上 下
163 / 190
第三章

首相対小娘

しおりを挟む
 今にも立ち上がって首相に飛び掛かり、その喉首をへし折りそうな表情のアルバート殿下を目で制し、わたしは微笑んだ。

「お忘れですわ、首相閣下。わたくしは三年前の秋に父を戦争で失い、十二月には爵位を継いだばかりの弟をも毒殺されて、本来なら当然、によって認められるはずの代襲相続を却下されて、爵位も領地も失いました。で、わたくしは貴族の地位を失ったんですのよ。なのに、他ならぬ首相閣下が、そのわたくしに貴族の矜持を保てと仰るの?」

 わたしの反論に、首相は眉を寄せた。

「……その、決定については、おそらくは戦時における情報の行き違いが……」
「しかし、殿下はシャルローでの、わたくしの父の戦死の状況を、詳しく国王陛下に報告申し上げていると、仰っていました。にもかかわらず、わたくしの元には三年もの間、何の説明もございません。ずっと一平民として放置されておりましたのよ? お恥ずかしい話ですが、戦時中のインフレと物不足で、食べていくだけでカツカツでございました。貴族の矜持なんて、とっくの昔に、パンと交換して食べてしまいましたわ? でも、わたくしが貴族としての矜持を守れなかったのは、父の戦死のせいでも、もちろん殿下のせいでもなく、間違いなく――」

 わたしは息を大きく吸い、議場に居並ぶ法服の紳士たちを眺めまわし、声を張り上げた。

「あなた方、内閣と議会のせいですわね? わたくしを辱めたのは、あなたですわ!」
「何だと――?!」
「黙れ! 小娘が――!」
静粛にオーダー――!」

 議場が一気に沸騰し、議長のカンカン打ち据える音が鳴り響く。首相はまさか、ここまではっきり攻撃されるとは、想像もしていなかったのだろう。二の句が継げない風に立ち尽くしているので、わたしはさらに追い打ちをかけた。

「せっかくの機会ですもの。なぜ、父が戦死であったにもかかわらず、わたくしの代襲相続は却下されたのか、説明してくださいませんか、首相? たとえ間に弟を挟んでも、戦死者の代襲相続は認められると、弁護士の先生に聞いておりました。なぜですの? 首相であるあなたは当然、ご存知でいらっしゃるのでしょう? あれだけ弟の件が世間を騒がせたのに、いまだに国からは一切の説明がございません。何か、表に出せない事情でもおありになるの?」

 首相がぐっと息を呑み、ものすごい表情でわたしを睨みつける。

「勘違いしているようだ、レディ・エルスペス。本日の招致は、我々からあなたへの質問のためであって、あなたから我々に質問するためではない」

 もちろん、予想された回答だったので、わたしは余裕たっぷりに微笑んで見せた。

「あら、ずいぶんですわね。自分の聞きたいことだけ喋らせて、わたくしの疑問に答える気がないだなんて。議員って意外と簡単なお仕事ですわね。わたくしでも十分、務まりそうじゃございませんこと?」
「レディ・エルスペス! 不規則発現は慎みたまえ!」

 議長の制止が入り、わたくしはわざとらしく肩を竦め、議場の紳士方に流し目を送る。一部の議員は、首相を恐れず言いたい放題するわたしに眉をひそめていたが、首相が女のわたしに遣り込められる姿に、快哉を叫んでいる人もいて、「いいぞぉ!」とか「その通り!」とか、中には「我が女神よ!」などと言う、不規則発言が飛び交う。
  
 殿下が手を挙げる。

「議長、発言を――」
「アルバート殿下!」

 殿下が首相を見つめ、言った。

「マックス・アシュバートンは俺を庇い、俺の盾になって死んだ。その代襲相続が認められいないのは、確かに、に反する。俺は帰国以来、このことを何度も問い合わせているが、いまだに明確な返答がない。エルシーが貴族の爵位を失ったのは、間違いなく、国家のせいだ。命をかけて国を守った者の、家族の生活を守れていない。この責任の一端は、内閣および議会が背負うべきではないのか?」 
 
