19 / 236
2、辺境伯の砦
西へ行こうよ!
しおりを挟む
その言葉に、今度はフエルが黒い瞳を見開いた。
『殿下が、真実をお話になったのですか?』
アデライードは少し困ったように微笑んで、言った。
『わたしがとんだミスをして、殿下の記憶を封印してしまったの。それで、殿下は今、十二歳までの記憶しかないの。ご自分で名乗ったわ。自分は、太陽宮の沙弥のシウリンだと。――どうして還俗したのかも、なぜ、わたしに真実を言えなかったのかも、当然、憶えていらっしゃらないのだけど』
その言葉は、フエルを電撃のように襲った。
『何ですって――つまり、殿下は、聖地を出てからのことを全部、忘れておられるのですか?!』
気まずそうにうなずくアデライードとは裏腹に、フエルの気持ちが一気に高揚する。
フエルは死の床のジーノから、彼の父と殿下との間に起きた事を聞いていた。今では、殿下がなぜ自分を憎み寄せ付けなかったのか、フエルは理解していた。
だからフエルは、学院を卒業した暁には殿下のお側を辞すつもりでいた。
だが、殿下は聖地を出た後の記憶がなく、当然、彼の父とのことも全て忘れているという。
要するに今の殿下は、デュクトの歪んだ愛に傷つく前の、無垢なシウリンのままなのだ。
『姫君、僕は、殿下にお会いしたい。――今の、殿下に。聖地にいたころの、殿下に』
『フエル――?』
『僕に、西南辺境まで、殿下を迎えに行くお許しをください。お願いです!』
必死の形相で頼み込むフエルに、アデライードは面くらう。それは、アデライードが口を挟めることでないと思っていたから。
窓際に並んで座り、念話のために手を繋いでいる二人を見て、メイローズは眉を顰める。あまりに距離が近すぎる。これでは、恭親王でなくとも誤解しそうである。
「フエル殿、姫君に座が近すぎましょう」
「あ、……その、すみません」
慌てて下がるフエルに、アデライードが言う。
「その……フエルも殿下を探しに行きたいと言うの。でもまだ子供だから――」
「僕はもう、子供じゃありません!」
憤然として反論するフエルを、メイローズは値踏みするように眺める。例のサロンの一件で、フエルの方がランパよりも腕が立つことが証明されていた。しかし、ゾラやトルフィンに比べれば、剣や馬術の技量は大きく劣るであろう。
「この上、フエルまで同行するとなったら、ゾラ殿がぶち切れると思いますが――」
「僕、学院で仲良くなった友達から、西の貴族の紹介状をいくつか貰って来たんです! 向こうを旅するときに、役に立つんじゃないでしょうか!」
腐ってもソアレス家の上に、貴族的な容貌の美少年であるフエルは、そういう立ち回りがとても上手かった。無駄な美形にドモリ癖のランパより、よっぽど役に立ちそうである。
メイローズとしては勝手に断ることもできず、フエルの希望をゾラに伝えれば、案の定、ゾラはけんもほろろであった。
「フエルぅ?――金に困った時に、フエルのケツを金持ちの変態親父に売り渡してもいいっつんなら、連れて行ってやるよ」
ゾラの不遜な言いざまにフエルはぐぐっと眉を顰め、父親そっくりの気難しい表情を作る。さすがにそこまで言われて、プライドの高いフエルは同行を諦めるに違いないと皆は思う。ところが、大方の予想に反し、フエルは頷いたのであった。
「いいですよ、僕のケツで皆さんが窮地を逃れられるのであれば、いくらでも身売りしますよ。だから、連れて行ってください! 女王国の地理風俗は、学院で学びました。そこの背が高いだけの木偶の坊よりはよっぽど、お役に立ってみせますよ!」
レイノークス伯領への旅行に置いてきぼりを喰らったことを、フエルはまだ根に持っていた。だがそのやり取りを聞いて、トルフィンは前途多難を予想し、溜息をもらす。
「混ぜたらいけない物質を、箱詰めにしちゃったみたいな一行ですな」
横で同じことを考えていたらしいエンロンもポツリと呟き、トルフィンはますます、暗澹たる気分になった。
しかし、トルフィンはこの時はまだ知らなかった。
その後、カンダハルでゾーイまでが強引に一行に加わり、さらに収拾のつかない危険な五人組になることを。
