上 下
13 / 236
1、オアシスの夜

十年越しの手紙

しおりを挟む
 アデライードは狙いを過つことなく、きちんと自分の部屋に帰りついた。例によってアリナが部屋に詰めていて、現れたアデライードに走り寄る。

「姫様、よくご無事で……。殿下は、いかがでした?」
「ええ、お元気だったわ。ご自分で仕留めて料理した鴨をご馳走になったの。とっても美味しかった! 殿下はエンロンさんのお蕎麦も、メイローズさんが用意したお握りも、美味しいって喜んで召し上がったわ。イスマニヨーラ伯父様へのお手紙を預かっているの」
「すぐに、メイローズ枢機卿を呼んでまいります」

 姫の帰還を知って、リリアやアンジェリカも部屋に入ってくる。少し砂に汚れた長衣やサンダルに気づいて、リリアが入浴の支度を始め、アンジェリカが新しい長衣を用意する。
 
 駆け付けたメイローズが、アデライードが持ちかえった品物を片づけにかかる。綺麗に料理が平らげられた魔導ポットを見て、安堵の溜息をつく。食べるということは、主が元気だという何よりの証拠だから。一方で、主の着ていた服を見て、しばし声を失う。あちこち破れ、ほつれ、汗と泥に汚れたそれは、主が現在置かれている、過酷な環境をそのまま表している。

「わが主にはお怪我などはなく……」
「ええ、問題ないようでした。あなたの言ったとおり、あちこちに泉が湧き出ていて、水には困らないって仰っていました」

 入浴の支度ができたとリリアが呼びにきて、それを潮にメイローズはアデライードが持ちかえってきたものを抱えて、姫君の部屋を辞した。

 廊下でエンロンに遇う。エンロンはメイローズが抱えている荷物を見て、姫君が戻って来たのを知り、走り寄ってきた。

「メイローズ殿! 姫君がお帰りになったのですか?」
「ええ、今しがた――」
「蕎麦は、殿下は蕎麦について何か仰っておられましたか?!」
「ええ、とても喜んで召し上がられたと。エンロン殿にもお礼申し上げて欲しいと、姫君が仰っておられました」
 
 その返答を聞いて、エンロンが渋味のある顔を綻ばせる。

「そうでしたかっ!あの蕎麦は、特に腕によりをかけて打ったのですよ!出汁も薬味も吟味して!いや、お喜びいただけてよかった!」
 
 メイローズはエンロンには、恭親王が記憶を失ったことを話していない。――いつかは、話すべきだろうが、皇子の入れ替わりの件もあって、話すタイミングを計りかねていた。

「野鳥などを仕留めて、それなりに元気でいらっしゃるようです。姫君はわが主が仕留めた鴨を召し上がったそうです」
「鴨を!」

 エンロンの目がキラリと光る。

「鴨と蕎麦は相性がいいのですよ! そーか、いずれは鴨蕎麦を……薬味は葱と、山葵わさびを効かせて……」

 ぶつぶつ言い始めたエンロンに、メイローズは会釈をして通り過ぎる。エンロンは有能だが、蕎麦の話になると箍が外れるのだ。それよりマニ僧都を呼びに行かなければ、とメイローズは足を速めた。





 入浴を済ませたアデライードの部屋に、マニ僧都がやってきた。
 食料や装備の不安を訴えるメイローズの懇願に負けて、渋々転移を許可したものの、この美しい姪がまた何かのではと、マニ僧都は不安でしょうがなかったのだ。ひとまず無事に帰還したと聞き、取るものも取りあえず駆けつけた。

 アデライードから聞く、彼の弟子シウリンの様子は逞しいの一言であった。

「子猫を拾っていらっしゃって……真っ白でとても綺麗な」
「子猫……あんなところに野良猫がいるとは思えないのですが」

 メイローズが首を傾げる。

「そう、猫っていうか、子犬に近い気もして……前足がこれくらいの太さで……」

 アデライードの示す大きさは、到底、子猫の大きさではなかった。
 
「あのあたりですと……まさか獅子レオンでは……」

 メイローズの言葉に、アデライードが首を傾げる。

「獅子? でも真っ白で瞳が青くて……わたしが以前、図鑑で見た獅子は薄茶色ではなかったかしら」
「あのあたりには白い獅子がいると聞いたことがあります。私も実物を見たことはないのですが」
「……そんな猛獣を拾って、どうするつもりなんだよ!」