 首相は苦い表情で、頬のあたりがピクピクしていたが、辛うじて答える。

「本日の議題は、あなたがたの結婚の承認についてだ。その問題は関係しないと――」
「そんなわけあるまい。議会がレデイ・エルスペスと俺の結婚を認めないと言い張っている理由は、彼女が爵位を失い、平民になっていたからだ。でもそれは国家の不手際の結果だ。無関係ではありえない」

 首相はそれについては答えず、話を変えるように言った。

「しかし――では、王子妃に内定した女性には、処女検査を施すことになっております。失礼ながらレディ・エルスペスは――」

 わたしが思わず息を呑めば、首相はようやく溜飲が下がったというような、下卑た表情でニヤニヤとわたしを見てきた。

「大丈夫だ、エルシー、何の問題もない」
 
 殿下がわたしをちらりと見て、それから首相に向かい、わざとらしくニッコリ笑った。

「――その検査はもう、俺自身で済ませている」

 議場のあちこちから吹き出すような音と、哄笑が沸き起こる。首相は馬鹿にされたと気づいたのか、憮然とした表情で殿下を睨みつけた。

「……を破るのは許されません」
「俺が破ったのはじゃなくて処女膜だが?」

 殿下の下品なジョークに、議場はどっと沸く。わたしが殿下を睨みつけるけれど、殿下は飄々としたものだ。

「もう、結婚も父上が認めてる。今さら処女検査とか、俺が不能だとでも言いたいのか?」 
「殿下!」

 ガンガンと議長が卓を叩く。

「議会の品位を下げるような発言はお慎みください!」
「俺じゃなくて、先に言い出した首相を注意しろよ!」
「首相、他の質問は?!」
「もう結構!」

 吐き捨てるようにして、首相は段を降りていった。不愉快極まりないという表情で。――何となく、勝ったような気がする。





 

 続いて質問に立ったのは、野党である自由党の党首、オーソン・スタイルズ卿だった。まだ四十になったばかりの彼は、実はエルドリッジ公爵の甥にあたる。――つまり王太子妃であるブリジット妃の従兄なのだ。
 スタイルズ卿はダークブロンドを斜めに流し、きれいに固めた髪で、青い瞳でわたしをじっと見つめ、少しだけ微笑む。

「はじめまして、レディ・エルスペス。……王宮舞踏会には私も出席していたのですが、挨拶もできませんで。私から質問したいのは、次のことです」

 穏やかな声でスタイルズ卿が、手元の資料を読み上げる。

「まず――あなたの秘書官としての勤務についてです。もともと、事務官として、マクガーニ中将の下にいた、そうですね?」
「ええ。そうです」
「臨時採用ですが、マクガーニ閣下の下に? 偶然?」

 わたしは首を傾げる。

「臨時採用の仕事を斡旋あっせんしてくださったのが、閣下です。父の友人ですので。それで――縁故があったのかもしれませんが、詳しくは存じません」
「なるほど。それが二年前になりますか」
「ええ、十七歳の春ですわね」
「それで事務職に就かれた。……伯爵令嬢であった、あなたが」
 
