を出すと、焚火の側にいた男たちが微笑んだ。

「やあ、おはよう、ゆっくり休めた?」

 さっきまでの下世話な会話の片鱗も窺わせないトルフィンの上品な笑みに、アルベラはほんの少し、頬が引き攣る。

「あ、ありがとう……すいません、何から何まで」
「明日からは俺も手伝います。料理は、得意なんで……」
 
 後ろから天幕を出たシリルがおずおずと申し出ると、トルフィンが諸手を上げて喜んだ。

「ほんと!やったー、ランパの芋スープからの解放だー!」
「無理はしなくていいんだぜ? 付いてくるだけで大変だろうからな」

 ゾラがあくまでも二人を気遣う笑顔までテセウスにそっくりで、アルベラは泣きたくなるのを懸命に堪えた。
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