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第三章
王宮舞踏会
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夕刻、王宮で準備される簡単な軽食を取ってから、いよいよ舞踏会場に向かう。
真紅の絨毯が敷き詰められ、天井から下がるいくつものシャンデリアが、キラキラと眩い光を放つ。舞踏会場は王宮内でも最も広い部屋であるにも関わらず、それでも半ば人で埋まっている。
「……大きい……」
わたしがぼんやりと天井の装飾やシャンデリアを眺める。
「リンドホルム城の広間もそこそこですよ? 様式が古いから、少し古風で豪華さには欠けるけど」
ジェラルド・ブルック中尉が言う。
「南部の、僕の邸はもうちょっとこじんまりしているんですよね。僕の家は百五十年くらいの歴史なんで」
壁沿いには絨毯と同じ色のベンチが並んでいるので、カーティス大尉がわたしたちをその一角に導く。
「ずっと立っていたら死んでしまいますよ。靴の踵も高いのでしょう?」
「昔は舞踏会くらいは何でもなかったけど、やっぱり年齢には勝てないわ」
「いやいや、ヴァイオレットはまだまだ十分、美しいよ」
マールバラ公爵夫妻は熟年になっても仲睦まじい。――この人が、わたしの父とローズの仲を引き裂いたと思うと、正直に言って微妙な気分になる。
客もほぼ埋まったあたりでファンファーレが鳴り響き、王族の登場が告げられた。
会場の奥、中央の高くなった場所に玉座があり、前方の扉から正装にいくつもの勲章を下げた国王陛下が、侍従たちに守られるように入場する。ステッキをついて、右足を引きずっている。国王陛下が玉座に座り、続いて王太子殿下がブリジット妃殿下をエスコートして現れた。そして、アルバート殿下がレコンフィールド公爵令嬢をエスコートして現れ、並ぶ。
ざわざわとさざめくような声が広がる。
「……やっぱり、正式にはレコンフィールド公爵令嬢が……」
「そりゃあ、まあ、所詮、愛人ってことさ……」
マールバラ公爵がわたしを気遣うように言った。
「議会は頭の固い奴らが多くてな。自分たちの過ちを認めることができんのだ」
「大丈夫です。事前に聞いておりましたので」
前方、玉座の側で並んで立つ二人。
――胸が痛まないと言えば、嘘になる。まわりの視線が痛いのもあるけれど。
殿下はまっすぐ前を見据え、隣のステファニー嬢にはまったく目を向けない。まるで横に誰もいないかのごとく、まっすぐ前だけを見ている。ただ殿下が軽く曲げた左腕に、ステファニー嬢の右手が縋っているから、いるのはわかっているはず。
結局、ステファニー嬢のエスコートを断ることができなかったと、詫びられたのは昨夜。
『だが、今回が最後だ』
殿下ははっきりとそう、言った。――ある、決意を込めて。
殿下はわたしを愛してくださっている。幼い時の思い出故か、あるいは、不幸なまま死に別れた、生みの母であるローズへの憧憬からなのか。
王妃はわたしとローズがわからなくなるほど錯乱していたし、国王陛下もまた、わたしのことをローズと呼んだ。わたしはローズの顔を知らないし、父も祖母も何も言わなかったけれど、わたしはローズに似ているのだろうか? でも、わたしは、わたし。
幼い日、リンドホルムで誰よりもわたしを愛してくれた、リジー。ずっとわたしのことを忘れず、思い続けたと、何度も言ってくれた。幼いわたしが忘れていた分まで、ずっと愛してきたと――。
今、彼の隣に立つのがわたしでなくとも、わたしは彼の言葉を信じられる。
殿下の隣に立つステファニー嬢が視線を動かし、群衆の中で誰かを探しているように見えた。たぶん、わたしを探しているのだろう、と思う間もなく、目が合う。
彼女の青い瞳が、わたしをじっと見つめる。
『わたくしがこれまで捧げてきた愛は、誰にも奪えない。そうではなくて?』
ステファニー嬢の言いたいことは、わからなくはない。少なくとも彼女は、アルバート殿下を愛していた。わたしがリジーのことを忘れてしまった年月もずっと、アルバート殿下の側にいた。……実質的な婚約者として。
アルバート殿下を愛し続けた、ステファニー嬢の年月。
わたしを思い続けた、リジーの年月。
そして空白の、わたし。リジーを忘れ、何も知らず、ただ無邪気にリンドホルムの薔薇園を守り、追い出されたわたしの年月。
神様は、誰の祈りを聞き届けてくれるのだろう?
