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第三章

検死審問

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 夕食までの空いた時間、わたしはビリーの部屋にアレックスを案内した。

 ビリーの私物は全て片付けられて、ただ昔からある家具が残るだけ。重厚な天蓋付きのベッドに、書き物机、どっしりとした肘掛椅子。壁という壁にはタペストリーがかけられ、天井までの書棚が据え付けられているが、棚はガラガラで埃が溜まっていた。……すべてが重々しく、古く、寒々しい。王都の洗練とは程遠い部屋だ。

 ――よく考えれば、わたしはビリーが生きている間には、この部屋に入ったことはなかった。

 珍しそうに見まわしているアレックスに、わたしは言う。

「寒々しいでしょう。古い城だから。暖炉もあるし、集中暖房もついてるけど、王都の家程快適じゃないの」
「いえ、すごい天井が高いと思って……何年前位のお城なんですか?」
「三百年くらい前ね。屋根の形式に特徴があるんですって」

 ノックの音がして、メアリーとジョンソンが白いリネンを抱えて入ってきた。

「本当にこのお部屋でよろしいですか? ここは三年以上空き部屋で……」
「いえ、この部屋がいいんです」

 アレックスが言い、メアリーがベッドメイクを始め、ジョンソンは浴室の様子を確かめる。

「さいわい、お湯は出るのでお使いいただけます。何がございましたらそちらの呼び鈴を……」

 ジョンソンの説明を聞き、アレックスが窓の外を覗く。

「すごいなあ……これが、有名なストラスシャーの荒野ムアですか……」

 窓の外の荒野の上には、夕焼け空が続いていた。

 ――この景色を、かつてビリーは見ていたのだ。もしかしたら、亡くなったあの日も――。







 夕方、警察から連絡があり、検死審問インクエストは明後日の午後に決まったという。リンドホルムの警察が、王都の警視庁ヤードに応援を要請した都合らしい。ついでにオーランド邸にも電話して、状況を尋ねる。

 昨夜、王都を出るときの新聞は、まだ、ビリーの件を報じてはいなかった。早晩、漏れるだろうと考えていたが、案の定、今日の夕刊紙に、ビリーの遺体から毒物が検出されたとの報道が出たそうだ。明日にはリンドホルムにも、新聞記者が溢れるかもしれない。

 翌日、わたしが庭に出るのに気づいたアレックスが、後から追いかけてきた。

「すごい広い庭ですね。湖まであるなんて」
「田舎だから、無駄にだだっ広いのよ」
「ビリーからも話を聞いていて……一度見てみたいと思っていたんです」
「この季節は何もないわ。……庭師もずいぶん、減らされて、手が足りないようね」

 例の薔薇園ローズ・ガーデンへ続く道の、錠前はすでに外されていた。アルバート殿下とダグラスとの間の、この庭の売買契約はほぼまとまっていたが、最後のサインになって、ダグラスが突然渋り始めたそうだ。大方、値を吊り上げようと思ったんだろう。――伯爵家の経済事情は想像よりも悪いのかもしれない。

 鉄条網を苦労して除け、小道へ入る。アレックスは壁に囲まれた庭を珍しそうに見る。

「……これが、ビリーの言っていた、壁庭ウォール・ガーデンか……」
「ええそう、たいていは、果樹園や、苗を育てる場所にするんだけどね」

 わたしは、あの薔薇園ローズ・ガーデンには入らなかった。――あの庭は特別な、秘密の庭だからだ。
 
 水の止まった噴水のある散歩道プロムナードをそぞろ歩いていると、人の気配がして、背後から呼びかけられた。

「おーい! ミス・アシュバートン?」

 見れば、昨日のエヴァンズ警部が、ツイードのコートを着たすらりとした男性を連れて、手を振っている。

「ああ、よかった、追いついた!」

 エヴァンズ警部が息を切らし、後ろの男性を紹介する。

「王都の警視庁ヤードのウォード警部です。少しお話をお伺いしたいそうで」
「ジョン・ウォードと言います。ミス・アシュバートン?」
「はじめまして。……こちらはミスター・アレックス・マクガーニ。ビリーの友人です」

 アレックスは無言で頭を下げる。ウォード警部の質問は、昨日のエヴァンズ警部と同じだった。

「メニューはマッシュルーム入りのカレー風味マリガトーニスープ。それから小エビの瓶詰ポッテッド・シュリンプのカナッペ。――メインは?」

 わたしは首を傾げる。

「たぶん、ロースト・ビーフです。サイラスおじ様を招くときは、いつもそれなので」
「最初はマッシュルームが疑われた」
「……ええ」
「弟さんが倒れたタイミングは?」
「もう、デザートが終わりかけたくらいでした。急に倒れて、突然、痙攣けいれんして……」
「その時、医者のサイラスは何か飲ませていましたか?」
「さあ……わたしも気が動顛して……」

 わたしが目を伏せると、ウォード警部は話題を変えた。

「この庭を、アルバート殿下が買おうとしていたのは、本当ですか?」
「ええ。ダグラスが売りに出したので……でも切り売りされたくなくて、殿下が押えました」
「あなたのために?」

 ウォード警部はまっすぐにわたしを見る。殿下がこの庭を買うのは、わたしのためというより、ローズのためだけれど、それはどこまで言っていいのかわからない。だからわたしは頷いた。

「ええ。……でも、強請ったわけではありません。わたしはこの庭が売りに出ていることも知りませんでした」
 
 ウォード警部が周囲を見回し、もう一度わたしを見た。

「アルバート殿下は、あなたと結婚したがっている」
「ええ」

 殿下にもらったサファイアの指輪は、外して宝石箱に入れてある。外してきて正解だった。

「ここに来る前、アーチャーに尋問してきたのですがね。……彼は、ビリーの皿にサイラスに渡された薬を入れたことは認めた」
「……信じられません。どうしてそんな……」
「アーチャーが言うには、サイラス親子に脅されていて、逆らえなかった、と」
「脅される……?」
「弱みを握られていたそうです。……ただ、その弱みについてはまだ、裏付けが取れていない。とにかく、アーチャーはサイラスの命令で、渡された薬を、その日のスープの皿に入れた」

