上 下
150 / 190
第三章

魔性の女

しおりを挟む
 わたしが王宮での拝謁と舞踏会での衣装について相談すると、アルバート殿下はこともなげに言った。

「それはもう、準備してある。大丈夫だ、ミス・リーンに任せておけばいい」

 わたしはギョッとして殿下を見上げた。

「……準備?」
「ミス・リーンにだいぶ前に注文済みだ。最初の採寸をしたあたりで、だいたいのデザインを決めて製作にかかっている」
「……なんで……」

 わたしが怪訝な表情をすると、殿下は肩を竦める。

「だって、いずれ父上に紹介するとなったら、王宮に連れていくしかないだろう? マックスが死んだ時はまだ十六だったから、お前はまだデビューしていないだろうと。この二月の会でデビューさせようと思っていた」 
「……そんな前から、本気で結婚するつもりだったのですか!」

 わたしが呆れて尋ねれば、殿下が金色の目を見開く。

「当たりまえだろう? もう、三年前にマックスの許しはもらっているんだし。ステファニーやレコンフィールド公爵が四の五の言わなかったら、今頃はもう、ちゃんと婚約できていたはずなんだ。エルシーの爵位だって、本来なら関係なかった。エルシーが前の伯爵であるマックスの、嫡出の娘なのは変わらないから。だから、もともと俺の中のタイムスケジュールでは、この二月の王宮舞踏会では、ちゃんと婚約者としてお披露目する予定だった」

 いつの間にそんな、無謀なスケジュールを組んでいたのだろうか。

「だから、エスコートも当然、俺がするつもりだったのだが――」
 
 殿下が言い出し、わたしは慌てて首を振る。

「だ、だめです! ステファニー嬢との婚約、まだ有効なんですよね?」

 殿下は苦虫をかみつぶしたような表情で言った。

「議会が婚約無効を渋っている。議会の面子を潰すとかなんとか。一旦、婚約を認めた上で、婚約を解消するなら認めると言い出しやがった」
「それではダメなのですか?」
「それだと、俺はステファニーという婚約者がいながらエルシーに心変わりして、俺の有責で婚約を解消することになる。つまり、エルシーが掠奪女だということになってしまう。俺はもともと、ステファニーとは婚約していない、同意もしていないと主張しているんだが……」

 殿下が肩を竦める。

「議会にしてみれば、俺の同意なんかはどうでもいいわけだ。国王の裁可が下りていて、俺の婚約が議題にかけられ、問題のない相手だったので承認した。それだけのことだ。俺に継ぐ継承順位を持つマールバラ公爵の不在時ではあるが、もともと、貴族院には定足数もあって無きが如しだから、マールバラ公爵の不在を理由に無効にするのはおかしいと」

 それはそれで筋は通っているのだという。

「また、戦前から俺とステファニーが婚約寸前だったのは周知の事実で、出征前に白紙に戻すという政府広報は出たものの、ステファニーは王太子妃の手伝いをして王家の慰問の仕事なんかにも、積極的に関わっていたらしい。だから対外的には正式ではないものの、婚約者であると周囲が考えて当然だと、言い張られている。ステファニーもレコンフィールド公爵も、《そもそも婚約していない》、という、俺の主張を受け入れるつもりはないらしい」

 殿下はコンソールに置いてある、煙草入れから紙巻煙草シガレットを取って、口に咥え、マッチで火を点ける。ふうっと紫煙を吐き出して、不愉快そうに眉を顰めた。

「俺が、ステファニーの今後のことを考えて、おおやけにしないでやってきたことが、全部、裏目に出たわけだ。ステファニーは、戦前から一貫して、実質的には婚約は継続状態にあった、と言い張っている。少なくとも王都ではそう、認識されていたと言われると、ずっと戦地にいた俺には反論のしようがない」

 殿下は長い指で煙草をくゆらせ、わたしを見る。

「でも、俺はエルシー以外と結婚するつもりはない。俺がエルシーと結婚するためには、まず、ステファニーに婚約の解消を申し出なければならない、と……だがその場合、慰謝料を払ったりする程度なら、金で片が付くならそれでもいいけれど、エルシーの評判に関わる問題だから」
「リジー……」