王室長官が舞踏会の開会を宣言した。
音楽が流れ、ファーストダンスが始まる。
王太子夫妻が手を取り合い、玉座の前に出る。
ジョージ殿下の喪は明けたけれど、王太子妃殿下のドレスは黒。薄いレースが胸元や肩を覆い、ひらりと広がるスカートには、黒いレースのオーバースカート。黒いレースの手袋に、黒いジェットを連ねたチョーカー。ひらりひらりと回るたびに、レースが翻り、裾のタッセルが揺れる。
曲が終わり、拍手が沸き起こる。王室長官が、自由に踊り、楽しむようにとの、国王陛下のお言葉を伝える。周囲の人波が動き、三々五々、男女が組んで踊り始める。
「……どうします?」
ジェラルド・ブルック中尉に尋ねられたが、わたしは首を振った。
「エスコートは仕方ないけど、ダンスはダメって」
「……でしょうね」
マールバラ公爵がヴァイオレット夫人をエスコートしてフロアーに出るのを見送りながら、二人でコソコソと話し合う。
「ブルック中尉はおモテになるんでしょ? さっきから若い女性が見てますよ?」
「それはどう考えても、時の人のあなたを見ているんです」
二曲目が始まり、流麗なワルツが流れる。だが――。
前方、玉座に近い辺りで、ざわめきが起きた。見れば、フロアーにはステファニー嬢とアルバート殿下が向かい合い、半ば睨み合うような形になっている。
戸惑うように手を伸ばすステファニー嬢を、アルバート殿下が首を振り、そのまま踵を返して去ろうとする。ステファニー嬢の周囲にいた誰かが駆け寄り、殿下に何か言って――。
殿下が前方にある、目立たない小さな扉から外に出ると、慌てたようにステファニー嬢がそれを追って行った。
「うわああ……」
およそ王族がエスコートしている相手とのダンスを拒否するなんて、あり得ないのでは。
「実はこの後、恒例では、王子殿下がデビュタントのご令嬢たちと踊るんですが、殿下は拒否したんですよ」
「……拒否? 楽しみにしていた方もいらっしゃるのでは」
わたしは何となく、周囲の人々を見回す。全体の割合としては少ないものの、そこそこ、純白のドレスのご令嬢はいる。
「デビュタントと踊って、レコンフィールド公爵令嬢と踊らないってわけにいかないでしょう。彼女がデビューした年は、殿下は彼女以外の令嬢とはいっさい、踊らなかったんです。ステファニーがそれを望むから、と言って」
そんなことが、とわたしは目を見開く。
殿下の真意はともかく、そこまでしていたら、殿下がステファニー嬢を愛していると誤解されて当然だ。
それから数曲、マールバラ公爵夫妻が戻ってきて、入れ替わりにカーティス大尉とシャーロット嬢が踊りに行く。わたしはブルック中尉が持ってきてくれた、発泡ワインをちびちび舐めながら、音楽に合わせて広がり、翻る華麗なドレスの花を鑑賞していた。
突然、ブルック中尉がわたしを守るように、前に立ちはだかり、冷たい声で言った。
「……グレンジャー卿、貴卿は殿下から絶交を宣言されているはず」
「それはわかっているが、どうしても……」
見れば、アイザック・グレンジャー卿と、婚約者のシュタイナー伯爵令嬢のミランダだった。わたしは立ちあがる。
「何かご用ですの?」
「殿下が……」
言い淀んだグレンジャー卿の横から、ミランダ嬢が涙声で言う。
「殿下が、ステファニーとは踊らないと。婚約も破棄するって! あなたの差し金なの?」
「こんなところでするお話しではないと思いますけど。……わたしは殿下には何も要求してはいません」
「でも、その指輪だって……」
ミランダ嬢がわたしの、グラスを持った左手を見る。わたしは溜息をついた。
「ええ、いただきました。聖誕節の贈り物で……わたくしの、父の形見のサファイアのタイピンと交換したんです」
「ステファニーという婚約者がいるのに、聖誕節を二人で過したの? あんまりよ! ステファニーは四年も待ったのに!」
化粧が剥げるのもかまわず、泣きながら訴えるミランダ嬢の姿に、周辺に人垣ができ始める。
「殿下からは、戦争に行く前にレコンフィールド公爵令嬢との婚約話は白紙に戻したと、何度も聞いております。戦争から帰国したらすぐ、わたくしに結婚を申し込むつもりだったとも」
わたしが冷静に言えば、ミランダ嬢の隣にいた、アイザック・グレンジャー卿が驚いたように言う。