 思わずマニ僧都が天を仰ぐ。

「要は大きな猫でございますから、幼い頃から飼えば人にも慣れるとは思いますが……」

 そんな話をしながら、メイローズは緑茶を淹れ、その馥郁(ふくいく)たる香りが部屋に漂う。

「シウリン……殿下からお返事を預かってきました」

 アデライードが折り畳んで小さく結んだ手紙を差し出すと、マニ僧都がはっとしてアデライードを見て、震える手で手紙を受け取る。手紙を開くと、見慣れた弟子の字が飛び込んできた。――最近のものとは明らかに異なる、金釘流の文字。現在でもそれほど麗筆ではないのが、しかし、一応は皇子の教養として、普段は草書体で書くようにはなっている。そういった修練を経ていない、聖地で暮らしたころのシウリンの文字であった。

『マニ先生

 お手紙ありがとうございます。十年の間に何があったのか、僕にはわからないのですが、それでも、今でも先生が僕を導いてくださることを、天と陰陽に感謝いたします。ご注意いただいたこと、キモに命じて参りたいと思います。魔物をたくさん見て、先生の授業を思い出しました。ソリスティアでお会いすることを、楽しみにしています。
 僕はアデライードのことを愛してしまったので、もう、僧侶になることはできませんが、それでも先生は、いつまでも僕の先生です。ジュルチ先生にも、僕は元気だとお伝えいただければ幸いです。

                         あなたの弟子、シウリンより』


 別れさえ告げられぬまま理不尽奪われた弟子から、十年を経てようやく、手紙が届いた。マニ僧都の青い瞳に涙が浮かび、それが、零れ落ちる。

「シウリン……〈肝に銘じる〉の綴りが間違っているよ、全く……」 

 マニ僧都は片手で顔を覆い、しばらく嗚咽を堪えるように俯いていたが、やがて顔を上げると、アデライードの顔を真っすぐに見た。相変わらず、澄んだ青い瞳は涙で潤んでいる。

「アデライード……殿下が十二歳に戻ってしまったのは、君のミスだ。魔術を扱う者として、絶対にやってはならないレベルの、痛恨のミスだ」

 そう言われて、アデライードが居住まいを正す。

「だが……アデライード。ありがとう。あの時、シウリンときちんと別れることができなくて、私はずっと、十年前から踏み出すことができないでいた。恭親王となった殿下に直に会っても、私はシウリンを諦められなかった。――十年前のシウリンから手紙をもらって、私もようやく、区切りをつけられる」

 アデライードが、翡翠色の瞳を見開く。

「イスマニヨーラ伯父様……」

 どう、答えていいのかわからず、アデライードがじっとマニ僧都を見つめると、しかしマニ僧都はビシリとアデライードを指差して言った。

「だがしかし、それとこれとは別だ。このような失敗は二度とあってはならない。君も私も、放出できる強大な魔力を扱える者は、それだけの責任と自覚が必要なんだ。万一暴走すれば、それは自分一人でなく、周囲にも被害を及ぼしかねない上に、魔力そのものが、周りに与える影響も大きいのだから。――これまで、アデライードの置かれた状況は、そういったことを学ぶには不適だった。そしてそれは、血縁である私にも責任の一端がある。私も殿下も、君を守り、支えるべく全力を尽くす。だから、君自身ももっと、自覚を持ち、自分を律しなさい。魔力を発動する前に、立ち止まって考えなさい」

 マニ僧都の青い目に見据えられて、アデライードはその瞳を真っ直ぐに見返して、頷く。

「はい、伯父様……。もう、二度と失敗はしません。絶対に――」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

お坊ちゃまはシャウトしたい ~歌声に魔力を乗せて無双する~

なつのさんち
ファンタジー
「俺のぉぉぉ~~~ 前にぃぃぃ~~~ ひれ伏せぇぇぇ~~~↑↑↑」 その男、絶叫すると最強。 ★★★★★★★★★ カラオケが唯一の楽しみである十九歳浪人生だった俺。無理を重ねた受験勉強の過労が祟って死んでしまった。試験前最後のカラオケが最期のカラオケになってしまったのだ。 前世の記憶を持ったまま生まれ変わったはいいけど、ここはまさかの女性優位社会!? しかも侍女は俺を男の娘にしようとしてくるし! 僕は男だ~~~↑↑↑ ★★★★★★★★★ 主人公アルティスラは現代日本においては至って普通の男の子ですが、この世界は男女逆転世界なのでかなり過保護に守られています。 本人は拒否していますが、お付きの侍女がアルティスラを立派な男の娘にしようと日々努力しています。 羽の生えた猫や空を飛ぶデカい猫や猫の獣人などが出て来ます。 中世ヨーロッパよりも文明度の低い、科学的な文明がほとんど発展していない世界をイメージしています。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

処理中です...