 殿下はわたしの左手を取り、サファイアの指輪を自分の口元に近づけ、キスをして、言った。

「俺の評判は勝手だが、エルシーの評判も少しは気にしろと言っただろう?……俺も、婚約者を捨てて心変わりした浮気者だなんて言われたくない。もともと、ステファニーのことは好きじゃなかった。それを、公衆の面前ではっきり宣言するのはステファニーの名誉にかかわると思い、口を噤んできたが、その結果がこれだ。……俺の評判はともかく、エルシーが掠奪女だなんて言われないように、きちんと表明することにした」
「それで、どうなさるの?」

 わたしの問いに、殿下が眉尻を下げる。

「レコンフィールド公爵家には婚約の解消を申し出ているが、ステファニーも、公爵も同意しないそうだ」
「……困りましたね」
「ああ……王宮舞踏会までは、意地でも解消しないだろう。俺が出征前と同様の待遇を要求されている」

 出征前とは、四年前、つまりステファニー嬢が十七歳でデビューしたときの、王宮舞踏会のことで、つまり、ステファニー嬢のエスコートも、殿下が務めるように、とのことだという。

「それは断っているが、なかなか承諾してくれない。そういう状況で、無理にお前をエスコートすると、議会の心証も悪くしてしまうから……」
「それは、わかります。……エスコート自体は、ブルック中尉が引き受けてくださったので、ご心配なく」
「ジェラルドが?!」

 殿下がぐわっと目を見開く。

「まさかジェラルドから口説かれたんじゃあるまいな! あいつは手が早いから――」
「まさか! 殿下にエスコートさせて火に油を注ぐよりはって」

 だが、殿下は眉を顰める。

「むー。わかってはいるが、いざ、別の男がエルシーをエスコートするとなると、ものすごくムカつく。……エルシー、エスコートは認めるが、踊るのは禁止だ」
「リジー?」

 殿下がわたしの身体を抱き寄せ、こめかみに口づける。

「……ダンスは、俺とだけ。俺もお前以外とは、踊らない」
「わたしは構いませんが……」

 ステファニー嬢とは踊らなくていいの? わたしは疑問に思ったけれど、深くは追及しなかった。





 翌日、早速ミス・リーンがほぼ出来上がったローブ・デコルテを持って、オーランド邸にやってきた。
 そのドレスは純白で、やや低めウエストからオーガンジーのスカートがふわりと広がり、床はギリギリ擦る程度。――踊ることを前提にしているから。昔、見た祖母のドレスは長い長い裳裾トレーンを引いていた。

「戦争でね、無駄を控えろってね。いいことよ。ダンスに来たんだか、床の掃除に来たんだか、わかりゃしないものね」 

 ミス・リーンがわたしの衿ぐりの開きを調整しながら言う。身ごろにはレースと凝ったビーズ刺繍が施され、リボンのような袖が肩をさりげなく覆い、長い白い手袋をする。頭には鳥の羽と、長く白いベール。

「……もう二十歳だし、デビュタントみたいな服装は恥ずかしいのですけど」
「でも初めて王宮に行くのでしょ?」
「……そうですけど……」

 デビューに行くんじゃなくて、爵位の継承のために行くのだし。デビュタントのようにしなくても、いいと思っていたのに。
 
「ブーケは当日までの用意しておくけど……殿下ったら、断固、白薔薇ですって。拘るわねぇ……」

 白いストッキングに白い靴。真珠のヘッドドレス。 

「その、サファイアの指輪を手袋の上から嵌められるよう、薄地の手袋にしているから。……ちょっと試してみて」

 わたされた手袋を嵌め、その上に指輪をする。少しキツイけれど、まあ、何とか入った。

「他は全部白で、そのサファイアだけが青。目立つわよぉ? せいぜい、殿下にもらったのよ、って見せびらかしておやんなさいな、あの迷惑なご令嬢にも」

 ステファニー嬢にサロンに乱入されたことを、ミス・リーンはいまだに恨みに思っているらしい。

「王宮に行くのも初めてなら、作法も何もわからないのよ? そんな、他の人を威嚇している余裕なんてなくってよ」
「でもあちらは、バンバン、威嚇してくると思うわよ?」 

 わたしは溜息をつく。

「知らない人ばっかりだし、静かにしているわ。……田舎者のことは放っておいてくれないかしら」
「今、一番の時の人が何を言っているのかしら。王妃を撃退したときのつもりで、コテンパンにしておやんなさい。大丈夫よ、保証するわ。あんたが一番の美女よ。田舎育ちのダサい事務員だったなんて、誰も思いはしないわ。何しろ《魔性の女》だそうだから」

