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第三章

証人喚問

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 国会議事堂として使用されているシェリンガム宮殿は、王都を貫くランド川の畔に立っている。我が国に議会ができたのはだいたい三百年前、ちょうど建国直後のことだ。
 
 要するに、元は貴族たちが国王に要求を通すために認められたもので、現在は爵位のない平民の選挙で選ばれる庶民院との二院制である。平民と言っても、庶民院の議員の多くは貴族の次男、三男やその子弟に占められて、本当の成り上がりの庶民は少ない。選挙や政治活動にはそれなりのお金がかかる。近年は産業資本家が政界に転身することが増えた。――ちなみに、爵位を得ると庶民院の議員は辞めなければならないらしい。

 わたしと殿下が招致されたのは、上院――貴族院である。国王の詔勅の承認権は、貴族院に先議権があり、下院はその議決を追認する形になる。まして王族の結婚に下院――庶民院があれこれ言うことなどは、許されないらしい。

 わたしは赤絨毯が敷き詰められた重厚な議場の、所定の場所に座る。アルバート殿下とは少し離れた場所だ。殿下は近くに、と言い張ってくれたが――そもそも、殿下はわたしを招致することにもかなりギリギリまで、抵抗してくれたのだ。王太子殿下が間に入り、殿下は亡命を仄めかしてまでわたしの招致は不要だと言い張ったけれど、首相が拒否した。この段階で、首相がわたしを攻撃する気満々なのは明らかだ。

 ずらりと並んだ法服の老紳士たち。議員の定数は五百人。もっとも、全員揃うことなどなく、定足数は二百人らしいが、定足数を確かめる動議は禁止されているので、議長ともう一人いれば開会は可能らしい。――ざっと見たところ二百人は超えているようだ。

 不思議と恐ろしいとは思わなかった。何故だろう。
 わたしはバッグの中に忍ばせた、父が最期まで持っていた、わたしと弟の写真を思う。黒いレースの手袋の上に嵌めたサファイアの指輪を見下ろし、視線をずらして殿下を見れば、殿下の胸元には父の、サファイアのピン。

 今日、殿下は敢えて、議会に召喚されるよう、仕向けた。
 わざわざ王宮舞踏会で婚約破棄を宣言し、秘密結婚した証書を叩きつけて。――殿下はこの議場で、何かの真実を白日のもとに曝そうと考えているのだ。そうだとしたら――。

 殿下の整った横顔を見つめていると、視線に気づいた殿下がわたしを見て、少しだけ微笑む。
 わたしは微笑みを返してから、壇上の、白い昔ながらの鬘を被った議長を見つめた。

 ざわざわとさざめく議場で、議会が木槌を打つ音が響く。

 カンカンカン――。

静粛にオーダー! 静粛に! これより開廷する!」






 最初に質問に立つのは与党の党首でもある、首相バーソロミュー・ウォルシンガム卿だ。彼は鋭い目でわたしを見据えて、言った。

「リンドホルム伯爵令嬢エルスペス・アシュバートン。十九歳、父は陸軍中佐であったマクシミリアン・アシュバートン。間違いはないかね?」

 わたしは微笑んで答えた。

「一応、すでに婚姻届けは受理されておりますけれど、ただ、わたくしがマックス・アシュバートンの娘で、リンドホルム伯爵の法定代理人である事実には、変更ございません」

 首相の眉間に一瞬、皺が寄った。

「本日はその、君の結婚についての国会招致だ。我々議会はまだ、君を妃殿下ハー・ロイヤル・ハイネスと呼ぶことを、承認はしていない。便宜上、レディ・エルスペスと呼ばせていただこう」
「どうぞ」

 わたしがわずかに肩を竦めれば、議場がざわついた。……ふてぶてしい女だと思ったのかもしれない。

「……この、ビルツホルンで提出された結婚証書だが――日付は十二月の七日。君のサインと、ビルツホルンの聖ゲオルグ大聖堂の司祭のサインと、アルティニア皇太子のフェルディナンド大公のサインがある。記憶にあるかね?」
「ええ」
「二人だけの結婚式としゃれこんだのかね?」

 トゲのある言い方に、でもわたしは動じずに首を振る。

「いいえ。グリージャのエヴァンジェリア王女と大聖堂の観光にまいりました。そこで、フェルディナンド殿下と落ち合って。アルバート殿下が何かサインをしろ仰るから。大聖堂の中は薄暗くて、書類がよく読めませんのよ。でも、殿下の言う通りにいたしました。まさかこんな用途に使うとは、想像もせずに」
「結婚証書だと気づかなかったと?」
「ええ! だって結婚証書なんて見るのは、生まれて初めてですもの!」

 わたしがチラリと殿下を見れば、殿下も肩を竦める。議場では議員たちが何となく、クスリと笑った気配がある。
 首相はわたしを見て、言った。

「王族の結婚には議会の承認が必要だ。さらに殿下には議会が承認した婚約者である、レコンフィールド公爵令嬢がいた。これは重大な不貞行為だ。君はそれについてどう、責任を取るのかね?」
「わたくしが? 何故?」

 思いっきり大げさに驚いてやれば、首相は露骨に不愉快そうな顔をした。議場もざわっとする。

「何故って……婚約者のいる男性と勝手に結婚したのだよ? 立派な不貞行為だろう」
「まず――わたくしは殿下以外の誰とも、婚約しておりません。わたくしが誰に対して《不貞》を働いたと? それに、殿下はレコンフィールド公爵令嬢との婚約は、出征前に白紙に戻っていて、自分もまた、誰とも婚約していない、とずっと主張していらしゃった。むしろわたくしこそ被害者ですわ?」