 わたしは目を見開く。ウォード警部がわたしをまっすぐに見つめたまま、続けた。

「……アーチャーは、ビリーが死ねば、あなたに代襲相続の勅許が降りると思っていた」
「ええ……あの時、ほとんどの人がそう、思っていたでしょう」
「サイラスも?」

 わたしは頷く。

「サイラスは、わたしと息子のダグラスを、結婚させようとしていましたから」
「ええ、アーチャーも言っていた。それを大奥様……レディ・ウルスラがけんもほろろに断った。……サイラスは、何を狙っていたのでしょうかね?」
「……ダグラスとわたしが結婚すれば、カッスルが手に入ると思っていたのでしょうか?」
「でも、確実ではない。……よくわからないんですよね、正直に申し上げて」

 ウォード警部は肩を竦め、両の掌を上に向けた。

「それにしても……ダグラスもあなたを手に入れたいと思っていたようですね。そしてアーチャーも。……今度はアルバート殿下。……新聞には魔性の女と書いてありましたが、全くですな」
「ええ? 何ですって?」

 わたしが聞き返す間もなく、ウォード警部は帽子をヒョイと持ち上げると、一礼して去っていった。
 
 




 翌日、検死審問インクエストが開かれるリンドホルムの公会堂には、早くもかなりの数の新聞記者が詰め掛けていた。フラッシュの光の中を、わたしは公会堂へと入る。

「エルスペス・アシュバートンだ」 
「アルバート殿下の愛人――」

 幸い、内部の写真撮影は禁止で、新聞記者も中には入れない。――傍聴席に何人かいるだろうけれど。
 反対側の被告席には、執事のアーチャーと知らない男二人。少し離れて、現・伯爵サイラス・アシュバートン。
 いつも髪をぴっちり撫でつけ、ボウタイに黒いモーニングコートを着ていたアーチャーが、髪は乱れ、無精ひげも生えている。わたしに気づいて、ハッとして、そして深々と頭を下げた。

 サイラスおじ様はまだしもマシな服装をしている。一応、伯爵だから、拘置所の待遇もいいのかもしれない。わたしに気づき、気まずそうに視線を逸らす。

 検視官と検死陪審員が入場し、警察側のエヴァンズ警部と、警視庁ヤードのウォード警部が席に着く。
 検察官が開廷を告げた。

 警察のエヴァンズ警部がまず、墓あらしの状況から説明した。墓あらしは三人。リンドホルム城の執事アーチャーと、下男のジムと馬丁のニック。その後、彼らが掘り出していた、ウィリアム・アシュバートンの遺体を司法解剖に回したところ、致死量を大幅に上回る砒素が検出され、死因は毒物による中毒死が疑われる。三年前の死亡診断書には「アレルギーによるショック死」と記載されており、診断書を書いた医師、サイラス・アシュバートンによる虚偽記載を疑い、サイラス・アシュバートンをも即時に拘束した、と。

 次に検死を担当した医師が証言した。この医師はリンドホルム警察と契約した、専門の法医学者だと言う。

「間違いありません、死因は砒素による中毒死です。遺体にはまだ、その兆候がはっきり残っています」

 次いで、ジョンソンとスミス夫人が証言台に立ち、遺体は間違いなく、ウィリアム・アシュバートンであると証言した。
 そして、検視官がわたしの名を呼んだ。わたしは立ちあがり、証言台へ移動する。聖典に手を置き、宣誓する。――今日は、指輪をはめてきた。いろいろ言われるかもしれないけれど、殿下の指輪無しで乗り切る自信がなかった。

「ミス・エルスペス・アシュバートン、あなたはウィリアム・アシュバートンの姉ですね」
「はい」
「彼が死んだ時、夕食のテーブルにいたのは誰ですか」
「わたしとビリー、それから祖母、そしてサイラス夫妻。給仕は執事のアーチャーと、スミス夫人が行いました」
 
 質問はだいたい予想通りのものだ。陪審員が手を挙げて質問した。

「アレルギーによるショック死というのを、信じたのですか? 毒殺を疑わなかった?」
「まさか毒殺だなんて、疑いもしませんでした。彼はまだ十四歳でしたし。祖母も、わたしもパニックになっていて、葬儀も何もかも、全てアーチャーとスミス夫人に任せてしまいました」

 わたしの証言が終わると、検視官は執事のアーチャーに尋ねる。

「あなたの名は?」
「ディック・アーチャー。リンドホルム城の執事しております」
「当日のことを憶えていますか」
「はい。よく憶えております」

 アーチャーはわたしを見て、それから目を閉じ、祈るような表情で言った。

「私が、ビリー坊ちゃまのスープに、サイラス様から渡された薬物を入れました。薬の効果が出ないうちにスープの皿を下げ、厨房ですぐに洗うように指示しました」

 わたしはただ茫然と、アーチャーの告白を聞いていた。

「何という薬ですか?」
「知りません」

 アーチャーが俯き、しばらく考えてから、顔を上げる。

「サイラス様に言われたんです。秘密を暴露されたくなければ、この薬をビリー坊ちゃまに飲ませろと。あの秘密を大奥様に知られたら、間違いなくわたしは解雇されてしまう。だから、サイラス様の言うとおりにするしか、なかったんです。……ビリー坊ちゃまはあの薬で……サイラス様が病死と診断し、死亡診断書を出しました」

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