 スタイルズ卿はまるで、憐れな者でも見る目でわたしを見た。わたしはツンと澄ました表情で、ばっさり切り捨てる。

「その時はもう伯爵令嬢ではございませんので、特には何とも」
「でも、タイピストの真似事をするのは、辛かったでしょう? 戦時下とはいえ、貴族令嬢であったあなたが」

 この男は、自分は親切なつもりでいるのかもしれないが、人を馬鹿にしている、と思った。

「真似事だなんて失礼な。きっと、わたくしの方が閣下よりも、タイピングは上手でしてよ?」

 あなたはタイプライターなんて打ったことないでしょう、とわたしが微笑めば、スタイルズ卿は軽く頭を掻き、笑った。

「――殿下が王都に戻られたのは六月二十二日。その後、六月末には殿下は司令にご就任になり、事務職員だったレディ・エルスペスと出会った。七月には秘書官に登用。――まともな学校も出ていない女性を、異例の人事です。こでも殿下のご意向で?」
「ええ。殿下は司令部の事務仕事に慣れていないので、慣れた人材が必要だと仰って。さらに、殿下の勤務形態が不規則で、非正規の事務職員では時間外労働が認められないから、秘書官に登用する、というお話でした」
「勤務の実態があったのですね。ただの――愛人ではなく。いえこれは、話の必要の上で言っているだけで、レディ・エルスペスを愚弄する意図はないのです」

 スタイルズ卿が慌てて言えば、殿下は不満そうに眉を顰めるものの、何も言わずに皮革製の書類ばさみを取る。

「これがエルシー……レディ・エルスペスの勤務簿だ。毎日、きちんと出勤しているし、勤務態度もいい。こちらはその証明書。――クルツ主任事務官の署名入りだ」
 
 殿下がそれを開き、上に掲げれば、官僚が立ちあがって受け取り、スタイルズ卿の元に運ぶ。

「なるほど。そのうちに親しくなり、一緒に外出するようになった」
「外出くらいするだろう。ステファニーとの婚約は四年前に白紙に戻して、俺はフリーだったんだから。特に問題はあるまい」

 殿下が言えば、スタイルズ卿は頷いた。

「――つまり、王都に戻ってきてかなり早いうちに、レディ・エルスペスと男女の仲になり、処女検査も無事に済ませた。……それはいつごろです?」
「それは――八月に彼女の祖母が入院して――」
「……なるほど、その頃ですな。レディ・エルスペスは殿下所有のアパートメントに移った」

 スタイルズ卿は顔をあげ、わたしの顔に視線を当てて、じっと見つめる。

「いえね、正直に申し上げると、私には信じられないんですよ。レディ・エルスペス・アシュバートン」

 青い目でまっすぐに見つめられ、わたしも彼の目を見つめ返す。

「さきほどの首相との応酬を見ても、あなたは大変、誇り高い女性だ。貴族令嬢としての教養もマナーも完璧だ。そんなあなたが、祖母君が入院したからと言って、アルバート殿下の所有するアパートメントに移るなんて。それがどういうことか、わからないほど子供でもなかったはず。たとえ、爵位を失っていても、あなたは貴族令嬢としての教育を受けてきた。結婚までは貞操を守る。そう、教えらえてきたのではないかね?」
 
 何が言いたいのかわかったが、わたしは軽く微笑んだだけで、何も答えなかった。スタイルズ卿が続ける。
 
「実は、王都には以前から噂があってね。あなたの純潔は極めて卑怯な理由で奪われたと。――ある男の、紳士にあるまじき振る舞いによって。当時、君の職場にいた人を証人として呼んであるんだ。……証人をこちらに!」

 スタイルズ卿の呼びかけに一人の男性が入ってきて、証人席についた。


 ニコラス・ハートネルだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

[R18]引きこもりの男爵令嬢〜美貌公爵様の溺愛っぷりについていけません〜

くみ
恋愛
R18作品です。 18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。 男爵家の令嬢エリーナ・ネーディブは身体が弱くほとんどを屋敷の中で過ごす引きこもり令嬢だ。 そのせいか極度の人見知り。 ある時父からいきなりカール・フォード公爵が婚姻をご所望だと聞かされる。 あっという間に婚約話が進み、フォード家へ嫁ぐことに。 内気で初心な令嬢は、美貌の公爵に甘く激しく愛されてー?