 ミス・リーンに豪快に笑われて、わたしはそっと、鏡を見る。

 くすんだ亜麻色の髪はウエーブをつけて纏められ、真珠のヘッドドレスと白い羽、白いベールで飾られる。耳からは真珠のイヤリングが垂れ、胸にはいつもの、真珠のロング・ネックレスを三重に巻いている。
 顔は相変わらず無表情で、ブル―グレーの瞳は冷たい印象しかしない。

 魔性の女。

 親族の男を迷わせ、弟の毒殺に駆り立てた女。王都の噂によれば、わたしには結婚の約束をした陸軍士官の恋人がいたのに、アルバート殿下はわたしの経済的な苦境につけ込んでわたしを無理に奪い、そうしてわたしは愛人に収まったのだそうだ。さらに殿下を動かして、ついに領地と爵位を取り戻した。今、とうとう王子の婚約者を蹴散らして、王子の妃に収まろうとしている――。 
 
「きっとみんながっかりするわ。魔性の女がこんな、無表情な女で」
「あんたは氷人形アイス・ドールって言われているのよ。せいぜいツンケンしてらっしゃいな。変に媚びを売って笑ったりしないこと! 自分らしくね!」

 ミス・リーンのエールを胸に、わたしは王宮に乗り込むのだ。


 
 そう、わたしはついに、国王陛下に対峙する。

 ローズの人生を狂わせ、父から奪い取った人に。
 誰よりも愛する、リジーの父親に――。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼氏に身体を捧げると言ったけど騙されて人形にされた!

ジャン・幸田
SF
 あたし姶良夏海。コスプレが趣味の役者志望のフリーターで、あるとき付き合っていた彼氏の八郎丸匡に頼まれたのよ。十日間連続してコスプレしてくれって。    それで応じたのは良いけど、彼ったらこともあろうにあたしを改造したのよ生きたラブドールに! そりゃムツミゴトの最中にあなたに身体を捧げるなんていったこともあるけど、実行する意味が違うってば! こんな状態で本当に元に戻るのか教えてよ! 匡! *いわゆる人形化(人体改造)作品です。空想の科学技術による作品ですが、そのような作品は倫理的に問題のある描写と思われる方は閲覧をパスしてください。

鋼の殻に閉じ込められたことで心が解放された少女

ジャン・幸田
大衆娯楽
 引きこもりの少女の私を治すために見た目はロボットにされてしまったのよ! そうでもしないと人の社会に戻れないということで無理やり!  そんなことで治らないと思っていたけど、ロボットに認識されるようになって心を開いていく気がするわね、この頃は。

【完結】愛とは呼ばせない

野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。 二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。 しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。 サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。 二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、 まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。 サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。 しかし、そうはならなかった。

会計のチャラ男は演技です!

りんか
BL
ここは山奥に作られた金持ちの学園 雨ノ宮学園。いわゆる王道学園だ。その学園にいわゆるチャラ男会計がいた。しかし、なんとそのチャラ男はまさかの演技!? アンチマリモな転校生の登場で生徒会メンバーから嫌われて1人になってしまう主人公でも、生徒会メンバーのために必死で頑張った結果…… そして主人公には暗い過去が・・・ チャラ男非王道な学園物語

でしたら私も愛人をつくります

杉本凪咲
恋愛
夫は愛人を作ると宣言した。 幼少期からされている、根も葉もない私の噂を信じたためであった。 噂は嘘だと否定するも、夫の意見は変わらず……

ヤンデレ・メリバは好きですか?

紅月
恋愛
「ヤンデレ、メリバは好きですか?」 そう聞いて来た白い髪の神様に向かって、私は 「大っ嫌いです。私はハピエン至上主義です」 と、答えたらちょっと驚いた顔をしてから、お腹を抱えて笑い出した。

珈琲のお代わりはいかがですか?

古紫汐桜
BL
身長183cm 体重73kg マッチョで顔立ちが野性的だと、女子からもてはやされる熊谷一(はじめ)。 実は男性しか興味が無く、しかも抱かれたい側。そんな一には、密かに思う相手が居る。 毎週土曜日の15時~16時。 窓際の1番奥の席に座る高杉に、1年越しの片想いをしている。 自分より細身で華奢な高杉が、振り向いてくれる筈も無く……。 ただ、拗れた感情を募らせるだけだった。 そんなある日、高杉に近付けるチャンスがあり……。

彼女の母は蜜の味

緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…

処理中です...