『殿下が、真実をお話になったのですか?』
アデライードは少し困ったように微笑んで、言った。
『わたしがとんだミスをして、殿下の記憶を封印してしまったの。それで、殿下は今、十二歳までの記憶しかないの。ご自分で名乗ったわ。自分は、太陽宮の沙弥のシウリンだと。――どうして還俗したのかも、なぜ、わたしに真実を言えなかったのかも、当然、憶えていらっしゃらないのだけど』
その言葉は、フエルを電撃のように襲った。
『何ですって――つまり、殿下は、聖地を出てからのことを全部、忘れておられるのですか?!』
気まずそうにうなずくアデライードとは裏腹に、フエルの気持ちが一気に高揚する。
フエルは死の床のジーノから、彼の父と殿下との間に起きた事を聞いていた。今では、殿下がなぜ自分を憎み寄せ付けなかったのか、フエルは理解していた。
だからフエルは、学院を卒業した暁には殿下のお側を辞すつもりでいた。
だが、殿下は聖地を出た後の記憶がなく、当然、彼の父とのことも全て忘れているという。
要するに今の殿下は、デュクトの歪んだ愛に傷つく前の、無垢なシウリンのままなのだ。
『姫君、僕は、殿下にお会いしたい。――今の、殿下に。聖地にいたころの、殿下に』
『フエル――?』
『僕に、西南辺境まで、殿下を迎えに行くお許しをください。お願いです!』
必死の形相で頼み込むフエルに、アデライードは面くらう。それは、アデライードが口を挟めることでないと思っていたから。
窓際に並んで座り、念話のために手を繋いでいる二人を見て、メイローズは眉を顰める。あまりに距離が近すぎる。これでは、恭親王でなくとも誤解しそうである。
「フエル殿、姫君に座が近すぎましょう」
「あ、……その、すみません」
慌てて下がるフエルに、アデライードが言う。
「その……フエルも殿下を探しに行きたいと言うの。でもまだ子供だから――」
「僕はもう、子供じゃありません!」
憤然として反論するフエルを、メイローズは値踏みするように眺める。例のサロンの一件で、フエルの方がランパよりも腕が立つことが証明されていた。しかし、ゾラやトルフィンに比べれば、剣や馬術の技量は大きく劣るであろう。
「この上、フエルまで同行するとなったら、ゾラ殿がぶち切れると思いますが――」
「僕、学院で仲良くなった友達から、西の貴族の紹介状をいくつか貰って来たんです! 向こうを旅するときに、役に立つんじゃないでしょうか!」
腐ってもソアレス家の上に、貴族的な容貌の美少年であるフエルは、そういう立ち回りがとても上手かった。無駄な美形にドモリ癖のランパより、よっぽど役に立ちそうである。
メイローズとしては勝手に断ることもできず、フエルの希望をゾラに伝えれば、案の定、ゾラはけんもほろろであった。
「フエルぅ?――金に困った時に、フエルのケツを金持ちの変態親父に売り渡してもいいっつんなら、連れて行ってやるよ」
ゾラの不遜な言いざまにフエルはぐぐっと眉を顰め、父親そっくりの気難しい表情を作る。さすがにそこまで言われて、プライドの高いフエルは同行を諦めるに違いないと皆は思う。ところが、大方の予想に反し、フエルは頷いたのであった。
「いいですよ、僕のケツで皆さんが窮地を逃れられるのであれば、いくらでも身売りしますよ。だから、連れて行ってください! 女王国の地理風俗は、学院で学びました。そこの背が高いだけの木偶の坊よりはよっぽど、お役に立ってみせますよ!」
レイノークス伯領への旅行に置いてきぼりを喰らったことを、フエルはまだ根に持っていた。だがそのやり取りを聞いて、トルフィンは前途多難を予想し、溜息をもらす。
「混ぜたらいけない物質を、箱詰めにしちゃったみたいな一行ですな」
横で同じことを考えていたらしいエンロンもポツリと呟き、トルフィンはますます、暗澹たる気分になった。
しかし、トルフィンはこの時はまだ知らなかった。
その後、カンダハルでゾーイまでが強引に一行に加わり、さらに収拾のつかない危険な五人組になることを。
10
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる