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第三章

謁見

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 その日、わたしは夕方に王宮に入った。

 エスコートはフィルツ子爵ジェラルド・ブルック中尉。陸軍中尉の正装に身を包んだ彼は、金髪に青い目でたいへん、麗しい容姿をしている。ドロシー嬢から聞いた話によれば、非常に女性にモテるらしい。他、世話役のような形で、マールバラ公爵夫妻がついてくださった。普通の令嬢は両親が付き添うから、その代りということだ。

「嬉しいわ、わたくし、娘がいなかったでしょう? 友人が娘のデビューの世話をするのを、いつも羨ましいと思っていましたのよ」

 紫色のドレスを着たヴァイオレット夫人が妖艶に微笑む。ティアラにはアメジストが飾られて、非常に豪華だけれど、品がいい。

「いえ、ありがとうございます。王都には知り合いもいなくて、不安で……」
「いいえ、気にしないで」

 ダグラスの一件で、ミセス・デイジー・フランクもまた、逮捕されていた。ヴァイオレット夫人の遠い親戚になる。――田舎貴族であるリンドホルム伯爵の継承問題が、思わぬところに波及したわけだ。

「そろそろ行こう、令嬢の謁見も終わるころだ」

 王宮の広間サルーンは、白いドレスの令嬢たちで溢れかえっていた。拝謁を終えて出てきた令嬢たちが、友人同士でお喋りしたりしている。
 普通、デビュタントの令嬢は、順番に国王陛下に拝謁し、額にキスをしてもらうらしい。
 
 でもわたしは、単なる国王への拝謁ではなく、代襲相続を認めてもらうための拝謁であるから、デビュタントたちの拝謁の後に時間が取ってあった。

 赤い上着に金の飾りのついた派手な衣装の小姓ページに名刺を渡し、名が読み上げられるのを待つ。

「リンドホルム伯爵令嬢、レディ・エルスペス・アシュバートン!」 

 王室長官ロード・チェンバレンがわたしの名を呼んだ時、ざわついていた広間が一瞬、シーンと静まりかえる。

「わしらはここで待っているから、行っておいで」

 マールバラ公爵に言われ、わたしは軽く会釈して、ブルック中尉を見る。彼も頷き、わたしたちは注目を浴びながらゆっくりと歩きだす。

「――アシュバートン、あれが……?」
「アルバート殿下の……」

 ひそひそとした声がさざ波のように広がるけれど、まったく気にも留めない風に前を見て、わたしたちは謁見の間に足を踏み入れた。

 ブルック中尉が入口脇に立つ、別の小姓に名刺を渡す。小姓はそれを持って先に立って歩き、正面の玉座に座る男性の前に進む。

 中央の玉座に国王陛下、その左側に王太子殿下とブリジット妃殿下。反対側にアルバート殿下が、いずれも正装して立っていた。

 国王陛下は黒い豪華な礼服に、いくつもの勲章を下げた六十くらいの男性。髪にも髭にも白いものが混じっているが、顔つきは驚くほど、アルバート殿下にソックリだった。

「レディ・エルスペス・アシュバートン。……ストラスシャーのリンドホルム伯爵の法定代理人として、陛下に謁見を願い出ております」

 小姓が国王陛下に告げ、わたしは陛下の正面でブルック中尉と別れ、まっすぐ数歩進み、それから深く腰を折って最上級のカーティシーを取る。両手に白薔薇のブーケを持っているので、非常にバランスがとりにくいが、ここでぐらつくわけにいかない。祖母の厳しい教えを思い出し、背筋をピンと伸ばしてゆっくりと頭を下げる。

「――アシュバートン……マックスの……」
「そうです、父上」

 少し掠れた声に、聞き慣れた声が重なる。

「おもてを上げよ……もっと、顔が見えるように……」

 わたしが無言で顔を上げる。

「もっと、こちらに……」

 わたしは立ちあがり、玉座のすぐ近くまで進み、今度は玉座の前に片膝をつく。陛下をまっすぐに見ることは不敬なので、わたしは陛下の足もとを見ていたのだが――。

 頬を冷たい手が触れ、顔をぐいと上向けられる。

「!!」
「陛下!」
「父上っ……」

 まっすぐ向けられた正面、至近距離に国王陛下の顔があって、わたしは絶句する。

「……ローズ……」
「いえ、エルスペスと申します」

 はっきり否定すると、陛下の金色の瞳が見開かれ、白髪交じりの眉がぐっと苦悩に歪められる。

「そうだな、そなたは、エルスペス。エルスペス・アシュバートン……」

 陛下の顔が近づき、わたしの額に髭が触れるのを感じる。

「……すまなかった……」

 陛下は小声でそれだけ言うと、すっと姿勢を正し、今度ははっきりと周囲に聞こえるように宣言する。

「リンドホルム伯爵の、継承、許す」
「……ありがとうございます……」

 わたしは教えられた通り、そのまま中腰で真後ろへと下がろうとした。

「待ってくれ、レディ・アシュバートン」

 アルバート殿下に呼び止められ、打ち合わせにはないことで、わたしはハッとして顔を上げる。

「父上、彼女が俺の恋人です。……エスコートできなくて済まない、エルシー。そこまで送る」
「バーティ!」

 殿下は国王陛下に軽く言い、ひらりと身軽に駆け寄ってきて、わたしの手を取る。王太子殿下が背後から窘めるのも気にもせず、わたしに微笑みかけ、左手薬指のサファイアの指輪に口づけた。
 すぐそばで、小姓ページが困惑して固まっている。