「……帰国前から君と結婚するつもりだったと? でも――」
「戦地で、父に送ったわたくしの写真を見たそうです。それで、わたくしに結婚を申し込む許しは父から得ていると。その直後に、シャルローで父は銃弾に斃れました。……殿下を庇って、と聞いております」
わたしの言葉に、ブルック中尉が頷き、踊りに行ったはずのカーティス大尉も駆けつけて来て、言った。
「あの時、僕が足に銃弾を受けて、動きが鈍って敵に迫られて――アシュバートン中佐が殿下を突き飛ばし、代わりに銃弾を――」
カーティス大尉の証言に、わたしは持っていたビーズ刺繍の小物入れから、セピア色の写真を取り出す。穴が開き、赤黒い飛沫が飛び散っている。
「……父の遺体の胸ポケットから、殿下が取り出した写真だと。……わたしと、弟です」
周囲がシンとなり、音楽がやけに響く。銃撃の痕をありありと残す写真が、命の恩人の娘と結婚したい、という殿下の主張を裏付けるからだろう。わたしは写真を小物入れに仕舞いながら言う。
「殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との話し合いに、わたしは口を出してはいません」
「でも! あなたは要するに、死んだ父親と弟をダシに、殿下の同情を煽ってステファニーから奪い去ったのでしょう?! やり方が汚いわよ!」
「ミランダ、それは――」
アイザック・グレンジャー卿が婚約者を窘めるが、わたしはあまりの謂れように息を呑む。ずっと黙って聞いていた、マールバラ公爵が立ちあがり、言った。
「……シュタイナー伯爵令嬢、と言ったか。今の発言はあまりにも、戦死者の遺族を愚弄するものではないか? 国のために命を投げ出した者とその家族に対し、礼を失するのも甚だしい」
「それは……」
ミランダ嬢が怯んだところに、すっと影が差す。
「グレンジャー、俺はミス・アシュバートンには関わるなと言ったはずだ。シュタイナー伯爵令嬢も、彼女をこれ以上侮辱するのは許さない」
振り返れば、陸軍中将の正装に身を包んだ、アルバート殿下が立っていた。
真紅の絨毯が敷き詰められ、天井から下がるいくつものシャンデリアが、キラキラと眩い光を放つ。舞踏会場は王宮内でも最も広い部屋であるにも関わらず、それでも半ば人で埋まっている。
「……大きい……」
わたしがぼんやりと天井の装飾やシャンデリアを眺める。
「リンドホルム城の広間もそこそこですよ? 様式が古いから、少し古風で豪華さには欠けるけど」
ジェラルド・ブルック中尉が言う。
「南部の、僕の邸はもうちょっとこじんまりしているんですよね。僕の家は百五十年くらいの歴史なんで」
壁沿いには絨毯と同じ色のベンチが並んでいるので、カーティス大尉がわたしたちをその一角に導く。
「ずっと立っていたら死んでしまいますよ。靴の踵も高いのでしょう?」
「昔は舞踏会くらいは何でもなかったけど、やっぱり年齢には勝てないわ」
「いやいや、ヴァイオレットはまだまだ十分、美しいよ」
マールバラ公爵夫妻は熟年になっても仲睦まじい。――この人が、わたしの父とローズの仲を引き裂いたと思うと、正直に言って微妙な気分になる。
客もほぼ埋まったあたりでファンファーレが鳴り響き、王族の登場が告げられた。
会場の奥、中央の高くなった場所に玉座があり、前方の扉から正装にいくつもの勲章を下げた国王陛下が、侍従たちに守られるように入場する。ステッキをついて、右足を引きずっている。国王陛下が玉座に座り、続いて王太子殿下がブリジット妃殿下をエスコートして現れた。そして、アルバート殿下がレコンフィールド公爵令嬢をエスコートして現れ、並ぶ。
ざわざわとさざめくような声が広がる。
「……やっぱり、正式にはレコンフィールド公爵令嬢が……」
「そりゃあ、まあ、所詮、愛人ってことさ……」
マールバラ公爵がわたしを気遣うように言った。
「議会は頭の固い奴らが多くてな。自分たちの過ちを認めることができんのだ」
「大丈夫です。事前に聞いておりましたので」
前方、玉座の側で並んで立つ二人。
――胸が痛まないと言えば、嘘になる。まわりの視線が痛いのもあるけれど。