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

ハズレ令嬢の私を腹黒貴公子が毎夜求めて離さない

扇 レンナ
恋愛
旧題:買われた娘は毎晩飛ぶほど愛されています!? セレニアは由緒あるライアンズ侯爵家の次女。 姉アビゲイルは才色兼備と称され、周囲からの期待を一身に受けてきたものの、セレニアは実の両親からも放置気味。将来に期待されることなどなかった。 だが、そんな日々が変わったのは父親が投資詐欺に引っ掛かり多額の借金を作ってきたことがきっかけだった。 ――このままでは、アビゲイルの将来が危うい。 そう思った父はセレニアに「成金男爵家に嫁いで来い」と命じた。曰く、相手の男爵家は爵位が上の貴族とのつながりを求めていると。コネをつなぐ代わりに借金を肩代わりしてもらうと。 その結果、セレニアは新進気鋭の男爵家メイウェザー家の若き当主ジュードと結婚することになる。 ジュードは一代で巨大な富を築き爵位を買った男性。セレニアは彼を仕事人間だとイメージしたものの、実際のジュードはほんわかとした真逆のタイプ。しかし、彼が求めているのは所詮コネ。 そう決めつけ、セレニアはジュードとかかわる際は一線を引こうとしていたのだが、彼はセレニアを強く求め毎日のように抱いてくる。 しかも、彼との行為はいつも一度では済まず、セレニアは毎晩のように意識が飛ぶほど愛されてしまって――……!? おっとりとした絶倫実業家と見放されてきた令嬢の新婚ラブ! ◇hotランキング 3位ありがとうございます! ―― ◇掲載先→アルファポリス(先行公開)、ムーンライトノベルズ

【R-18】悪役令嬢ですが、罠に嵌まって張型つき木馬に跨がる事になりました!

臣桜
恋愛
悪役令嬢エトラは、王女と聖女とお茶会をしたあと、真っ白な空間にいた。 そこには張型のついた木馬があり『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』の文字が……。 ※ムーンライトノベルズ様にも重複投稿しています ※表紙はニジジャーニーで生成しました

年上彼氏に気持ちよくなってほしいって 伝えたら実は絶倫で連続イキで泣いてもやめてもらえない話

ぴんく
恋愛
いつもえっちの時はイきすぎてバテちゃうのが密かな悩み。年上彼氏に思い切って、気持ちよくなって欲しいと伝えたら、実は絶倫で 泣いてもやめてくれなくて、連続イキ、潮吹き、クリ責め、が止まらなかったお話です。 愛菜まな 初めての相手は悠貴くん。付き合って一年の間にたくさん気持ちいい事を教わり、敏感な身体になってしまった。いつもイきすぎてバテちゃうのが悩み。 悠貴ゆうき 愛菜の事がだいすきで、どろどろに甘やかしたいと思う反面、愛菜の恥ずかしい事とか、イきすぎて泣いちゃう姿を見たいと思っている。

【R18】絶倫にイかされ逝きました

桜 ちひろ
恋愛
性欲と金銭的に満たされるからという理由で風俗店で働いていた。 いつもと変わらず仕事をこなすだけ。と思っていたが 巨根、絶倫、執着攻め気味なお客さんとのプレイに夢中になり、ぐずぐずにされてしまう。 隣の部屋にいるキャストにも聞こえるくらい喘ぎ、仕事を忘れてイきまくる。 1日貸切でプレイしたのにも関わらず、勤務外にも続きを求めてアフターまでセックスしまくるお話です。 巨根、絶倫、連続絶頂、潮吹き、カーセックス、中出しあり。

【R18】記憶喪失の僕に美人妻は冷たい

無憂
恋愛
戦争で片目と記憶を失い、妻のもとに戻った僕。見知らぬ美しい妻も、使用人たちもなんとなく僕に冷たい。以前の態度が悪かったらしいけど、憶えてないんだからしょうがなくない? *クズ男が幸せになるのが許せない人は栄光ある撤退を。*他サイトにも掲載しています。

処理中です...