 茫然とするわたしの手を取り、腰に手を回して赤絨毯の上を戻って、やはり茫然と立ち尽くす、ジェラルド・ブルック中尉にわたしを託し、言った。

「ジェラルド、エルシーを頼んだ」
「は、は、はあ……」

 凍り付いた謁見の間の空気に、わたしが目だけで周囲を見回せば、壁際に控えるお歴々の中の、恰幅のよい紳士がものすごい表情でわたしを睨みつけていた。――反射的に、王妃に似ていると思った。レコンフィールド公爵だ。

「バーティ! 謁見の場でいい加減にしろ!」

 王太子殿下がアルバート殿下を咎めるが、殿下は全く悪びれず、わたしの頬にキスまでして、わたしを見送る。謁見の間から待機場所の広間サルーンに出る時に、鋭い視線を感じて振り返れば、見たことのある背の高い紳士が、厳しい表情でわたしを見ていた。

 ……誰だったかしら……そんな風に思いながら、広間に足を踏み入れ、わたしはうっと仰け反りたくなった。

 広間サルーンで待機中の令嬢たち全員が、わたしに注目していたからだ。……広間から、丸見えだったのだ。
 




「あらあら、まあまあ、アルバート殿下ったら!」

 ヴァイオレット夫人が呆れたように言い、マールバラ公爵も困惑げな表情をしている。ブルック中尉なんて、怒りのあまり倒れそうだ。

 ――どうして、火に油を注ぐのよ!

「まあでも、謁見は無事に済んだ。――舞踏会までは時間があるから、控室に行こう。ずっと立っていると疲れてしまうよ」

 マールバラ公爵に言われてわたしたちは移動を始める。広間の視線を感じながら広間を抜け、長画廊ロング・ギャラリーを通って割り当てられた控室に向かう。謁見を申し込んでいない貴族たちは直接舞踏会に向かうが、早めに到着した人々が、長画廊で世間話をしているのだろう。

「マールバラ公爵、ヴァイオレット夫人!」

 前方から来る見慣れた二人に、ブルック中尉が声を上げる。

「ジョナサン! それに、シャーロット嬢!」
「よかったここで会えました」

 カーティス大尉も今日は凛々しい陸軍士官の正装、シャーロット嬢は上品な水色のドレス。

「謁見は無事に?」
「……無事とは言い難いが……何とか」

 ブルック中尉の言葉に、カーティス大尉がわたしを見る。

「いや、エルスペス嬢には落ち度はない。全部、あの人が悪い」
「後で話そう」

 マールバラ公爵が言い、ヴァイオレット夫人がシャーロットを気遣う。

「久しぶりね、シャーロット。音楽会以来かしら?」
「はい、バイオレットおば様」

 ヴァイオレット夫人とシャーロット嬢は親戚だから、べつに不自然ではない。カーティス大尉はロックウィル伯爵の嫡男として、婚約者のグレンフィリック子爵令嬢のミス・シャーロット・パーマーを伴っている。シャーロットは子爵令嬢で、王宮ではデビューしていないから、彼女も王宮舞踏会は初参加である。

「すてきだわ、エルシー。真っ白なデビュタントのドレス!」
「もうそんな歳でもないのに、恥ずかしいのよ……」
「あら、まだ若いのに、何を言っているの。さ、行きましょ」
 
 わたしたちが歩き始めた前方から、華やかな一団が近づいてきた。
 基本、男性は夜の正装である黒いテールコートか、黒い軍服の正装だけれど、女性はデビュタントが純白、それ以外は華やかなドレスを纏っている。女性が多い一団は、自然とさまざまな色が溢れる。

 前方の一団は、鮮やかな赤、ピンク、エメラルド・グリーンと、派手はドレスが多く、そこに黒いテールコートが混じる。若い女性と男性の集団なのだとわかる。
 ジョージ殿下が亡くなられて、王室はしばらく喪に服していたが、二月になって皆、喪服を脱いだ。王宮舞踏会は最初の、華やかな催しとなる。

 それを遠目に見て、ブルック中尉が舌打ちした。

「運が悪いな、アイザック・グレンジャーがいる。……ステファニー嬢の取り巻き集団だ」
「運が悪いのではなくて、わざっと待ち伏せていたのではなくて?」

 ヴァイオレット夫人の冷静な突っこみに、カーティス大尉が露骨に溜息をつく。

「……わざと、ではないと思いたいですね。ステファニー嬢もいますから」

 その声に、わたしが目を凝らせば、集団の中央、上品なモス・グリーンのドレスを着た金髪の令嬢が、じっとわたしを見つめ、それからゆっくりとこちらに近づいてきた。

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