殿下はまっすぐ前を見据え、隣のステファニー嬢にはまったく目を向けない。まるで横に誰もいないかのごとく、まっすぐ前だけを見ている。ただ殿下が軽く曲げた左腕に、ステファニー嬢の右手が縋っているから、いるのはわかっているはず。
結局、ステファニー嬢のエスコートを断ることができなかったと、詫びられたのは昨夜。
『だが、今回が最後だ』
殿下ははっきりとそう、言った。――ある、決意を込めて。
殿下はわたしを愛してくださっている。幼い時の思い出故か、あるいは、不幸なまま死に別れた、生みの母であるローズへの憧憬からなのか。
王妃はわたしとローズがわからなくなるほど錯乱していたし、国王陛下もまた、わたしのことをローズと呼んだ。わたしはローズの顔を知らないし、父も祖母も何も言わなかったけれど、わたしはローズに似ているのだろうか? でも、わたしは、わたし。
幼い日、リンドホルムで誰よりもわたしを愛してくれた、リジー。ずっとわたしのことを忘れず、思い続けたと、何度も言ってくれた。幼いわたしが忘れていた分まで、ずっと愛してきたと――。
今、彼の隣に立つのがわたしでなくとも、わたしは彼の言葉を信じられる。
殿下の隣に立つステファニー嬢が視線を動かし、群衆の中で誰かを探しているように見えた。たぶん、わたしを探しているのだろう、と思う間もなく、目が合う。
彼女の青い瞳が、わたしをじっと見つめる。
『わたくしがこれまで捧げてきた愛は、誰にも奪えない。そうではなくて?』
ステファニー嬢の言いたいことは、わからなくはない。少なくとも彼女は、アルバート殿下を愛していた。わたしがリジーのことを忘れてしまった年月もずっと、アルバート殿下の側にいた。……実質的な婚約者として。
アルバート殿下を愛し続けた、ステファニー嬢の年月。
わたしを思い続けた、リジーの年月。
そして空白の、わたし。リジーを忘れ、何も知らず、ただ無邪気にリンドホルムの薔薇園を守り、追い出されたわたしの年月。
神様は、誰の祈りを聞き届けてくれるのだろう?
王室長官が舞踏会の開会を宣言した。
音楽が流れ、ファーストダンスが始まる。
王太子夫妻が手を取り合い、玉座の前に出る。
ジョージ殿下の喪は明けたけれど、王太子妃殿下のドレスは黒。薄いレースが胸元や肩を覆い、ひらりと広がるスカートには、黒いレースのオーバースカート。黒いレースの手袋に、黒いジェットを連ねたチョーカー。ひらりひらりと回るたびに、レースが翻り、裾のタッセルが揺れる。
曲が終わり、拍手が沸き起こる。王室長官が、自由に踊り、楽しむようにとの、国王陛下のお言葉を伝える。周囲の人波が動き、三々五々、男女が組んで踊り始める。
「……どうします?」
ジェラルド・ブルック中尉に尋ねられたが、わたしは首を振った。
「エスコートは仕方ないけど、ダンスはダメって」
「……でしょうね」
マールバラ公爵がヴァイオレット夫人をエスコートしてフロアーに出るのを見送りながら、二人でコソコソと話し合う。
「ブルック中尉はおモテになるんでしょ? さっきから若い女性が見てますよ?」
「それはどう考えても、時の人のあなたを見ているんです」
二曲目が始まり、流麗なワルツが流れる。だが――。
前方、玉座に近い辺りで、ざわめきが起きた。見れば、フロアーにはステファニー嬢とアルバート殿下が向かい合い、半ば睨み合うような形になっている。
戸惑うように手を伸ばすステファニー嬢を、アルバート殿下が首を振り、そのまま踵を返して去ろうとする。ステファニー嬢の周囲にいた誰かが駆け寄り、殿下に何か言って――。
殿下が前方にある、目立たない小さな扉から外に出ると、慌てたようにステファニー嬢がそれを追って行った。
「うわああ……」
およそ王族がエスコートしている相手とのダンスを拒否するなんて、あり得ないのでは。
「実はこの後、恒例では、王子殿下がデビュタントのご令嬢たちと踊るんですが、殿下は拒否したんですよ」
「……拒否? 楽しみにしていた方もいらっしゃるのでは」
わたしは何となく、周囲の人々を見回す。全体の割合としては少ないものの、そこそこ、純白のドレスのご令嬢はいる。
「デビュタントと踊って、レコンフィールド公爵令嬢と踊らないってわけにいかないでしょう。彼女がデビューした年は、殿下は彼女以外の令嬢とはいっさい、踊らなかったんです。ステファニーがそれを望むから、と言って」