 わたしが堂々と言い返せば、議場から声が上がる。

「なんだと、生意気な!」
「そうだ! 愛人のクセに!」

 野太い野次を聞いて、わたしは議長に向かい、言った。

「この議会では野次が許されておりますのね。わたくしも野次り返してよろしいかしら?」

 議長は一瞬、ギョッとしたが、すぐに木槌で卓を叩く。

「静粛に!……レディ・エルスペス、議会を愚弄する発言は許されない」
「あら、わたくしを愚弄する発言は許されるのに、議会って不公平ですのね!」
「誰かこの、生意気な小娘を黙らせろ! 神聖な議会をなんだと思っている!」

 白髪の老紳士が立ちあがって叫ぶので、すぐさま言い返してやった。

「あなたがたが来いと言うから来たんですわ! 今、あなたは黙れと仰った。皆さまもお聞きになったでしょ? ええ、わかりました。わたくし、ずっと黙っておりますわ。老人の意見には従うようにと、祖母の教えですの。それでよろしくて?」
「静粛に!」

 カンカンカン、と議長がテーブルを木槌で叩く。

「……レディ・エルスペス、失礼した。君の発言の権利は保証する。……諸君! 女性への下品な言葉は慎みたまえ! 紳士らしく」

 議長があきれ顔で言い、殿下は口元を覆って肩を揺すって笑っている。その様子を睨みつけた首相に対し、殿下が言った。

「だから俺は、エルシーは呼ばない方がいい、って言ったんだ。小娘をいたぶるつもりが言い返されて、いい気味だな」
「静粛に! アルバート殿下! 発言は許可しておりせん!」
「じゃあ、さっきの不規則発言をしたジジイも注意しろ。そこの白髪のデブだ! 前から三列目!」
「殿下!」

 見かねたマールバラ公爵が手を上げる。

「議長! 発言を許可願いたい」
「認めよう、マールバラ公爵」
「首相の言い分は一方的過ぎる。アルバート殿下は確かに、四年前の出征に先立ち、レコンフィールド公爵令嬢との婚約は白紙に戻していた。それは文書にも記録され、政府広報にも出た。今、ここに証拠の書類もある。――問題は、十一月十二日の本会において、殿下の婚約が議題に上がり、あっさり承認が決議されている。その時、提出された国王陛下の勅書がこれだ」

 マールバラ公爵は革製の紙ばさみを開いて、中の、金の装飾のある書類を掲げる。

「この日付は六月の十日。『第三王子アルバート・アーネスト・ヴィクター・レジナルドと、レコンフィールド公爵令嬢ステファニー・グローブナーの婚姻について、互いにこれを了承した場合は認めるものとする。』問題はこの『互いにこれを了承した場合は』の一文だ。この書類の日付は、殿下が王都に帰還なさる以前のものだ。そうですな、殿下?」

 アルバート殿下が頷く。

「俺の帰国は六月の二十二日だ。俺は帰国の時、父上の前ではっきり、ステファニーとは結婚しないと言った。……レコンフィールド公爵もその場にいたはずだ」

 マールバラ公爵はレコンフィールド公爵に向き直る。

「つまり、貴公はアルバート殿下が娘御との結婚を拒否しているのを知りながら、その詔勅を議会に提出した。――おかしいと思ったのだ。本来なら、本人二人の同意書も一緒に提出されるべきだ。少なくとも、王太子殿下のご婚約時にはそうだった。なぜその書類だけなのか、わしはずっと疑問に思っていたのだ」

 マールバラ公爵は首相とレコンフィールド公爵を見据え、言った。

「前例を知悉したはずの首相も、レコンフィールド公爵も、わざと同意書を提出しなかった。事情を知らない議長は勅書だけで承認の決議を取り、諸議員も賛成票を投じた。違うかね?」

 マールバラ公爵の発言に、議場がざわめいた。

「なんだって? もともと結婚を嫌がっているのを、知らぬふりで婚約を承認させたのか?!」
「議会に対する侮辱だ!」
「静粛に!」

 カンカンと議長が木槌で叩く。議長がマールバラ公爵に尋ねる。

「……私はその前例については知らなかった。以前から、実質的な婚約者だという話だったから」

 マールバラ公爵が頷く。

「わしがその場にいれば、勅書の日付にも気づいて反対を表明できたが、生憎、ビルツホルンにいて不在だった。たしかに王子の結婚は国事だが、勝手に議会が決議承認できる類のものじゃない」
「しかし、手続きとして不備とまでは言えまい。王太子殿下の婚約の際も、同意書はあくまで、付録の扱いだった。勅書があり、決議が下り、婚約は承認された。アルバート殿下とレコンフィールド公爵令嬢は正式な婚約者だ!」

 首相が宣言し、わたしに向き直る。

「それにあの決議は十一月、この婚姻証書は十二月に提出され、王都で一月の末に受理された。そして、殿下が一方的に婚約の破棄を宣言したのは二月の十日。要するに、この三か月、君は婚約者のいる男性と関係を持ち、妻同然の扱いを受けていた、愛人だったのだよ! そんな女を王子の妃として認められるとでも?! 君には、貴族女性としての恥も矜持もないのかね?」

 首相の反論に、殿下がガタンと身を起こし、ギラギラした金色の鋭い視線で、首相を睨みつけた。
 
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