そんなことが、とわたしは目を見開く。
殿下の真意はともかく、そこまでしていたら、殿下がステファニー嬢を愛していると誤解されて当然だ。
それから数曲、マールバラ公爵夫妻が戻ってきて、入れ替わりにカーティス大尉とシャーロット嬢が踊りに行く。わたしはブルック中尉が持ってきてくれた、発泡ワインをちびちび舐めながら、音楽に合わせて広がり、翻る華麗なドレスの花を鑑賞していた。
突然、ブルック中尉がわたしを守るように、前に立ちはだかり、冷たい声で言った。
「……グレンジャー卿、貴卿は殿下から絶交を宣言されているはず」
「それはわかっているが、どうしても……」
見れば、アイザック・グレンジャー卿と、婚約者のシュタイナー伯爵令嬢のミランダだった。わたしは立ちあがる。
「何かご用ですの?」
「殿下が……」
言い淀んだグレンジャー卿の横から、ミランダ嬢が涙声で言う。
「殿下が、ステファニーとは踊らないと。婚約も破棄するって! あなたの差し金なの?」
「こんなところでするお話しではないと思いますけど。……わたしは殿下には何も要求してはいません」
「でも、その指輪だって……」
ミランダ嬢がわたしの、グラスを持った左手を見る。わたしは溜息をついた。
「ええ、いただきました。聖誕節の贈り物で……わたくしの、父の形見のサファイアのタイピンと交換したんです」
「ステファニーという婚約者がいるのに、聖誕節を二人で過したの? あんまりよ! ステファニーは四年も待ったのに!」
化粧が剥げるのもかまわず、泣きながら訴えるミランダ嬢の姿に、周辺に人垣ができ始める。
「殿下からは、戦争に行く前にレコンフィールド公爵令嬢との婚約話は白紙に戻したと、何度も聞いております。戦争から帰国したらすぐ、わたくしに結婚を申し込むつもりだったとも」
わたしが冷静に言えば、ミランダ嬢の隣にいた、アイザック・グレンジャー卿が驚いたように言う。
「……帰国前から君と結婚するつもりだったと? でも――」
「戦地で、父に送ったわたくしの写真を見たそうです。それで、わたくしに結婚を申し込む許しは父から得ていると。その直後に、シャルローで父は銃弾に斃れました。……殿下を庇って、と聞いております」
わたしの言葉に、ブルック中尉が頷き、踊りに行ったはずのカーティス大尉も駆けつけて来て、言った。
「あの時、僕が足に銃弾を受けて、動きが鈍って敵に迫られて――アシュバートン中佐が殿下を突き飛ばし、代わりに銃弾を――」
カーティス大尉の証言に、わたしは持っていたビーズ刺繍の小物入れから、セピア色の写真を取り出す。穴が開き、赤黒い飛沫が飛び散っている。
「……父の遺体の胸ポケットから、殿下が取り出した写真だと。……わたしと、弟です」
周囲がシンとなり、音楽がやけに響く。銃撃の痕をありありと残す写真が、命の恩人の娘と結婚したい、という殿下の主張を裏付けるからだろう。わたしは写真を小物入れに仕舞いながら言う。
「殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との話し合いに、わたしは口を出してはいません」
「でも! あなたは要するに、死んだ父親と弟をダシに、殿下の同情を煽ってステファニーから奪い去ったのでしょう?! やり方が汚いわよ!」
「ミランダ、それは――」
アイザック・グレンジャー卿が婚約者を窘めるが、わたしはあまりの謂れように息を呑む。ずっと黙って聞いていた、マールバラ公爵が立ちあがり、言った。
「……シュタイナー伯爵令嬢、と言ったか。今の発言はあまりにも、戦死者の遺族を愚弄するものではないか? 国のために命を投げ出した者とその家族に対し、礼を失するのも甚だしい」
「それは……」
ミランダ嬢が怯んだところに、すっと影が差す。
「グレンジャー、俺はミス・アシュバートンには関わるなと言ったはずだ。シュタイナー伯爵令嬢も、彼女をこれ以上侮辱するのは許さない」
振り返れば、陸軍中将の正装に身を包んだ、アルバート殿下が立っていた。
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